――私はガリア空軍所属、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉だ。これよりそちらの部隊に加勢を願い出たいのだが、宜しいか?
「彼女をどう思う、伍長」
「は? どう思う、ですか?」
「ああ」
フィリップは格納庫へと繋がる廊下を駆け足で進みながら、隣を並走している伍長に尋ねる。
部隊を先行し、その白銀色の長い髪と真っ白な尻尾を左右に揺らしながら進むのは、例の空軍中尉を名乗る少女。
「中尉はどう思っているんですかい?」
「怪しい」
「おおぅ、即答ですか」
あの時空軍中尉と名乗った少女、ヴィルヘルミナ。
しかしそれ以上の事をフィリップたちには教えてはくれなかった。
彼女の所属部隊も、そして何故空軍である筈の彼女があの場にいた理由さえも。
全てを『機密』という言の葉で覆い隠そうとする彼女をどうして信用出来るものかと、フィリップは内心で悪態を吐く。
しかしそれよりも、何よりも。
彼女の見た目が少女であった事が、フィリップの疑心を抱かせるもっともたる所以である。
階級を騙るただの少女ではと疑いもしたが、しかしそんな疑いはすぐに改めることとなる。
苦戦を強いられていたフィリップたちの苦労を鼻で笑うかのように、その場にいたネウロイたちを手慣れた様子で瞬く間に屠ってみせたのだから。
ヴィルヘルミナ中尉があの場にいた理由について、フィリップの中では大体の予想はついていた。
それは彼女が連れてきた、十歳くらいの双子の姉妹。
民間人、それも子どもが何故こんな所にいたのか最初は疑問に思っていたが、彼女達の名を聴いて納得した。
ガリアの陸・海・空の三軍に多くの将を輩出してきた名門ドモゼー家、二人はそのご息女であった。
先の大戦で一族の多くを失い、軍への影響力が少なからず衰えようと、ドモゼー家の軍内部における発言力は未だ大きい。
そんなドモゼー家のご息女だ。
大方ドモゼー家の誰か、もしくは空軍の高官がドモゼー家に恩を売る為に彼女らの身柄の保護を命じたのだろう。
もっとも、恐らくそれを命じられたであろうヴィルヘルミナ中尉にしてみれば、軍の高官たちの思惑の為に死地に送られているのだからたまったものではないだろう。
不意に先頭を走っていた彼女の脚が止まり、ハンドサインで「止まれ」と指示される。
振り向く彼女の頭に生えている、せわしなくピョコピョコと動き続ける狼らしき白いケモノ耳に、部隊員全員の視線が集まる。
研ぎ澄まされた刃の印象を受ける彼女に生える可愛らしいケモノ耳と尾は、それはそれは何とも言い難いギャップを醸し出していた。
「左手の通路に小型の陸戦ネウロイ、数はおそらく3……いや、4体」
「あ、ああ……ルドルファー中尉、頼めるか?」
「承知した」
言い切る前に、ヴィルヘルミナ中尉は身を返して廊下を駆ける。
左の通路に身を晒し、その小さな両手の中で体躯に似合わぬほど大きな銃――FM mle1924/29軽機関銃を激しく躍らせる。
彼女が持っている軽機関銃。
元々はフィリップの部隊員のものであったのだが、その部隊員から「弾の無駄だ」と言って奪われてしまったものである。
そんな彼女の横暴にフィリップは文句の一つでも言いたくなるが、10kg近くもあるそれを彼女は軽々と振り回し、ネウロイをいとも容易く蹴散らしたものだからたちが悪い。
渋々だが、だから彼は口を噤んでいる。
「気に入らねぇ」
フィリップにしてみれば、ネウロイをたやすく屠ってしまう少女の存在を喜ぶことは出来ない。
それは苦戦していたとはいえ、目の前の獲物を奪われた事に対する苛立ちもあるが、彼はそんな事よりも、何よりも。
守るべき筈の年端もいかないような少女のその背中に、守る側である筈の大人が守られている事が何よりも情けなく、そして気に入らなかった。
「それにしても、彼女は一体何者でしょうかね。中尉」
「恐らく、いや間違いなくウィッチだろうな」
「中尉、ご冗談を。じゃああの子は本当に見た目通りの……」
「子ども、だろうな」
ガリアは昔から幼いウィッチ達の戦力運用を敬遠している風潮が存在している。
無論、ガリア軍内部にウィッチが全くいない訳では無いのだが、彼女らの殆どは成人を迎えているので、一部例外はいるとはいえ彼女らの魔法力はほぼ
ウィッチとしての最盛期である成人未満の少女たちが、何故ガリア軍にいないのか?
理由は大きく四つある。
道徳と抵抗、差別、そして権力の問題である。
道徳とはつまり、「未だ成人に満たぬ幼子、しかも女の子を戦場に立たせるとは何事か」という意識から来る問題である。
ウィッチだからと言って幼い我が子を取られる親の立場からしたら堪ったものではないし、そんな幼子を戦場に立たせる軟弱集団と民衆からの誹りを受けることを恐れた軍が、カールスラントやブリタニア同様にウィッチ導入を躊躇ったこともある――勘違いしていただかないでほしいのは、軍へのウィッチ導入、つまり士官教育等が進んでいないだけであり、ウィッチとしての教育の面に関しては欧州の中では指折りである。
抵抗とは、軍へのウィッチの導入は元々軍内部からも強い反発があり、導入を進めようとする意見の方が少数派である事だ。
ネウロイに対する有効打はウィッチの持ちうる魔力である事をガリア軍は知らない訳ではなく、寧ろ重々承知の上だったのだが、前大戦時にウィッチを持たず通常火力で以てネウロイを跳ね退けてしまった為に、「ネウロイをウィッチ不在で以て戦うことは十分可能」という考え方が生まれてしまい、ウィッチに頼る考え方は軟弱者であるとされてしまったのである――その代わり、ウィッチの戦力を除くとガリア軍は欧州でも有数の戦力を保有する事になるのだが。
そして差別の問題なのだが、これはガリアが扶桑の男女のありかたに似通っていて、どうしても女性は男性の下であるという考え方が昔から存在していることがある。
権力はその差別の問題に近いものであって、ウィッチの最低階級が軍曹である事や、そもそも貴族からしてみれば女性、しかも未だ幼い彼女たちが権力を持つこと自体が面白くないと考えている者は少なくない。
つらつらと理由を挙げてきたが――実際には九割のガリア国民は基本的に道徳の観点から反対し、抵抗や権力を挙げる者は大方軍上層部か、政治家や貴族などといった一部の上流階級の人々である――政府などを担う者達も民衆も軍さえも、様々な思惑があるとはいえ、結果としては等しく『軍にウィッチは不要』という考えに繋がっているのである。
「子ども……」
「伍長、お前確か」
「ええ中尉。俺、娘がいるんですよ。丁度あのくらいの、娘が……」
「伍長」
「分かってますよ。今は戦争中。使えるものなら何でも使う、兵士ならば猶更。兵士は上から命令受けてただ只管に走るのが仕事、士官は兵に言うことを聴かせるのが仕事。あの嬢ちゃんも本物の軍人ならそれは分かっているだろうし、俺だってそんくらいの分別はついてるつもりですよ」
――分かっているのと納得しているのは別物だろうが
語る伍長にフィリップは内心でそう呟く。
因みにヴィルヘルミナ中尉を先行させ、前方からの脅威を一手に担わせるような布陣を組ませたのはフィリップ自身である。
残念ながら現状において、ネウロイとまともに対抗できる手段を持つ者は彼女しかいない事を、彼はよくよく理解していた。
理解していたからこそこの布陣を組んではいるが、考えた彼自身がこれに納得しているかと言えばそうでは無い。
彼女の後ろに守られるように配置させられた部隊員達は猶更であろう。
だからこそ、その事をてっきり伍長に責められるかと思っていた彼は、伍長の肩透かしに、何とも言えない罪悪感を覚える。
「……ただ」
「ただ?」
「子どもに銃を持たせる事を、強要する。そんな状況を作り出すまでに、ネウロイ相手に押されてしまってることが軍人として……いや一人の大人、子の親として、情けねぇです」
伍長の声は、まるで絞り出すように。
フィリップはその言葉に、咄嗟に何か言い返そうとして、しかし何も言い返す事は出来ない。
そんな彼の視線が不覚にも警戒を忘れ、地に落ちている事に気づいたのは、部隊が既に格納庫前に到着した後だった。
格納庫に突入した彼らが、いの一番に感じたのは薄暗さと濃い鉄の香り。
鉄の香りが彼らの想像以上に濃いのは格納庫故、という訳では無かった。
故は、彼らの足元に。
「ヒッ!?」
短くそして甲高い少女の悲鳴が隊の後方からあがる。
悲鳴をあげたのは保護したドモゼー姉妹の妹の方だった。
広がる、ネウロイに惨殺されたであろう死体の山々。
年端もいかない彼女にとって、余りにも目の前の光景は些かショッキングすぎる。
だから彼女が悲鳴をあげることは何らおかしいものではなく、軍人であるフィリップ自身も流石に吐き気をおぼえるものである。
対して平然として、毅然として、死体を避けて。
そして奥へ、奥へと先行するヴィルヘルミナ中尉の反応こそ普通じゃないのだ。
「大丈夫か?」
部隊員の一人が彼女を心配して声を掛けると、彼女は涙目を浮かべながらも「大丈夫、です」と答えた。
明らかに彼女の身体は震えているが、しかし前に進もうとする彼女をフィリップは「強い子だ」と素直に感心した。
しばらくして先行していたヴィルヘルミナ中尉がこちらに戻ってきた。
「敵影なし」と短く告げられ、フィリップは「しまった」と思わず漏らす。
クリアリングを士官、それも空軍所属であるヴィルヘルミナ中尉に一人でさせたこともそうだったが、フィリップ……いや、部隊員全員が己の職務を忘れ、指示を出す事を忘れ、いつの間にかその場に足を止めていたのだ。
惨殺された死体であったので、気づくのが遅れてしまった。
死体を避ける為に向けた視界の中で、漸く彼らは気づいたのだ。
足元に転がる彼らは、はぐれてしまった本隊の部隊員達。
長年共に戦ってきた彼らをどうして見間違うものか?
動揺している部隊員達の様子に首を傾げていたヴィルヘルミナ中尉にフィリップは理由を説明すると、一言。
「そうか……」
それだけを言って彼女はチラッとフィリップの後ろに視線を送ったかと思うと、何を思ったのか再び身を翻し、歩いて格納庫の奥へと消えていく。
慌ててその後ろを、何故かドモゼー姉妹も追いかけた。
そんな彼女らを呆然と見送っていたフィリップの後ろから、啜り声がした。
振り返る。
「あ“……う、ああ”……」
「ノエル……ぐそ……
男たちが、泣いていた。
大の大人達が、泣いていた。
皆、みんな、泣いていた。
声を殺して泣いているのは、必死に涙を抑えているからだろうか?
彼らの泣き声は、静かだ。
しかし格納庫は静寂が守られている為か、彼らの泣き声は妙に大きく、そしてうるさくも聴こえる。
彼らが泣くのも無理もない。
部隊に所属している者達の大半は、昔から共に幾度も死線を越えてきた戦友であり、彼らの中には友という言葉一つでは語れないほどの絆があった者も多い。
戦友たちが、親友たちが、逝く。
幾つもの戦場を駆け抜けた彼らは、仲間を失うことは初めてでは無い。
しかし古強者らと信じてきた多くの仲間たちが、一瞬にして物言わぬ死体の山々になっているのを見せられて、ショックを受けない方がおかしいのだろう。
だから彼らが泣くのはなんらおかしい事ではない、何らおかしい事ではないのだ。
ヴィルヘルミナ中尉はそれに気づいて、気を遣って離れてくれたのだろう。
フィリップの中で彼女は未だ警戒するべき人物である事は変わらないのだが、それはそれとして、彼女の心遣いには内心で素直に感謝する。
「……ッ」
卒爾。
つっ、とフィリップの頬を、何か熱いものが伝うのを感じた。
頬を触れてみた己の指を見ると、指先は少しばかり濡れている。
指先を湿気らせるそれは、照明に照らされ妙に光り輝いていた。
それ見てハッと、フィリップは己の内から込み上げてくるものに気づく。
気づいて、込み上げてくるものを抑えこもうと耐える。
しかし込み上げてくるものを、零れてしまったモノを抑え込もうとしても、今更。
だからせめて、これ以上込み上げてくるものが己という器から溢れないように、フィリップは上を向くのだ。
少しばかりの間、戦場の片隅で。
男たちは鎮魂歌を、謡う。
「ルクレール中尉、戦況は言わずもがな」
戻ってきたヴィルヘルミナ中尉は開口一番に彼にそう告げる。
散々泣きはらし既に気持ちを切り替えていたフィリップだが、今度は重い現状が待っていた。
戦況は最悪である。
彼らの戦力は既に小隊規模の人数しか残っておらず、援軍も期待できない。
対して敵の戦力は大型ネウロイが六体。
小型の数は未だ不明だが、数は決して少なくない。
その上ネウロイの装甲上歩兵が持ちうる大半の携行火器が通じないとなると、歩兵戦においては数の暴力以前に純粋な火力不足で勝ち目がないのは明白である。
「君らは元々の所属は機甲大隊と言ったか……」
「ああ、そうだ」
フィリップはあえて口調を強めて返す。
確かにこちらは所属部隊を告げているが、そちら側は秘密にしているじゃないかと言葉裏に責めるが、それに気づいたのか、ヴィルヘルミナ中尉は目を細めて彼を見た。
その視線は「深入りするな」と、釘を打っているようにも受け取れた。
平時なら兎も角、今は協力関係にある以上、安易に彼女に深入りする必要性はないだろうと素直に引き下がる。
「君らの能力を疑っている訳ではないが、たとえ君らが戦車に乗ろうと今のままの戦力で、小型の陸戦ネウロイなら兎も角、まともに奴らと当たったら勝てる見込みはまずないだろうな」
「ハッキリと……ん?」
彼女の言葉の端に、「君ら」という言葉に違和感を覚える。
ヴィルヘルミナ中尉ならこの戦況を何とかできると、覆せると言っているとも取れる言葉だ。
まさかと、内心で驚くフィリップに、気づけばヴィルヘルミナ中尉は冷たい笑みを浮かべていた。
ぞくりと、彼の背筋が凍りつくのを感じたのは、なにも冬の寒さのせいだけでは無い。
「そのまさかだよ、ルクレール中尉」
「……冗談を」
「冗談なぞ言う暇あるか?」
「まあ、無いな」と、フィリップは肩を落とす。
「飛行型に大型がいないのは僥倖だ。小型のみであれば、私一人であれども対応は可能だ」
「大した自信だな」
「嘘は言わんさ。私はやれない事は言わない主義だ」
自信を持って語るのだから、ヴィルヘルミナ中尉には何か策があるのだろう。
確かに空に張り付いている奴らを何とかしない限り、確固とした対抗手段を持ち合わせていないフィリップら機甲部隊は、この基地から飛び出す事も敵わないだろう。
戦車に乗ったとしても、この格納庫から飛び出した瞬間にアウトレンジから一方的にハチの巣にされるのが関の山。
その空の脅威を何とかしてくれるというのだから、彼にとってはありがたい事この上ないことだ。
「その間に我々が陸を制すると?」
「いや、君らにはこの町を脱出してパリに向かってもらう」
「……町の人々を見捨ててパリに向かえ、と?」
「そうだ」
平然に、冷酷に、易々と。
目の前の空軍中尉は、人々を切り捨て、パリに向かうことを提案する。
「……ざけるな」
「なに?………………うぐっ!?」
「ふざけるな!!」
そんなヴィルヘルミナ中尉の胸倉を掴み上げ、怒鳴り声をあげる彼にとって彼女のその態度が、提案が、彼らを、町の人々を見捨て逃げ出した高官共を彷彿させ。
そして彼の逆鱗に触れた。
「中尉は戦うというのに我々はネウロイに襲われている人々を見捨てて逃げろだと!? 俺たちを馬鹿にしているのか!!」
ヴィルヘルミナ中尉が一体何を思ってそんな事を口にしたのか?
その真意を今の彼女から知るには些かの無理があるが、しかし彼女の勧めた通りにここから逃げるという選択肢を取るという事は、フィリップらが帯びている任務を放棄する事と同意であり、何より任務の事があろうとなかろうとこの町の人々を置いて軍人たるフィリップに尻尾を巻いて逃げ出せなど、彼にとっては屈辱の極みでしかない。
「ぅ…………は……な、せ…………阿呆、が……」
胸倉を掴まれ思い切り持ち上げられている彼女は頸が締まっているのか苦しそうに喘ぎ、抗議を述べるがしかしそれだけで、抵抗はない。
抵抗なく、このままいけば彼が彼女を殺すことも考えられる――殺されないと高を括っている可能性もあるが――そんな状況でも、彼女は為すがままにされている。
そんな彼女の反応が余りにも不可思議で、どこかおかしくて。
そして彼はそんな彼女の態度に、怒りは急速に冷めていく。
そして冷えていく頭の中でふと気づく。
彼の抱える彼女の体重は余りにも、軽く。
彼の目の前にある彼女の身体はマッチのように簡単に折れそうなまでに、華奢で。
彼が今怒鳴っていた彼女は、子どもで。
彼が頼みとしていた彼女は紛う事無く、少女だった。
こんな彼女が我々を逃した上で、一人で戦おうとしていたのだから、なんの冗談だと言いたくもなる。
彼の腕から彼女がするりと逃れ抜ける――正しくは彼が彼女を放しただけなのだが。
酸素を求めて咳き込む彼女は、しかしすぐに何事もなかったかのように彼を見据え、言う。
「すまなかった」と。
ただの謝罪の言葉。
しかしフィリップよりも頭一つ二つ分も異なる彼女が、その鋭いまなざしでフィリップを見上げ、謝る彼女は何処か歪で。
少女を騙るには、彼女はあまりに達観しすぎていて。
大人を騙るには、彼女はあまりに成熟しているとは言えない身体つきだった。
「さて、ネウロイと我々。彼我の戦力差は圧倒的であるのだが、それでもルクレール中尉はこの町の人々を救うことを望むのか」
「そうだ」
「どうやって?」と、コテンと首を傾げて無垢な子どものように尋ねるヴィルヘルミナ中尉。
フィリップは高ぶる感情のまま、彼女に言い返すように勢いよく口を開くが、しかし彼の口から言の葉が紡がれることはなかった。
明確な答えなど、もとより考えていなかったのだから当然である。
「それは……これから考える事だ」
「これから?」
「そうだ」
「これから、だと? ハッ、ハハ」
「何が可笑しい……」
「何が可笑しい」と、フィリップは自分で言ったにもかかわらず、自身の言っている事の可笑しさには薄々感付いていた。
時間もない、作戦もない、援軍もない、戦力不足……
しかしそれでも、ガリア国民を助けたいと思う気持ちは変わらない。
変わらない気持ち、それはエゴである。
そしてそのエゴの為に部隊を全滅させるであろう決断を、彼は取ろうというのだ。
マヌケだと、彼女に笑われるのも当然である。
「何が、だと…………笑わせるなよ、青二才」
「ガッ!?」
そんな事を考えていたからであろうか。
鼻で笑われたかと思うと足首を蹴られ、唐突に床に転がされたフィリップの胸倉を、馬乗りに近い形でヴィルヘルミナ中尉は掴み上げる。
先程とは逆の立場。
彼らのやり取りを周りで見届けていた兵士達も流石に上官が押し倒されている状況は看過できずに止めに入ろうとするが、彼女は気にも留めずフィリップを見下ろす。
「私の提案に否を突き付けたのだからどんな奇策を捻ったかと思えばただの感情論か…………聞け、青二才。確固たる方針、作戦無くして徒に兵を走らせる、大切な兵士達を傷つけ腐り殺すような上官なんぞ蛆虫以下のクソ野郎だ。気づいているのだろうルクレール中尉? 気づいているのに見ないふりをする。気に入らん、気に入らんよ」
「……」
「ルクレール中尉の意見も尤もだ、我々軍人はガリア国民の為の人柱でなければならない。しかしな青二才、中尉の指揮で動く兵士達にも感情がある、家族がいる。兵士とて死にたくないと思うのは当然だ、彼らは人であって機械じゃない。兵士が一人死ねば少なくとも残された家族、ガリア国民が悲しむ。兵士は指揮官の玩具じゃない事を知れ。貴様一人の都合、理想、エゴを兵士に押し付けるな」
「ヴィルヘルミナ、中尉……」
そこまで言って、パッと胸倉を放し、立ち上がるヴィルヘルミナ中尉。
対してフィリップは彼女を見上げるばかりで立とうとはしなかった、いや、出来なかった。
彼女の言葉が心に重くのしかかって、彼が立ち上がることを妨げる。
「私は無益な犬死は認めない。もう一度言うが、君らはパリに向かい、来るべき時の為の戦力として備えろ。これは逃げではない、戦術的撤退だ」
「戦術的、撤退……」
「そうだ、戦術的撤退だ。まあそれ以前に、この町や周囲の都市は既にネウロイの勢力圏に落ちている。町の人々を引き連れパリに向かうとしても、道中でのネウロイとの遭遇戦、食料……様々な視点からどのように考えてみても、彼らは邪魔者以外の何物でもない」
「しかし……」
「まだ駄々をこねるか……ルクレール中尉、我々は神では無い、人だ。人が人である限り、その手のひら以上の水を許容することは出来ない」
ヴィルヘルミナ中尉の言葉は尤もであり、フィリップはしっかりと彼女の言っていることを理解できている。
しかし、彼はその言葉を素直に頷くことは出来ない。
彼女の言葉は図星で正しい事でも、彼は未だ、心のどこかで町の人々を救うことを諦めきれないのである。
「もういいだろルクレール中尉、今は一分一秒の時間が惜しい。他に案が無ければ、私の指示した通りにパリに向かう準備を始め…………なんだ、私に何か用か、伍長」
反論できず、このまま打ち切られるかに思われた話に、ヴィルヘルミナ中尉からフィリップを庇うように割り込んできたのは髭面の伍長。
「ルドルファー中尉。失礼ながら意見具申、よろしいでしょうか」と敬礼を取りつつ述べる伍長に、ヴィルヘルミナ中尉は不機嫌で答える。
「
「ハッ!! 発言許可ありがとうございます」
「……で、何が言いたいんだ伍長」
時間が惜しいのか、急かすヴィルヘルミナ中尉とは対照的に、伍長は落ち着いて、吸って吐いてと一呼吸置いて――――大声で叫んだ。
「小官には、難しい話はよく分かりません!!」
「…………………………は?」
伍長の突拍子もない宣言に、張りつめていたヴィルヘルミナ中尉も、周りの兵士たちも唖然とする。
伍長はしかし、そんな彼らを置き去りにして続けるのだ。
「小官は兵士であります。フィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉の部下であります。中尉の都合は我々の都合、中尉の理想は我々の理想、中尉のエゴは我々のエゴ、水がルクレール中尉の手のひらに収まり切れないのであれば、我々の手のひらを中尉の手のひらの下から支えましょう。我々はそうやって幾多の戦場を、今までを生きてきたのであります。中尉が『ガリア国民の為に死ね』と命じるのであれば、小官は喜んで拝命するでしょう」
「……それは何故だ、伍長」
「小官はルクレール中尉の許で長年戦い続けてきました……故に信じておるのであります、ルクレール中尉の事を。そして
「ご、伍長……」
「ああ」「確かに」と、多くの部隊員から同意の声が上がり、やがて彼らの声は盛大に、高らかに。
「ネウロイなんざ屁じゃねぇ!!」
「敵討ちを、敵討ちを!!」
「ガリアを、俺たちの祖国をやらせるか!!」
「中尉、命令を!!」
「撤退なんてクソくらえだ!!」
「中尉、ルクレール中尉!! 行きましょう!! ネウロイ蹴散らして、町の人々を助けましょう!!」
「「「おおおおおおお!!」」」
「お前たち……」
彼らは自然と、より固い団結を高らかに謡う。
男たちに迷いはない。
その傍らで、腹を抱えて笑い出すのはヴィルヘルミナ中尉。
「阿呆だ!! 阿呆がいるぞ!!」と彼らを指さし、大いに笑いに笑う彼女はしかし、彼らを馬鹿にしている訳ではないようだ。
「クフフッ…………あんなセリフを恥ずかしげもなく言って。ああ、いかんな。どうにも笑いを抑えきれんよルクレール中尉」
「……ルドルファー中尉?」
「ああ、ルクレール中尉。君は素晴らしい部下を持っていて羨ましい限りだ」
「……」
「さて中尉、時間もないので単刀直入にいま一度聴こう――――勝ちたいか?」
悪巧みでもするように、悪い笑みを浮かべながらフィリップに顔を近づけて、そして耳元でヴィルヘルミナ中尉はそう囁く。
「助けたいか」とは言わないのは、彼女の意地だろうか。
返答は、勿論
ゆっくりと彼は頷き答える。
それ見て彼女は更に口角を吊り上げる。
そうして笑う様はまるで、悪女……いや、魔女と喩えるのが正しいのだろう。
「宜しい、ルドルファー中尉。君の意思はしかと聴いた……フ、アハハハ!!」
彼から離れて、彼女はクルリと一回転。
廻って、止まって、彼を呼ぶ。
「ああ、中尉…………ルクレール中尉」
「な、なんだ」
「ありがとう。君はやはり私の思った通りの人だった」
ぞくりと、フィリップはヴィルヘルミナ中尉の笑み、言葉に悪寒を感じた。
自然に漏れたのであろう彼女の甘い誘い文句。
字面だけ受け止めれば、素敵な告白のようだ。
しかしその言葉の裏からは、まるで一連の流れが全て彼女の計画通りで、自分らは彼女の手のひらの上で踊らされている。
どうしてもそんな風にしか、彼は彼女の言葉を受け取れないでいた。
彼は思う。
もし本当に彼女の思惑通りに事ははこばれていたのだとしたら……彼女はとんでもない
「それでは、ルクレール中尉」
――素敵な戦争をしようじゃないか
満面の笑みで告げられる、ネウロイに対する宣戦布告。
それに応える者は、誰もいない。