「……角野さん、ちょっとお願いがある」
休み時間の教室で僕がそう言うと、角野さんは小さく頷いた。
「どうしたの?私にできる範囲でなら、相談に乗れるし手を貸せるけど」
「陽香とどこかに遊びに行ってほしい、結構疲れてるから」
「……陽香さんとよくいるのを見かけるけど、何かしてたの?」
あ、角野さんでも気がつくぐらいなんだ。まあ別にそれが嫌ってわけではないですよ。正直嬉しいか嬉しくないかで言ったら嬉しいに入るのですが、そう簡単に切り分けて言うには複雑すぎる背景がそこにはあります。
「色々遊びに行ってた」
ゲームセンター。カラオケボックス。バッティングセンターにも行った。というかこの街にバッティングセンターなんてあったんですね、全然知りませんでした。正直言って、どれも角野さんが素直に楽しめるようなものではないと思う。
誘われたら行かないわけには行かないし、そこで楽しむように努力はするけど、みたいなぐらい。一人で気分転換に行くって選択肢を増やすことはできるかもしれないけど。具体的な話を少しするが、話自体には角野さんも興味を持ってくれたようだ。嬉しいな。
「……疲れたの?」
「僕はまだ、楽しいよ。陽香は自覚してないけど、自分がストレスを抱えていて、その気分転換に僕をつき合わせているんだと思う」
自覚していないっていうのは言いすぎかな。僕を楽しませようというより自分が発散するところに一緒にいてほしいっていうのは感じられるけど、その一方的な性質はちゃんと自覚していて申し訳なく思っている、というぐらいだろうか。
そして、この話はなぜか僕の両親も知っていてお小遣いが増えました。どうしてだよ。どうやら僕と陽香がある種の仲直りをしたと思っているようで。間違っていないし、概ね正しいんだけど、こういう分析って最初の一手が狂うと全体像が変わってしまうじゃないですか。
「……桂介くんに負荷がかかっているなら、私から言えるよ」
「そうじゃなくて……いや、角野さんに、一緒に来て、欲しいなって」
「……行きたくない」
そう言って、角野さんは明るい表情をした。
「……言えた」
角野さんが呟いた。
「……わかった。というより、無理を言ってごめん。正直角野さんには面白くないと思う」
「そうだね。聞いていて、桂介くんが大変そうだって印象が先に来た。君も無理を無意識のうちにしているかもしれないから、そこには注意したほうがいいよ。まだ私から見て危ないってほどではないし、楽しんでいるところがあるのも事実なんだろうけれどもね」
「ところで、角野さんって考えはまとまったの?」
何の、とはわざわざ聞かない。悩んできた期間が長くて、陽香に何度も言われても直視を避けるぐらいのものだ。安易に僕が触れるべきではないとも思う。でも、そのリスクを背負ってでも僕は角野さんに手を伸ばしたい。
エゴだと思う。自分勝手だと思う。今まで僕に相当気を配ってくれて、配慮してくれた角野さんに対する仕打ちとしてはかなり酷いほうだと思う。
でも、それぐらいは角野さんなら受け入れてくれると僕は信じている。一方的な信頼だし、その裏ではきっと角野さんの中の僕に対する溜めてきた信頼みたいなものが削られていくのだろうけれども。
「……ぜんぜん。私がこの方法を取ったのが正しいのかも、これを捨てるべきかも、正直わかってない」
「……そっか」
「捨てることはできるんだろうけどさ、それをやるっていうのは君や陽香さんに対する支援も全部捨てて、ステラ・コルセアの翻訳も引退して、それで空っぽになるってことなんだよ」
「……そうなの?」
「嘘っていう陽香さんの言葉を使うなら、翻訳に興味のある私も誰かを助ける私も、嘘だから」
なにかなりたい目標があって、それを真似しようと努力して、不完全でも行動できるのなら、それでいいんじゃないかとも思う。でも、角野さんが言うのはそうじゃないな。というかそれぐらいは角野さんもわかっているはずだ。
自分の行動原理が無くなった時、何があっても揺るがないものが自分にはなくて、せいぜい嫌なやつを殴りたいとか、その程度だったとわかった時に、じゃあ何を軸に置けばいいんだよ、という話か。
「……具体的に話をしてみたいところはあるけど、私もきちんと言葉にできているわけじゃない。惰性で日常は続けられているけど、君たちについてきちんと配慮できるほど余裕がない、って言ってわかってくれる?」
「うん。そもそも角野さんの好意に甘えていたわけだから、ここで手を引くって言われても仕方がないと思うし、それでも僕は角野さんに感謝しているから」
「そう言われるとありがたいんだけど、やっぱりうまく私には響いてくれないな。それは今の私がしたことじゃないから」
「……そっか」
「感謝は返しておくよ。何かになりたいなんてあまり考えたことはなかったけど、目標があるっていうのはいいものだなと今は思えるよ」
「……なんていうか、カウンセリングみたいなものって、役に立たないの?」
僕だって、少しは調べた。本当に少し、角野さんに比べれば理解できているかどうか分からないぐらい少しになるけど。
「ある程度は有用だと思うけど、私は基本的なテクニックを知ってしまっているから。どうしても限界があるし、相手がどこまで親身になっているかを疑ってしまう」
「……うん」
「陽香さんの言う嘘をつかないっていうのは、私にはかなり辛い。だって、私は大体のものを否定できる。君からの好意も、陽香さんの善性も。だって、人の心の中なんて証明できないでしょう?」
「行動では?」
どう考えているかよりもどう動くかが大事、というもの。これだって別にそこまでいい考えじゃないのも知っている。そして角野さんは首を振った。
「嘘つきの私でさえ君と陽香さんを助けられたんだから、このつらい状態を助けてもらったところで相手が嘘をついているかどうかなんてわからないから」
「……そっか」
「このあたりはひとまず嫌になるぐらいまで考えて、落ち着いたらそんな世界に根拠なんて求めないで考えずに行きていけばいいなんて答えはわかるけどさ、答えがわかっていると行きたくなくなって」
僕以上に考えていて、それでも答えが出ないようなものに向き合っている角野さんは、やっぱり綺麗な気がした。そう思う自分は、あまり嫌いにはなれなかった。