一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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090 記憶の差異

少なくとも、自覚している範囲では僕は虐待を受けたことはなかったように思う。親が怒りっぽくなっていた時期はあったような気がするが、今思えば僕が生意気だっただけのように思うし。叩かれたことはあっても殴られたことはないよな。そういう意味では、僕は別に歪んで育ったというほどではないと思う。教育熱心だったり縛ったりとかいうのもなかったし。

 

そうすると僕の他人に対する態度はどこから来ているのか、ということになるが正直言って思い出せない。それでも小学生の頃からどうにも孤立的だった記憶がある。動くのは苦手で、本を読むのが好きだった。当時読んでいた本は今となってはさくっと読めてしまう児童文学とかだったけど、当時はそれを一文字ずつ追いかけるように、そしてわくわくしながら見ていた。

 

陽香といつ関わりはじめたかは覚えていないが、たぶん中学年の頃には互いの家に通うような間柄にはなっていたと思う。昔のことだから記憶にないのか、それともなにか忘れたい記憶があったのかは、もはやわからない。

 

そういう関係もあって、僕の両親は僕に色々と口うるさく言っていた。日が暮れる前に帰れとか、もし夕方になってしまったら二人で安全な場所にいることとか、相手の嫌がることをしないようにとか。僕はそれを素直に聞ける程度には聞き分けが良かったし、それがどうして必要なのかがわからないぐらいには幼かった。

 

今思えば、小学校低学年からやけに距離が近い同級生と付き合っているような状態に両親は心配というかなにかあったらどうしようと考えていたのだろう。だから家ぐるみで付き合うようにもなった。

 

ただ、僕が一人息子として面倒を見られたのに対し、陽香のほうはお姉さんがいた。なので、そこまで心配することはないと思っていたのだろう。

 

だから、そこに不均衡ができた。僕は陽香にずっと我慢していたと思っていたし、陽香は自由気ままで、それがいいなとも思っていた。

 

「……まあ、そんな感じ。昔のだけど」

 

角野さんにするのは、小学校の頃の思い出話。なんだっけ最初のやつは。ああそうか、僕の恋愛嫌いの話か。

 

「陽香さんは、補足とかある?」

 

黙って聞いていた陽香に、角野さんが声をかけた。

 

「えーっと……あのさ、桂介は覚えてないの?」

 

「何を?」

 

「二年生の時さ、あたしいじめっていうか、仲間はずれにされてたことがあって……短い間で、すぐに仲直りしたんだけどさ」

 

「……そんなこと、あったんだ」

 

「桂介はその時さ、あたしになにも言わないでくれたんだよ」

 

「……興味がなかっただけだと思うよ?」

 

僕は正直、そのときはまだ外の世界を見ていなかった。自分の中で精一杯だった。というかそうか、それがきっかけなら中学年ぐらいから仲良くなったとかありそうだな。

 

「……今ならわかるけどさ、当時のあたしにとってはそうじゃなかったんだよ」

 

「そう……」

 

「……だからさ、桂介はあたしのこと仲間はずれにしないって思って、よく絡んでた」

 

「そういうことだったんだ」

 

「あと、桂介に外で遊んでほしかったのもあるけど」

 

「あー思い出してきた……休み時間に本やめなよ外出て遊ぼうってうるさかったな……」

 

「……忘れて」

 

陽香は恥ずかしさを少しだけにじませて言う。いや、確かに昔の話を持ち出されるのは嫌だろうからほどほどにしておこう。このまま陽香の思い出したくないことをほじくり返したい気持ちもあるのだが、それをやったところで特に意味はないわけだし。

 

「なるほど、少しだけ掴めてきた」

 

角野さんはそう言って、頷いた。

 

「どういうふうに見える?」

 

「誰かを傷つけたくないっていう感情のせいで、誰かに対して自由に振る舞うのが悪いことだって抑圧されているのかな。好きになるっていうのは、相手を……それまでとは違う目線で観察することだし、それはどうしても相手の意思を無視するところがあるから」

 

「そこまで言われると反論しようがないな……」

 

陽香は言葉にすると思考が固まるから嫌だと思うけど、僕は逆で固まるからいいと思っている。ころころと立場を変えるよりも、ちゃんと軸を持って行動したい。もちろん、角野さんが言ったことが全部ではないと思う。ただ、間違っているとまでは言えない。

 

陽香はちょっと不満そうである。そんな簡単なもんじゃないだろうとでも言いたげだ。

 

「……言葉にするのなんて、これぐらいでいいから。違っているって思うなら、言葉を修正すればいいし」

 

角野さんが陽香へのフォローなのかよくわからないことを言う。

 

「別に、気にしてないから」

 

そう言って、陽香は少しだけ姿勢を直した。

 

「……結局桂介くんの問題は、陽香さんとの関係がけっこうあるのかな」

 

角野さんは呟いた。

 

「あたしは、違うと思う」

 

「どういうこと?」

 

陽香に角野さんは視線を向けた。

 

「……桂介はさ、たぶんあたしがいなくてもそこそこなんか真面目で、でも不器用で、人間関係とか嫌いとか言いながら気の合う人がいたらよく話すような人になってたと思う。……場合によっては、あたしがいないほうが、そういうことがやりやすかったかも」

 

「仮説に仮定を重ねてもなんにもならないよ」

 

「そうだけど、そうじゃなくて……ええと……」

 

「角野さん、言い方が良くない」

 

陽香がなんとか作った言葉を一刀両断するなよ、と僕は角野さんの方を見る。かばうっていうよりも角野さんの配慮の無さが出たというか。やっぱり珍しいな。

 

「桂介、大丈夫。あたしが変に悩んでいるだけで、角野さんにはちょっときつめのこと言ってくれたほうが助かる」

 

「それならいいけど……」

 

「まあ、陽香さんから見たら私のことをどうしても桂介くんとの絡みの視点から見るのは仕方がないと思うよ。陽香さんにとって、私はただの同級生に過ぎなかったわけだし」

 

「そうだけどさ……あたしはやっぱ、何も考えてないんだなってなっちゃって」

 

角野さんが辛辣な気がする。何か嫌なことでもあったのだろうか。あるいは、誰かを今まで傷つけないように集中していたのが切れて、口が軽くなっているのか。とはいえ切れ味は変わっていないから怖いんだよな。もう少し空気が良くない感じになったらまだ缶の中に残っているクッキーを口に詰め込んでおこう。

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