一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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065 気晴の勧誘

角野さんの趣味は、翻訳とゲームである。

 

「だからさ、陽香の言うような遊びっていうのはむしろ逆効果かもしれないんだよ」

 

角野さんに楽しんでもらおうと、あるいは感情を安心して表に出してもらおうと陽香は色々考えてきた。ただ、僕から見るとそれはなんていうか、明るすぎるんです。

 

「……はい」

 

一周遅れで理解したのか、陽香はしゅんとしている。放課後の教室。僕と陽香が残って、しょうもない議論をしている最中だ。まわりには人がいないが、なんとかなっている。

 

幼馴染と二人きり、というだけだ、と深呼吸をする。僕への好意があるのは知っている。嬉しいと思う感情もあるけど、同じぐらいにされたことが頭によぎって怖い。でもその怖さっていうのは食い違いであったり心のバグみたいなもので本来想定していない感情が沸き起こっているようなものだ、と理性の方でどうにか止めている。

 

「……もちろん、角野さんは言ったら付き合ってくれると思うよ?でも、きっと僕たちに合わせるためにかなり気を使うことになると思う」

 

「そうじゃないんだよね……」

 

陽香は机に突っ伏す。疲れてそうだ。

 

「そう、でも角野さんが気を抜いて、感情を僕や陽香にぶつけられるって相当難しいのはわかる?」

 

「……わかってるつもりだった、けどさ」

 

そう言って陽香は、ゆっくりと顔をあげた。

 

「あたしは、心でわかんないことがわかんないの。角野さんが気持ちを出すのが怖いっていうのが、たぶんちゃんとはわかんない。今、たとえば桂介に気持ちを出すのが怖いっていうあたしの経験があるけど、それは角野さんのとたぶんいろいろと違うし」

 

「……どこらへんが?」

 

「……桂介のやつはさ、あたしが悪いけど、角野さんは悪くないわけでしょ」

 

「悪くない、ねぇ……」

 

角野さんの語った昔のことを思い出す。部分的だし、具体的な話はないけど。

 

「……桂介はさ、悪いって思うの?」

 

「少なくとも、角野さんが当時他の人に嫌な思いをさせていたのは本当でしょ」

 

「桂介ってそういう事言う人なの?」

 

あ、なんかやばいなこれ。陽香の危ないポイントを踏んだ気がする。何ていうか、陽香は許せないことがあったりすると結構根に持つ人だ。きちんと説明すれば、納得はしてくれるけど。不機嫌なのはあまり変わりがない。

 

でも、このあたりはちゃんと言っておかなくちゃいけないよな。深呼吸をする。

 

「陽香はさ、嫌な同級生っている?」

 

「……まあ、いないわけじゃないけどさ、そういう陰口みたいなこと言うのって卑怯でしょ?」

 

「でも、しない?」

 

「……たまに、されるけどさ」

 

なるほど。僕にとっての恋バナみたいな感じか。

 

「そういうふうにまわりから言われてるって、考えたことない?」

 

「……あたしは、ない」

 

「僕はある。角野さんも、たぶんある」

 

「……嫌、だね」

 

「嫌だと思うよ。角野さんの場合、本当に言われていただろうし、自分が相手に嫌がられていたって気がついた時、すごい辛かったと思う」

 

このあたりは、僕の経験しか参考にならない。記憶にある中だとステラ・コルセアにはまったときにすごい話をしたら陽香は正直にうざったいって言ってくれた。その後普通に陽香もステラ・コルセアをやるんだけれども、あれは僕への義理みたいなものがあったのかもしれないなと今は思う。

 

「……じゃあ、角野さんはあんな自分を壊すみたいなことしても良かったっていうの!」

 

陽香が声を大きくする。ああ、なるほど。陽香はきっと、自分の中にある怒りみたいな感情に気がつけていないんだな。気がついていても、その原因がわからないみたいな。

 

「陽香、ちょっと落ち着ける?角野さんのことを心配して、同情しているのはわかる。でも、それで怒る必要はないよね」

 

「……桂介は角野さんみたいに話すんだね」

 

「落ち着かせたいから。僕が一番助かったって思った時に、取ってもらった方法だから」

 

ちょっとだけ間を開けて、陽香は少し腕のストレッチをしていた。無言で時間が流れていく。そういえば陽香って結構身体が柔らかいんだよな。

 

「陽香って前屈どこまでできる?」

 

「胸と足くっつけられるよ」

 

「すご」

 

僕はできない。身体はかなり硬いので、体育の時の準備体操とかで周りの人との可動域の違いで少し心が痛くなる。

 

「陸上やってるとちょっとバランス崩したときとかにすぐ戻れるようにストレッチって大事なの。ちゃんとお風呂出たあとに柔軟やってるから」

 

「……角野さんがやってたことも、似たようなものだとしたら?」

 

僕の言葉を聞いて、陽香はしばらく考えてわからなさそうに首を振った。

 

「なに言いたいの?」

 

「陽香にとってさ、ストレッチって大変?」

 

「そんなじゃないかな。慣れちゃったし」

 

「でも、最初は痛かったり面倒だったりしたんじゃないの?」

 

「そんな昔のこと覚えてないって」

 

「角野さんにとって、それが昔のことだったら?」

 

僕が言って、陽香はやっと繋がったようだった。

 

「つまり、桂介は角野さんにとって心を他人に見せないっていうのは、あたしが毎日ストレッチしてるのとおなじぐらいのことだって言いたいの?」

 

「程度は少し違うかもしれないけど。ランニングとかかもしれない」

 

「……うん、じゃあ、さっきまであたしが言ってたのって、あたしが毎日走ったりストレッチしたりしているの、辛くて可哀想って言ってたような感じ?」

 

「完全にそうだとは思わないし、角野さんにとって練習はもっと辛かったと思うけど、概ねそんな感じ。陽香は走りながら友達付き合いとかちゃんとできてるけどさ、角野さんはそうじゃない。ほぼ全部自分がなにを話して、どう動くかってことに集中するのに使ってる」

 

「でも角野さん勉強すごいできるし翻訳だってプロなんでしょ?」

 

「それがおまけになるぐらい、本来の角野さんの能力ってすごかったんじゃない?」

 

僕の言葉は正直空っぽだ。本当にそうかは知らない。でも、陽香を納得させるのに必要なのは事実とか論理じゃなくて感情的なものだ。

 

「……わかった。でもさ、あたしはそれがわかっても、角野さんにめっちゃ笑ってほしいし、辛い時にはめっちゃ泣けるようになってほしい」

 

「そうだね」

 

僕も、陽香ほどじゃないけれど角野さんがもう少しだけ柔らかくというか、張り詰めて集中している感じが無くなったほうがいいかもしれないと思っている。僕と陽香のいろいろに首を突っ込んでストレスが溜まっているだろうにそれを表に出せないというのは、僕たちの責任だし、僕たちがなんとかするべきだろう。

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