だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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だから彼女はその手を握る

『ハァ……ハァ……』

 

 

大きく揺れる、振動音。

繰り返しくぐもる、呼吸音。

機体の振動と共に()の耳に聴こえてくる息遣いは、間違いなく今まで生きてきた中で一番荒い。

それを打ち消すように、重ねるように聴こえてくるのは甲高いアラート音。

その音を聴いて、最早条件反射で迷うことなく操縦桿を大きくきると、瞬間、元いた場所、青色の虚空に眩い閃光が幾つもの軌跡を描き、切り裂いた。

それを見、機体を旋回させながら、息を呑む。

もし少しでも避けるのが遅れていたら……

 

 

『ハァ……ハァ…………ぅ』

 

 

噎せ返りそうなまでの、汗、緊張、絶望。

余りに濃いそれらに、思わず吐き出しそうになる嘔吐物は、今はお呼びでないので喉に留めて押し戻す。

身体に掛かる、地上では考えられない程のG。

それは俺の身体を苦しめ、また、まだ、生きている証を分かりやすく身体に叩きつけてくる。

二つの操縦桿を握る手は、吹き出す汗でぐしゃっと濡れて気持ち悪い。

気持ち悪いッたら、気持ち悪い。

だがそれが、俺がまだ生きている事を否が応でも教えてくれる。

ふと俺の視界に入ったのは、火を噴きながら堕ちていく機械仕掛けの大鷲(イーグル)

隊長機が、堕ちていく。

 

 

『反撃許可を……反撃の許可を!! おい、聞こえないのかよ!!』

 

 

通信機の向こうで大音声(だいおんじょう)を上げるのは、同期の林三尉。

彼の行方を追えば、一機、彼の後ろに取り付かれている。

――助けないと、殺される

――助けなきゃ、ああ助けなきゃ

林を追いかけている後ろの敵機(中国機)に照準を合わせるが、しかしまたもアラート音。

振り返れば一機、俺の背後をまたしつこく狙っている。

舌打ちを小さく一つ。

それから「畜生」と吐いて、すぐさま追いかけてくる敵機(中国機)の視界から消えるように、頭を働かせ、自分の腕を信じて機体を必死に転がし、逃げる。

 

 

『久瀬、久瀬!! うくっ!? 助けてくれぇ!!』

『林!? まってろ、今助け……』

 

 

……助ける?

どうやって?

今この場において、確かに自衛隊の反撃条件『正当防衛』は成立する。

先に銃を向け、撃ってきたのはあいつらだ。

ここで撃ち返しても問題は……無いと言いたいが、そう簡単には反撃が出来ないのが、法律や政治というもの。

自衛隊という組織は兎角ややこしい立ち位置にあり、とても面倒くさい組織なのである。

 

 

『違う……違う違う違う!!』

 

 

そう、違う。

それは只々、汚い、汚い言い訳。

 

 

『くそ、クソ、糞ォォ!!』

 

 

たとえそれがなくても、俺があいつらに銃を構える覚悟は、この手の中におさまっている銃の引き金を引く覚悟が無いから言い訳ばかりを繰り返す。

引いたならば――人殺し

それが分かっているから。

 

 

『頼む、撃ってくれ久瀬ぇぇ!!!』

『……クッ!?』

 

 

林の後ろを追いかける敵機を捉えた。

しかし向こうは俺から逃げる素振りを見せず、林を追いかけ続けている。

それは俺たちが組織的に簡単に撃てない事を理解しての事か、それとも此方に撃ち返す度胸は無いだろうと馬鹿にしているのか。

 

呼吸が、重い。

この手に収まっている、小さな、小さなミサイルの発射ボタン(引き金)が、重い。

押さなければ俺では無く、撃たれるのは林なのに。

なのに、震える手は、何故ボタンを押す事をボイコットするのか。

意気地なしめ、意気地なしめ。

そんな事で迷っている暇は無いだろうが。

なんの為の自衛官か。

さっさと覚悟決めて押さないと林がやられるというのに、迷いは、俺を捉えて、縛る。

その縛りは、今の俺には解けず

 

 

――グチャ

 

 

だから。

 

 

『…………え?』

 

 

時間切れの、音がした。

 

俺の視界を埋めたのは、前に広がる閃光と空の青を覆い隠すのは――赤

機体のガラスの一部に、前方から高速で飛来してきた赤い何かが、グロテスクな音を立ててべっとりとへばり付いていた。

 

――赤いのは何か(見るな)

 

――赤いのは何か(気づくな)

 

――赤いのは何か(考えるな)

 

 

『はや……はや、し』

 

 

それは林三尉の肉塊。

目の前を飛ぶ奴にミサイルで撃墜され、死んだ林の肉塊。

躊躇ったから。

迷ったから。

俺のせいで、林は死んだ。

 

 

『……ッ!!』

 

 

先程までの嘘のように、ミサイルの発射ボタン(引き金)は、軽く、実に簡単に押せた。

それが俺にとって初めての――人殺し

俺の持つこの銃の引き金は、それからずっと、これからもずっと、軽い。

迷えば俺が殺される、だから。

迷えば誰かが殺される、そうなら。

俺はもう、引き金を引く意味を、せめてこの空を飛んでいる間だけは()()()()事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちが基地の内部に侵入するのは、私が思っていた以上に容易な事だった。

それは基地で未だに抵抗を試みる部隊がいたからであり、そこにネウロイの目が集中していたので、何とか私たちは基地を包囲するネウロイたちに気づかれずに済んだ。

とは言え、基地の内部にもネウロイはいない筈もなく、単体でいる場合は此方を視認する前に即座に倒し、複数や危険な場合は無理なく身を隠したりしてやり過ごしたりしてジャンヌの行方を捜す。

二人して、足音を消して物陰を進み、時々段ボールを使ったり、兎に角息を殺して先に進む。

因みにジャンヌが居るであろう居場所は、ある程度の当たりは付けており、恐らくは司令部か貴賓室辺りであろうと私は踏んでいた。

根拠は……あまり当たってほしくはないが、逆に私の見立てが当たってくれないとジャンヌの居場所が予想するのが難しくなるからそれはそれで困る。

 

 

「……チッ」

 

 

司令室前の曲がり角。

その影より足元に散らばるガラス片の反射を利用して司令室前の廊下を確認すると、小型飛行偵察ネウロイが二体、廊下前を巡回するようにフワフワと浮いていた。

此方の武器は猟銃一丁と木工用ナイフが一本。

しかもこの猟銃、弾は二発しか装填出来ず、魔力を込めた魔弾で撃ったとしても今廊下を巡回しているタイプのネウロイを倒すのにこれまた二発銃弾を撃ちこむ必要がある。

だからこそ今まで複数のネウロイとの戦闘を避けてきたのだが、あの司令室に行く為にはネウロイとの戦闘は避けられない。

 

 

「二体、か……」

「ヴィルヘルミナさん、私に何か出来る事はありますか?」

 

 

打開策を思案する私に、覚悟を決めた顔でそう訊いてくるシャルロット。

私は少し考えて、しかし首を横に振った。

 

 

「何か手が?」

「ああ」

 

 

ポケットから取り出す空薬莢。

日の光に当たって四方八方に向かって黄金色に鈍く光るそれを見、シャルロットは首を傾げる。

 

 

「空の、薬莢? ヴィルヘルミナさん、一体何を?」

「浮かべて落として、撃って走って、そんでもってぶん殴る」

「?」

「まあそこで待っていろ。心配せずともすぐ終わる」

 

 

私の短すぎる説明に、益々分からないと困惑しているシャルロットは放置して、私は手元の空薬莢に集中する。

――浮かべ

そう念ずると空薬莢はふわりと、青い魔力を纏い、私の手から重力に抗って、私の意思に従って浮遊を始める。

浮かぶ空薬莢はそのまま天井に近づき残り数センチの所で静止、そしてネウロイのいる廊下をゆっくりと進んでいく。

ガラス片から様子を見つつ、慎重に、息を殺してばれないように空薬莢を進ませるのは中々集中力のいる作業ではあったが、何とか廊下の向こう側、突き当りの所まで空薬莢を進ませることに成功した。

それ見て安堵、小さく息を吐く。

が、しかし作戦はこれからである。

 

 

「ふぅ……すぅ……」

 

 

気持ちを落ち着かせる為に深呼吸を一つ。

失敗は許されない。

振り返り、私はシャルロットに指を三本見せる。

これは「三秒後に動く」という、事前に教えた簡単なハンドサインだ。

 

――さん

 

シャルロットはそれを頷いて、少し後ろに下がって後方を見る。

こういった時に、後ろの警戒をシャルロットには任せてある。

 

――に

 

ガラス片を使って、向こう側を改めて覗く。

二体のネウロイまでの距離、位置は手前に5メートル、奥に15メートルといったところか。

 

――いち

 

カウントと同時に、私は空薬莢に送っていた魔力を切る。

無論空薬莢は重力に抗うだけの抗力を失い、そして

 

――チィィィン

 

廊下に響く、鈴の音を鳴らしたかのような綺麗な金属音。

ネウロイたちの目も何事かとそちらを向く事で、此方側への注意は削がれた。

――今!!

廊下の陰から飛び出し、銃口を構え、私は間髪容れずに引き金を引く、二回。

銃口よりタン、タァーンと、硝煙の匂いをまき散らしながら空間を裂く、二射。

その二つの銃弾はしっかりとネウロイを無事捉え、はじけ飛んだのは()にいたネウロイ。

それを確認したのは、私が既に走り出してから。

弾切れになった猟銃を逆さに持って、手前のネウロイに向かって駆け出してから。

魔力を纏った猟銃を横に大きく振りかぶり、勢いのまま跳躍。

ネウロイは此方に気づき、慌ててビームを放とうとしているが、もう遅い。

 

 

「ッハァァアアアア!!」

『――ッ!?』

 

 

一閃。

魔力で底上げした身体能力、そして身体を上手く捻って放たれた横薙ぎはネウロイをしっかりと捉え、叩かれたネウロイは側面に大きな陥没を作って壁に飛ばされ、弾け、白く砕けた。

しかし猟銃の強化が甘かったせいか、猟銃は筒の中ほどで若干、くの字に曲がってしまってしまい、これでは使い物にならない。

猟銃は此処で放棄するしかなかった。

 

シャルロットを呼び寄せ、司令室の扉の傍に張り付く。

念のため中か安全かどうか、聞き耳を立ててみるが物音は聴こえない。

……飛行タイプのネウロイは無論浮いているので、滅多に物音を立てるものでもないのだが。

 

 

「ヴィルヘルミナさん……お姉ちゃんがこの中に?」

「それは分からん。けど、調べるに越したことはないだろうな」

 

 

唯一の武器となってしまった木工ナイフを抜き、十分警戒しながらドアノブをゆっくりと捻り、中を覗く。

 

 

(敵の気配は……なし。人影もな……いや、まて。あれは……)

「ヴィルヘルミナさん。どう、ですか?」

「……」

 

 

それは中々返答に困る質問だった。

果たしてシャルロットにこの光景を見せるべきか?

 

 

(『シャルには()()()()()』……か。言葉の裏をかくようで悪いとは思うが……)

 

 

どのみちシャルロットはジャンヌの救出を望んでいたのだから、見せない訳にはいかないだろう。

扉は開くが先には入らず、私は後ろにいるシャルロットの背を押して、入室を促す。

不思議そうに私を見るシャルロット。

しかし部屋の中に居る()()を見、シャルロットは驚愕と、悲痛と、それから理解できないと言いたげな、ぐちゃぐちゃしていてよく分からない顔をして彼女を、呼ぶ。

 

 

「お姉……ちゃん?」

 

 

部屋にいたのは椅子にロープで縛られ、ぐったりとしているジャンヌ。

妹の呼びかけに返事は、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャンヌを拘束から解放し、近くのソファーに彼女を寝かせてシャルロットが彼女を介抱している。

シャルロットが治癒魔法を掛け始めて数十分。

彼女は未だに目覚めない。

 

 

「酷いです。誰がこんな事を……」

 

 

しかし涙を浮かべ、治癒魔法を掛け続けるシャルロットの震えた問いかけに、私は沈黙を守って答える事はしなかった。

勝手ながらジャンヌの身体を改めさせてもらったが、やはり何か所も誰かに殴られたような青痣を見つけ、彼女の治癒魔法が未だ終わっていない事を見るに、内臓さえも傷ついていた可能性がある。

普段は目に着かない衣服の下のみに暴力を振るうところは、犯人(カジミール)の陰湿さがよく分かる。

 

シャルロットが治癒を続けている間、手持無沙汰な私はここの司令官のデスクを簡単に調べていた。

大分慌てていたのか、デスクの上には多くの書類が散乱している。

その中から出来るだけ情報を手に入れようと一つ一つに目を通していくが、どれもこれも戦線の兵站等の情報ばかり。

肝心の戦況についての情報は無く、詰り私たちには関係のない、偏った情報しかなかった。

そんな紙クズの山の中で、私はようやく有益な物をものを二つ見つける。

一つは黒地の手帳。

裏側には『Casimir Demozay(カジミール・ドモゼー)』と金糸で綴られていた。

臨時とは言え、司令官としてここで戦線を指揮していたカジミール。

そんな彼の手帳には、何か有益な情報が書かれているかもしれない。

そう思い、手帳の一番新しいページを捲る。

 

 

『1939年 11月○×日

――私の中でクラムボンが笑った、クラムボンが笑った

 

――私の中でクラムボンは今日も笑う

 

――貴様は何故笑う

 

――答えは何だ?

 

――私の中のクラムボンを殺さなきゃ、クラムボンは死ななきゃ

 

――私の中のクラムボンは死ななきゃいけない

 

――貴様はどう死んだ

 

――死因は何だ?

 

――奴を答えと共に消さないと、本当の私は見えてこない

 

――探してくれ、本当の私を

 

――たわかいしらかわいわなかいらしらしなわかわくんわしらんぼらなわかくんんぼわしいんらいすかんらしいんらわくわくしいなくぼんかならくけしからいくんぼくいらなかしくわくらぼわかいならしわてらんらぼくくんしなわかぼいんく……』

 

 

「……訳が分からん」

 

 

何故か扶桑語(日本語)で書き殴られたページ。

……カジミールは気でも狂っていたのだろうか?

しかしそれ以前のページは達筆なガリア語(フランス語)が羅列している。

異常なのは、パッと見たところこのページだけのようだ。

と言う事は、ここに何か意味があるのだろうか?

……とりあえず理解に苦しむその手帳は、ポケットに仕舞って後回しにするしかなかった。

 

しかしこの手帳よりも更に頭が痛くなるような物が、もう一方のほうだ。

それはこの町を中心とした周囲の地図。

町の南方には長い線が三重に引かれ、南側の下二段にはバッテンが付いている。

同様に、上段の線から南の都市全てに、バッテン。

これらは恐らく、防衛線の動きと陥落した都市を指すのだろう。

 

 

「拙い、な」

 

 

その防衛線から見て更に北、其処に新たに、地図には手書きで最新のものと思われるネウロイの動きが書き加えられている。

この町の周囲には四つの都市がぐるりと取り囲むようにあるのだが、その都市の一つ一つに手書きで防衛線の反対側から大きく飛び出すように矢印が引かれ、全てにバッテンが付いていた。

通常のネウロイにこんな侵攻が出来る筈が無い。

恐らくこれらの都市は此処同様、高高度強襲型ネウロイの侵攻を受け、碌な抵抗も出来ずに短時間で陥落したのだろう。

これらの都市が陥落してから何時間たったかは分からないが最悪、陥落から一日二日は経っていると見込んだ方がいい。

ネウロイは金属を糧として増殖する。

こうしている間にもこれらの都市にいるネウロイの数はドンドンと増しているのは想像するのは易い。

……詰り。

 

 

「私たちは完全に、孤立したのか……」

 

 

カジミールが此処にいないのは、この動きを知っていち早く北に逃げた為なのだろう。

それについては特に責めたてる気にはなれない。

別に司令官が己の危機の為に逃げだす事は悪い事では無い。

戦争では頭を失った方が、必ずと言っていいほど負けているのは昔からの常である。

彼が後方に下がり、また軍の態勢を立て直してくれるのなら文句はない。

ただ、彼のそれが本当に戦略的撤退であるのか。

更に言えば、恐らく包囲されたことを知らないであろう戦線にいるガリア軍にはちゃんと撤退命令は下っているのか……

彼がそれを指示せず逃げ出すような愚者でない事を祈るしかない。

 

……南方に現れ、ここを攻めてきたネウロイは、生前では開戦当初現れる事が無かった筈のビームを放つタイプの()色ネウロイ。

生前では無かった筈のネウロイの巣に、高高度強襲型ネウロイ。

考えてみれば、どれもこれも私にとってはイレギュラーなものばかり。

ビームを放つネウロイは、ウィッチとてかなり苦戦するもの。

これが通常戦力なら猶更である。

もしも、未だ他の欧州戦線に現れているネウロイが生前通り、実弾を放つ銀色ネウロイのままで、このガリアのみしか黒色ネウロイが現れていないのだとしたら、ガリア軍は通常戦力しか保有していない分だけ、他の戦線よりも難しい戦いを強いられている事になる。

だから南方司令部が一か月余りで陥落してしまった事もまた頷け、そしてこのままでは生前よりも早く、ガリアはネウロイの手に落ちてしまうのは火を見るよりも明らかだ。

ガリアが陥落してしまえば、東部戦線で戦うカールスラント等の国々は西からもネウロイの攻勢を受ける最悪の状況に陥り、そして待ち受けるのは――欧州陥落

 

流石にそれは考え過ぎだろうが、それにしても……それにしても、だ。

――『世界線』という言葉があったとしても、果たしてここまで進む歴史が変化するものなのだろうか?

 

 

「シャルロット。ジャンヌの様子はどうだ?」

「治癒は、なんとか終わりました。でも、まだお姉ちゃん、目覚める様子が無くて……」

「……」

 

 

此処に来るまで、私はジャンヌを助けた後、彼女たちを連れて北上しながら逃げる算段を立てていたのだが、此処が既に包囲されていると分かってしまった今、それは悪手。

我々が単独でこのネウロイの包囲網を突破するには余りにもリスクが高いものがあった。

それ以前に、ジャンヌに早急に目覚めてもらわないと私たちは此処から動く事さえ出来はしない。

目覚めない彼女を担いで逃げる?

約三十kg前後あるであろう彼女を誰が担ぐと言うのだ?

無論私になるだろう。

ならば私たちがネウロイと遭遇した時に、誰がネウロイをひきつけるというのか?

シャルロット?

……無理だろうな。

 

このまま目覚めてくれないのは拙いな。

そう思った私は、近くに置かれていた、まだかなりの水が入っていた水差しを持って

 

 

「ふんッ!!」

「な!?」

 

 

――ジャンヌの顔に、迷うことなく思いっきり水をぶっ掛けた。

しかし彼女はまだ起きない。

目覚める気配さえもない。

とんだ眠り姫である。

 

 

「何するんですかヴィルヘルミナさん!!」

「……どけ」

「きゃっ!?」

 

 

邪魔するシャルロットを押しのけ、ジャンヌの襟首を掴み、思いっきりビンタ。

しかし、まだ彼女は起きない。

舌打ちして、再びビンタ。

まだ起きない。

シャルロットが傍で、私を制止しようと涙目になって必死に私を呼ぶ。

しかしそれを無視してまたビンタ。

 

 

「いい加減に、しろ!! 起きろジャンヌ!! 目覚めないと、お前も、そしてお前の大切な妹も、此処で死ぬぞ!!」

「ヴィルヘルミナさん……」

「それでいいのか? いや、嫌だろ? 駄目だろ? なら今すぐ起きろ、ジャンヌ!!」

 

 

――パァン

 

 

四度目のビンタ。

より力んで放ったビンタは、よりジャンヌの頬を腫らす。

しかしジャンヌは

 

 

「……」

 

 

それでも起きることはなかった。

……駄目か。

そう思い、襟首から手を放そうとする、と――

 

 

「……ぅ」

「お姉ちゃん!?」

「ジャンヌ!!」

 

 

ジャンヌが、微かに反応を見せ

 

 

「……か、カールスラント人?」

「ああ私だ、分かるな?」

 

 

彼女は目を覚ました。

 

 

「お前……どうして、此処に」

「それは「お姉ちゃん!!」」

「……お姉、ちゃん?」

 

 

シャルロットに呼びかけられて、コテンと、無垢な子どもの様にジャンヌはシャルロットに視線を移す。

 

 

「よかった、お姉ちゃんが目を覚まして……」

「……」

 

 

ジャンヌが目覚め、喜ぶシャルロット。

しかしジャンヌは反対に、シャルロットを見て、周りを見て、私を見て、徐々に顔を青ざめさせて、震えていく。

 

 

「……ぃ」

「お姉ちゃん?」

「いや……」

「え?」

「いやぁ!!」

 

 

彼女は襟首を掴んだままだった私の手を払い、踏鞴を踏みながら私たちから離れる。

ジャンヌが私たちに向けるその眼に映る色は、怯え、そして怒り。

カジミールの手からシャルロットを護る為、暴力を受けていた事を今までシャルロットに隠していた事がバレてしまった事に彼女は恐怖し、そして関係のない筈の私には首を突っ込まれたことに対して恐らく怒っているのだろう。

 

 

「何で、何でいるんだよぉ……知られたくなかったのに!! こんなわた……僕、シャルに知られたくなかったのに!!」

「お姉ちゃん!?」

「来るな……来るなぁああああ!!」

「おい待て!?……クソ、シャルロットは此処にいろ!!」

 

 

錯乱し、私たちの制止もイヤイヤと耳を押さえて聴こうとせず、部屋を飛び出すジャンヌ。

無論、私は彼女の後を追う。

 

基地内部には少なくない数のネウロイが徘徊している。

そんな危険な場所で大声をあげながら闇雲に走ればどうなるか?

考えるまでも無い事である。

兎も角、早く彼女を連れ戻さなくてはならない。

 

 

「……ッ、ジャンヌ!!」

 

 

ジャンヌを追って、何度目か分からない曲がり角を曲がった所で私はやっと彼女を捉えられる距離まで追いついた。

此方が魔力を使って身体能力を底上げした上で全力疾走しているにも拘らず、中々捕まらなかったのは、彼女もまた魔力を使っていたからだろう。

しかし全力で逃げていた筈の彼女は、先ほどまでの走りが嘘のように、廊下の真ん中で立ち止まっていた。

 

 

「……ぅ……ぁ」

 

 

立ち止まる、彼女の視線の先には――ネウロイ

 

 

「ああ、クソ!!」

 

 

先程私が戦ったのと同型のネウロイは既に彼女を視界に捉え、今にもビームを放とうとしている。

しかし此方の武器はナイフ一本。

この距離からネウロイを倒すにはナイフを投擲するしか手が無いのだが、そうしようにもネウロイとジャンヌが射線上に重なってしまっており、投擲は不可能。

ならば残された手段はただ一つ。

 

 

「間に合え!!『我が翼よ(メイネ・フィルグゥ)』!!」

 

 

固有魔法――外部加速を顕現させ、一歩踏み込み、跳んで、一気にジャンヌの許まで駆け抜ける。

彼女を後ろからかっ攫う。

同時に、ネウロイのビームは彼女を消さんとし、彼女がいた空間を真っ赤に切り裂いた。

 

 

「うぐぁあああああ!?」

 

 

彼女を抱えたまま私はネウロイのビームを避ける為、彼女にビームが当たらないように身体を捻って時計回りにロールするが、左腕に焼けるような激痛。

熱した鉄板を押し付けられたような痛みを感じながらも、しかし彼女は放さず、そのままネウロイの真下を加速の勢いのまま転がる。

 

 

「ハァ……ハァ……づぅ!?」

 

 

ジャンヌを下敷きにした状態で、私たちの回転が止まった所で、私は直ぐに四つん這いではあるが、身体を起こす。

左腕は……まだある。

私の身体と繋がっている。

しかし左腕は、掠ったとは言えない程の火傷を負ってしまった。

前を、見る。

 

 

『――』

「……ぁ」

 

 

ネウロイが、此方をゆっくりと向くのがよく見えた。

ネウロイが、此方にゆっくりと近づくのがよく見えた。

ネウロイが、此方にゆっくりとビームを放とうとしているのがよく見えた。

……ゆっくり、だと?

馬鹿に、しているのか?

奴らにとって、私は、ただやられるだけのウサギに見えるのか?

あの時と……あの時の奴ら(中国機)と同じように。

 

 

 

 

 

――冗談じゃ、ない!!

 

 

 

 

 

「馬鹿に、するなぁ!!」

 

 

唯一の武器、ナイフを、四つん這いのまま右手で抜いて――投擲

無論ただの投擲では無い。

魔力をありったけ込め、固有魔法をも付加した私のナイフは、青い閃光となってネウロイに向かって直線を描き、ネウロイを、そして天井さえも、大きく穿つ。

青い閃光の通った後のネウロイの身体には大きな穴が出来ていた。

やがて身体が持たなくなったのか、ネウロイは宙で、はじけて消える。

後に残るは、白い粉雪。

 

 

「ハァ、ハァ……どうだ……私は、もう……やられる側じゃないぞ……」

「……」

 

 

呼吸を整えながら、ふとジャンヌを見下ろすと、彼女は私を見て口をパクパクさせている。

その様は、まるでお魚のようで、何とも面白おかしいものである。

 

 

「大丈夫か? 怪我はないか?」

 

 

私の問いかけに、彼女は言葉を発する事無く首を横に振るだけ。

 

……如何やら彼女は、先ほどの事とはまた違った事で、気が動転しているように見える。

そういえば、彼女はこの町がネウロイに襲われている事を知っているのだろうか?

知らなかったとしたら……精神が不安定な状態で、しかもいきなり怪物(ネウロイ)に襲われるなんて事を体験して、彼女の気がまた動転するのも不思議な話ではないか。

 

 

「立てるか? シャルロットの許まで一度戻るぞ」

 

 

差し伸べる手を、彼女は呆然と見て、しかしその手を取ることは無い。

如何したのだろうか?

まさか、やはり何処か怪我をしていたか?

 

 

「……ごめん、なさい」

 

 

突然私に向けられた、謝罪の言葉。

いきなりすぎるその謝罪の言葉に、反応に困ってしまった私は

 

 

「気にするな」

 

 

そんな単純な言葉しか、彼女に掛けることは出来なかった。

 

それを聞いた彼女は、驚いた顔で私を見て。

そして今度こそ。

おずおずとではあるが、しっかりと。

彼女は私の差し出すこの手を、握ってくれた。

 




・林三尉

航空学校時代の久瀬の同期。中国機の領空侵犯を受け、同部隊に配属されていた久瀬と共にスクランブル出撃する。しかし突如領空侵犯した中国機の攻撃を受け、隊長機を失った林三尉は久瀬と共に奮闘するが、それもむなしく撃墜され、久瀬の証言によって戦死と判断された。
久瀬はこの時、中国機を撃墜した事に対する罪を問われて一時拘束。

・クラムボン

宮沢賢治の作品「やまなし」の二匹の蟹のセリフに出て来る何か。クラムボンが何を指すのかは、未だに分かっていない。

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