一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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052 共通の機構

ドラッグがいかに脳を破壊するか。一度経験した感覚がどうやって甦るか。

 

どうせ単調な内容だろうとか悲惨さを語るのだろうと思っていた講話は、思っていた以上に真面目な内容で途中からちゃんと聞く気になった。中学生に聞いたことがおぼろげに記憶にあるものと違ったので、高校生向けに怖がらせるだけじゃなくてバージョンアップがされたのかもしれない。

 

衝撃的な出来事が脳にどのように影響をもたらすか。それはある意味では神経の接続だけど、物理的な怪我にも似ている。場合によっては治らないことすらある。なるほど。

 

そして、その感覚、あるいは苦しみはまた襲ってくることがある。何がきっかけになるかはわからない。フラッシュバック、とそれは呼ばれる。

 

ちらりと角野さんの方を見る。視線はスクリーンに向いているけど、あまり真面目そうに聞いている感じはしなかった。別に角野さんがこの分野に興味を持たないとは思えない。勝手な感想だけど。だから、逆に言えばこういう内容を角野さんはよく知っているのだろう。

 

講話はだから一度ドラッグを使ったらあなたの人生は酷いことになりますよ、というものだった。いや、参考にはあまりならないな。僕の場合は一度傷を受けてしまったわけで、どうやってその傷を乗り越えて行ったりするべきかとかの方を聞きたいのに。

 

わかりはする。そういう話をすることが、必ずしも話している人の目的にはあわないってことは。でも、この話が役に立たない人にこそ支援が必要なんじゃないだろうか。いやこれは思考が行ったり来たりしているな。落ちつこう。

 

そんなことを考えていると、話が終わった。先生がプリントをとりにいったん職員室に戻ったので、教室の中が一気に騒がしくなる。

 

「ねえ、角野さん」

 

「……なに?」

 

少しだけ、角野さんの反応は遅かった。何かを考えていたかのように。

 

「ああいうドラッグの依存症って、直せるの?」

 

「いろいろな場合がある。周囲の環境からの支援はどうしても必要。本人の意思もあるけど、意思を揺るがすような問題に直面しているのに意思の話をしても無意味なのはわかる?」

 

僕は頷く。心が辛い時には楽になることを考えられない。

 

「それでも、いろいろ対策はある。桂介くんも、いくつかは知っているはずだけど」

 

「……まあ、そうかも」

 

自分に起こったことが、別におかしくないんだとこういう形で納得できるとは思っていなかった。経験したことを理解して、それが不合理であることを認めていく。それは怖いし、時間もかかることだけど、ちゃんとやれば有意義だ。

 

「基本的に依存症と君が知っているようなもの、どちらも感情と記憶のつながりの問題。好きな料理を見ると嬉しくなるようなことが、もっと激しい規模で起こる」

 

「あれ、じゃあドラッグで気持ちよくなっている時がフラッシュバックするんじゃない?」

 

ぼんやりと幸せそうにする中毒者を頭に思い浮かべるが、たぶんこれはちゃんとしたドラッグの知識じゃない気がするな。僕は阿片窟なんて言葉をどこで知ったんだろう。

 

「ドラッグはそういう微妙な調整が効かないから違法薬物に指定されているんだよ。副作用みたいなものが普通の薬より出やすいし、そもそも売る側もそんな事を気にしない」

 

「なるほど」

 

この辺りをきちんと学生に説明したらきっと大変なことになるから言えないんだろう、とは察する。結局安全なものはないと最後に言ったとしても、使う人は最後まで聞かないだろうし。

 

「考え方を調整すれば、悪い反応が出た時の対応が変わる。自分の思考の問題点を知っているなら、自分や周囲に悪影響をもたらすことが少なくなる」

 

「でも、それをするのは大変なんでしょ?」

 

角野さんが頷く。

 

「だから普通は専門家が必要。私みたいなのじゃない、もっとちゃんとしたね」

 

角野さんの口ぶりは謙遜だったが、正直なところ僕はいわゆる専門家であっても角野さんほどちゃんと僕を見ることができたかをかなり疑問に思っている。噂が流れているとかそういうのは仕方がないと思って割り切っているけどさ。

 

思考をきちんと言葉にしたり、言葉にできないものを表に出そうとしなかったり。そういう練習をしたから、角野さんはとても落ち着いていて、僕が苦しむことのいくつかを回避できている。もちろんそれがどれだけ辛くて、どれだけ大変なのかはわからないから安易にいいねとか言えないけど。

 

「……わかった」

 

「あと、原理というか基本的なメカニズムは同じでも対応は当然異なるからね。例えばドラッグはそれを売る環境から離れることが重要だけど、そうじゃないものが原因で起こるなら、そして関係者が望むなら、環境を大きく変えないことも選択肢に入る」

 

雑談の範囲で収まっているかな。いるよな。環境を変えないという角野さんの試みは、今のところ少しずつだが前進している気がする。陽香との関係がそんな一瞬でよくなることはないとわかっている。ただ、もっと綺麗に、一瞬で変わってほしいと思うこともある。そういう誘惑が頭によぎらないかと言えば嘘になる。

 

でも、それをやったら今までの努力もなんとか戻してきた関係も角野さんへの恩義も全部ぐちゃぐちゃになるってことはわかる。そういうことをしたいわけじゃないと、冷静に考えられる余裕がある。これは角野さんが僕を無理にでも引き戻してくれたおかげだ。

 

「……それをわかる人も、必要だよね」

 

「ドラッグの場合なら同じような被害者どうして共助コミュニティを作る、みたいな話もあるかな。傷を持つ者同士、ってわけじゃないけど」

 

「なるほど」

 

僕の場合には使えないんじゃないかとも思ったが、まあ確かに秘密を共有していて、性というかそういう関連のトラウマみたいなものを抱えていて、支援を必要としている人はいるな。

 

「特別な場合だと、そもそも参考になる事例がない。基礎を固めるための経験もないなら、失敗を前提で色々試して、マシなものを選ぶしかない。もちろん、超えられないぐらいの一線を踏まないように常に注意は必要だけど」

 

「……なるほどね」

 

結局は、色々とやっていくしかないのだろう。僕と陽香の関係だけじゃなくて、もっと他のことも。そろそろ涼しさがやってきて色々やりやすくなる季節になってくれると暦は言っているのだが、最近の暦は改正されていないので四季とかが狂っているんじゃなかろうかとも思えてくる。

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