フラッグ車のBT-7はタシュから一定の距離を維持して逃げる。振り切らずにSU-100の前へ誘導しようとしているのは明白だった。以呂波は敢えてその誘いに乗り、見失わないよう追い続ける。SU-100の待ち伏せ地点を予測し、あわよくば排除する算段だ。
キューポラから顔を出して周囲を警戒しつつ、義足で操縦手の肩を蹴って指示を出す。結衣の反応はまさに阿吽の呼吸だった。二本の操縦レバーを操る彼女はほぼ無心の状態である。以呂波の神経が作り物の右足を通じ、彼女に繋がっているかのようだった。
そろそろ伏撃がくる。以呂波の勘がそう告げていた。曲がり角か、あるいは……
「……正面!」
道が下り勾配に差し掛かるところで、以呂波はかろうじて敵の主砲を発見できた。地面の傾斜を利用し、車体の下半分を隠すハルダウン戦法だ。即座に結衣の右肩を蹴って回避運動を取らせるが、相手の発砲はなかった。それどころかSU-100は稜線から身を出し、タシュめがけて正面から接近してきたのだ。
以呂波でさえ予想外だった。咄嗟に今度は左へ回避する。だがSU-100も同じ方向へ動き、正面衝突するコースを取ってきた。
至近距離からの砲撃を試みているのだ。今から装填していては間に合わない。美紗子の怪力と、澪の照準能力でも無理だ。
「左急旋回!」
命じた直後、タシュの履帯がアスファルトに擦れ、凄まじいスキール音を立てた。左に大きく触れた車体は硬い路面の上をドリフトする。SU-100の発砲はほぼ同時だった。結衣の急激な旋回が功を奏し、必殺の砲弾は空を切る。
体にかかる強烈な遠心力に義足が耐え切れず、以呂波の体がよろめく。それを支えたのは美佐子だった。タックルするかのように腰に抱きつき、全身の力で以呂波の体を支えた。彼女の機転で以呂波は辛うじて立ち続ける事ができた。
戦車が停止すると、以呂波は敵を見据えた。再び車長同士、至近距離で目が合う。
「徹甲弾装填!」
すぐさま反撃に転ずる。以呂波の腰から離れ、美佐子が棚から砲弾を抱え上げる。砲尾にセットし、握りこぶしで一気に押し込んだ。その間に澪が黙々と照準を合わせる。
「装填完了!」
「撃て!」
澪が発射ペダルを踏み込んだ。今度は発砲炎が夜道を照らす。だが近距離にも関わらず、SU-100はギリギリのタイミングで回避していた。敵の砲口を見て照準が合わさるのを察知し、急停車または急発進を行うという、以呂波と同じ回避方法だ。
タシュの砲撃をからぶらせ、カリンカのSU-100は即座に路地を目指して退避していった。チューンナップされているのだろうが、フロントヘビーのこの自走砲を細かく操れるクルーの腕は大したものだ。
「逃げちゃう……!」
「フラッグ車の方を追って!」
澪はSU-100の方が気になったようだが、以呂波はBT-7の逃げ去った方向へ向かうことにした。フラッグ車をキルゾーンへ追い込み、撃破する計画があるのだ。
冷や汗の吹き出した以呂波の頰に、夜風が冷たく当たった。まさか回転砲塔を持たぬ自走砲で接近戦を挑んでくるとは。主砲の威力も砲手の腕も一級だろうに、何故あのような真似をしたのか。もしかしたら照準器が故障しているのかもしれないと以呂波は考えた。そうだとしたら、千種学園チームにとっては思いがけない幸運である。
「三木先輩から通信。出発進行だとさ!」
晴が陽気に告げる。作戦の第一段階は上手くいったようだ。
問題はタシュとソキだけでフラッグを追い込み、撃破できるか。船橋か丸瀬、どちらかが駆けつけてこれれば勝機はあるかもしれない。以呂波の不安はそこにあった。
「撃て!」
船橋の号令で、40mm砲が火を噴く。撃った直後には反撃を避けるため急発進する。
トルディIIaの40mm弾、BT-7の45mm弾の火線が交差し、周囲の建築物に多数の弾痕が穿たれていた。路上に散乱した瓦礫を履帯で蹴散らし、二両の戦車は一騎打ちを続けていた。双方共に相手が如何に厄介な存在であるかを認識し、排除すべく戦っている。
硝煙の匂いが夜道に漂い、エンジン音と砲声が響く。ときに互いの履帯が接触するまで近づき、即座に離れて敵の射線を回避する。まるで戦闘機のドッグファイトのような様相を呈していた。車長たちは砲塔から顔を出して敵を見据え、時折車内に身を納めて砲弾を装填する。
「委員長、敵の回避は一ノ瀬さん並です! 当たりません!」
「大丈夫! こっちにも当たってないわ!」
クルーを励ましつつ、船橋は操縦手の肩を蹴る。BT-7の砲撃が空振り、背後にあった床屋の看板を粉砕した。戦車道選手は試合による市街地への被害に対し、一切の良心の呵責を捨てるよう教え込まれる。連盟が全て賠償することになっているのだ。
相対するラーストチュカの方はぎらつく瞳で敵を睨んでいたが、その心中に怒りはほとんどなかった。むしろ喜びの方が勝っていた。この命をすり減らすかのような戦いこそ、彼女が戦車道に求めるものだった。池田流が仮想敵とするソ連戦車に乗っているのも、流派のしがらみとは無関係で戦いたいと思ったことがきっかけだった。
今こうして新たな好敵手を見つけたことが、彼女の喜びだった。
街灯と月明かりが照らす夜の街。その光を頼りに、二両の戦車は踊り続けた。
ズリーニィI突撃砲とSU-85の交戦は、船橋たちほど派手な撃ち合いではなかった。互いに無砲塔故、攻撃のチャンスが限られるからだ。だが車長であり航空学科チームのリーダーである丸瀬は、この戦いに一種の楽しみを見つけていた。双方共に武装は前のみを向いている。つまり……
「戦闘機と同じやり方で戦えるはずだ! 敵の名前も戦闘機っぽいしな!」
「この『SU』はスホーイのことじゃないから!」
背後に回ってきたSU-85から逃げつつ、車内では能天気なやりとりが繰り広げられていた。背後から砲撃はあるが、之字運動を取っている目標にはなかなか命中しない。走行しながらの射撃ならなおさら命中率は低い。だが丸瀬たちも、あまり時間をかけてはいられなかった。
「マニューバーを駆使して背後を取るしかない。空戦と同じだろう」
「だから宙返りは無理だ!」
「ならこのままシザーズしつつ、速度を少し落とせ。そして合図と共に急停車、躍進射撃だ!」
丸瀬はトレードマークのマフラーをなびかせながら、追ってくる敵を注視する。操縦手が指示通り速度を落とし、車間距離が縮まっていく。それでも蛇行運転……戦闘機ならシザーズと呼ばれる横方向への回避運動は取り続けた。
再び背後から発砲。距離が近くなったとはいえ、回避運動のおかげで左へ逸れた。相手は増速し、さらに距離を詰めようとしている。接近して確実に命中させるつもりだろう。
じわじわと縮まっていく車間距離。頃合いと判断した丸瀬は叫んだ。
「停止!」
操縦手が急制動をかけ、履帯がスキール音を立てる。少し滑走して停止。
するとズリーニィの脇をSU-85が通り過ぎていった。全速力で追ってきたため急停車に対応できず、追い越してしまったのである。ドッグファイトは単に急旋回や宙返りで相手の背後を取るだけではない。わざと追尾させ、速度差を利用して敵機を前に出すのも戦術の一つだ。
「装填しろ! 敵に照準!」
「右に五度動かして!」
突撃砲の主砲もある程度は左右に指向できるが、基本的に車体自体を敵へ向けなくてはならない。照準器を覗く砲手の指示で、操縦手が信地旋回を行い調整する。
背後を取られたSU-85は大慌てで旋回しようとするが、それは判断ミスだった。投影面積の広い車体側面をズリーニィへ晒すことになったのだ。
75mm徹甲弾が装填され、閉鎖器が降りる。
「敵戦車よーそろー!」
「撃ェ!」
トリガーが引かれ、マズルブレーキから発砲炎が広がった。猛訓練で鍛えた射撃の腕。近距離でしかも的が横腹を晒しているとなれば必中だった。衝撃音と共に煙が吹き出し、SU-85が大破炎上する。飛び出した白旗が夜風に揺れた。
「な? これがドッグファイトだ」
「……撃墜マーク描こうか」
仲間と言葉を交わしつつ、丸瀬は比較的発育の良い体を車内に収めた。額の汗を拭いながら。
「丸瀬先輩が85mmを片付けた!」
タシュの車長席に立ち続ける以呂波に、晴が朗報を伝えた。
「船橋先輩はまだ敵副隊長車と交戦中!」
「船橋先輩にはそのまま敵を引きつけてもらってください!」
流れる汗をそのままに、以呂波は叫ぶ。フラッグ車は再び以呂波らの前に姿を現し、付かず離れずの距離で逃げていた。澪が時折砲撃し、また同軸機銃を放つ。命中させることは期待していない。敵をキルゾーンへ誘導するためだ。
そしてSU-100の動きは農業学科チームにより、時折報告されていた。
「私たちとソキ、ズリーニィでフラッグを仕留めます!」
SU-85が撃破されたとの報告を聞き、カリンカは僅かに眉を顰めた。ここでズリーニィが敵に合流しては厄介なことになる。しかも二両のSU-85を倒すような腕だ。かといってラーストチュカを呼び出すことはできない。トルディを野放しにすることになるからだ。
だがフラッグ車と連絡を取りつつ、カリンカは再びタシュの進路に先回りしていた。ソキを見失った上に、グラントCDLとSU-85全てを失った今、敵の隊長車だけは片付けねばならない。そうすれば後はゆっくりソキを探し、撃破できる。
「徹甲弾の残りは?」
「あと五発です」
装填手が報告する。大型の砲弾故に搭載数は少ない。前半戦で景気良く撃ちすぎたか、とカリンカは思ったが、所詮後悔しても仕方ないことである。
前方に踏切が見えた。周囲には建物や木があって見通しは悪いが、それだけに敵が回避運動を取れる余地が少ない。路地裏へ逃げ込む道はあるが、そうすれば側面を晒すことになる。
SU-100はそのまま前進し、曲がり角の手前へ進む。ただの待ち伏せでは予測されてしまうことをカリンカは分かっていた。虹蛇女子学園のベジマイトほどではないが、一ノ瀬以呂波はそういった嗅覚を持つ指揮官なのだ。どの道照準器が使えない以上、肉薄して撃つしかない。照準器なしで砲撃する方法もあるが、SU-100では難しい。
マスケット銃の時代さながら、相手の白眼が見える距離で撃つ。回避運動のしようがない距離で、だ。
《こちらフラッグ! 間も無く到着します!》
レシーバーに入った声を聞き、カリンカは改めて気を引き締める。
「了解。停止して装填」
操縦手がゆっくりと制動をかける。フロントヘビーなSU-100はデリケートな操縦が必要なのだ。停車後、装填手は重量のある100mm砲弾を抱えて装填する。
やがて履帯とエンジンの騒音が近づいてきた。「用意」とクルーたちに告げ、カリンカは夜道を睨んだ。
カーブを横滑りしながら駆け抜け、装輪状態のBT-7が姿を現した。砲塔から顔を出す車長はカリンカにちらりと視線を送ると、そのままSU-100の脇を通り過ぎ、踏切へと走っていく。
次いで、それよりも大柄なシルエットが現れる。砲塔防盾にいくらかの傷を負ったタシュが、カリンカの前にその姿を見せた。
「突撃!」
急発進したSU-100はタシュへと突貫する。だが以呂波はカリンカにとって予想外の命令を、クルーに下していた。
タシュもまた、SU-100へ肉薄してきたのだ。
「止まって!」
敵の意図に気づいたカリンカは停止命令を出すが、遅かった。重い衝撃が彼女たちを襲う。二両の戦車は衝突したのだ。
SU-100は砲身が長い。高い初速を生み出すが、取り回しは悪かった。至近距離……砲口より内側まで肉薄されては攻撃できない。
タシュもまた、砲身が体当たりの邪魔にならないよう砲塔を横へ向けていた。最初から体当たり狙い。目的はSU-100の撃破ではなく、止めることだったのだ。
ハッと後方を振り向くカリンカ。丁度BT-7が踏切に差し掛かろうというときだった。金属同士の摩擦音を立てながら、線路上に大きな影が滑り込んできたのだ。
戦車道の試合中、街中の鉄道は止められているはず。だが現れたのは確かに列車だった。
九五式装甲軌道車は貨車の牽引も可能。駅に置かれていたものを引っ張ってきたのだ。
《よ、避けて!》
無線機越しに聞こえたフラッグ車長の命令は半ば悲鳴に近かった。操縦手が急激にハンドルを切るも、すでに旋回だけで回避できる距離ではなかった。急ブレーキがかけられるが、次の瞬間には鈍い音を立てて貨車に衝突する。貨車は揺れて脱線し、ソキもそれに引きずられる形で線路から外れた。
だがフラッグ車の行き脚を止めただけで十分だった。路地裏から姿を現したズリーニィが、その長砲身を指向していたのだ。
「逃げ……!」
……カリンカの言葉は、75mm砲の砲声でかき消された。
貨車にぶつかったBT-7が、さらなる強烈な一撃を受けて横転する。ズリーニィの砲口周りに陽炎が立ち上った。そしてBT-7の砲塔からは、白い旗が。
《アガニョーク学院高校フラッグ車、走行不能!》
アナウンスが耳に入り、カリンカはゆっくりと目を閉ざした。現実を受け入れるかのように。しかし、どこか満足げに。