待機場所になっている教室は、どこか馴染めなかった。いつもの教室と同じ間取りのはずなのに、窓から見える景色は微妙に違うし、貼られている掲示物も異なっている。
とはいえ、気になって仕方がないというほどでもない。段ボールで作られた看板に、普段は禁止の化粧をした人たち。廊下はいつも以上にものがあって狭くなっていて、色とりどりのTシャツを着た人たちが廊下を走っている。
「……騒がしいなぁ」
僕しかいない教室の中で呟く。いや、回るって言ってもそこまで興味がある出し物があるわけではないし、角野さんのほうは今シフトに入っている。陽香はなんか友達たちと楽しくやっているようだ。いいことだよ。
スマートフォンでSNSのつまらないニュースとかミーム動画を見て、そんな事に無駄な時間を使っている自分が嫌になって、それでも他にやることがないから窓の外を見て。
四階建ての校舎の最上階のここは、かなり遠くまで街の景色が見える。僕たちの普段過ごす二階だとそうでもないけど、ここから見るとこの学校が住宅街の中にあるんだなとわかる。
なんていうか、少しだけ悪いことをしているようでわくわくする気分になる。今の時間を一番贅沢に過ごしているのは僕じゃないだろうか、みたいな。あるいは最も無駄に過ごしているのかもしれないけど。
スマートフォンを取り出して、メッセージアプリでクラスのグループを開く。少し遡るとシフト表があった。ああ、そろそろ時間か。
誰かが来るかもしれないからということで、鍵も締めずエアコンはつけっぱなしで教室を出る。貴重品はロッカーの中に入っているから大丈夫、と考えるがそのロッカーがある教室は今別クラスが展示のために使っているんだよな。色々と祭りの間は複雑だ。
「調子はどう?」
そう言って校庭につき、声を掛ける。何人かが僕を見て、ああ角野さんに声をかけたんだなと思ったようにそれぞれの仕事へ戻っていく。いや別に角野さん以外が反応してくれたっていいんだけどね。ここでああやっとこいつの面倒を見れるやつが来たとか思われていないかが少し心配。
「大丈夫。とはいえ、熱いから交代してくれると助かる」
角野さんはフライヤー係らしい。まあ几帳面な人には向いているかも。三つのタイマーは一分少しずつずれているから、揚げ時間を調整しているのか。ええと確かこれは四分でいいんだったよな。
「わかった」
やることのリストはきちんと読んでおいた。マスクを付けて、手をちゃんと消毒して。長袖を着て、エプロンをつけて。跳ねた油でやけどをしてから後悔したくはない。他の人達を見ているともっと軽装なので、覚悟が足りていないんじゃないかと思う。いや、この暑い中でそんな重装備をしたら熱中症が怖いと言われればそうかも。
そもそも揚げ物が危ないってちゃんと理解して、その上で対策を取るってけっこう難しいものなのかもしれないな。審査が厳しいとも聞くし。そういえばこの音はフライヤーを動かしている発電機か。
油を燃やして電気にして、電気で油を加熱して、とエネルギーの変化として考えるとかなり変なことをやっているな、と思いながら角野さんの隣に行く。
「気をつけるべきことはある?」
「注文からあまり待たせたくないから、足りなくなってきたなと感じたらその分を多めに補正するように追加する、って言えばいい?」
「なんとなく」
「一周分は指示を出すから、それが終わったら私は抜けるね」
「わかった」
てきぱきと言う角野さん。人によってはキツめの言い方だと思われたりするのだろうか。まあ確かにわからなくはないけどね。暑さでかなり苛立っているのかもしれないし。
「タイマーは一番左のやつが左のかごだと思っていい?」
「私はそうしていた。お好みで」
でも端的で、知りたいことをきちんと話してくれて、それでいて質問をしたらすぐに返してくれるのはとても助かると思うんだけどな。
このあたりは、僕の趣味が変な気がしなくもない。いや、別に陽香とするみたいな完全に無駄で、だらだらとした会話が嫌なわけじゃないよ。でも、そういう会話をして楽しめる相手ってちゃんと考えると他のクラスの女子だとだめな気がするな。
タイマーが鳴ったので止めて、揚がったやつを出して、空いたバスケットに冷凍の唐揚げを袋から雑に入れて、油に突っ込む。
「適宜揺らしてあげて」
「うん」
持ち手を握って振ると油が気泡で真っ白になる。いい匂いなんだろうけど、濃すぎてちょっと胸焼けがしそうな感じになる。
ええと何だっけ、陽香の話か。なんていうか、他の女子と話す機会があった時に、そういう無駄なことを言える気がしないというか。やっぱり僕にとっては陽香は特別な相手だし、向こうもそう思ってはいるのだろう。
だから起こったこともあくまで個人というか二人の関係の問題になった。言い方を悪くしたら、陽香が自分の関係を使って隠蔽したとかになるのかな。ただ、そうは言いたくない。隠そうとしたのは僕もだし、その点では共犯だ。
ただ面倒なのはこの中に角野さんがいるってことで。確かに、一人だけ秘密を共有するとしたら一番適切な相手だったのはわかる。僕にとっても陽香にとっても知っている人で、傷に対してどういった対応をすればいいのかを過去に体験を通して知っていて、それに秘密をしっかりと守ることができる人。
きっと、僕はとても幸運だったのだろう。角野さんが幸運だったぐらいには。いや、言い方が悪いけど、僕にとってはこう言うのが精一杯だ。
もし角野さんに言葉にする能力がなかったり、観察するだけの気力がなかったり、あるいはそれを長い間続けられる自制心がなかったら今のようなことにはなっていないし、それらがあったのは幸運としか言いようがないんじゃないか。
「ぼんやりしないの、タイマーはできれば音が鳴る前に気がついて」
「はい」
角野さんに言われたのでまた手を動かす。揚がったものは油を切って紙コップに入れて爪楊枝を刺して、という形でクラスメイトによって処理されていく。あまり在庫を用意しないようにしているのは角野さんのコントロールが上手くいっているからだろうが、僕はそこまで自信がないのでちょっと多めに揚げておこう。そろそろお昼時で人も増えてくる気がするし。