一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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075 協力の相談

角野さんが授業中に寝ている。これは非常に珍しいことだ。

 

とはいえ午前中にいっぱい走ったから疲れたのだろう、と理解しつつももう放課後なので肩を叩いて起そう、というところまで考えて伸ばしていた手を止める。

 

いや、それをやっていいぐらいの気心のしれた関係だし、起こすためにすこし触れるぐらいは許されるはずだ。許されるよな?

 

でも、僕がたぶんそれをされたら嫌だなと考えてしまう。こうなると身体が動かなくなる。さて、こういう時には頼れる第三者に頼りましょう。

 

「陽香、ちょっと角野さん起こしたい」

 

「自分でやりなよ……」

 

呆れながらも陽香はぺちぺちと頭を撫でるように叩く。腕の中から顔が上がって眠そうな二つの目がこちらを覗く。こういう顔もあまり見ない。

 

「……おはよう」

 

「角野さん、大丈夫?帰れる?」

 

「……だめかも」

 

そう言ってぱたんと角野さんは顔を落とす。なんか重症だな。いつもの空気を保つだけの余裕も感じられない。かわいいと思ってしまうところがあるが一旦置いておこう。

 

「……あたしがさ、空回りしているとか、そういうこと?」

 

「……そうじゃないよ、私のことを想ってくれているのはわかる。嬉しいって思うべきなんだろうなっていうのも」

 

「思えないの?」

 

「……陽香さんと同じで、私も嘘つきだからさ」

 

「あたしもわかんないけど、それでも角野さんは今空っぽなんでしょ?」

 

「……そうだね、コップを全部ひっくり返した感じ」

 

「また入れればいいだけじゃない?時間はかかるけどさ」

 

「また、同じように三年ぐらいかけて?高校生活はもう一年半もないのに?」

 

そういえばそんな頃か、と僕は指を折って数える。

 

「……でも、一人じゃないよ」

 

「私は一人としか感じられないかもしれないよ」

 

なんていうか、言い争いってほどじゃないんだよな。互いに言葉を置いていっている感じ。将棋とか囲碁とかが近いんだろうか。

 

相手を知りたい、わかりたい、そしてできれば相手に合わせたいっていうのが両方にある。それでも、わからないことをわかるとは言えない。二人ともそういう意味では頑固というか面倒なやつだ。僕みたいな常識人には荷が重い。

 

「……角野さんってさ、嘘をつかなくなったらどうなったの?」

 

「何も無くなった。いや、確かに生きたいなって思うし、きっと日常を送っていくんだろうけれども、ルーチンワーク以上のことをやる気が今のところ起きなくて」

 

「じゃああたしと遊ばない?嫌?」

 

「……ええとね、私が陽香さんより得意なものならいいよ」

 

「ステラ・コルセアとか?」

 

陽香の言葉に、角野さんは僕の方を見た。いやなんだよ、確かにそのとおりだろ。みんなで集まってやるにはちょっと変なゲームだとは思うけどさ。

 

「……そっか、それがあった」

 

角野さんは気がついたように言った。

 

「最近やった?」

 

僕が聞くと、角野さんが頷いた。

 

「翻訳のためにデバッグMOD入れてだけど、やったよ。楽しかった」

 

なんだ、ちゃんと楽しめるだけの心みたいなものは持っているじゃないか。こういう言い方をすると今の角野さんが血も涙もない機械みたいに言っているようで嫌だな。疲れていて感情を表現するだけの余裕がないとかそういうふうに考えるべきだろう。

 

たとえそういうものがあったとしても、出せない時はある。どんな怖くても嫌でも、身体が動かない時がある。そういうのはゆっくりと時間をかけてまずは動けるようにしつつ、楽しいことでじっくりと上書きしていくしかない。そういうのは角野さんに教わったんだよな。

 

そして口で言うことと実践できることはまた別だったりします。そう簡単なものではないのも学んだし、きっと角野さんも理解しているだろう。

 

「じゃあさ、これからあたしの家でしない?」

 

そう言われて、角野さんは少し考えているようだ。何を考えているのかは読み取れないが、少なくとも考えるだけの力は残っている。というか考えすぎてわからなくなってやる気が無くなっているわけだからな。

 

「……ステラ・コルセアを?」

 

「そう」

 

誘いとしては、たぶん陽香のほうが結構譲歩している。陽香にとってステラ・コルセアは趣味の一つに過ぎないわけだし。僕は結構メイン趣味になっているけどね。角野さんはあくまで翻訳がメインでサブとしてゲームを遊んでいる気がする。ゲームが楽しくなかったら翻訳をしなかっただろうとは思うけど。

 

「……いいよ、私は陽香さんの誘いに乗ってみる」

 

「ったぁ!」

 

嬉しそうな陽香さん。なんていうか、もう少し落ち着いてもいい気がする。

 

「陽香さんは元気だね」

 

うきうきと自分の席に戻っていく陽香を見て角野さんが言う。

 

「いつもだと思うよ」

 

「私にここまで構うのは、このくらい元気がないと難しいと思う」

 

「陽香がいて良かったって思う?」

 

「……そうだね。君がいてくれるのと同じぐらい、私にとって陽香さんがいるのは嬉しいって感じる」

 

「嬉しいのはあるんだ」

 

「喜怒哀楽はあるよ、でもなんていうか、それはかなり衝動的なもの。抑えないようにはしているつもりだけど、そもそもあまり出してこなかったからそもそもの起伏が小さくなってしまっているのかもしれない」

 

「そっか……」

 

使い慣れていない筋肉が衰えるみたいなもので、感情表現をしないで抑圧していると必要な時に心を動かすことができなくなるみたいなのはありそうな話だ。僕も確かに今から素直に誰かを好きになれるかと言うと怪しいけど。

 

ああ、恋というものをちゃんとしてみたい。自分に後ろめたさを感じることなく、相手からの愛をしっかりと受け止められるような。残念ながらいまのところ僕が好きな二人の人間とこういう関係を築くのは微妙に難しそうだ。

 

そしてそれでもいいとか妥協みたいな言葉を語っている自分をちょっと脳内で反省させておく。そもそもですよ、誰かとそういう深い信頼関係を築くためにはそれなりのコストを払う必要があるわけです。世の人々がどれだけ性格とか容姿とかに気を使っていると思っているんですか。

 

「ところで、桂介くんは行くの?」

 

「……行きたいけど、いいのかな」

 

陽香の家に行くのは、別に初めてではない。慣れてさえいる。少なくとも、陽香が僕の家に遊びに来るよりは精神的にもマシだろう。

 

「いいと思うよ。それとも、私は来て欲しいって思っているって言ったほうがいい?」

 

「別に誘導されなくても行くよ」

 

それはそれとして、角野さんが僕をある意味で頼ってくれているっていうのは嬉しいものだ。

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