学園祭が終わったあとの、独特の雰囲気の朝。身体はあまり軽くはない。きっと熱狂に全部吸い取られたんだ。なんでみんなあんな元気なのか不思議だったけれども、もしかしたら僕みたいな人から吸い取っているのかもしれない。
だとしたら、学園祭というのはなんて不平等で酷いイベントなんだろう。冗談はともかく、また日常が戻ってくる。
「……桂介くん、起きてる?」
疲れているのか、気がついたら角野さんに声をかけられていた。ええと、記憶がなくなったのはいつからだろうか。消されつつある板書の大半はまだ見覚えがあるから、本当に最後の方だけ意識がなくなっていたらしい。
「……起きた。疲れてる」
「昨日、水分補給とかちゃんとした?」
「……熱中症?」
「かもしれないってだけだけど」
角野さんの言う通り、条件は揃っていた気がする。片付け大変だったなという記憶がいっぱいだけど、普通にシフトもあったんだよな。
「いや、大丈夫だと思う。あと角野さんも疲れてない?陽香のこととか」
「少しは負荷がかかったけど、許容範囲内だよ」
「……陽香のこと、任せてごめん」
「いやそもそも桂介くんがそういう事を考えるべきじゃない……って言い方でいいのかな」
「わかるよ」
角野さんはこの学園祭のあたりで、あきらかに陽香に寄り添っていた。僕のことを放置するぐらいの形で。それ自体は大丈夫。負の感情がないわけじゃないけど、これはたぶん微妙な嫉妬とかが混じった良くないやつだから気にしなくていい。
「……私は君を、けっこう信頼している。知的基盤をある程度共有しているから、微妙なニュアンスの部分を、少なくとも悪くは捉えないと信頼している」
「少しそれは僕を信頼し過ぎでは?」
「まあ、問題があったら私が取れる範囲では責任を取るよ」
「責任なんてないでしょそもそも」
考えてみれば、別に角野さんは陽香に何かをする義理はないはずなのだ。いや、一応ステラ・コルセアを紹介してもらったとかあるのかな。でも、その程度じゃないですか。
「……いや、そうだね。ただ、私は勝手に横から口を挟んだりするよ」
「ありがとうね」
「別に感謝はしなくてもいいのだけれど」
角野さんの微妙な姿勢はわかる。恩を感じられたくないのだろうし、それをはっきりと言うこと自体が恩着せがましくなるというか。なんか陽香ともそういうのあったな。このあたりって逆に言葉にしてしまったらいろいろなものが崩れてしまう点な気がする。良いとか悪いとかじゃなくて、そういうものとして。
「……ところでさ、陽香って今どういう状況?」
「なんとかはなってる、とはいえまだ悩んでいる感じ。きちんと説明できるほど、私は陽香さんを読み取れないし、言葉にする経験もないから限界がある」
「……そうだよね、角野さんでも限界があるか」
角野さんは決してプロじゃない。大学で心理学を学ぶっていうのがどういうものなのか僕にははっきりとイメージできるわけじゃないけど、少なくとも簡単ではないことはわかる。だって大学というのは四年間かけて一つの分野を勉強する場所だ。高校でやる全教科以上のことを一つに注ぎ込んだら、それは相当なものになるだろう。
「むしろ、一介の高校生がここまでできるほうがすごいと考えて」
「それはそうなんだけど」
悪く言えば、角野さんはその積み重ねた誰かの上澄みだけを見て、真似ている。それは別にいいとおもうだけど。だってゲームの翻訳とかWikiがそうじゃないですか。顔も知らない誰かが丁寧に時間と手間をかけたものを、一瞬で便利に使っているわけで。
僕はそういうことに貢献したいと思っているから別に努力が雑に扱われて嫌だ、みたいなものはない。一円も入ってこないわけだし。角野さんはプロとしてお金もらっているから、仕事に対してはプライドとか持っていいと思うけど。お金は別に嫌なこと言われる対価じゃないけどさ。
「……私は、自分がかなりうまくやれていると考えている。でも、それが自惚れかもしれないというのを忘れないでいたい」
「無理なようなら僕が角野さんと陽香の間に割って入ってでも距離取らせるから。……ただ、陽香は角野さんのやり方と相性が悪いっぽい」
「それは、聞いている」
「……陽香ってさ、角野さんのこと、まだどこか信頼しきれてないところがあるよ」
「わかっている。それでも、私の提案は聞いてもらえているし、鵜呑みにしないのは評価するべきところだと思う」
「そういうものかな……」
なんていうか、違うという直感的ななにかがある。でも、それを言葉にするのが難しい。角野さんにはそうやらないと伝わらないのはもどかしい。いや、ある程度僕が考えているけど形になっていない断片的なことを言えばまとめて納得してくれるのかもしれないけど。
「……何かあるの?」
「今はまだない」
ひとまず、こうやって先送りにしてしまう。もう少しちゃんと言葉にできたらきっと楽なのに。いや、今どうしようもないことは諦めよう。
「桂介くんには、たぶんしばらく負担がかかると思う。回復している最中なのはわかっているけど、陽香さんを深刻な状態にしないためにはどうしても必要なのは理解して」
「……わかってる。僕がダメそうならちゃんと言うから」
「お願い。言われないと、私は動かないから。私が見てもわかるぐらいに良くない状態だったら、手遅れかもしれないし」
「……そうだね」
そうか、保健室に一緒に行くって言った角野さんから見て、僕は相当危ない状態で、手遅れ一歩手前だったのかもしれない。その時に声をかけてくれたらから、今の僕はなんとかなっている。
ああ、だったら言わなきゃな。
「ねえ、少し後で話したい。陽香が角野さんのことどう思っているか、一緒に考えてほしい」
僕の言葉に、角野さんは目をぱちぱちとさせた。驚いているけれども、それを一拍遅れで認識しているような表情の変化。
「……わかった。陽香さんから直接聞くより、一旦君を介したことで得られる情報が増えるかも」
「奢るから」
「……なら、奢られるよ」
ある意味で、僕は角野さんの隣に立てた気がする。陽香について考えて、どうにかする仲間に。いやもともとステラ・コルセアでは向かい合う仲だったけどさ、それとはまたなにか違う気がした。