試着室の鏡に映った青年を確認する。細めの身体はふんわりとした服でなんかいい感じになって、全体の空気も相まってなんていうか、その、ちょっとおしゃれな遊んでいるとまではいかない真面目そうなラインで、でもいい感じの雰囲気になっている。
これなら別に外見で嫌がられるとかはあまりないだろうな、と僕でも思えるぐらいの変化。いや、本当にそうなんですよ。いつもは鏡を見てああ自分がいるなぁぐらいの少しマイナスな気分だったのが、なんだいるじゃんぐらいの少しプラスな気分になる感じといえばいいでしょうか。
カーテンを開けて一旦試着室を出ると、陽香と角野さんが待っていた。陽香はちらりとこちらに視線を向けてから角野さんの耳元に何かを話していて、角野さんは頷いている。
それがもどかしいと思うと同時に、そうしてくれないと僕は耐えられないだろうし、陽香もそうなのだろうなとわかってしまう。
まだ僕は陽香が怖いし、陽香も僕を傷つけたことが残っている。角野さんに負担ばっかりかかることにならなければ良いのだが。陽香はともかく、僕は角野さんに渡せるようなものがない。
「いいと思うって」
「……よかった」
服を選んでくれたのは陽香だ。幼馴染の趣味に染まるみたいに考えれば少し変な気分だがそれ自体は悪くないように思える。でもどこか嫌というか変な気分はつきまとっている。じっとりとしたような、後味の悪さに似たようなもの。
それはきっと錯覚で、時間がどうにかしてくれるものなのかもしれなくて、今の僕が耐えるしかないものだとはわかっていても、頭を切り替えることが難しい。
「混んでいるし、早めに脱いどいてね。あと裾の長さは確認しておかないと」
「……うん」
そう言う角野さんとの間のカーテンを閉じる。布一枚越しに見られているのだろうかと思うとまた変な気分になってきた。こういう言葉にできないものが僕には多すぎる。
角野さんはこの点がいいよな。問題を丁寧に分析して、必要なことを調べて、共有して、そして解決へと持っていこうとする。陽香にはたぶん分析や共有のあたりが難しいし、調べ物も本とかインターネットを相手にするなら手こずるだろう。
もちろん、陽香だって角野さんに比べれば人から色々なことを聞いたり、あるいは実際に足を運んでみたり、必要であれば飛び込んでみたり、ということが得意なのだろうとは思う。
それは別に良い悪いの問題じゃないけど、僕が目指すなら陽香の方向よりも角野さんっぽいほうがいいのだろう。性に合っているし、そもそも陽香ほど人を見ていないから。いや別に角野さんだって色々と観察はしていたか。結局僕は何にもなれないのでは?
そう思っていると、鏡の中の服を脱いでいる最中の自分と目が合う。いや、なれはするか。まるまる一日かけて、幼馴染と友人に時間を使わせて、少なくない金額を投資すれば、マシにはなる。でもそれだけ。これを習慣化できるほど僕はやる気がないし、たぶんそれは陽香もわかっている。わかられてしまっている。
「待たせてごめん」
「私たちのほうが待たせていたと思うよ、じゃああっちのカウンターに持っていけばいいから」
角野さんの隣の陽香は、少しうつむいて目を逸らしている。なんて声をかけたらいいのかもわからないし、僕も下手に何かを言われてもうまく返せる気がしない。
「わかった」
そう言って、服を軽く畳んで持って僕は歩いていく。比較的お手頃なアパレルショップ。僕の財布事情まで考えているのだろうか。陽香がどこまで計算しているのかはわからない。とはいえ言葉にしてあまり考えていないんじゃないかなという気はしなくはない。陽香はそういうところがある。
でもそれでなんとかなる。これはこれですごいよな。
「……角野さん、自己否定するような時って、なにか問題あったりする?」
戻って自分の分の荷物を持ちながら、僕は角野さんに聞く。
「疲れやストレス、空腹に体調不良?お昼食べてからまだ自分が嫌なら、詳しく話を聞くよ」
「ああそっか、そうだよな……」
少しお昼のタイミングを遅らせて混雑時間を避けようというのが僕たちの作戦だ。そしてこれが終わったら雑貨で僕向けのコスメを陽香さんが選んでくれるらしい。そういうのがあるとは聞いたことがあるし知らないわけじゃないけど実際に手に取るのは初めてだ。
そういうわけで、角野さんの趣味で食べに行く。ちょうど待つことなく入ることのできた韓国料理店の席に案内されて、各自何を食べたいかを決めていく。
「ちょっと取材として食べてみたくてね」
「食べたことないの?」
角野さんと陽香の会話をメニューを盾にして観察する。少しだけ楽そうに、僕を意識している時とは別の顔をしている陽香を見て思うのは、嫉妬なのだろうか?
嫉妬って便利な言葉だけど、それをちゃんと考えるのって辛いのだろうなと思いつつそれよりも本格的にお腹がすいてきたなと肉とチーズの並ぶあたりに視線が泳ぐ。しっかり食べたほうが良いだろうな。今日はかなり疲れている。肉体的よりも、精神的な方面で。
そりゃ、被害者と加害者が第三者を挟んでいるとはいえ一緒の空間で過ごすのって、相当まずいと思いますよ。僕だって相手が陽香で、計画したのが角野さんでなければ正気じゃないと言っていたと思う。
「桂介くんは決まった?」
角野さんがこちらを見て言う。
「これにする」
ちょっと高めかもしれないけど、高校生がしっかり食べたら多分ほかでもこのぐらいになるからいいやと割り切ってしまう。
「辛いの大丈夫なの?」
陽香がそう言って、そして黙って、あまり良くない空気が流れる。
「……うん、昔は苦手だったけどさ」
そうやって口にするのは、あまり難しいことじゃなかった。でも会話は難しいと思う。ボールを投げ合う感じじゃなくて、転がして、それを拾って、みたいな感じなコミュニケーション。
「そういえば、私は桂介くんの昔のことをほとんど知らなくて。語りたくないこともあるのかもしれないけど」
角野さんがそう言って僕を見た。
「いや、別に……陽香に言わせるとたぶん変な話ばかりになるだろうからちょっと嫌だけど」
「あたしも、別に……桂介から距離取ってきたわけだし」
「……うん、そうだったね」
言葉と言葉の間に、時間がたっぷりとかかった。角野さんはその間、何も言わずに目だけを僕と陽香の両方に振るように動かしていた。