一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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057 観察の技術

放課後に、角野さんや陽香と他愛もない会話をできるようにはなっている。それはかなり楽しいし、陽香にされたことを思い出していない時は緊張もしなくて済む。

 

「結局、あたしの方法は角野さんに伝えられないみたい」

 

僕を被験者として、陽香は言葉にできない読み取り方をなんとか伝えようとして失敗していた。いや、別に陽香の説明が下手だったとか、そういうことではない。正直言ってこんなに言葉にできたんだと僕が驚くぐらいだった。そういう力を持たれると本格的に僕のほうがなんとか勝てる余地がなくなっていく。

 

「うん、でも色々とわかったこともあるから、私にとっても十分な収穫だよ」

 

角野さんはかなり楽しそうだった。まあそうだろうな。何かを知ったり学んだりすることが楽しくなかったらそんな知識もないだろうし翻訳もしていないだろう。

 

「ところで、角野さんってどうやって人を見ているの?逆にあたしが使えるものもあるかもって思って」

 

「……習慣化してしまったものもあるから、ちゃんと言うのは難しいんだけれどもね」

 

少しだけ照れたように角野さんが言う。ああそうか、苦労して身につけた技術を褒めてもらえるのって嬉しいものね。

 

「例えば、目の筋肉の動き。喜怒哀楽を読み取る時に、私は目の開き方と目尻の角度、あとは周りの筋肉の雰囲気を使ってる」

 

「……なんて?」

 

陽香はかなり混乱しているようだ。確かにそういうふうに感情を読めるのはわかるけど、陽香にとっては意識したこともないだろうな。

 

「……桂介くんを使うのがいいかな。お願いしていい?」

 

「……いいけど」

 

なんか教材にされるそうだ。いいんだけどさ。

 

「ええと、それじゃあ目を軽く閉じてもらえる?」

 

言われたとおりにする。なんとなく、手は膝の上で。

 

「ステラ・コルセアでハイスコアを更新した時の気分」

 

ちょっとだけ肩が動く。口の周りが軽くなる。

 

「ほら、目尻が少し上がるでしょ?」

 

「ほんとだ」

 

「ただ、下げたほうが笑顔としてはきれいになるんだよね。アイラインとかってこのあたりをうまく錯覚させるためにあるの」

 

「そうだったんだ……」

 

なんか陽香が角野さんに化粧を教わっているって変な感じだな。いや確かに理論とかあまりなしに流行りの通りにやるって感じだろうけどさ、陽香は。

 

「目を開けているともっとわかりやすいかな」

 

そんな形で、角野さんに言われるがままにいろいろな表情を浮かべていく。意識的なものじゃないけどね。

 

「昨日寝る前に書いた記事でセクションの構文が間違っていた」

 

「……ほんとだ、眉の角度がかなり変わるんだ」

 

「こういうのを、私は最初かなり意図的にやっていた。自分でも、ある程度は使っている」

 

「すごいね……」

 

なるほど、角野さんにとっては話す内容も表情も同じようにコントロールできるものなのだろう。というかそこまでするあたり、角野さんは自分の顔とか表情もあまり好きではなかったのだろうか。僕は好きなんだけど、それが角野さんが苦労して積み重ねたものを見ているのかもしれないと思うと何も言えない。

 

「これはかなり疲れるから、普段は使ってない」

 

「そうなんだ」

 

「桂介くんと話す時は基本的には読み取らないようにしているよ。そもそも桂介くんはあまりそういうふうに表情を使わないし」

 

へいへい、どうせ僕は顔の筋肉が動かせないからいつもつまらないような表情しかできませんよ。

 

「……じゃあ、角野さんに桂介の気持ちはわかんないんだね」

 

「私からすると陽香さんが一体何を読んでいるのか気になるんだけれどもね。目の動きとか口角の上がり方も小さくて微妙だし、身体の動きとか目線とかで読んでいるの?」

 

「……あたしは、なんかもっと全体を見てる。あ、話し方かも」

 

「複合的な分析ね。私はそこまではできないし、やると会話ができないぐらい集中しちゃうから」

 

「もしかして角野さんが集中っていうか、真面目に話す時に口調変わるのってそういうのもあるの?」

 

「一番慣れ親しんだというか、練習した話し方を出す時はそこまで頭を使わなくてすむ気がするからそうしているかも」

 

「なるほどね……」

 

保健室で声をかけられた時のことを思い出す。あの時の角野さんは、かなり集中していたのだろう。あの時に、僕はそうとう混乱というかまともに自分のことすら考えられていなかった。

 

話すための技術みたいなものを、陽香は普通に生きている中で身につけてきた。僕も苦手だけど、陽香のおかげでなんとかなっている。少なくとも、陽香と話す時は自分が話し下手だとは思わずに済んでいる。

 

角野さんには、そういう相手がいなかった。

 

「……ねえ、質問していい?」

 

「なんでしょうか、桂介くん」

 

少しだけ、角野さんの口調が真面目というか気合を入れたときのものに切り替わっている気がした。気のせいかもしれないけど。

 

「角野さんってさ、自分のことが嫌いだった時期って辛くなかった?」

 

「……とても。自分の声を聞くのが嫌で、話せなかった時期があると言えばわかる?」

 

「……相当だね」

 

「さすがに一時的なものだったけどね。ご飯食べたら治ったよ」

 

「そんなのでなんとかなるの?」

 

陽香が言って、そのあとちょっと自分の発言が失敗したかもしれないと不安げに僕の方を見る。自分で言った言葉だろ責任取れよ。謝ったら僕からも許してもらえないか頼みはするけど。

 

「なるよ。陽香さんだって、身体を動かす時に体調とか心理的なコンディションが重要なのはわかるでしょ?」

 

「ハンガーノックとか、そこまでは行かなくても辛くなることはあるから、わかる」

 

「よかった。だから、私はちゃんと話をしなくちゃいけない時にはできるだけ前日早く寝たりするようにしているよ。睡眠不足で脳が回らないと、たぶん下手なことを言ってしまう」

 

陽香なんかはどうなんだろうな、と考える。そこまで考えて話しているわけじゃないし、自分の中のパターンに沿っているみたいなところがある気がする。僕だって似たようなものだけどさ。

 

「……角野さんって、本当に大変なんだね」

 

「苦労しても陽香さんには負けるんだけどね」

 

角野さんの言葉は、諦めとかが混じっていた気がした。

 

「勝ち負けじゃないよ、あたしだって学校で一位になれなくたって走るの好きだし、前よりもうまく走れたら嬉しくなるもん。それに、誰かが褒めてくれたらもっと嬉しい。角野さんだってそうじゃないの?」

 

「……かもね」

 

わかりにくいけど、陽香は励まそうとしていて、角野さんは励まされたようだった。

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