一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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060 質問の返答

学園祭というのは、かなり短い。意図的に早く去ろうとすれば、なおさらだ。

 

後夜祭をやっている体育館の方から音がする。まだ日は沈んでいないけど、曇りだからオレンジから藍色にかけての綺麗なグラデーションが空にできている。

 

「……帰るんだ」

 

校門を出て少し歩くと、陽香が僕の隣に立っていた。

 

「……うん。陽香は?」

 

驚きはなかった。なんていうか、わかっている気がした。前はこうやって声をいきなりかけられた時、過呼吸とか起こしたな。懐かしい。陽香ももう少し気を使いなよと思ったけど、疲れてそうなら置いとくか。

 

「あたしがいないほうがさ、打ち上げとか楽しいと思うから」

 

「それはないと思うよ?」

 

陽香が今回の学園祭で頑張ったことを、僕はよく知っている。角野さんの策略みたいなものかもしれないけど、それでもだ。実行委員の人たちに比べれば脇役かもしれないけど、それでもメインキャストには入っていいと思う。

 

「……あたしさ、誰かを好きになったことがないって言ったよね」

 

「待って、ここで話していい内容?」

 

どちらかの家で落ち着いて、というのは今の時間だと難しいか。教室に戻るのも片付けの人たちと顔を合わせて面倒なことになりそうだし。

 

「短くするから、さ。一緒に帰ってほしい」

 

「……わかった」

 

僕と陽香の家は同じ方向にある。だから、一緒に帰るのは珍しいことじゃなかった。

 

小学生の頃は、もっと距離が近かったかも。中学生の時には、偶然タイミングが合えば、ぐらいだった。高校の頃はもう少しだけ、増えたかな。それでも少なかったはず。

 

「あたしさ、他の人に興味なかったのかな、って思って」

 

「……どういうこと?」

 

「角野さんってさ、すごい人のこと観察しているよね」

 

「……そうしないと、読み取れないものがあの人には多いからね」

 

「あたしはそうじゃなくてさ、全部なんとなくだった」

 

「陽香ってけっこう考えて動いているように思うけど」

 

「桂介から見たらそうかもしれないけど、あたしにはそうじゃないの」

 

「……そっか」

 

本人がどう考えているかについて、第三者が口を挟むのは良くないだろう。話を聞くのに専念したほうがいいか。

 

「あたしさ、こうするって決めてから理由を考えてる。だから、いくらでも言い訳ができるの」

 

「……うん」

 

「だから、桂介になんであんなことしたのか、まだわかんないし、わかるかもわかんない。……ごめん、なさい」

 

「別に無理に理解しなくちゃいけないなんてこと、ないから」

 

「でも、角野さんはそういうふうに理解して、それで自分を変えれたでしょ」

 

「あれは例外だよ、僕には無理だし、たぶん角野さんと似たような人でも難しいと思う」

 

インターネットを見れば、角野さんと似た傾向を持つ人の話はある。たまに流れてくるそういうものを、少しだけ意識的に読むようになった。

 

そういった人たちの言葉は、とても洗練されている気がした。きっと言葉でいつも考えているからだろう。僕もそのあたりは苦手とは思っていないが、得意かと言われると難しい。

 

書かれた文章は、とても悲痛だった。薬に頼らないと社会で生きていけないけど、薬を飲んでいる時は自分じゃなくなるような感覚とか。何度やっても成功しないことを、繰り返させられる苦しみとか。それはきっと僕にも近いところがあって、角野さんはかつてその中にいたようなものだ。

 

きっと、角野さんがそうではなくなったのは、もともとあった才能みたいなものをかなり費やしたからだ。高校生でプロとして報酬をもらえるような翻訳の腕なんていうのがおまけに見えるほどの能力を、きっと角野さんは使っている。

 

それは僕の勝手な見方かもしれないけど、大きく外れてはいない気がする。

 

「……でもさ、あたしが自分のやったことがわかんなかったら、次に同じようなことするかもしれないし」

 

「別に僕は死んだわけじゃないし、取り返しがつかないわけじゃなかったでしょ。それに、自覚していれば大丈夫だよ、きっと」

 

気休めしか言えない自分がいるのがわかる。それに、陽香に対して嘘を吐いているという自覚もある。取り返しがつかなかっただろうがと眼の前の相手を怒鳴りつけたくなる。そうしたところで何も変わらないし、本当に失ったものがあるのかと問われると何も言えなくなるくせに。

 

だって、たかが心の傷じゃないか。僕が恋心に真面目に向き合って失恋なんかしていたら、下手したら同じような苦しみを味わっていたかもしれない。その時の痛みと僕の今の痛みの、どっちが上かなんてわからない。

 

「……桂介さ、そう思ってないよね」

 

「……どうしてそう思うの?」

 

「あたしにもわかんない。角野さんに色々教わったけど、それのせいで全部自分の考えて、言おうとしていることがいいわけに思えてきちゃう。角野さんが悪いわけじゃないのはわかるけど……」

 

「相性みたいなものがあるのかもね」

 

僕は角野さんのやり方と相性が良かった。陽香はもとからそうじゃないとはわかっていたけど、自責と絡むとこういう方向で考えすぎるのか。

 

「……相性。そう。角野さんってさ、桂介にあってるでしょ」

 

「まあ、そうだけど」

 

「あたしなんかより、ずっと」

 

「……そう、かも」

 

陽香の言いたいことはわかる。でも、僕には陽香の言葉を否定できなかった。嘘をついたってどうせすぐに気がつかれるし、相性って点ではそうだ。

 

「……あたしはさ、桂介のなんかになれてるのかな」

 

陽香が求めている関係の名前は、加害者とか、幼馴染とか、そういうものじゃないのはわかっている。でも、陽香はきっとその関係に名前をつけられていない。

 

恋人、でもないんだろうな。もしかしたら、言葉を無理に解釈すれば、そう呼べなくもないようなものかもしれないけど。でも、それなら別に幼馴染って呼び方だって同じぐらいあっていて、同じぐらい間違っている気がする。

 

無言の時間。陽香の吐く息の音が聞こえるぐらいの静かさ。足音。どこから来ているのかわからない街の音。僕たちが通ったことに気がついた電灯が小さな響く音とともに点灯する。

 

「……形はどうあれ、特別なのは間違いないよ。今までも、これからも」

 

なんとか、言えた。下手な告白よりも辛かった気がする。

 

「……そういうこと、言わせたかったわけじゃないから」

 

そう言う陽香は、それでも少しだけ緊張とか罪悪感が緩んだような表情をしていた。

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