一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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067 議論の方向

陽香の口にお菓子を詰めて黙らせながら、僕は角野さんと他愛もない会話をする。

 

「あの最後の通信が切れるのって、もともとなかったの?」

 

ステラ・コルセアのストーリーについて。プレイヤーの機体に電子ウイルスを仕込んだ海賊船の船長を解除前に倒した時のシーンだ。なおこの説明をしてあああの人、となった人は間違いなくステラ・コルセアをやり込んでいます。

 

「そう。中国語版だとちゃんと全部言ってから爆発してる」

 

「なるほど」

 

「実際は文字数とかテンポとかの問題なんだけどね、ほら、中国語って一文字削ると意味が変わることがあるからどうしても表現が変わる。ローカライズの時にそのあたりの設定は一応共有されるけど、こちらから質問することもある」

 

「そうなんだ……」

 

陽香の口に芋けんぴを入れながら僕は言う。ちなみにこれけっこう硬めでしっかり噛むには時間がかかるからいいのよね。結構陽香って顎の力強いんだな、バキバキとでも表現すべきぐらいに音が響いている。

 

「だからかな、このキャラの言葉が統一されていない気がして」

 

「それは私の担当場所じゃないけど、伝えておく。そのぐらいの些細な修正は普通にアップデートの範疇だから」

 

そう言って、角野さんは少しだけ息を吐く。やっぱりこういう話って緊張するのだろうか。僕だって角野さんからWikiのミスとか指摘される時は正座するだろうけど。やっぱり話題としてあまり良くなかったかもしれない。

 

「……角野さんはさ」

 

陽香が口を開く。僕はちょっと警戒しながらクッキーを持つ。何かあったらすぐに入れよう。あ、でもそろそろ喉乾いているかもしれない。ペットボトルは口につけるとこぼすかもしれないし蓋を開けて渡せばいいか。

 

「翻訳やってるんだよね」

 

「そうだね」

 

「角野さん以外の人って、どういう感じなの?」

 

「ええと……私含めて三人の体制。私以外の二人は私より年上で、一人は翻訳者として実際に働いていて、もう一人は中国生まれの人」

 

「そうなんだ、じゃあ角野さんがそういう人と並ぶのってすごくない?」

 

「すごいと思うよ」

 

どうせ角野さんは謙遜するだろうから僕が言ってしまおう。

 

「だよね、すごい……」

 

「紹介してくれたのは、陽香さんだけどね」

 

「あたし?」

 

不思議そうに言う。確かに陽香からステラ・コルセアの紹介されたわけだけど、そこまで言うかな。

 

「そう。あれがなかったら、私はもともと趣味でやっていた翻訳を表に出そうとは思っていなかった」

 

「じゃあそれより前って何してたの?」

 

そういえば聞いたことないな。翻訳者としての角野さんとの会話は基本的にトークアプリのサーバー上とかでやっているからな。それにあそこでは僕も角野さんも一参加者に過ぎないし。

 

「普通に、海外の小説を読んでいただけだよ。そういうのを公開するサイトは多いし」

 

「読めるの?あたしなんか全部自動翻訳しちゃうし、翻訳されたもの読んでそうなんだってなるけど、桂介とか角野さんはうまく翻訳されていないのわかるんじゃない?」

 

陽香はそう言うが、実は僕も正直翻訳の精度高いなぁなんて思うことがほとんどです。あとゲーム中の会話とかはネタバレ防止と権利問題とかもあってWikiにも掲載されないんですよね。ステラ・コルセア初期の頃は英語版をがんばってやって、その後の日本語化パッチに感謝していたのですが。

 

「特に小説だと、文体とか言葉の使い方が引っかかるところがある。例えば、そういう自動翻訳だと一人称が『俺』で翻訳されることはまずないの」

 

「たしかに……。英語の翻訳でも、俺って使わないものね」

 

「でも、小説はどうしても様々なキャラクターが出る。中国語だと我が基本、あとは方言とか古めかしい言い方として俺とか在下とか、特殊なものだと本席とか梓童とかあるけどね」

 

そう言いながら、角野さんはちょっと立って紙とシャープペンシルを取って軽い中国語の授業をしてくれる。うん、難しいね。

 

「そっか、辞書に載ってないような表現とかあるから難しいんだ……」

 

「それもある。だから、翻訳をやってる三人の中で私が一番得意なのはそういうスラングとかミームとかのあたりかな。だから正直、私の中国語はそんな綺麗なものじゃないよ」

 

まあ僕だってやろうと思えばインターネットに汚染された良くない日本語が話せますけど、それをやらないぐらいの真っ当な恥の意識がある。角野さんもできなくはないと思うけど、それを言うことはまずないだろう。陽香は知らずに言いそうだな。そういう時は指摘してあげよう。

 

とはいえ、そんな話をしている時の角野さんは、やっぱりいつもより気が抜けている気がする。

 

「……角野さんさ、こうやってあたしたちが遊びに来るの、どう思う?」

 

「……嫌じゃないよ、片付けはしないといけないけど」

 

ああ、大変そうだ。角野さんの机の上の積まれた本があるのに部屋がどうにも綺麗なのは、どうにかしてゴミとかいろいろなものを無理やりなんとかしたのだろう。

 

「前来た時、もっといろいろ物があったものね」

 

「最近は掃除するようになったよ、二人のおかげかも」

 

冗談のつもりで言っているのだろうが、あまり笑えないな。僕は掃除嫌いなので。陽香は好きです。もし問題がなかったら僕の部屋の片付けとかでもしてくれやがる人です。

 

というより前に角野さんの家に陽香が来た時は相当深刻な状態じゃなかっただろうか。こうするとみんな笑えるようなネタにしたいのかな。というか陽香はそれでいいのだろうか。さっき角野さんにそういうなにか隠すようなことしてほしくないって言ってたくせに。

 

でもそうか、なにか辛いことから目をそらすっていうのはよくあることなのだろうし、一旦目をそらして落ち着いてからちゃんと見るという選択肢もあるのだろう。たいてい見直すことを忘れてしまうけど。自信のない試験問題で一回適当に選択肢を選んでしまってもう一度見直したところでわかるはずがないからと諦めるようなものかと思ったがぜんぜん違うと思うぞ。

 

「……角野さんさ、もし嫌じゃなかったら、遊びに来ていい?」

 

「……それは、私に感情を出してほしいから?」

 

ああ、それぐらいはすぐわかりますよね。僕だって陽香の意図わかったもの。

 

「そう」

 

だけど、見抜かれたはずの陽香ははっきりとそう言いきった。

 

「……たまになら」

 

角野さんは、少しだけの諦めと混ぜたような落ち着いた声で言った。

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