一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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009 対話の共有

プールの底からいきなり持ち上げられたような混乱。かけていたスマートフォンのアラームがけたたましく鳴って、呼吸が苦しくて、心臓がうるさい。

 

深呼吸をして、少しずつゆっくりになっていく心臓の音に集中する。余計なことを考えようと少しでも思う気配がしたら脈のほうに意識を向けるようにする。息をできるだけゆっくりすることで頭の中で変なことを考える余裕をなくす。こうすれば、あの時のことを思い出しにくくなる。

 

落ち着いて考えることができるようになるまで五分ちょっとかかった。これがいつまで続くのか、と考えてしまう。早く元通りの生活に戻りたい。いや、陽香と違って、昔から朝は強いわけじゃなかったな。

 

毎朝元気に家の前に来ていたのは小学校三年生ぐらいまでだったか?あの時から僕の背を抜かし始めて、いつ僕が逆転したんだっけ。中学校の頃はあまり話すこともなかったから、思い出せない。

 

そう思っているとスヌーズモードになっていたアラームがまだびっくりさせてくる。止めて、ちゃんとオフにする。また息を落ち着ける。

 

手の中のスマートフォンを見ると通知が来ていた。メッセージアプリを開く。

 

── 落ち着いている時に連絡して欲しい。無理なら返信もしなくていい。

 

そうやって送られてきたメッセージに、今は大丈夫だと返信する。

 

── 通話はできる?

 

── 何で?

 

── そっか、こっちじゃないほうがいいか。

 

角野さんのメッセージを理解して、僕は重い身体を少し引きずるようにしながら椅子に座ってパソコンを起動しながらヘッドセットを装着。

 

トークアプリを開く。こっちはゲーマー用に作られているから、画面共有とかそういうのがしやすい。

 

僕が自分の状態を「着席」に変更すると、すぐに通話がかかってきた。

 

「聞こえる?」

 

マイクの場所を調節して、通話アイコンが点灯しているのを見ながら言う。

 

「聞こえるよ、大丈夫」

 

僕はあまりメッセージアプリで話すことはないが、別にトークアプリのほうで通話することが多いというわけでもない。たまに文章で書くよりも言葉のほうが早かったり、画面を見せたほうがいいって時にやりとりするぐらい。Wikiの定例会議は通話というより確認だし。

 

「何があったの、陽香と話していたらしいけど」

 

仮眠前のことだったから、頭の中で時系列がおかしくなっているけどそんなに時間が経過しているわけじゃない。角野さんの家の場所は知らないけど、もう陽香を返した後なのだろう。

 

「……ごめん、連絡しておいてあれだけどまだ私の中でも言葉にできていない。傷を負っている人にこういう事を言うのは酷だけど、ちょっとだけ付き合って」

 

「うん」

 

大丈夫。角野さんだって難しいことはあるし、常に完全なわけじゃない。そう言い聞かせて、僕は聞くことに集中するために座り直した。

 

「ええと……私の家に陽香さんを呼んだ。断片的だけど、彼女が君にしたことを聞けた」

 

「……うん」

 

女性同士でないと言いにくい事だってあるだろう、と思ってしまう。僕は嫌でも男女で対応がどうしても異なってしまうし、角野さんは少し一般的な女性の枠からはずれているけど、それでもどうしてもやられたことについて、角野さんに直接言えるかは正直難しい。

 

別に信頼していないとか、そういうわけじゃないけど、別の問題だ。その上まだ自分の中には角野さんへの面倒な感情が残っているし。

 

「それで、陽香さんの気持ちを少しだけ、言葉にできた。かわりに、私もけっこうきつい言葉を喰らった」

 

角野さんの声には、いつもは出さない疲れのようなものが混じっていた。

 

「……きつい、言葉?」

 

陽香はそういうことをあまり言う印象がなかった。いや、逆に言おうと思えば言えるのかもしれない。いつもはそれを他の人にぶつけないようにしているけど、相手が言われたくないことを言わないようにするっていうのは逆もできるってことで。

 

「いや、これがまた正解みたいな言葉でね。『角野さんは桂介の気持ちがわかってない』って」

 

「……そんなこと、ないよ」

 

「いや、かなりその通り。陽香さんが君に対して加害者だってことを加味しても、その言葉は正しいと私も思うよ。これについては陽香さんにも認めたから、君にも明かしておいたほうがいいだろうって」

 

「……どういう、こと?」

 

「本当はどこかで顔を合わせて話したいんだけど……君がまだ陽香さんと顔を合わせられる状態でないことを考えると……」

 

大丈夫、と言おうとして自分の声がでないことにびっくりした。まだ僕は陽香と会うってことを口にできないらしい。

 

「……通話を続けられる?声かチャットかで返事ができないなら、切って欲しい」

 

「大丈夫、大丈夫だよ。聞こえてるし、話せる、けど……」

 

「陽香さんとは、か……」

 

角野さんの吐く息の音がヘッドフォンから聞こえて、少しだけ変な気分になってしまった。

 

「あのさ、陽香が僕のことを……その、恨んでいたりとか、傷つけたいって思っているわけでは」

 

「ない、とは断言できない……かな。ただ、また君を襲うようなことはないはず」

 

「……そっか、よかった」

 

陽香も落ち着いたんだろうな、と思う。僕よりも混乱していたわけだし、自分のやったことであまり考えすぎないで欲しい、と思うけれども被害者は僕なんだよな。角野さんに言ったら自分を大切にしろ、とか言われそうだ。

 

「話す場所も難しくて。他の人に話が聞かれないけど、何かがあった時に君がすぐに逃げることができて、かつ人の目があるところ。人のいない時の喫茶店とかがいいのかもしれないけど、私はそういう時間帯を知らないからな……」

 

「陽香なら、知ってると思うよ」

 

「……ああ、確かに」

 

角野さんが納得するように、陽香は色々と人付き合いがあって僕たちとは違ってこの手の話題には詳しい。どのMODのデザインが好きかという議論を僕と角野さんがするように、陽香は友達とカフェとかカラオケとかに行っている。

 

「週末の予定は?」

 

「僕の?」

 

「うん」

 

「……ないよ」

 

「もし可能であれば、どこかで話をしよう。もし向き合うのが難しいなら、陽香さんのほうの場所を調整する。……怖いのはわかる。でも、不必要に怖がらなくていいように、できるだけ努力をする」

 

「わかった」

 

やっぱり、動かなくちゃいけないんだろうな。確かに怖いし、嫌だなと思うところはあるけど、角野さんがいるならなんとかなると思う。

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