一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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005 混乱の発生

親は旅行から帰ってきていて、夕食を食べて、寝て、起きて、次の日になって、一日が終わって、三日目。

 

嫌でも数えてしまう。あの日は僕の中で今のところどうしようもないほど大きなものになっている。角野さんとは、昨日は話さなかった。授業を受けるだけでもぐったりしてしまって、そこまで余裕がなかったのもある。

 

Wikiの編集もせず、定例会議にも出ず、昨日は本当に久しぶりにパソコンに触らなかった一日だった。

 

教室の扉を開ける。なぜか周囲の視線が僕に刺さった気がする。考えすぎだろうか。まだ少し油断すると陽香の事を思い出してしまうし、陽香のほうを見れない。昨日は確か、ずっと目をそらしてしまったはず。

 

「……おはよう」

 

スマートフォンを見ていた角野さんに声をかけると、少し困ったような顔をして頷いた。

 

何かあったのだろうか、と思ったが聞けずに僕も座る。スマホの通知音がした。

 

取り出して見ると、角野さんからだった。なんで隣にいるのに、と思ったが本文を見て考えが変わった。

 

── 問題が起こった。余裕のあるタイミングで、直接話したい。

 

胸がぎゅっと締め付けられるような感じになる。何があったんだろう。悪い方に悪い方にと脳が考えてしまうが、具体的に何が悪いのかがわからないのに不安というか変な気分だけが高まっていく。

 

── 桂介くんに直接影響があるものじゃないけど、共有しておきたい情報。君がどういう反応をとってもいいように、時間と場所を調節したい。

 

少しだけ落ち着いた。横を見ると申し訳無さそうにこちらを見る角野さんと目が合う。そしてその後ろの男子もこちらを見ていたが、直ぐに目をそらした。

 

何なのだろうと思って放課後、場所は図書室を指定する。この高校の図書室はそこまで人がいないので、本棚のあたりで話せばあまり人と会うことはないだろう。

 

そんな気持ちを抱えつつ、時々思い出す事に苦しみながらも、それでも一昨日よりはずっと楽に一日を過ごせた。まだ陽香のほうに視線を向けるのが怖いけれども。

 

そうして、角野さんと時間をずらして図書室へ向かう。こういう事をするとこっそり待ち合わせをする恋人みたいだな、と思ったが憂鬱な気持ちと不安のせいでそういう変な思いはすぐに塗りつぶされてくれた。

 

歴史と地理と公民関係の本が並ぶ本あたりで、角野さんは本棚から取り出した本をぱらぱらとめくっていた。僕の方も少しあたりを確認したが、周囲に人はいなかったし小声なら聞く人もいないだろう、とは思う。

 

「……まず一つ、私は大きな間違いを犯した。これで生じた問題は、全て私の責任」

 

僕が何かを言おうとする前に角野さんはそう言って、頭を深く下げた。また謝られてしまった。

 

「……何をしたの?」

 

「説明しそびれていたけど、まわりの大人に桂介くんが落ち込んでいる……というか、鬱っぽくなっている理由について嘘をついた」

 

「……嘘?」

 

「本当のことを言うと、秘密を守ったことにならないから」

 

そう言われて、確かに角野さんは秘密を守ると言っていた事を思い出す。それを信頼しないわけじゃないけど、僕はまだ何が起こったかを話していないはずだ。

 

ただ、それを察することはできるだろう。角野さんは僕との付き合いは期間的には短いが、一年生の頃は陽香と同じクラスだった。そして、ゲームを紹介してもらうぐらいの仲にはなっている。陽香のことだからクラスの隅で一人ぼっちでいるような僕みたいなやつが好きなゲームならこの子も気にいるかも知れないとかいう考えだろう。

 

そしてなんていうか、陽香の人を見る目は嫌なことにかなりしっかりしていて、角野さんはステラ・コルセアにかなりがっつりはまった。そして半年で日本語翻訳チームに入るようになった。聞いた時に驚きましたよ、クレジットで見る名前と同じSNSのアカウントを見せられたんですもの。

 

「それで、何を言ったの?」

 

「君が私に振られたことにした」

 

「……振られた、って」

 

言葉の意味が飲み込めなかった。振るってことはあれか、告白を?とまでは繋がったが、それ以上はいつも意識的に考えないようにしているあたりに踏み込もうとしているのが無意識に止まったのだろうか。わからない。ただ、音だけが頭の中で響いた。

 

「このことは他の人には言わないで欲しいって念を押したんだけど……どこかで噂が漏れたらしい」

 

「……ちょっと待って、どうしてそんな事を」

 

「追加の関係者を私だけに抑えて、君の問題を第三者に説明できるから……というつもりだったんだけど、失敗した」

 

少しだけ考える。僕が振られたから落ち込んで、授業を受けられないぐらいになった。ないわけでは、ないのかもしれない。僕はそういう感情には慣れているけど、同じ世代の男子がどうかは正直わからない。

 

「……いいの?」

 

「何が?」

 

「角野さんは、その……」

 

「私はどうやら孤立していて他人と話すのが苦手だって思われているらしいから、別に私が何かを失ったりはしていないはずだよ」

 

「……そう、それなら、いいけど」

 

聞きたかったことは聞けなかったが、本人は特に気にしていないか、気にしてほしくないようだから、僕はそれ以上は言わなかった。

 

「ただ、このせいで君が受けたことを他の人に相談しにくくなった……私の勘違いでなければいいんだけど、それは本来、ある程度大掛かりに動いて、ちゃんとしたプロに話を聞くべきもののはずなんだ」

 

「……やっぱり、そう?」

 

「骨折をして自力で直そうとするものだよ。別に落ち着けていれば痛みはないかもしれないけど、ギプスがきちんとつけられていれば治りは速くなるし、多少は動けるようになる。ただ、もともと想定していた理由に比べて信頼できる人がいなくなったとなると……」

 

「……ねえ、もともとの理由って」

 

僕の質問に、角野さんはゆっくりと息を吸って、吐いて、小さく口を開いた。

 

「男性の被害者と、女性の加害者という問題をきちんと扱える人は、そうそういないと思う。警察も、カウンセラーも。君がそれでも公にしたほうがいいって言うなら、私はそれをできるだけ支援するけど」

 

「やめて」

 

「……しないよ。それはおそらく、少し間違えただけで全部を壊してしまう。そのうえ、何かが解決するわけじゃないと思う。裁判所ができる裁きは陽香さんの人生を壊すにはそれなりの意味があるかもしれないけど、君にとって満足のいかないものだろうし」

 

「……陽香って、そういうことをしたの?」

 

「法律で罪になる条件は揃っている。ただ、重い罪になるかというと……私は弁護士じゃないし、ちゃんと調べたわけではないし、典型的な例ではないのもあるけど、そこまで重いことにはできないと思う。必要なら説明はできるけど、たぶんもう少し落ち着いたほうがいい。それと、証拠ももうなくなってきているし……」

 

「証拠がなければ、陽香は罪にならない?」

 

「……かばうの?」

 

角野さんの声は、僕の縋るようになってしまった声にも落ち着いていた。

 

「……陽香にも何か理由があったはずだし、僕がちゃんとしていれば」

 

そう言ったところで、僕は両肩を掴まれた。

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