一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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082 昼食の誘惑

折り返して相当時間が経った気がするが、このあたりの時間感覚は信用できない。陽香なら歩数とかを感覚で覚えていられるのかもしれないけど、そもそも走らない僕には無理だ。

 

景色がどことなく以前に見たようなものになっていく。スタートしてからしばらくしたあたりで見た気がする建物の看板が別の角度から見える。ペースは少し前を走っている人に合わせているから、少しだけ周囲を見て呼吸を意識するぐらいの余裕はある。

 

それと、僕の隣を駆け抜けて行く人がいる。後ろ姿も次第に小さくなっていくので顔も名前も知らないが、たぶん運動部の人だろう。つまり、後ろのクラスの先頭集団に追いつかれたわけだ。

 

頭の中でどうにか計算をしようとするけれどもうまく行かない。別にその必要もないか、と足を動かす。何かを考えるには忙しく、何も考えていないと退屈だ。なんだろうこの時間は。

 

そうして白いガムテープで地面に描かれたゴールラインを超える。到着した順に印刷された数字の書かれた紙をもらえる。そしてストップウォッチを持った先生の記録と後で照らし合わせるわけだ。なんていうかこのあたりはかなり人間の力を使うのだなと思う。

 

「お疲れ」

 

僕よりしばらく先についていたのか、角野さんが息切れを感じさせない声で言う。

 

「……陽香は?」

 

「あっちでストレッチ」

 

「強いな……」

 

この後はクラス全員が到着したら学校に帰って解散という流れだ。お昼ごはんは各自で食べてねということだろう。

 

「陽香さんはなんていうか、普通なのよね」

 

「そりゃ毎日走っているわけだし……」

 

例えば文章をキーボードで打ち込んで書いたり、あるいは表計算ソフトを駆使して分析をするなんてことは普通の高校生はあまりしないだろう。僕はする。あるいは知らない言葉を辞書で引く時に関連するものをまとめて調べるような贅沢にも見える時間の使い方をする高校生はあまりいないと思う。角野さんにとってはそれぐらいは普通だ。

 

それはそうと、得意な分野が評価されるのは羨ましいと思ってしまう。でも自分の中の苛立ちに落ち着いて深呼吸をしてみれば、別に足が速いからっていつでも評価されるわけではない。むしろ陽香の場合だと成績とか試験の点数を評価されることが多いだろう。

 

陽香は確かに運動神経がいいが、それでも別に学校で一番足が速いとかそういうレベルではないのだ。女子なら指折りではあるだろうけど。

 

「そういえば角野さんはお昼ごはんどうするの?」

 

「帰る途中になにか買って、家で食べようかと」

 

「なるほど」

 

僕はどうしようかな、どこかに行って食べてもいいのだがこの時間帯だと混むかな。

 

「陽香さんにも聞いてみよう」

 

そう言って角野さんは地面に座って足首を揉んでいた陽香の方に近づく。

 

「……なに?」

 

見上げるようにして言った陽香に合わせて、角野さんはすっと腰を下ろした。

 

「お昼ごはん、一緒に食べに行かない?」

 

陽香のその後の表情は、正直言葉にするのが難しい。一秒ぐらいの間に二回ぐらい切り替わった気がする。嬉しさと困った感じと、あと悩みとか、そういうところ。

 

「……いい、けど」

 

そう言って陽香は僕の方に視線を向けた。

 

「桂介は?」

 

「……もしいいなら、行きたいな」

 

僕はそう言うしかない。嫌なわけじゃないんだけど、なんていうか言うのには抵抗があるな。

 

いや、別に後から実は嫌だったとかそう言うつもりはありませんよ。でも引っかかるものがある。それがなにか、ちょっと今はわからない。

 

「それじゃあ悪い高校生らしいものでも食べに行く?」

 

「例えば?」

 

質問を返す陽香に、角野さんはゆっくりと笑った。

 

「ラーメンとか。油が多めで、濃いめの味のやつ」

 

「角野さんってそういうの食べるんだ」

 

陽香はそう言って、立ち上がった。周囲を見渡すと同じクラスの人たちも移動準備を始めている。ということは最後の人が帰ってきて全員いるなってなったのか。

 

よくわからないままぞろぞろと学校への帰り道を歩く。別にここで一人ぐらい消えていても誰も気がつかない気がする。いや、教室で空きの席があったらわかるかな?でも欠席者を担任の先生もきちんと覚えていられるものなのだろうか。

 

「……悪い高校生、か」

 

「友達が悪の道に進もうとする時に一緒についていくのが親友だっけ?」

 

呟いた僕にそう言う角野さん。ちょっと危ないな。

 

「桂介はわかりやすいから悪い方向に行ったらすぐ騙されるよ」

 

「世間一般の人は陽香みたいに僕の感情をそんな高い精度で読めないんだよ」

 

あまりお行儀が良くない形で、三人である程度まとまって道路を歩く。横に広がらないようには注意しないと。この時間に交通量が多い道じゃないけど細めだしね。

 

「それで、角野さんはどこ行きたいんだっけ?」

 

陽香に聞かれて角野さんが答えるが、聞いたことがないお店だ。陽香も首を振っている。

 

「ええと、三年ぐらい前にできたお店なんだけどさ、前に家族で一回行っておいしかったからまた行きたいんだけど機会がなくて」

 

「家族でそういうところ行くんだ……」

 

僕が言うと、陽香と角野さんが同時に僕の方を見た。

 

「桂介くんの家庭ではあまり外食をしない?」

 

「いや、外食はするよ。たまにだけど。でもラーメンはあまり食べないな……中華料理屋さん行くことはあってもあまり頼まないし」

 

「そう言われるとあたしもそうかも」

 

「私の家庭もいつも行くってわけじゃないけどね」

 

よかった。僕の家が異常ということではないらしい。でもこういう家庭の話とかって世間一般のものがわからないからな。家庭という狭い場所の話はなかなか表に出てこない。

 

例えば僕は陽香のお姉さんについてあまり知らないし、角野さんの弟についても知らない。僕の両親を陽香は良く知ってるけどそれは幼馴染で家族での付き合いもたまにあるからという理由だし。その家族ぐるみの付き合いも別に多いわけじゃないし、父親同士や母親同士で何処かに遊びに行っているとかそういうものだけど。

 

「あと、ラーメンってやっぱり炭水化物多いよね……」

 

陽香が言うと、角野さんは頷いた。

 

「運動したからカロリーを摂らないと」

 

「そうじゃなくて、炭水化物は身体になりにくいから。エネルギーにするならこの後も走らなきゃいけないけどこのあと部活もないし」

 

「……もう少し、陽香さんは動かなくてもいいと思うけど」

 

そう言う角野さんの視線は、陽香の身体の方を向いている気がした。まあ確かに角野さんと比べてもほっそりしているけどさ、別に痩せているってわけじゃないんだけど。

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