文学館の入館料は三百円。毎回思うけど、こういう施設ってこんな安い入館料でやっていけるのだろうか。そもそもここは市営だから税金が使われているのかもしれないが。
古い建物で、白い柱と茶色くなってツヤが出ている床の板。少しだけきしんでいる。窓の形が古めかしくて、昔のお屋敷っぽい感じがするなと思う。本当に、ここはかつて別荘だったらしい。
角野さんはきびきびと歩いて、展示品を静かに見ていく。ガラスに映る目はかなりの速度で左右に動いていた。
「話せる?」
小さな声で、隣にいた陽香が言う。頷く僕。こういう場所でのおしゃべりはあまりいいものではないのかもしれないけど、そもそも今この展示室には僕たち三人しかいないからいいだろう。角野さんは集中していて外側の声とか聞いていなさそうだし。
「……角野さんってさ、やっぱり桂介と似てるよね」
「僕と?」
「そう」
わかるところと、わからないところがある。なんとなくだけどさ。
「……どういうところで、陽香はそう思うの?」
「なにかに集中している時の顔っていうか、雰囲気、かな」
「……うん」
角野さんは古い木でできた何かを見ている。筆箱かな。少し近づいてみるとそうだった。名前を知らない戦前の作家が使っていたものらしい。蓋のところに書かれている筆の文字は達筆すぎてわからなかった。
角野さんは解説文にもう目を通し終わっていて、順路通りに進んでいる。何かを読んだり、実物を見ることで何かを知れるというのはたぶん角野さんにとって楽しいのだろう。僕もある程度はそうだけど、それでも多少の趣味はある。
横顔を見る。少しだけ上がった口角。前のめりになってじっと見つめる目。周囲のことを気にしないで、読んでいるのか考えているのか、ともかく頭を動かしている。
「なんなのかわからないけど、あたしは桂介と角野さんって同じ側だと思ってる」
「……でもさ、それを言ったらどこにだって線は引けない?」
僕はそう言いながら自分の胸の前で手を横に伸ばす。陽香と角野さんは線のあちらがわ。
「あたしと角野さん、そんな共通点ある?」
「……僕にでも、話してくれるとか」
「いやそれ桂介が話しかけないだけでしょ」
なるほど。言い切られてしまった。つまりこれってあれか、二人が特に親切とかじゃなくて僕が単に臆病と言うか怠惰で二人以外に声をかけないからこうなっているのか。いやでも声をかけられているっていうのは僕の中でなんか特別な意味とか持っていないんだろうか。わからないけど。
「……はい」
「あたしは、桂介は怖がりすぎだと思う。……その、あんなことしたあたしがいえないとは思うけど」
陽香の口調からすると、途中までは自分でしたことが頭から抜けていたらしい。別にいいけどさ。僕だってついさっき思い出したわけだけどさ。
大丈夫。さっきはびっくりしたから身体が変な感じになっただけで、今ならそれを思い出しても、隣に陽香がいても、少しだけ息苦しいぐらいでなんとかなっている。本当だろうか。
「……でもさ、調子に乗って失敗しそうでしょ」
「桂介はそのあたり、けっこう大丈夫だと思うけど」
「僕を信用しすぎだよ」
そんな事を小声で言いながら展示品にも視線を向けつつ、すたすたと進む角野さんを追いかける。こういうところって文字を読む以上に楽しめるのだろうか、とは思ってしまう。たぶん楽しみ方みたいなものがあるのだろうし、それを僕も陽香もそこまでは持っていない。ほら、ここでまた二人組と仲間はずれができた。
「あ、かわいい」
陽香はそう言って、ケースの一つの前で止まる。万年筆だ。軸には桜だろうか、花の模様がある。
「……なんだっけ、
工芸の授業の資料にあったものを思い出す。桜は桃色に見えるけど少し見る角度を変えると白っぽくなるから、なにかの貝とかを使っているのだろうか。何もわからない。展示解説みたいな白くて四角いボードには特に説明も何もなく、使っていた人の名前と万年筆であることが書かれている。いや見ればわかるよ。
「なにそれ」
「こう、少し彫ってからそこを埋めるように貝を貼って磨くとこんな感じになって」
「面白いね」
「これがそうかはわからないけど」
陽香は僕の説明にもなっていない話を聞き流すようにしながら、じっと軸を見る。持ち手の部分だ。
「こういうのを使っていたらさ、文字を書くのって楽しかったのかな」
「そうかも、いい道具って作業を楽しくするし」
僕の場合だとキーボードだろうか。前のやつから少し奮発して高いのを買ったのだが、文字が打ちやすいからWikiの文章を書く作業が捗っている。たぶんキーの重さとか表面の曲線とか、そういうのが使いやすさにつながっていると思うんだけど。
色々な向きから見ている陽香。これはこれで楽しんでいると言っていいのだろう。想定されていた方法じゃないかもしれないけど。
「桂介はさ、気になったものある?」
「……まだ、ない」
「そっか、他のも見てみる?」
陽香に言われて、僕は頷く。会話はできるようになった。それはたぶんいいことだ。心のなかで湧いてくる言葉にできないししたくないようなものは丁寧に表に出ないようにしつつ、一緒に歩いていく。
やっぱり、陽香といると角野さんとは別の意味で楽に思うところはある。多少のことをしても相手に呆れられるぐらいで終わるってわかっているし、つまらなかったらちゃんと呆れてくれる相手だとわかっているから、そこの部分では安心できる。
「ごめんね、私一人だけ先に行っちゃっていて」
気がつくと角野さんがこっちに戻ってきていた。さっきちらりと見た時はそれなりに離れていた気がするのだが、わざわざ僕と陽香に合わせてくれたようだ。
「そうだよ、そんなに見たいなら一人で来たほうがじっくり見れたんじゃないの?」
陽香の言葉は、一つ間違えたら皮肉とか嫌味になるなとは思った。でも声色はあくまで友達に向けるもので、ちょっと心配と謙遜混じりのものだった。
「ううん、一人で見るのが楽しいのは否定しないけど、みんなで見るのも楽しいから」
「あっじゃあ角野さんは見たかなあれ、かわいいやつがあったんだけど」
「どれのことかな」
陽香は少し声を明るくして、角野さんを案内するようにさっきの万年筆のところに歩いていった。