一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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089 行動の切掛

重苦しい話をどうにかしようと、僕と角野さんは雰囲気を変えるべく少しだけ陽香に話しかけを試みた。結局はうまく行かなかったが。

 

結局、椅子に座ってうつむく陽香の隣で僕と角野さんが思い思いに時間を過ごすことになった。僕はWikiの編集。角野さんは中国語のなにかを読んでいる。

 

「……角野さん、それ、なに?」

 

後ろの方で陽香の声がしたのでちゃんと編集していたページを保存してから椅子を回す。

 

「ステラ・コルセアの考察」

 

「……読めるの、すごいね」

 

「……うん」

 

角野さんは少し考えてから返答をした。

 

「何か言いたいの?」

 

陽香にはそれが引っかかったらしい。僕なら流してしまいそうなものだけど。

 

「いや、素直に褒めてもらうのは気持ちがいいなって思っただけ」

 

「……桂介みたいにどうせ自分は、ってならないで、ってこと?」

 

何だよその言い方。まるで僕が自分を認められないから素直に褒め言葉を受け入れられないみたいな言い方じゃないですか、その通りです。特に反論とかはありません。

 

「陽香さんもそういうところ、最近はあるけど」

 

「仕方ないでしょ……」

 

ちらりと陽香はこちらを見る。こっちにはなにもないよ。帰って欲しいとは思わないけど、この空気はやはり面倒だ。

 

諦めがどことなく漂って、僕もまたパソコンに向かう。玄関の扉が開く音がした。

 

「……誰?」

 

角野さんがスマートフォンから目を上げて、小さい声で言った。

 

「母さん」

 

席を立った僕は角野さんの隣でそう囁いて、自分の部屋の扉を開く。

 

「あれ、早くない?」

 

靴を脱ぎながら玄関で母さんが言っている。視線が陽香と角野さんのスニーカーに向いているのは気のせいだろうか。

 

「今日はマラソン大会だったんだよ」

 

「そうだったんだ、ああこれ冷蔵庫入れといて。あと部屋入っていい?」

 

「あまり良くないけど……」

 

裏にアルミ張りがされて保冷性のある買い物袋を受け取ったので、特に何も言えず冷蔵庫に入れていく。卵に豚肉の薄切り、キャベツ半玉とねぎと牛乳。よくある買い物だ。ただなんでカレールウがあるんだ。今日の買い物のラインナップとは違うだろ。まあでもあって損はないしな。

 

「あっ、その……お久しぶりです」

 

陽香の声が遠くから聞こえる。いつもの元気がなくて緊張しているな。母さんのことだからどうせ変な誤解をする。

 

「始めまして。角野と申します」

 

角野さんのことだ。小さくペコリと頭を下げてさも優等生かのように振る舞っているのだろう。いや間違いなく優等生ではあるけどさ。試験の成績も普段の振る舞いも、十分知的な少女としての彼女の行動を示している。

 

なんか向こうで楽しそうに会話がなされている。母さんは、というかたぶんそのくらいの年齢の人たちは会話が好きだ。あるいは会話が好きにならないとやっていけないのか。

 

「桂介をいつもありがとうね」

 

「いえ、私も桂介くんや……陽香さんにもですけど、助けられてもらっているので」

 

よくまあすらすらと言えるものだ。僕が角野さんを助けたことなんてあっただろうか。そりゃ数少ない友達だとは思っているけど別に僕も角野さんもそういう友達がいなかったらいなかったでどうにでもなるタイプでしょうに。

 

「そうだ前にもらったクッキーあったからそれ食べていいから。桂介!出してあげて!」

 

「どこだっけ」

 

「冷蔵庫の右の棚!」

 

そう言われたので取る。賞味期限は大丈夫だ。少し放置されていたので少しだけ油っぽい気がするのでキッチンペーパーで拭いておこう。少しだけマシになった気がする。

 

あとお皿持っていくか。というわけで話したりなさそうな母さんをいい感じに部屋から追い出しておく。

 

「というわけでどうぞ」

 

開けた缶の中にあるバターの風味がたっぷりとするなんかいい感じのクッキーを食べる。こういうものどこでもらってくるのだろう。

 

「いただきます」

 

少し遠慮がちな陽香はさくさくとクッキーを口の中に入れると目の色を変えた。おいしかったのかな。知らないブランドだけど。

 

「そういえば、桂介くんの家庭の話のあたりも聞きたいとは思っていたんだけど……」

 

「とくに面白いものはないよ」

 

角野さんの言葉に僕は返す。

 

「……価値観っていうのは、結構家族から引き継ぐことがあるからさ。何かを当然と思ったり、あるいは何かを嫌うっていうのは、子供の頃のちょっとしたことがきっかけだったりする」

 

「そういうもの?」

 

「例えば私が日本語以外の言葉を普通に読んだりするのは家族の影響だし」

 

「そういえば角野さんってクォーターだっけ?」

 

陽香が言うが、いやぜんぜんその話聞いたことないぞ?僕は角野さんに視線を向ける。

 

「ほら、案外知らないことがあるし、数年前に亡くなった、おばあちゃんがね。普通に日本語はぺらぺらだったし、むしろこっちにいる時期のほうが長いぐらいだったんだけど、本棚に外国語の本があって、私はそれを読めないけど開いていたらしい。もう覚えてないけど」

 

「……そっか」

 

確かに、そういうきっかけがあるみたいな話はありそうだ。そうでなければ興味を持つのはおかしいとまでは言わないけど。

 

「桂介くんが恋愛についてあまりいい感情を持っていないのもそういうものがあるのかな、と思っただけ。あまり安易に触るべきところじゃなかったね」

 

「……あー、そういう意味で」

 

「別に言わなくていいよ」

 

角野さんの口調は、やらかしたことを責めないでほしいと思いながらも拗ねているような感じだった。このあたりを読み取れるのは妙な気分だ。角野さんがわかりやすいってわけじゃないし、僕がこの手の読み取りが得意とかでもないはずなんだよな。たぶん似たタイプだから、ってあたりになるのだろう。

 

「……いや、ありそうだな」

 

「……言うなら、ここである必要もないよ。今である必要も。別に、私と共有しなくちゃいけないってものでもない。相手は選んでもいいし」

 

角野さんが少しだけ焦ったように言っている。こういうのを見ると、角野さんも案外普通なんだなと思えてくる。あまりいい感情ではないだろうけど。

 

陽香の方を見る。こっちのほうは逆にあまり感情は読み取れなかった。出さないようにしているのかもしれない。視線は少し下を向いていて、注意は向けているけど避けている感じ。

 

「言っておきたい。二人には、それを知ってもらったほうがいいと思うから。別に長い話にはならないし」

 

角野さんが気がついたみたいに、僕も少しぐらいはそれに立ち向かったほうがいいかもしれないな。

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