だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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だから彼女は歪だった

従来の戦車の中というものは、とかく暗く、空気も悪い。

夏場ともなれば戦車の中はサウナに等しく、冬場になれば冬の北国に等しい。

数回砲撃を行えば、砲撃による発砲煙が酷く車内にこもる。

戦車に換気装置が備えられてはいない訳ではないが、それは最低限のものであり、防御上の観点から高い気密性を求められる戦車の内部は、喩えるならば狭い、それも換気口が一つしか備えられていない部屋でサンマを七輪で次々と焼いているようなものであり、そうなってしまえばもはや戦闘どころの話ではない。

戦車に慣れていない者にしてみれば、そこは地獄と喩えるのが相応しい環境。

戦車乗りの多くがよく鍛えられた男性軍人であり、戦車が男の乗り物であると云われる所以は、そのような劣悪な環境下に密閉鮨詰め状態で長時間閉じ込められる事に女性の体力が持たないことが大半であるためである。

 

格納庫の中で唸るようなエンジン音を響かせ、合唱している戦車が三台。

その中の一台は他の二台、一般的な戦車と呼ばれる様な典型的なフォルムとは些か異なる独特なフォルムであった。

鈍重な、重戦車に分類されるであろう車体。

砲塔とはまた別に、車体中心から右寄りに、砲塔に備えられている30口径47mm戦車砲(副砲)よりも大きな一門、17口径75mm戦車砲(主砲)が雄々しく突き出ている。

 

そんな重戦車――ルノーB1の車長を務めているのはフィリップ中尉だった。

彼は座席に深く腰掛け暑苦しいガスマスクを外し、ジワリと汗ばんでいた顔、特に髭のあたりをタオルで拭い、目を閉じて、彼は重たい荷物を吐き出すように大きな一息を吐いた。

目頭をぐにっ、ぐにっと、数回ほぐした彼は、背筋を整えた。

少しだけ外を覗く。

ヴィルヘルミナ中尉からの合図はまだ、ない。

 

 

『ルクレール中尉――――素敵な戦争をしようじゃないか』

 

 

フィリップは合図が来るまでの間、先程から、先刻の、ヴィルヘルミナ中尉の言葉を思い出していた。

思い出して、思うていた。

 

――戦争だ

 

そう、戦争だ。

きっと。

……いや、間違いなく己が心の底から渇望し、羨望し、熱望した戦争。

人と人とが殺しあうような、粗末で汚れた戦争ではなく。

化け物から人々を救う、英雄譚に描かれているような綺麗で高潔で、それこそヴィルヘルミナ中尉の言ったように、素敵で、素敵な戦争なのだ、と。

彼は戦争が嫌いだった――どうして人間同士で殺し合いをしなければならないのか?

彼は戦争が好きだった――どうして人に仇なす化け物を放置するものか?

そう、彼が憧れたのは英雄で。

それが、身分も生活を捨ててまでして軍人になった故だった。

 

己の身体が酷く高揚し、少しばかり震えているのを自覚した彼は、それを武者震いであると――それが合っているのか、合っていないのかも分からないまま――断じた。

同じ体験を、彼はモロッコで感じたことがあったが、しかし今回は以前よりも分が悪い状況下であるせいか、震えは以前よりも断然大きい。

当然である。

 

――責任も(作戦を成功させる、部下を生きて連れて帰る)

 

――見返りも(町を、人々を救えば英雄だ)

 

――恐怖も(死にたくない、死なせたくない)

 

リスクもリターンも、モロッコの時とは比較にならない程大きいこの戦局で。

様々な、それこそこぼれそうな程の思い、感情、気持ちを一纏めにして抱えざるを得ないこの状況に、無意識にも、故に彼は震えていたのだ。

これが彼自身の望んだ戦争であっても、彼もまた人間であるからこそ、人としての感情に人並みには敏感で。

簡単に言ってしまえば彼は今、人として当たり前のプレッシャーを感じているのであった。

 

高まる感情、落ち着かない身体を誤魔化すように、彼は今一度外を覗く。

ヴィルヘルミナ中尉からの合図はまだ、ない。

 

 

「予定通り、ルドルファー中尉の合図があるまで、分隊は待機」

A vos ordres(了解)

「あっ……」

「……ルクレール中尉?」

「な、何でもない」

 

 

合図を待ちきれない己に言い聞かせるように呟いた言葉に、フィリップは返事を受けた事に焦って慌てて誤魔化す。

そんな彼の顔は、少しばかり赤い。

それを自覚した彼は顔を隠すために、頭に被るエイドリアンヘルメットを深めに下ろす。

 

これではいけない。

指揮官は何時でも冷静に、状況を正確に理解し、指示を的確に飛ばす能力が求められるが、今の自分はそれを悉く欠いている。

そう自覚した彼は、落ち着く為にも深呼吸を一つ。

吸い込む空気。

彼の肺を一杯に満たすのは、さびた鉄と油、戦車に染み込んだ男の汗………それから仄かに香る、柑橘系のいい匂い。

 

 

「ッ!?……ゲホゲホ!!」

「わっ!?」

 

 

むせた。

普段戦車で嗅ぐことある筈のない、あり得ない筈の匂いに、フィリップの肺気管が驚いたのだ。

ヘルメットを上げて、慌てて彼は、目の前にちょこんと座る装填手に謝罪する。

 

 

「も、申し訳ありません、()()()()嬢」

「気をつけてよ、中尉…………ううっ、汚い」

 

 

フィリップの目の前に座っているのはジャンヌ・フランソワ・ドモゼー。

後方で守られるべきであった彼女は、しかし確かにそこにいた。

 

むせた拍子に飛んだ唾が、前に座る彼女の首元を濡らしてしまったのだろう。

ごしごしと首元を拭きながら、彼を睨み付ける彼女はしかし、子どもである故にかそこまで凄みを感じられない。

寧ろそんな彼女を何処か微笑ましいと、彼は思った。

彼はポケットからハンカチを彼女に差し出す。

それ見た彼女は奪い取るようにハンカチを取ると、今度はそれで首元をごしごし。

拭く度に、その小さな頭に合わないヘルメットが、右に左に大きく振れている。

暫くそれが揺れる様を眺め、ふと、彼は疑問に思った事を口にした。

 

 

「ドモゼー嬢」

「……何?」

「どうして、ドモゼー嬢は……」

「『戦うことを選ぶのか?』って、中尉は言いたいのか?」

「……はい」

 

 

あの時、ヴィルヘルミナ中尉が示した案の一つとして、フィリップはドモゼー姉妹の姉君である彼女を戦車に乗せることを迫られた。

 

曰く――高速運動のできる一部の戦車は兎も角、現代戦車の足では大型陸戦ネウロイの強力なビームを障害物の無い正面から避けるのは至難。

被害を避け、尚且つ大型を倒すには、ビームを受ける前に一撃で大型を仕留める事が必定となってくる。

しかしそれは現行の通常兵器では到底不可能な事。

それを実現する事が出来るのは、魔力を付与した重戦車クラスの主砲くらいのもの――というのがヴィルヘルミナ中尉の言い分だったのだが、それはつまり、戦車にウィッチを少なくとも一人は乗せろという事だ。

そして彼らの周りには、ヴィルヘルミナ中尉を除けば、ウィッチはたった二人しかいない。

民間人を、それも子どもを戦車に乗せる。

軍人であるヴィルヘルミナ中尉なら兎も角、そんな事受け入れることなんて出来る筈がない。

そう言って彼は強く反対したのだが、その反対を押し切ったのは意外にもドモゼー嬢自身だった。

しかし彼はその理由を、真意を未だ知らない。

だからこその、この問いかけだった。

 

 

「……僕はあの時、ちゃんと説明したつもりだけど?」

「『高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)』…………信じられませんよ、そんな言葉」

「中尉。中尉は嫌いなのか? 貴族が」

「……今の貴族なんて、大半の奴らが偉ぶって、過去の栄光に縋って、民から搾取するだけ搾取する。そして肝心な時には尻尾を巻いて逃げ出す。貴族なんて、そんな奴ばかりですから」

「はは、僕も貴族の端くれだというのによく言うよ。それに、まるで貴族をよく見てきたかのような言い方だ」

「……」

「大丈夫だよ、心配しないで中尉――僕も貴族は大っ嫌いだ」

 

 

「似た者同士だね」とそう言って、フィリップに振り向いて、ニッコリと笑ってみせるドモゼー嬢は、ヴィルヘルミナ中尉程の歪さは無いにしても、やはり何処か歪であると彼は断ずる。

彼女も、そしてヴィルヘルミナ中尉も、未だ幼子であるにもかかわらず、ハッキリ言ってしまえば子どもらしくないのである。

ドモゼー嬢は大人の濁を知っている。

そのような表現が彼女にはふさわしい。

 

彼女は振り向いた拍子にずれてしまったヘルメットを外す。

すると頭に生える黒猫らしき耳が、ぴょんと現れ、跳ね伸びた。

まるでその様は、踏まれても、踏まれても、天に真っ直ぐ伸びることを止めない雑草のようで。

それ見て、成程、彼女と己は似た者同士かもしれないと、彼は不思議と納得した。

 

 

「ん、と。ああ、僕が戦う理由だったね」

「ええ」

「理由もなにも、答えるまでも無いよ中尉」

 

 

僕は死にたくない、ただそれだけだ。

彼女の答えは、そんなシンプルなものだった。

 

 

「ほら、理由なんて簡単で、単純明快で、至極当然……そう、人間として死を嫌うのは当たり前の事じゃないかな、中尉。死ねば、何もできなくなる。シャルを護れなくなる。だから僕は死を嫌う。果たしてそれはおかしい事かな、中尉?」

「……しかしドモゼー嬢。だからってそれが戦車に自らが乗ってまで戦う理由にはならないのでは?」

「確かに、ね。でも、僕が戦車に乗らないと勝てないんでしょ?」

 

 

その問いかけを、フィリップは否定する事はなかった。

大型が一体二体であれば、彼ら機甲部隊だけでも策を上手く用いれば苦戦は強いられるだろうが何とかできる自信は彼にはあったが、それが六体ともなれば話は別。

もし勝算があるのであれば、ヴィルヘルミナ中尉の提案など最初から断っている。

それが分かっていて、彼女は彼をからかっているのだ。

 

 

「もしかして、怒ってる?」

「……いいえ」

「ううん、中尉は怒ってる」

「……」

「怒ってる」

「……ふぅ。ドモゼー嬢、態々それを指摘するのは」

「よくない?」

「ええ」

「そうか……うん。成程……」

 

 

「また一つ賢くなったよ」と、冗談めかして彼女は笑う。

その言葉の真偽は、分からない。

 

 

「中尉……ルクレール中尉」

「何でしょうか、ドモゼー嬢」

「本当はね、怖いよ」

「……」

「怖いんだ」

 

 

彼女の告白は唐突に。

「何が」と、流石にそんな無粋な事を問いはしないがしかし、彼女の突然の告白にさてどう答えたものかと困ったフィリップは他二名の隊員(操縦士と砲手)に視線で尋ねる。

尋ねられた二人は、彼からサッと視線を外す。

裏切り者め、と彼は忌々しげに小さく吐いた。

 

 

「怖いから、中尉とこうして騙しだまし話しているんだ。少しでも、恐怖から目を背けようとしてね」

「そう、ですか」

「でも戦わないと、ダメ、だよね……逃げちゃ、ダメ、だよね」

 

 

フィリップは彼女の言葉の端に、震えを見つけた。

それは本当に些細な震え。

その震えが些細であるのは、彼女が必死にそれを隠そうとしているからであろう。

 

震えの原因は恐怖であると、暗に彼女はそう言った。

隠していた事を、告白する。

それは相当の勇気がいる事だ。

中々齢十歳と少しであろう少女に出来る事ではない。

それもまた、歪だ。

 

 

「貴女は、戦わなくていい。私たちが貴女達を護ってみせます」

「駄目……駄目だよ。僕はシャルを、護るんだ。護る為には戦わないと……」

「……」

「そう……そうだよ、中尉。逃げる事だけが生きるための道じゃない。いつだって僕の選択肢は一つじゃないんだ。戦い、立ち向かわないと駄目な時だってあるんだ……」

 

 

まるで自分に言い聞かせるようなドモゼー嬢の言動。

彼女の過去に何があったか、フィリップにはてんで知る由もない事ではあるが、未だ幼子である筈の彼女をそこまで達観的にさせるのは並大抵の過去ではない。

普通の家庭で育ったならば、彼女のような幼子が大人である事を迫られるような事はない。

子が親に愛されているのであれば、子は親という庇護の下、守られ、育つからだ。

子どもが大人である事を迫られるのは、大抵将来的に高い地位を求められるような子か、極端に言うと庇護を乞うべき親がいない又は虐待を受けている子かの何れか。

確かに彼女のように、名門貴族のご息女という立場なら前者である可能性もある訳だが、彼女の口ぶりからすると、どうも彼女は後者であった可能性も捨てきれない。

後者であるならば、彼女の歪さも説明がつくというものだがどちらにせよ、この場においては彼女のその口から真実が語られない限り彼の考えは全て憶測の域を出ることはない。

 

少しの沈黙の後、彼女は手元で弄っていたヘルメットをゆっくりと頭に被り直した。

先程は酷く揺れていた彼女のヘルメット。

手元でベルトを調節したのであろうか。

調節し、被り直した今、彼女のヘルメットは先ほどのようには揺れはしない。

 

 

「中尉……ううん、ルクレール中尉殿」

「何でしょうか」

「僕に敬語なんて、やめて下さい。貴方はこの戦車の車長で、部隊の隊長で、そして何より大人の方、なのですから」

「……」

「先ほど僕は『僕が戦わないと勝てない』と言いましたが、それは僕。そう、僕こそが、貴方方(あなたがた)がいないと僕はただの魔力を持った、ただの生意気で、そして無力な子どもでしかありません。だから言います」

 

 

――助けてください

 

 

「町の人々のついででも構いません。ネウロイを倒す為の駒として使われても構いません。助けてくれるのなら…………僕たちを助けてくれるのであれば、僕が出来る事であればなんだってします。だから中尉……フィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉殿。お願いです。僕を、僕たちを、助けてください」

 

 

羞恥も、外聞もかなぐり捨てて、貴族である事を求められてきたであろう彼女にとって、己の無力を自覚して、認め、また他人でしかないフィリップらに助けを求めることもまた、どれだけの勇気がいることであっただろうか?

何度も言うが、彼女はまだ子どもだ。

普通ならば子どもであるならば、未来ある子どもだからこそ、大人が子どもを護ってあげることは――

 

 

「当然だ、任せろ……とは言わん」

「……何故?」

「ドモゼー……じゃなかった、ジャンヌ。あんたに力を借りないと情けない事に、碌に戦えもしない俺たちにそれは言えないセリフだ」

 

 

そう。

本当に情けない事に、大人なのに、成り行きとは言え戦場に少女たちを駆り立ててしまっている事を結果として是としているフィリップにはそんな言葉を吐く権利があるはずがない。

しかし……

 

 

「………ああ、そうだな」

「?」

 

 

彼女達のように力なく、戦えなくても、大人として。

 

 

「もしあんたらが危険な目にあったら、俺たちが絶対に身体張って盾になってみせるさ」

「……そう」

 

 

振り向いていたドモゼーはそれだけ言って前を向く。

「言葉を誤ったか?」と、フィリップは少し心配になるが。

 

 

「信じるよ……信じるから、だからお願いだ。僕たちを、死なせないで」

 

 

どうやら彼の心配は杞憂だったようだ。

ぼそりと、真っ直ぐ向いたまま独り言のように呟いた彼女の言葉に対して、フィリップは声を出さずに心の内で、大きく応えた。

「勿論だ」と。

その声は、言葉にせずとも頭の良い彼女のこと。

きっと声は届いているのだろうと、彼は思う。

 

町の人々を全て、助けることは出来ないかも知れない。

自分らはネウロイに、敵わないかもしれない。

しかし彼女らは、彼女らだけはせめて護り通そうと、彼は密かな誓いをたてる。

護るべきものは、目の前に。

寧ろ彼女たちを護れずして、どうして他の人々を助けることは出来ようか?

己がなるべきなのは、大衆の為の英雄でなく隣人を護る為の軍人で。

隣人を護れずして大衆を護ろうと意気込んでいた己は、英雄を騙ろうとしていた己はきっと軍人として失格だったのだろう。

隣人を護り、助ける。

一人で出来る事は限られているから、己のその手は二つしかないから、全ての人々と手を取り合うことは出来る訳がないが、隣人同士が手を取り合って互いに互いを助け合う事で、結果として大衆を助けることに繋がるのだろう。

 

ああ成程、ヴィルヘルミナ中尉が言う事も、今なら理解が出来るものであると、彼は呟く。

英雄に憧れて、徒に兵を、大切な隣人達を浅はかにも死に追いやるような決断をしてしまったのだから彼女に「青二才」と言われる事は仕方のない、当然の事なのだろう。

仲間達は己に付いていくと言ってはくれたが其処に彼らの意思はなく、ただ彼らは己の理想に染まっていただけなのだ。

酷い事をした。

止めるべきは、己だったというのに。

結果として己はそこを彼女に煽られ、付け込まれ、ネウロイと相対する事を謀られてしまったのだと彼は気づく。

それに気づく事は出来た彼だが、同時にもう手遅れである事もまた理解した。

最早彼らは止まることも、後戻りすることも出来はしないのである。

 

彼はヴィルヘルミナ中尉の目的は当初、ドモゼー姉妹の保護だと彼は思っていたが、護るどころか彼女らを進んで戦場に駆り立てた彼女の所業を見てそれは間違いである事を知る。

そして彼の徹底抗戦に強く反対していた筈なのに、兵らが徹底抗戦を叫んだ途端手のひらを返したように進んでネウロイと争う構えを見せたヴィルヘルミナ中尉。

はたして、彼女の目的は何なのか?

ネウロイに進んで抗戦を望む故とは……

今一度、彼は彼女の言動を思い起こす。

 

 

(……まさか)

 

 

彼は不思議に、疑問に思っていた。

何故空軍である筈の彼女が、この駐屯地にいた事を。

この町の近辺に空軍基地は存在しない為、普段ならばこの町の中で空軍の士官を見ることは無い筈であるのだが、しかしここ最近では、確かに少なからず彼らをちらほらと見る施設があった。

施設、それは軍立病院だ。

前線で負傷した者達が頻繁に送られて来ていたあそこなら、ヴィルヘルミナ中尉が負傷した誰かの付き添いとしてこの町に来ていたとしてもおかしくはない。

彼女が士官である事と言動から、彼女は何かしらの部隊長であった可能性は十分にある。

しかし彼女がこの部隊と合流した時点で、彼女の傍には空軍の者は誰もいなかった。

一人も、一人もである。

もしも彼女が本当に何かしらの部隊長であったならば、流石にそれはおかしい事ではないか?

であるならば、考えられる理由はただ一つ。

そして彼女がネウロイと戦おうとしている理由も自ずと分かる。

憶測でしかないが、そうでなければ説明がつかない。

彼女が進んで戦う理由。

そう、それは

 

 

――復讐

 

 

(……馬鹿らしい)

 

 

そこまで考えて、やはりこれはどうでもいいことであるとフィリップは断じた。

彼女にどんな思惑、背景があったとしても、これは既に乗り掛かってしまった船である。

己らが彼女に謀られて、踊らされているだけだとしても、最後に選択したのは己自身。

なればこそ、選択した責任は最後まで果たさなければいけないのだ。

 

それに彼女に謀られはしたが、それについて彼は別に彼女を責めたてる気にはなれなかった。

少なくともヴィルヘルミナ中尉があの時、己の本質に気づき、叱った言葉に決して嘘偽りは無いだろう。

そうでなければ彼女に己が踊らされている事に気づくこともなく、また謀られている事を気づかせたくなかったのであるならば、彼女はもう少し違った言葉で己を叱っていただろうと彼は思う。

だから己は彼女を責めたてる事はないのだ、と。

 

 

「すぅ……ふぅ……」

 

 

思考を打ち切って、自然に行われる深呼吸の後、彼はふと気づく。

先ほどまでの彼の身体の震え、高揚は、嘘のように消えている事に。

思考も随分と落ち着きを取り戻しているように彼は感じた。

それらは、まるで憑き物が落ちたかのように。

 

彼は今一度、外を覗く。

ヴィルヘルミナ中尉からの合図はまだ、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――時は少し、遡る

 

 

僕らが格納庫に着いた時、目の前に広がっていた死体の山がルクレール中尉達の仲間達であった事は、彼らが皆泣いている事からそれを察するのは容易であった。

そんな時に僕たちが彼らの傍にいるのは良くないだろう。

そう思い、僕たちはヴィルの誘い(アイコンタクト)に従って暫くあの場を離れる事にした。

 

 

「うう……えぐっ…………うっ……」

 

 

先程から隣を歩くシャルが、何度も何度も嗚咽と涙を堪えてる。

あの場所で、死体を見た時には大丈夫だと言っていたけれど、彼らの目が無くなった途端に耐え切れなくなったのだろう。

シャルが心配になった僕らはシャルの背中をさすりながら歩みを止めようとするけど、シャルは歩いている方が楽だと言って、先に、先にと進んでいって歩みを止めようとしなかった。

もしかしたら、シャルはあの場から、あの匂いから一刻も早く離れたいのかもしれない。

……その思いは、僕もまた同じであるのだが。

 

 

「……ふぅ」

 

 

暫く歩いて、格納庫の端にまでたどり着いた僕の隣で、ヴィルが小さくため息を吐いた。

大方ヴィルは現状とこの後の事を考えて、思わずため息を吐いたのだろう。

 

 

「せめて……せめてあの場で死んでいた彼らが生きていてくれれば……いや、それはないものねだりか」

 

 

そう言ってヴィルは胸のポケットから手帳を取り出し、目を落とす。

彼女が持っているその手帳に僕はものすごく見覚えがある気がしたけれど、その手帳に綴られている名前にものすごく見覚えがある気がしたけれど、彼女がそれを持って、目を通しているという事は何かしらの役に立つ情報がその手帳には書かれているのだろう。

彼女は視線を手帳に落としたまま、何を思ったのか近くに停めてあるトラックの荷台に、幌を捲って乗り込んだ。

彼女の行動が気になった僕は、彼女の後を追って荷台に乗り込む。

 

荷台の、幌の中は僕が思った以上に薄暗いものだった。

そんな中で、彼女は荷台に積んであった木箱の一つ、その上辺をなぞっていた。

彼女がなぞった所にはブリタニア語らしき文字が書かれていたが彼女の後ろからでは、この暗がりの中では、それが何と書かれたものなのかまでは分からなかった。

 

 

「ふんっ!!」

 

 

ヴィルはその木箱を素手で無理やりこじ開ける。

彼女がそこまでして欲した物が何なのか。

僕は少し気になって、彼女の後ろで背伸びして覗きこんでみると、その木箱の中に入っていたのは一メートル近くもある大口径の銃だった。

その銃を彼女は片手で持ち上げ、用が済んだのか、彼女はトラックの荷台から降りる。

結果として、彼女は二つの大型の銃を抱えていることになる。

ネウロイを相手にするのに火力が必要になることは僕にも理解できる事だが、しかしいくらなんでも二丁の、しかも大型の銃を同時に取り回す事なんて素人である僕からしてみてもはたしてできる事なのだろうかと首を傾げてしまう。

僕は思い切って、彼女にその疑問をぶつけてみた。

 

 

「ああ、いや……いくらなんでもそんな愚かな事はしないさ。しかし数がいる小型相手には手数が多い機関銃がいる。対戦車ライフルでは、どうしても手数が足りなくなってしまうからな。また装甲の堅い大型陸戦型相手には対戦車ライフルがいる。機関銃ではどうしても大型、しかも装甲の特に堅い陸戦のネウロイの装甲を……まあ剥がせない事はないが、装甲を剥がし、その上でコアを探すとなるとどうしても時間が掛かる上に多くの弾薬が必要になる」

「小型と大型を機関銃のみで倒すにしても、それでは弾薬が足りなくなる……」

「そういう事だ。しかしジャンヌの疑問も尤もだ。二つ持っていれば取り回しづらくなる上に、リロードも碌に出来はしない…………負い紐があればよかったのだが」

「あ、あの……ではどうするのですか、ヴィルヘルミナさん?」

 

 

体調がある程度回復したのか、傍に寄ってきたシャルが今度は尋ねた。

 

 

「あまり気は進まんが、まあこうするしかないだろうな」

 

 

ヴィルはそう言うと、突然対戦車ライフルと語った方を上に放り上げた。

「どちらも必要だと言ったのに、まさか捨てる気なのか!?」と、驚く僕ら。

しかしそのまま地面に落下すると思っていたライフルは、驚くべきことに重力に逆らって空中に静止。

そのままヴィルの右肩後ろ辺りで、ふわりふわりと浮遊し続けている。

成程これなら嵩張らず、二つの銃の持ち運びが可能だ。

 

 

「これで持ち運びに関しての問題は解決だ。魔力の残量が些か心配だが、こればかりは仕方あるまい」

「……ヴィル、君は固有魔法を二つ持っているのか?」

「いや違う、これは固有魔法ではないのだが…………今は時間がないから説明はまた生き残ってから、な」

「うん、分かったよ」

 

 

生き残ったら……

はたして、僕たちはこの戦場から生きて脱出する事が出来るのだろうか。

今更だけど、ヴィルを信じていない訳ではないのだけれども、そう思うと段々と戦場に出ることに恐怖を感じてしまう。

少しばかり身体が恐怖で震えているのが分かる。

だけどこれから一番大変なのはヴィルだ。

だから僕がこんな所で震えている訳には、彼女に僕が怯えている事がバレる訳にはいかない。

僕は腕を組むようにして身体を押さえ、震えを無理矢理止める。

 

 

「さて、これからの方針をもう一度確認するぞ。我々がこの町を抜け、ネウロイの勢力下を抜ける為には軍の協力が必要だ。しかし軍……つまり戦力だけでは、ある程度の防衛手段は得られても、それだけでは長距離行軍は不可能。移動の為には無論食料と水がいる」

「はい」

「ネウロイの占領下であると思われる他の町での補給は当然ながら期待出来ない。ならばこの町で食料を掻き集め、纏めて運ぶ必要性があるが、纏めて運ぶのはやはり食料等を運び出す為の車両と、それらを運ぶ為の人手が必要だ。しかしただでさえ数がギリギリな軍から人を割く訳にはいかない、つまり別の人手がいる。ただ、いずれの目標を安全に達成する為に必要な事は――」

「町の解放、だな」

「そうだ。しかし町を完全に解放は出来なくてもいい。確かに解放できるのであればそれが理想的だが、現実的なのはネウロイの脅威を少しでも減らし、食料と水、それらを載せる車両、それと一緒にパリに逃げる人を多すぎず少なすぎず掻き集め、早急に脱出することか」

 

 

それでも難易度の高い目標ではあるがと、ヴィルは頬を掻きながら呟く。

 

 

「我々には多くの問題がある。戦力が足らない。火力が足らない。士気も明らかに落ちている。そして何よりの問題は、我々が子どもである事だろう。しかし解決策が無い訳ではない。戦力はこの基地に残っているだろう残存部隊を掻き集めることが出来れば一個中隊程度にはなるだろうし、火力は…………すまないが司令室で言った通り、ジャンヌにも前に出てもらうぞ」

「分かった」

「ヴィルヘルミナさん!! 私も、私も戦います!!」

「シャルロット、君も司令室で言っただろう。君の治癒魔法は貴重だ。だから君は後方で頑張ってほしいと」

「で、でも……」

「シャルロット、君が後方に控えているからこそ、私たちは前に出れるんだ。分かってくれ」

「うぅ……」

 

 

ヴィルの言う通り、僕としてもシャルには後方にいてくれた方が、戦わないでくれていた方が安心できる。

ヴィルだって作戦の成功率を上げたいならば、たとえシャルが治癒魔法を使えたとしても、戦力を増やす為にはなりふり構っていられない以上、シャルを前に出す方がいい筈なのに、それでも後方にシャルを下げるのは、シャルを気遣ってくれているからなのだろう。

 

 

「で、ヴィル。僕たちが子どもである事の問題ってなんだ?」

「そもそも子どもである我々が、はたして戦場に出ることを許されるのか、だ」

「……あ」

 

 

まったく失念していた事に、僕は思わず頭を抱えてしまう。

確かにその問題が解決しない限り、ヴィルの計画は全て無駄になってしまうではないか。

しかしヴィルは、その事は然程問題では無いと言いたげに笑って続ける。

 

 

「心配するなジャンヌ。そこは私が何とかしてみせる」

「何とかって……本当に大丈夫なの、ヴィル」

「ああ大丈夫だ。一芝居うつことにはなるだろうが、上手く行けば士気の問題についても何とかできるかもしれない」

 

 

ヴィルが自信を持ってそう言うのだから、本当に大丈夫なのだろう。

しかしどうしても彼女の事が心配になってしまうのは、僕がただ心配性なだけなのだろうか?

……恐らくは違うだろう。

 

 

「そろそろ戻るべきか…………行くぞ、二人とも」

「あ……ああ。分かった、ヴィル」

 

 

今は考えるべき事では無いかもしれない。

しかし僕は、彼女が心配だ。

作戦に臨む彼女が心配なのではない。

どうしてか、彼女自身が心配に思えてきたのだ。

 

当然のように僕たちの前を歩くヴィル。

その後を僕たちは続いて歩く。

僕たちは何の疑いもなく彼女の後を歩くけれど。

彼女が前を歩く理由はない。

だって彼女は元々僕たちとは赤の他人で。

彼女が僕たちを助ける理由なんて、本当は無い筈だ。

それでも彼女は前を歩く。

前を歩く事は大変な事だ。

少なくとも今の僕たちが歩いているのは茨道。

その道を彼女は進んで切り開く。

どうしてか?

どうしてか?

付き合いが短すぎる僕に、彼女の心理を見極めることは出来ないけれど。

 

 

――そんな彼女の後姿に、僕は少しだけ歪さを見た。




・フィリップ「復讐の為か!!」
 ヴィッラ嬢「よし、逃げる為の戦いをしようか」

フィリップがヴィッラ嬢の事を読み違えたのはヴィッラ嬢が軍人である事を前提としたため。そもそもの出発点が違っていたというお話。


・フィリップ「彼女達は歪だ」
 ジャンヌ「彼女は歪だ」
 ヴィッラ嬢「……?」

ジャンヌは家庭環境のせいで、ヴィッラ嬢は前世持ちで精神年齢がかけ離れているせいで、他人から見たら歪に見えてしまうというお話。
……というか君たち本当に12、3歳なの?


・今回出てきた銃の紹介

>僕は少し気になって、彼女の後ろで背伸びして覗きこんでみると、その木箱の中に入っていたのは一メートル近くもある大口径の銃だった。

→ボーイズ対戦車ライフル

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