一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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083 味覚の刺激

まだ日が高いうちに放課後になり、鞄を持って高校を出るのはやはり変な気分だ。基本的にマラソン大会の疲れもあって、みんなの足取りは軽くなかった。

 

そんな中でも、陽香の早足はいつも通りだ。むしろマラソン大会で温まったエンジンが冷めていないかのように少しいつもより活発的な気までしてくる。

 

「陽香さんは本当に……」

 

その続きの言葉を言えないぐらいには、角野さんも疲れていた。こういうところでいつもはあまり言葉を濁さない気がするから、純粋に疲労だと考えていいだろう。

 

「陽香ってなんで走るの好きなんだっけ」

 

僕も少しだけ重くなり始めた足をなんとか進めながら言う。走っているときではなく走ったあとに疲れというか痛さみたいなものはやってくる。

 

「……なんていうか、そういう時って生きてるんだ、って思わない?」

 

「身体感覚による自己認識とかなんかそういう類ね……」

 

角野さんはそう言って立ち止まり、進もうとする僕たちに指で左に曲がるように指示する。なるほどこっちか。

 

二車線で歩道がある大きな道なのだが、正直通ったことがない。駅からもそう遠い訳では無いのだけれどもな。

 

見渡すとコンビニとか地元チェーンの塾とかよくわからない服屋さんみたいなものもあって、よくありそうな雰囲気だと思うのだがどことなく違和感がある。

 

「で、角野さんはさっきなに言ってたの?」

 

陽香が聞く。ええとなんだっけ、身体なんとか。

 

「別に私も正式な学術用語を知っているわけじゃないから、ちゃんと話せるわけではないけど」

 

「えー、聞きたい」

 

「わかった。ただ、その前に注文だけしようか」

 

そう言って案内されたラーメン屋さんは、なんていうか特に変なところもないラーメン屋さんだった。お昼の時間帯だがちょうど一人の客が多いらしく食券を買ったらテーブル席にすぐ案内してもらえた。頼んだものは僕も陽香も角野さんと同じです。この手のものは基本のやつがいいと知っているのだ。あと僕はサービスのランチライスもお願いしました。

 

「で、ええと自分の身体の話。身体って動かしていないとぼんやりしてくるって話、聞いたことある?」

 

僕と陽香は首を振る。というか気がついたけど陽香の隣に座ってたな。嫌ではない。本当によくここまで戻ったものだ。

 

「筋肉を動かしている感覚とか、痛みとか、そういうものがあって、自分がここにいるって認識ができるようになる。そうやって練習すると身体がもっと上手に動かせるようになる。わかりやすいところだと……小学校の漢字の練習とか」

 

「桂介は苦手だったよねあれ、テストなかなか合格できなくて」

 

「そうだったっけ……」

 

確かにどことなくそんな記憶がある。というか文字は今でもそこまで上手じゃない。陽香は……僕よりは上手じゃなかったかな。文字を見た記憶がいい加減だけど。そもそも相手の書いた文字を見る機会って実はあまりないんじゃないだろうか。いやあったわ、試験だ。

 

解答用紙の文字を頑張って思い出そうとするが、特徴のない感じだったなということしか記憶に残っていない。強いて言うなら少しだけ丸っぽかったかな?

 

「精神的なトレーニングってわけじゃないけど、手におもりとかをつけたりざらざらした所で書くと上手になる、みたいなことを聞いた記憶がある。根拠がある方法かは知らないけど」

 

「あー、確かにアスファルトより砂利道走ってるほうが楽しいかも」

 

陽香が言う。走るのに楽しいって言葉を使うのはやっぱり僕の中で納得できるものではないな。理解はしたいと思うのだが、どうしてもしっくりこない。別に無理にわかる必要もないと言われたらそうだけど。

 

「ただ、そういう人って無理をしすぎることがあるから。刺激ってどうしても慣れていくから、もっと強い刺激でないと自分が自分でない気がしていく」

 

「……心当たりがちょっとだけあります」

 

陽香が言うが、本当にちょっとだけなのだろうか。僕は結構あるぞ。自分自身についてのものはさておき、陽香が壊れるまで走るのってこう言うところにあるんじゃないだろうか。友達とはあくまで表面的な付き合いしかしていないし、その中で相手に合わせているから本当の自分がわからなくなるみたいな話はあってもおかしくないと思う。

 

「ほどほどにね。それで疲れすぎて判断力が落ちて、考えずに行動するようなこと、したくないでしょう?」

 

「……はい、二度としたくないです」

 

二度とされたくはないな。いや、行為自体が嫌ってわけじゃなくて怯えてそういうことをしたくないし、そういうのをするならちゃんと話とかしたいってことで。うるさいって陽香に言われそうな気がする。よくないかも。

 

そうしていたら注文したラーメンがやってきた。高校生のお小遣いにはちょっと奮発したようなトッピング多めのやつである。学生割引があるので相殺されて普通のお値段になっているのですが。

 

味は、かなり濃い目でしっかりした感じ。このあたりを説明する言葉がないんだよな。チャーシューは柔らかくておいしいし、メンマはちょっと厚めで歯ごたえがあっておいしい。浮いている油と絡むほうれん草もおいしい。

 

「……あとで走ろう」

 

陽香はそう言って箸を動かしている。実際のところこれだけのカロリーを消費するためにはどれだけ動けばいいのだろう。

 

「こういうものを食べていると、自分がここにいるなって気分にならない?」

 

角野さんの言葉に、僕も陽香も納得できなかった。少ししょんぼりとする角野さん。

 

「いや、来ることがそう多いわけではないんだけど、こういうものを食べるのは私は好き。空いたお腹があったかい物で満たされたときの落ち着いた感覚は、私には嘘じゃないって思えるから」

 

「他に、角野さんが嘘じゃないって思うもの、あるの?」

 

陽香の質問に、角野さんはお冷を一口飲む。

 

「どうだろう……ほら、気がついて以降の空っぽな感じはまだあるから。自分がやってきたことは本物かもしれないけど、その評価としてもらった言葉を信じるのは難しいし」

 

角野さんは嘘に慣れていた。だから、自分が言っていたように、誰かの言葉もそうなんじゃないかと思ってしまう。その怖さは、わからないわけじゃない。誰かが僕に向ける好意が嘘なんじゃないかと昔はよく思っていた。そもそもそれが好意かどうかもわからないしね。

 

陽香となら、信頼はできる。僕は陽香のことを良くも悪くもよく知っている。

 

角野さんの場合も、そういう嘘を付く人じゃないとわかっている。

 

角野さんから信頼してもらいたいな、と思う。でも、僕は自分の言ったことすべてに責任が取り切れるような人じゃない。結果として嘘をつくことになる。陽香も僕も、そういうのを恩人にはぶつけられない気がする。

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