一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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098 祭典の帰路

いろいろなものがあった一日だった。一気に頭の中に詰め込まれた情報を整理するにはもう少しかかるかもしれない。

 

今までは声だけしか知らなかったような人と色々と騒いで、サインを貰って、二次会まで行って、それで最終電車に角野さんと一緒に飛び込んで、なんとか家に帰ることができそうになっている。もしこれで失敗したらどこかで夜を明かすことになっていた。僕はともかく、角野さんにはちょっと危ないかもしれないので良かった。

 

「だからたぶん新しく出てくる艦長の性格のコアをちゃんと設定しないと翻訳にブレが出る」

 

「性格が強く出る船だと弱点が増えそうだよね、AIコアもそれに偏るだろうし。そのあたり処理コメントとかどうすると思う?」

 

揺れる電車の中で、僕と角野さんは微妙に平行線の会話をする。いや、相手の話を聞いていないわけじゃないけど互いにただ話したいだけ、みたいな。

 

そういう事ができる程度には、友達になれたと思う。

 

「……そろそろ?」

 

ふと見上げた流れていく案内の文字を読みながら僕は言う。僕達の自宅への最寄り駅は三つ先だ。

 

「まあ、一緒に寝たら乗り過ごすぐらいか」

 

そう言って角野さんは背筋を伸ばした。

 

「で、緊張はしている?」

 

「……何に、さ」

 

「陽香さんが来るのは明日だっけ、明後日だっけ」

 

「……明日だよ」

 

その日っていうのは勘弁してもらった。すぐに飲み込んでもらえたけれども、それでも不満そうだった。いや、あれはある種の演技だと思うけどさ。

 

理解はできても納得できないことはある。そういった感情を飲み込むべきときもある。でも陽香は、僕の前ならそういうのを出してもいいと思っている。あるいは、僕がそれぐらい許容すると思っている。間違ってはいないのがまたずるいと思う。

 

かわいいな、と思う。同時にかなり鬱陶しいとも思う。そういうところを全部まぜこぜて僕は陽香と付き合っている。この関係に安易に名前をつけられる気はしないが。

 

「あまり甘やかすのも良くないと思うけどね」

 

「僕がそこまでやっているように見える?」

 

「……あの陽香さんを受け入れるっていうのは、そういうことだよ。ただでさえ、桂介くんが受けた傷は治る類のものじゃないっていうのに」

 

「……まあ、ね」

 

トラウマの記憶はまだある。身体が固くなることはあまりないし、過呼吸はここしばらく起していないが、たまに漠然とした悪夢を感じることはある。

 

だから、きっと陽香と今後一緒にいる限り、それから逃れることはできないのだろう。忘れるときはあると思う。気にしない期間だってあると思う。でも、そこから戻ってしまうのに必要なのはちょっとしたきっかけだけなのだ。

 

「私が言うのもあれだけど、二人とも不器用すぎるよ」

 

「角野さんだって不器用でしょ」

 

「そうだけどさ……」

 

電車が減速していく。外の流れていた景色が目で追えるぐらいになる。

 

「……私でも、心配にはなるよ。二人とも相手のことがある程度わかるけど、致命的な読み違いをする可能性はある。それを両方が知っているっていうのは多少安心できる要素にはなるけど、完璧なものじゃない」

 

「だよね……」

 

「でも、触ることはできたんでしょ?」

 

「……まあね」

 

手を繋いだ。抱きしめた。そういう行為を、僕は昔に陽香としたことがある。小学校の頃とかだからその時のことはもう殆ど覚えていないし、陽香の記憶も曖昧だったが、たぶんあの時に互いに感じていたぼんやりとした暖かさみたいなものは二人の間にはなくなっていた。

 

あれを取り戻したいか、と言われると多分違う。最終的にまたそういうことを感じられるかもしれないけど、それは戻ってきたと言うよりも一周してきたみたいな方が近い。

 

陽香の腕が僕の脇の下を通ったときのことを思い出す。かなり強く締め付けられて、呼吸がしにくかった。それが緊張によるものなのか、物理的に肺がつぶされたせいなのかはわからないけど。

 

「桂介くんがそれを受け入れるっていうか、楽しめる……でいいのかな、そういうふうになることが望ましいって言っていいのかな」

 

「悪いことじゃないと思うけど」

 

「価値観を歪めるわけだからさ、どういう副作用が出るかわからなくて。そもそも言葉を使わないと何かを伝えられないって考えるのも、あるいは言葉にしなくても伝わるのがいいっていうのも、大概歪んでいると思うよ」

 

「それを言ったら歪んだものばっかだよ」

 

「定義の問題だからね、教育とか努力とかで環境に補正しなくちゃいけないけど、大抵の場合は環境は変わってくれないから」

 

「……角野さんは、そうだったの?」

 

「そう。結局私が変わるしかなかった。……いや、私が変わるしかないって思い込んで、自分がそうできるって周りの人も自分も騙して、ここまで来たって言ったほうがいいかな」

 

「そっか……」

 

「その点、陽香さんと桂介くんはどちらも相手に合わせて努力したり諦めたりすることができると思うから、私が社会に合わせるよりはうまくいくと思うけどね」

 

そう言う角野さんは、意外にも楽しそうだった。思い出話になるぐらいに時間が経っているとは思わないし、誰かに吐き出したかったのだろうか。

 

別にこれを僕は誰かに伝えるつもりがない。そういう意味では秘密を共有してもらったわけで、それだけ信頼を作ってきたんだなと思う。そもそも僕が裏切るような性格じゃないと思っているのかもしれないが。

 

「……今の角野さんは、さ」

 

「何?」

 

「他の人に変わってって頼めるようになっているよね」

 

「……そうかも。きっと、成長だね」

 

「さすがに面倒になったら言うけどね」

 

「そうして。私は口を閉じるのに三年かけて、まだ話せるようになって間もないから。高校を卒業するまでに、少しは上手に他人とやり取りできるようになるといいな」

 

「クラス替えとか、あまりないといいね」

 

「確率上の問題だから難しいかな……」

 

「八分の一?」

 

「最初の人はどちらのクラスに入ってもいいわけだから、二クラスなら四分の一だよ」

 

「ああ、そっか」

 

このあたりの数学力も鍛えないといけないんだよな。暗算とか暗記とかでスキップできるところは積極的に飛ばしていかないと間に合わないわけで。

 

「……そっか、陽香とは別にゴールがないんだ」

 

「ゴール?」

 

僕の言葉に角野さんは聞き返した。

 

「ほら、何か期日までにしなくちゃいけないこととか、これをしないとそういう関係になれないとか、そういうのがない」

 

「まあ、名前のない関係の強みかもね。定義しなければ、それはどうにでもなるから」

 

会話していると、また電車が次の駅に止まろうとしていた。まだもう少し、二人で特に意味のないことを話す時間はある。

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