一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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033 理髪の緊張

僕の家庭はかなり良いところだと思う。少なくとも、一人息子が美容院とかアパレルショップに行くと言ったらそれなりの額を渡してくれた。これと僕の特に使っていないで貯めているお年玉やお小遣いを合わせれば、色々とできる金額にはなる。

 

だって使い道がないんですもの、お金の。娯楽はインターネットに溢れていて、ステラ・コルセアは買い切りのゲーム。Wiki編集はボランティアで元サイトのドメインはステラ・コルセア公式が持っている。設定資料集とか出たら買うけど、そういうものが出る気配は今のところない。

 

一応はお出かけなので、選んだ服は少なくともよれていないものを選んだ。薄手の緑色の長袖は暑さよりも日差しに注意したもの。ズボンは藍色。センスがないな、とは思う。嫌いじゃないけど。

 

心のなかで渦巻いているのは面倒くささに思えるが、たぶん恥ずかしさとかも混じっている気がする。始めてなにかをするのっていうのは怖いし、それを隠すために色々な嘘を僕は自分についてしまう。

 

ただ、それ以上に友達と幼馴染を裏切るのが嫌なので、なんとか足が進んでいる状態だ。そういう意味では、僕のことを考えてくれる人がいるのはありがたいことだと思う。

 

「……ごめん、待たせて」

 

時間通りに到着した僕は頭を下げる。そういう人にどんな形でも迷惑をかけてしまうのは心が痛い。

 

「私は構わないよ、陽香さんと二人きりになるのは辛いだろうから」

 

先に待ち合わせてくれていた角野さんと、その後ろの陽香。陽香は見るからにおしゃれで活発的な高校生みたいなコーデというか、このあたりを説明できる語彙力が僕にはない。ズボンとシャツとキャップだっけ。

 

腰までしっかり上げた、足首のあたりがゆるめの黒いズボン。このあたりの幅の違いで名前が変わるのは調べてわかったけど、じゃああれが何なのかはわからない。肘までの半袖シャツの白い胸の部分にはなんか小さく黒いロゴが描かれている。ブランド物だろうか。足元は赤のワンポイントが入ったスニーカー。

 

一方の角野さんは落ち着いていて、ハイヒールじゃないけどそんな感じの形をしている黒い厚底の靴。少し視線を上げると黒いレースがどんどん濃くなっていくようなスカート。膝まで見えるシルエットに少しだけ目が止まってしまう。茶色のすこしもこもこしたニットみたいなシャツは肘までまくられているが、多分そういう使い方もできるデザイン。

 

なんていうか、二人ともこのあたりはしっかり考えているのだなと嫌でも実感させられる。一緒に出かける時にはそれなりのおしゃれが投資として必要なのはわかる。それを払うぐらいの価値はあると思う。じゃあどうやって払えばいいのかは、今の僕にはわからない。

 

「一応、桂介くんのコーデとかについては陽香さんに計画してもらった。問題ない?」

 

「……うん、陽香なら信頼できるよ」

 

「それはよかった」

 

別に陽香がどれぐらいファッションとか流行に詳しいかは知らないが、少なくとも僕よりは上だろう。これは純粋に知識の問題だ。そういうものに触れて、実際に試してみて、そしておなじような方向の興味を持っている知り合いと話していないと、その方面の知識はつかない。

 

ステラ・コルセアの武装のダメージ計算式の話なら、僕はおそらく陽香にも角野さんにも勝てる。それは実際にプレイしてみて、計算式があっているかを確認して、結果をWikiとかの関係者と共有したからだ。僕はファッションとか美容については、そういう知識を持っていない。

 

だから、任せることにする。二人に連れられるようにして入った美容院は知っている床屋といろいろな点が違った。柔らかい橙色の照明が照らす白っぽい空間には、大きな鏡とてきぱきと動く白い服を着た人たち。とはいえのっぺりしているわけじゃなくて、棚に乗った色とりどりの容器とか部屋の隅の観葉植物があるから、全体としてみれば整って入るけど空っぽではない、感じ。

 

匂いは、甘いようなちょっと酸っぱいようなわからないものが一気に押し寄せてくる。花とかミルクとか柑橘系な感じ。少しミントみたいな清涼感も混じっているのかな。

 

そうやってぼんやりとあたりを見渡している僕を横目に、陽香は受付の人にてきぱきとスマホを見せて話をしていく。予約のとか言っているあたり、僕の担当の人の話かな。

 

「こういうところに来るのは、初めて?」

 

「たぶん」

 

僕は隣から声をかけてきた角野さんに言う。

 

「私もこのお店は初めてだよ、いい雰囲気だね」

 

「……そのあたりは、よくわからない」

 

流れているのは地元のラジオじゃなくてジャズっぽい雰囲気のものだし、それに混じってドライヤーの風とか髪を切る鋏の音とかが聞こえる。会話も聞こえるけど、聞き取れないぐらいには静かな雰囲気だ。

 

「それでは、こちらへ」

 

僕のそばに立った男性が、案内をしてくれる。真面目そうだが無口なんだろうな、というのが話し方と顔つきからなんとなくわかる。座った席は滑らかな革で、一瞬のうちに首に大きな布とかが巻かれる。

 

「お連れの方から色々と伺っておりますが、そのとおりで大丈夫でしょうか?」

 

「……お願いします」

 

声が上ずっていないか、言い終わってから怖くなった。正面の鏡越しに準備をしているのが見える彼は、無表情を崩していなかったから読めなくて更に怖かった。

 

髪が落ちて、いつもの床屋では使わないようないろいろな道具と音がして、仰向けになって顔のまだ髭になっていない産毛と眉が剃られていく。というか眉毛って結構切ったり剃ったりするものなんだな。顔に塗られたクリームが目に入らないよう閉じているからわからないが、毛が切られる感じは伝わってくる。

 

それなりに長い気がしたが、退屈はしなかった。何をされているのかはわかったし、それがどういう効果になるのかをぼんやりと考えていたらある意味で充実した時間を過ごせてしまったというか。とはいえ、こういう楽しみ方をする人は少数派じゃないだろうか。

 

温かいタオルが外されて、やっと僕は鏡を見ることができた。

 

「よろしいですか?」

 

確かにそこにあったのはよく見知った顔に近かったが、もっとすっきりとした印象の、それでいてどこかで見たような流行りか知らないけど悪くない髪型をした、落ち着いた好青年だった。

 

「……はい、ありがとうございます」

 

何か不思議な手品でもされたかのような気分になりながら、僕は促されるままに席を立った。

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