学園祭のやってくる雰囲気自体は、そこまで嫌いなものじゃない。でもそれは例えば涼しい風が吹いて短い秋の予告編かなみたいに感じるときみたいな、少しだけの変化を感じさせるからであって、騒がしさと興奮を予感させるからじゃない。
「で、桂介くんは当日に一体どういう予定が?」
「全く無いが?そしてそういう質問はシフトの問題か?」
角野さんに煽られたように言われたのでちょっと声色がキレている。よくないね。深呼吸。
「いや、純粋に誰かと回るとしたら桂介くんが一番良さそうだと思って」
「陽香にしなよ、そして無理しない方がいいよ」
角野さんは最近、少しだけやる気が出ているというかなんていうか奇妙だ。いやこれは角野さんのことを定期的に見ている僕以外にはわからないものかもしれないけどさ。
僕の捻くれた見方が正しいなら、角野さんはなんていうか普通の高校生っぽくなろうとしている。あるいは陽香みたいに。無理だと思うな。
いや、無理っていうのは陽香のあれはある種の天性みたいなところがあって、例えば陽香がかなり努力しても角野さんみたいな話し方をするのはまず無理だろうし、翻訳のプロとして報酬をもらうレベルになるのも不可能だとは言わないけど相当つらいだろうというのと同じような意味で。
「陽香さんはほら、なんかクラスの中心させられているでしょう?」
「だからこそだよ、そういう付き合い抜きで遊べる相手って大事だから」
「……桂介くんは、まだ無理か」
「辛いね」
別に話すぐらいはできる。二人っきりでいるところを誰かに見られるのが嫌だって感じがある。あれ、そういうのって今やっと気がついた?
「……ちょっと面白いかも」
なんていうか、少し自分の状況を楽しめている。もちろん辛いし、変な表情にはなるんだけど、それを一旦切り離して考えたら、今僕は、今まで自覚していなかった何かを掴めているわけで。
「何かに気がついたのなら、しばらく黙っておくけど」
「お願い、考えさせて」
落ち着こう。ええと、誰かに陽香といるところを見られたくない、か。それはどうして?囃し立てられるのが嫌?別にそういうことする知り合いがいる?あまりいないんだよな。
だって少なくない人が僕と陽香の幼馴染の関係を知っているし、その関係も去年というか今年の春まで冷めていたわけだし。三人で出かけたのは知っている人もいるかもしれないけど、あれは僕と角野さんのあれこれに陽香が口を挟んだみたいに捉えられているのかな。
そう思うと、部外者にとって僕と陽香が一緒にいるのって、僕にとっての角野さんといっしょにどこかに行くみたいなものか。なるほど。
外側の視点というものを最近、ようやく意識できるようになった気がする。そしてそれがなんか嫌な感じのものを伴っていることがあると自覚できるようになってきた。
なんだろうね、これ。
「角野さんってさ、例えばの話で僕と一緒に学園祭回っているの見られたら嫌とかある?」
「そういう感情があったら、私は君を振ったなんて噂を流さないよ」
あれ、なんか噛み合わない気がする。
「……普通は逆じゃない?」
「逆?」
僕の言葉に、角野さんはわかっていないようだ。つまり何かがおかしい。
「僕のことが好きって周囲から思われたくない……じゃない、日本語って難しいな」
「ああ、そういうこと」
僕の言いたいことを、角野さんはようやく飲み込めたようだ。
「親密な関係にあるかどうかを周囲から判断されるとか、そういう意味だと思ってた。視線を向けられる事自体の好き嫌いであって、どういう視線を向けられたいかで考えていた桂介くんとはそこが違ったと言えばいい?」
「……なんとなくは掴めたよ」
つまりは角野さんは自分が他の人にとやかく言われようが気にしないよ、って意味で考えているわけか。そりゃ特定の相手のことを好きだとか嫌いだとか勝手に第三者からジャッジされようがそんな事するやつになんで感情を乱されなきゃいけないんだ、とか考えそうだし。
「誰かと出かけることはそれ以上でもそれ以下でもないけど、そう思わない人もいるし、桂介くんはそっち?」
「……思いたくなくても、思うことはあるから」
「行動に出さなければいい、とも言えないか。考えたことはどうしても行動に影響を与えるからね」
「そういうこと」
例えば角野さんが僕以外の、具体的に考えるなら男子と楽しそうに学園祭を回るっていうならそんな相手がいたのかよという驚きと同じぐらい嫌だなって感じるだろう。いやこれはただの嫉妬というか、そもそも嫉妬するぐらいならちゃんとそれを言うべきじゃないのかね。
「まあ、私はそのあたり正直不慣れなのでもし問題があればちゃんと言ってほしい。君の意見なら、できるだけ聞くようにするから」
「……僕がさ、角野さんに悪意を持っていたらどうするのさ」
悪意って言っていいのかな、この感情って。恋心というにはなんかもっと汚い欲望と直視したくない惨めさが混じっている気がする。
「支援者として君に接する中で、君がどういうタイミングでトラウマを思い出すかはだいたい知っている」
「あっごめんなさい誠実に生きます……」
そうだった、角野さんは直し方というか支援の方法を知っているんだから取っちゃいけない手もちゃんと理解しているのか。それを本気で振るわれたら、ただでさえ心にヒビが入っている僕を壊すぐらいは簡単だろう。
「しないけどね。少なくとも、今の私は誰相手でもそういうことをしたくない。実際にできるかどうかも怪しいし」
「そうなの?やっちゃいけないことをやるだけでは?」
「私がそれをやっちゃいけないって知っていることが問題なんだよ」
角野さんは息を吐いた。
「私はたぶん、相手を意図的に傷つけるのがかなり怖い。もしそれが誰かを、あるいは自分を守るために必要だったとしても」
「……昔、誰かを殴ったことがあったんだっけ」
「そのあたりかな。ある意味では、私のトラウマ」
その言葉は、あくまで軽いものだった。僕もこのくらいの軽さで陽香とのことを誰かに話せる日が来るのだろうか。問題はその相手って陽香や角野さんと同じぐらいに親密な相手ってことだよな。その上で信頼が置けないといけないわけで。そういう意味で、そういう人ができる気がしない。