一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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048 過去の追跡

「桂介、そういえば陽香ちゃんと遊びに行ったんだって?」

 

家事をしないと肩身が狭いので晩御飯のために玉ねぎを剥いてると、母さんがダイニングから言う。僕が目を濡らして苦しい思いをしているのに気ままにテレビを見ていると思うと一瞬腹が立つが、これを毎日のようにやってくれている恩義をすぐに理解する。今度からはもう少し配慮しよう。どうすればいいかはわからないけど。

 

「……そうだよ、聞いたの?」

 

「そうそう、陽香ちゃんのお母さんと買い物行った時に会ってね、最近調子悪そうだったけど桂介くんのおかげで楽になったみたいだって」

 

「……そう」

 

なんともひどい話である。色々と断片的な情報を集めるとどういうことになるかはわかるけどさ。ある意味では僕のせいで陽香が苦しんで楽になっているのか。その見方はなかった。

 

「あとそうだ、桂介ってなんか陽香ちゃん以外にも一緒に出かけた人いたんだって?」

 

「噂ってすぐ広まるね」

 

「別に隠さなくたっていいのに」

 

母さんが笑っている。別に僕にとって角野さんとのいろいろは隠したいものじゃないが、と思って関係が親密になった理由を考えると両親には黙るしかないな、となった。

 

「ただの高校の同級生だよ」

 

「……あの、前に振られちゃった子?」

 

一瞬なんのことかわからなくて思いっきり持っていた包丁が滑ってまな板に当たった音がした。危なすぎるだろ、少し指がずれていたらかなり血が出ていたぞ。幸いにも、今はちゃんと丸めた指が包丁から離れたところにあった。ゆっくり息を吐いて、脳の混乱を落ち着ける。この種の経験があってよかった。

 

「なんの話?」

 

「夏休み前に、桂介が女の子に振られてって話聞いてて」

 

ああ、角野さんが流した噂か。なるほど間違ってはいないな。確か信頼できそうな大人に噂を流して、広まらなかったら本当のことをその後伝えるとか考えていたはず。

 

結果がこれだよ。もし僕が陽香にされたことを正直に誰かに言っていたらひどい噂になっていたわけか。そう考えると角野さんは本当に英断というか、良く考えている。良く考えすぎていて怖いまである。

 

というかこの噂ってどうやって広まったんだ?先生とかにしか話していないはずだから、そこから生徒経由で陽香の母親とかにまで繋がるものなのか?わからないし、ここであえて質問をするとヤブをつつくことになりそうだからやめておこう。

 

「そんなことはないよ」

 

「そう、いやその話聞いた頃って桂介、いつにも増して憂鬱そうだったから心配しちゃった」

 

うん、やはり母さんはこのあたりを察していたようだ。父さんはわかっていなさそうだけど。僕が起きる前に家を出てしまうから朝に話すとかそういうこともないし。

 

「……ありがとう」

 

「感謝するならキーマカレーよろしく」

 

みじん切りになった玉ねぎから顔を遠ざけながら、僕は大きなフライパンにそれを入れる。たっぷりと時間をかけて炒めてから、ひき肉とかトマト缶とかそういうのを入れて煮込むのだ。おいしい。

 

普段は父さんが作るような料理なのだが、レシピをもらったので今日は作ってみる。いや、確かに料理の一つもできないとまずいとは思いますが。社会人になって一人暮らしとかすることもあるだろうし、場合によっては大学からそういうことをしなくちゃいけないわけで。

 

家庭の授業で学んだ以上のことはあまりできる気がしないが、家庭って結構色々とやった気がする。うちの学校は進学系として勉強いろいろやる割にはそういう入試に関係ない科目もかなりしっかりやるんだよな。手を抜いたからといって怒られることはないが。

 

「で、その子ってどういう感じなの?」

 

「ゲーム友達の優等生」

 

嘘は言ってない。というかかなり真実そのものだ。確かに彼女が報酬をもらっているという点ではプロの翻訳家であるとか、過去にちょっと色々あったりだとか、僕と陽香の間に入ってもらっているとかいう情報は伏せているけど。

 

「勉強教えてもらいなさいよ」

 

「タイプが違うから難しいかも」

 

そんな風に、母親の話を半ば流しつつ木べらを動かしていることに罪悪感を覚える。ちゃんと僕を気にかけてくれる人はいたんだな。気がつけないでいたけど。そう思うと、一旦狭くなった視野を広げるのはかなり大変だな、とわかる。角野さんがいたからいいけど、そうじゃなかったら僕に合う対応ができた人はいなかったかもしれない。

 

それはそれとして、母さんを秘密を守ってくれると信頼できるかどうかというのは全く話は別だ。なんなら僕の貯金を全部賭けてもいい。噂話が好きっていうのは大抵は子供を守ることに繋がるけど、今回は例外だ。

 

母さんは僕と陽香のことを仲良しで、たぶん幼馴染以上の関係だと察している。せいぜい両片思いとかだろうかみたいなところだろうけどね。実際は被害者と加害者です。初めても互いで経験済みです。ああまったく、ひどい話だ。

 

「なんて名前?」

 

「角野さん」

 

僕が言うと、知っている人にいなかったのか興味を少し無くしたようだった。でもしばらくしたら角野さん関連の情報が集まっているんだろうな。角野さんにとって過去はあまり知られたくないものだろうから、彼女の話したことが全てではなくとも僕はあまり問い詰めたり知ったりしたくはないのだけど。

 

玉ねぎは少しづつ水が抜けていく。少しぐらい焦げてもどうせカレーにするのでわからないのだが、できるだけこまめに鍋肌と当たる場所を変えるように混ぜていく。

 

そういえば、僕たちの関係を知っている人は少なくないんじゃないだろうか。陽香の友達は僕や角野さんと陽香がたまに遊んでいることを知っているだろう。僕の知り合いだって、僕が角野さんと話しているのは見ているはずだ。角野さんの場合、角野さんを気にかける人の名前が具体的に思い浮かばないのでちょっとわからない。あ、僕と陽香はちゃんと別枠ですよ。

 

夏休みがもうすぐ終わろうとしている。やりたいなと思ったことの多くは終わっていなくて、妙な焦りはあるけどそれが身体を動かしてはくれない。辛い。

 

陽香とか角野さんは、このあたりが僕と違う。僕が単なる怠け者だと言われれば反論はできないけど。

 

変なことを考えていたら玉ねぎがいい感じの飴色になっていた。火を止めて、これから入れる具材の準備をするとしよう。

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