一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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093 趣味の歌唱

目を開ける。手探りでスマートフォンを取る。目覚ましが鳴る十分前。つまりは珍しく、叩き起こされない朝を迎えたわけだ。眠いけど。

 

夢を見ていた。他愛のないものだった。陽香と一緒に過ごすやつ。角野さんもいたな。

 

そこで恥ずかしさが出てきて、その直後に自分から出てきた感情が恥ずかしさだったことに安堵する。ええとこれ待って一体どういう状態?

 

ともかくベッドから出ようとして外が冷たくて布団にくるまる。まだ大丈夫、早起きしているわけだから少しだけダラダラとする時間があってもいいし、寒い状態でいきなり身体動かすと心臓に負担とかかかるから良くないし。完璧な正当化ができた。

 

というわけで、消えゆく夢をなんとか思い出そうとする。なんだよ僕に優しくする陽香って。そういう性格じゃないだろあいつ。正直言って、陽香がそういうことをしてきたら僕は陽香を嫌いになるかもしれない。なんでだろう。

 

正直感情のほうが先走って、うまく言葉にすることができない。もちろん大半の人はそうだろうし、そもそも意識して言葉にすることがないのだろうけれども。

 

別に陽香の夢は今まで何回か見てきた。大抵は心臓がおかしくなって目が覚めた。トラウマが終わったとは思わないけど、それ以外の自分にとって都合の良い夢を見ることができるぐらいには戻ったと思っていいのだろうか。

 

そうこう考えているとアラームが鳴る。いつもはこれを二回ぐらいスヌーズして急いで朝ご飯を食べて家を飛び出すのだが、そうではないので非常に心が落ち着いている。

 

だからまあ、今日は家を出るのがいつもよりも早い。秋の涼しいというにはちょっと冷たいかもしれない風が柔らかく吹いてくる。

 

とはいえなにか特別な感じがあるとかではなく、普通の高校生活が始まる。少し遅れて教室に来た角野さんは僕を見て時計を確認してびっくりしたような顔をしていたけど気の所為だろう。

 

部活終わりの陽香が教室に来ると角野さんは席を立って何やら陽香と話していた。なんだろう、変なことではないといいが。せめて僕が早めに登校したのがおかしいとかそういうところであってくれ。

 

「……なに話してたの?」

 

「近場のカラオケについて」

 

「カラオケ?」

 

角野さんがカラオケで歌っているところを想像する。うん、案外すんなりできてしまった。真面目な雰囲気を漂わせているが別に遊ぶのが嫌いというわけではないんだよな。誰かと一緒に過ごす時に疲れるってだけであって。

 

「最近好きなアーティストの新曲が入ったって言うからさ、行ってみようと思って」

 

「そういう理由で行くことあるんだ」

 

「むしろそういうことでもないと私は行かないよ」

 

まあ、そうかも。興味がないと行かない場所というのは多いし、角野さんが行くなら趣味だろうなというのはわかる。

 

「そう。僕も中学の頃になにかで行ったきりだな……」

 

行ったこと自体は思い出せるが誰かとは覚えていない。何だっけ。陽香に聞けばわかるのかもしれないが、わざわざ知る必要もないか。

 

「それで、陽香さんから一緒にいかないかと誘われたんだけどどうする?」

 

「どうするって……二人で行ったら?」

 

別に嫌なわけじゃないけど、あくまでこれは角野さんが歌いたいものを歌うって話じゃないですか。そこに入っていくのは果たしていいものなんですかね。あとは陽香と一緒にそういう場所に行くとどういう表情をしていいのかわからなくなるし。

 

「……まあ、そうか。私も興味なければそう言うだろうね」

 

少し角野さんは残念そうだった。

 

「いや行ってもいいなら行くよ?」

 

人数での支払いになるので人が多いほど歌う時間が少なくなって無駄が増えるんじゃないかとも思ったが、実際に考えるとずっと歌い続けるというのは辛いものがあるからそのぐらいでいいのかもしれない。

 

「なら、陽香さんに言っておく。今日は予定ないよね?」

 

「いきなり?ないよ」

 

「わかった」

 

そう言って陽香の方に歩いていく角野さんの足取りは軽そうだった。そうしてチャイムが鳴る。朝のホームルームが終わって、授業がはじまる。

 

角野さんのことをずるいな、と思ってしまった。いや、それは努力とかなのかもしれないけど、今までの仮面が剥がされて、その後でその素顔に慣れるというのは本来ならもっと苦労するものじゃないだろうか。あるいは痛みを堪えているとか。

 

別に苦しんでほしいわけじゃないのに、と考えた時に自分の中で嘘をついているような感覚がある。ええ、誰も彼も苦しんでほしいですよ、僕だけ苦しむのって不公平じゃないですか。そうじゃなかったらそれなりの見返りをください。かわいい幼馴染との青春とか。

 

陽香がかわいくなれるのは知っている。一般的な基準からしてもそうだ。黙っていれば美人だし、内面に踏み込まなかったら仲のいい友達の一人になれるのだろう。僕には無理だけど。

 

僕と陽香の間には、距離を取るか、あるいは隣にいるかみたいな極端な選択肢しかない。うまい具合にクラスメイトや友達でいるとかができない。長年のつきあいのせいだ。

 

ただ、それが嫌かというと違うんだよな。僕はそういう意味で恵まれているというのとは違うけど、いい幼馴染がいると思う。傷つけられたことを許すわけじゃないけど、怖がるのはもう違うよなと思えるようにはなった。

 

じゃあそうなった時、僕は陽香とどういう関係であればいいのかって難しいんですよ。いつまでも被害者みたいな顔をしているわけには行かないし、あんなことがあってただの幼馴染でいられますかというのもある。じゃあ何になるんだと言うと、そんなものにつける便利な名前はないわけで。

 

陽香と僕が察することのできるような間柄で良かったな、と思う。もし同じような問題が角野さんとあったら、それに付ける名前の議論で仲違いしそうだし。わからないことをわからないまんまで、なあなあにして面倒なことを先延ばしして、それでも離れない関係をやっていくことができるなら、それは僕に望めるたぶんかなりいい進み方になるのだろう。

 

問題は陽香が僕のことを嫌いにならないかってぐらいだ。少なくとも僕は、愛とか恋とかいうものの特別性を信じていない。頑張れば忘れられる程度のものに、何かを預けるっていうのは少し心もとないと思ってしまうのだ。

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