だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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いいかね?『ウィッチ』という、我々にとって何とも都合の良い存在の台頭は、その瞬間、嘆かわしい事にも我々にとっての当たり前な、人として守るべき最終道徳を破壊したのだ


――――オートクローク陸軍大将 ガリア戦線について――――


『彼女』

西暦1963年9月22日 パリ 『ル・タン』本社

 

 

 

 

ガリアには、多くの謎と陰謀が渦巻いている。

若かりし頃、ル・タン誌で結成当初の第506統合戦闘航空団の専属記者をしていた私は、奇しくもそれを知る。

リベリオン、ブリタニア、ガリア諜報部、王政復古派。

さまざまな思惑、陰謀、理念、利害。

華々しい506の彼女たちの裏でうごめく汚い何かの一端を、少なからず私は知る。

 

もっと知りたいと思った。

 

知ってどうするか?

506の彼女たちを傷つけた者らへの報復か? 断罪か?

そう問われれば、私は否と答える。

私は、単に知りたいだけなのだ。

真実を欲しているのだ。

崇高な志なんてありはしない。

そこにあるのは記者としての性分、私個人の根本にあるもの、欲。

知識欲、探究欲、エトセトラ、えとせとら、etc……

『虎穴に入らずんば虎子を得ず』

たとえそこが人を飲むこむ底なし沼であったとしても、そこに求める禁断の果実があるのなら、どうして手を伸ばさずにいられようか?

だから私は、真実を追う。

 

 

「ふん、ふんふふーん♪」

 

 

鼻歌を歌って、スキップをするのは、私。

通り過ぎる同僚たちは「ああ、いつもの事か」と私を見送るが、気にしない。

羞恥心は人並みにはある、そんな私が羞恥心なんて知った事かと、気にならない程に気分が良かったのは、『ル・タン』でネウロイ大戦の特集を組むことがようやく編集部会議で決定したからだ。

発議に、手回しの苦労。

それが無駄に終わらずに済んだことはやはり嬉しいが、ここからが本当のスタートライン。

これで私は、大手を振って表立って取材ができる訳だが――――大手を振ってと言っても、それは社内限定の話である。何処で、誰が私を見ているのか分かったモノではないのだから、なおさらだ――――今回、二十年前の大戦に焦点を置いたのは、その大戦が、ガリアの裏で暗躍する国々、そして組織の思惑の原点。

それは各々違っても、二十年前の大戦はそれぞれの思惑が収束し、跋扈することを許した大きなターニングポイントだと認識していたからだ。

二十年前の大戦に焦点を置いたのは、それが理由だ。

 

余談だが、やはり取材に使う必要経費は、極力会社のお金で落とすに限るのは言うまでもない。

何処に行くにも何をするにしても、やはりお金は必要で、嵩むそれはなかなかどうして馬鹿にならない事は、同業の者なら誰もが感じる事だろう。

さらに余談だが「他人のお金で食べるご飯は、それはもう、大変に美味だ」と宣わったクニカ中尉には、大いに同意の意を示すところだ。

食費を気にしないで良いというのは、良いものだ。

またまた余談だが、取材経費で頂いた三ツ星レストランのフルコースは、大変に美味でした。

 

さて。

正直なところ、ガリアを渦巻く謎、陰謀、真実と、随分たいそうな事を宣っている私であったが、ただ506での出来事のほんの末端を知っているだけで、何か確固とした取材方針があった訳ではなかった。

対象が漠然としすぎて、なにから手を付けてよいものか?

そう、恥ずかしながら、未だ定まっている訳ではなかったのだ。

そもそも謎とは何か? 陰謀とは何か? 真実とは何か?

そんなもの、尋ねるまでもなくガリアでなくともおおよそ高度な政治文化を持つ国々には到底ありふれたモノではないか?

上司部下同僚に尋ねたところそんな答えが、同様の答えが返ってくるが、それはそうだ。

言われるまでもなく、そしてそれは期待した答えでもない。

ガリアを渦巻く陰謀を暴くという大いなる私の計画は、一歩目にして頓挫した。

 

いつまでも悩んでいたところで仕方がない。

そう思い、私は己の持っていた陰謀のイメージを一度横において、まずは20年前の大戦の歴史への理解を深める為に当時の戦況や資料などを調べる事から始めたのだが、すると調べれば調べるだけ、私はふと奇妙な、名状し難い違和感を得られたのだ。

 

1944年9月のガリア解放。

欧州のネウロイ反抗のターニングポイントとなった第501統合戦闘航空団、()()()のエースらの大いなる活躍は欧州だけでなく世界各国を震撼させ、祖国奪還の叶ったガリア国民からは地を揺らすほどの礼賛称賛で迎えられた当時のことはよくよく覚えている。

さて問題はそこから約二年前、パリが陥落した1942年の5月だ。

第501統合戦闘航空団がガリアを解放する以前。

ガリア軍は1939年の11月から、その1942年の5月までの2年間半もの間、ネウロイと相対し、戦線を保つどころか一時的であったが、ネウロイの勢力圏からの解放を果たしており、共和国の戦時記録においても

 

 

『―――1941年8月、ガリア軍を中核とした連合軍は第一次欧州反攻作戦を開始。これにより1939年11月ジロンド県に出現したネウロイの巣を崩壊せしめる。

 

―――しかし翌年4月、黒海より出現したネウロイ群はカールスラント陥落の勢いそのままにベルギガ、及び本国に侵攻。

 

―――同月、ガリア北東部にて新たな巣の出現を確認。これにより、ヴィシー政権はガリアの放棄を決定』

 

 

とある。

これは各国の歴史教科書にも同様の記載がなされている。

 

ガリアは、1939年11月から1941年8月、連合軍の第一次反攻作戦が実施されるまで、敗戦が続く欧州中で唯一ネウロイと互角に戦っていた、事実。

しかし私が違和感を覚えたのは、そこだ。

その時点では、未だ違和感の形はおぼろげでしかなかったが、その後の当時のガリアの戦局状況を、取材をした専門家や軍関係者のほとんどが当時のガリア軍の善戦に、異を唱えてくれたことで、やっと形に出来た。

取材を行ったとある大学の軍事研究家は、さも当然のように吐き捨てた。

曰く「ド・ゴール氏が軍体制を大きく刷新する共和国設立以前の、大戦初期当時のガリア軍の練度、装備、指揮系統、そして各欧州戦線と比べて断然ネウロイが有力であったことに鑑みれば、些か当時の戦局を優勢にするどころか、維持する事さえ困難であった」と。

取材を行ったとある元陸軍中央作戦部付参謀は、告白してくれた。

曰く「当時の上層部の無能さ、それによって支払われた人的リソースの消費レベルを見れば、誰がどう見てもガリアの敗北は明らかであった」と。

 

そう。

私の違和感とは、ガリアは欧州各国が劣勢敗北をしている中でただ唯一、その戦局を維持していた事だ。

語るまでもなく事実として、結果として出ているソレだが、しかしながらそれでも軍事専門家や、特に現場にいた軍関係者の証言は到底無視できるものではない。

 

当時のガリア軍には、信じられない事に戦線を保つ事の出来る軍事力を保有していなかった。

にも拘らず、二年もの間ネウロイと互角に戦い、戦線を保った。

実力と結果がかみ合わないのだ。

それを矛盾と言わずに何か?

 

矛盾。

その私の疑問に答えてくれる人は、残念ながらいなかった。

研究者は、「知らない」を恥とする。

疑問を問えば、途端に部屋からたたき出される形で取材を切られてしまった。

軍関係者には、何かしらの箝口令が布かれていたのか。

取材を行った何名かは、事ありげにそれ以降の質問に口を閉ざされ、取材を断られてしまった。

 

ガリアのトップエースであるクロステルマン氏をもってして、後の取材では『あそこは()()()()を除いて、どこまでも仲間の血肉で満たされた赤空』とまで言わしめ、多くの軍人が、ウィッチが、戦い、狂い、文字通りの肉壁となった狂気のガリア戦線。

当時の欧州最激戦区であったガリア戦線で、一体何があったのか?

 

奇しくも今年は、ガリア軍の保有するいくつかの機密文書の機密指定が解除された。

疑問を自ら晴らす為、解除された機密文書に、にもなく飛びついたのは言うまでもないだろうが、そうして抱いた疑問は正しくも間違いでなかったことが、機密文書を漁っていく中で証明された、証明されてしまったのだ。

酷く血腥い命令書、報告書に目を通す中で偶然にも私は、ガリア戦線の謎につながる、そのほんの一端に指を掛けられたのだ。

 

それは、なんの変哲もない報告書、敗北の記録。

しかしそこに挟まれていた一枚のメモには、到底見過ごす事出来ないモノが書かれていた。

咄嗟にポケットに盗み取ったそのメモに書かれていたのは、おおよそ官僚的ではない、感情的に書きなぐられたであろう、一言。

 

 

 

 

 

―――――ガリアの栄光は『始まりの大隊』によって思い起こされ、ガリアの失墜は『彼女』の敗北によって決定づけられた―――――

 

 

 

 

 

メモをもとに私は今一度、ガリア戦線の各種文書を一から見直す事にした。

『始まりの大隊』、そして『彼女』。

ガリア戦線の真相を解き明かすピースは、きっとこの二つのワードに隠されているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1939年11月11日 タルヌ県 ドモゼー伯領郊外

 

 

 

 

 

民間人の逃走補助の為の遅滞戦闘は、街の郊外を抜けて、その役目を完了した。

ネウロイの目的はあくまで、我々を殲滅する事ではなくこの街を占拠することにあったのだろう。

郊外まで後退した俺たちをネウロイらは深追いすることはなかった。

 

 

「俺たちは、勝ったのか」

 

 

今ここで成立した、勝利と言う結果を確かに理解する為に、俺は呟く。

本物の勝利ではないが。

ネウロイにこの街の占拠を許そうとする俺らは、疑うことなく、紛うことなく、一般常識的には敗北者であることは逃れようもない事実だが。

しかし、次と次の戦争を戦うための戦争。

そのルドルファー中尉が求め、定義したこの戦争の勝利条件は十二分に達成したのだ。

 

この戦争の、勝利の定義。

それは極力我々の現状戦力を保持しながらも、我々が長距離撤退を完遂できるだけのモノもの(物・者)を回収することと、ルドルファー中尉は語った(オーダー)

困難極まりないオーダー。

モノ()はまだいいとして。

ただ、もの()の回収は、ネウロイを足止めしながらも、ソレの肉壁となって戦うことが求められていたのだ。

無論ネウロイと正面から相対すれば、ウィッチではない我々各々、生き残れる確率は低い。

民間人を救えても――――勿論自身の率いる部隊員、仲間達を死なせるつもりはさらさらなかったが――――戦線に復帰できない負傷さえ避けなければならない。

だからこそ部隊を指揮する自身に求められる動きは更なる繊細さを求められて、そして自惚れではなくこの戦争の重要なファクターの一つだと、認識させられざるを得なかった。

時計塔でのアンブッシュで、ネウロイの半不死性が判明してからは、更にその重要度が増したのは言うまでもなく、改めて考えてみても。

十二分に完遂した今でも、このオーダーの完遂は困難であると断言できた。

 

では、自らが困難だと断言しているにも拘らず、勝利を達成できたその要因はどこにあるか?

一つは南側に現れた、不明な梯団の存在があるだろう。

しかしながら、それよりもより直接的な要因として挙げられるのは、やはりルドルファー中尉の動きが大きいと俺は考えている。

「出来ないことは、言わない主義だ」と彼女は語ったが、なるほど。

伊達に己と同尉官位に、彼女は幼いながらも昇ってはいなかったのだ。

彼女は自らの役目を、数多の暴力に単身晒されながらも、しかし達成した。

囮という役目を、ネウロイの目を引き付けるという役目を、彼女は完全に理解し、そして十全に果たした。

その前提条件がなければ、我々は彼女のオーダーを完遂することなどできなかっただろう。

 

 

「ルドルファー中尉に撤退信号を」

「はっ!!」

 

 

極論。

今の我々は、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉がいたからこそ、ある。

そう言っても過言ではないだろう。

 

感謝せねば。

 

残存部隊を取りまとめ、疲弊した人々を労う中、俺はそのことばかり気にしていた。

そしてルドルファー中尉は、人々の喝采に迎えられ帰還を果たしたが、その時の俺は悠長な事しか考えていなかった事を思い知らされたのは、言うまでもない。

 

 

「良く生きて帰ってきてくれたルドルファー中尉」

 

 

帰還を果たしたルドルファー中尉は、満身創痍であったこと。

それは俺の頭を冷まさせ、醒まさせ、覚まさせるには、十分だった。

 

 

「流石の貴女でも無事に、とはいかなかったようだが」

「なんだ? それは嫌みか?」

 

 

なるべく平然を装って、冗談を。

彼女は笑って返すが、本当は彼女の有様は痛々しくて、直視しかねたのが本音である。

 

英雄たる彼女の帰還に大衆は未だ喝采でもって彼女を褒め称えていた。

だが彼女の姿を目視できる者はそれを止めている、沈黙している、目を背けている。

帰還さえ奇跡と呼べる囮・遅滞作戦、生存が見込めない作戦に身を投じたのだ。

帰還出来たとしても、無事であるはずがなかったのだ。

 

分かっていた筈だ。

目を背けるなと、己を叱咤する。

 

 

「すぐに衛生兵を呼ぶ。立てるか?」

 

 

叱咤して、叱咤して。

彼女を直視したことで、さめた頭で考えて、俺は気付いた。

 

――――目の前にいるのは小さく、幼い、少女

 

ルドルファー中尉がどのような考えを持っていようと、未だ幼い事には変わりない。

にもかかわらず、ウィッチとして、未来ある少女に銃を握らせ戦場に立たせている。

 

 

「私の言いたいことは分かるな、ルクレール」

 

 

振るわれた、拳。

有力かと思っていたソレは、しかしあまりにも弱弱しい。

とうに限界であるにもかかわらず、それでも俺を叱咤する。

それは彼女の職務故か。

軍人であれと、迫られたからか。

 

 

「我々に、トリアージを行えと?」

「私は『お願い』をしているのではない。杜撰な現状の治療体制を打開する有効な対策案を貴方方(あなたがた)が明確に提示できない以上、トリアージを『やれ』と、私は、私の名で以って命令するしかない」

 

 

士官として、人が一人でも助かるようにと、責任を負う、全うする。

それらは全て、全く以って、可笑しなことだ。

少女のするべきことではない。

 

それらは全て、大人がするべき、負うべき事ではないか。

 

彼女の軍人としての、士官としての資質は己以上であることは認めている。

指示も、心理把握も玄人然とし、共に戦場に立つ身としてはこれほど頼れる人はいないだろうことも断言できる。

しかし、しかしだ。

彼女を大人に、ウィッチに、軍人に、英雄に仕立て上げ、戦場に送り出す。

それは大人として、いや。

それ以前に、道徳的に、子どもを戦場に送り出すことは、人として最悪な恥ずべき事ではないだろうか。

 

 

「この場にいる士官の中での最上位は、ルクレール中尉とルドルファー中尉でありますが――――」

「梯団を纏めるべきは、ルドルファー中尉だ。それは疑いようもなく、また、()()、自分ではない。お願いできるかルドルファー中尉」

「………了解した」

 

 

疑問を抱いた、抱いてしまった。

しかし疑問を抱けど。

残念ながら自身は未だルドルファー中尉の代わりにはなれず。

そしてどちらが指揮することがこの場にいる皆の為になるかは、考えるまでもない。

 

だが、見ろ。

彼女を。

子どもの彼女を。

ボロボロの彼女を。

命を削るかのように懸命な、彼女を。

 

そんな彼女に頼らざるを得ない己は不甲斐なく、情けなく、そして彼女を仰ぐことを疑う事もしない他の士官らもまた同様。

彼らは彼女を英雄としか見ていない。

子どもであることを忘れている。

 

本当は誰かに異を唱えてほしかった、おかしいと訴えてほしかった。

他力本願。

しかしながら俺自身は彼女と同尉官位で。

その俺が進んで個人感情に左右される訳には、少なくとも団結を求められるこの場では、いかなかったのだ。

せめて。

せめて我々よりも上位階級者がいてくれれば、大隊長が生きていてくれればと、贅沢を思う。

 

求めるならば。

南側にある梯団と合流することも、合流要請もあったことから、一時は考えたが却下した。

駄目なのだ。

通信した時に理解したが、あの梯団の指揮官は、ウィッチの戦術価値を正しく理解していた。

それ以前に、梯団との合流を目指すには、ネウロイが広げる戦線を越えなければならない。

ルドルファー中尉が定めた戦力保持の方針に反していたからこそ。

 

 

「糞だな、俺は」

 

 

南側の梯団からの再通信に受話器を、苦しみながらも、受け取るルドルファー中尉をまた望む。

先ほど不快に思われた望む目は、しかしそれ以外に向けるべきものを知らないから。

 

何故に。

この世にウィッチなどというモノがあるか。

何故に。

彼女のような幼子に人を導く才を与えられたか。

ソレは我々大人では駄目なのか。

もしもそれが運命と呼ぶのなら、神よ、それはあまりにも無慈悲が過ぎる。

だが、それを俺が責める事はできない。

 

そうだ。

恥ずべきと、外道だと。

この場にいる誰よりも理解していながらも、最もな戦力として、指揮官として。

満身創痍のルドルファー中尉を神輿に祭り上げる俺こそが、畜生だ。

しかしそれこそが。

人が守るべき最終道徳を破り常識人をやめて。

国家とその国民の盾となるべき軍人、その本懐なのだろう。

 

 

 

 

 

そう言い訳をし。

ルドルファー中尉が倒れるその瞬間まで俺は言い訳をし。

背負うべき責任から目を背け続けた。

その自分勝手な怠惰が、傲慢が、自業自得を産むと知らずに。

 

 

 

 

 

「大丈夫か、ルドルファー中尉」

 

 

倒れそうになったルドルファー中尉を、咄嗟に支える。

めまいでも起こしたのか。

いや、彼女が貧血と疲労困憊で限界なのは把握していた。

力なく、枝垂れかかる彼女。

そんな様を見れば、彼女には少しでも休んでもらいたいと、理性では思う。

しかし今此処で、彼女に倒れてもらっては困ると、軍人としては思う。

 

 

「ルクレール、()()

 

 

焦点の合わない目で、弱弱しく俺を見上げる彼女。

違和感。

弱っていても、覇気があった先ほどとは打って変わって、腕の中にいるのはまさに見た目通りの少女の様、別人の様。

そんな様を、他の士官らには見られないようにする。

我々は、残酷な事を言うが、そんな彼女を求めていないのだ。

 

 

「しっかりしろ、ルドルファー中尉。立てるな?」

「は、はい………あ、いや。勿論だ、ルクレールさ………中尉」

 

 

言葉の覇気と口調が、はっきりしないのは気になる。

俺を支えに立つ。

立って、再び受話器を持った彼女、見送る彼女に抱く違和感は拭えない。

 

 

『おい、おい。聴こえるかね中尉。何があった』

「いえ、失礼しましたエヴァンス中佐。少々不都合がありまして」

 

 

望まず、見送れた。

『見送れた』

可笑しなことではない、本来なら正しい筈の事だ。

故に。

嫌な予感がする。

 

 

『不都合? いや、通信がこうして正常に出来ているなら既に問題ではないのだろうが………』

「はっ、一切少しも何事も」

 

 

その違いはあまりに大きい。

だからこそ。

嫌な予感がした。

 

 

『では、中尉。今ここで、確かな、明確な、紛うことなき返答をいただこう』

「ルドルファー中尉!!」

 

 

嫌な予感がした。

だからだろう。

俺は、彼女を呼び止める。

そんな俺に気付いた彼女は、こちらに振り向いて、笑む。

 

 

「要請、()()()()()()()()中佐殿。あの糞虫共に、一泡吹かせてやりましょう」

『貴官の賢明な判断に感謝する中尉。武運を』

「はっ、武運を!!――――――っ!?」

「ちゅういいいいいいいいいいいいいいい!!」

 

 

なんだこれは!? いったいなんだこれは!?

今の梯団側への返答(裏切り)に憤り、言葉で詰め寄るよりも、手が早い。

彼女の襟首を乱暴に掴み、彼女の身は宙に浮く。

 

 

「どういうことか、説明は勿論あるのだろうな!? まさか貴女が勝利の使い方を忘れたわけではないだろうな!? なあぁおい、ルドルファー中尉ぃ!!」

「………」

 

 

自ら定めた方針を自分一人、勝手に歪めた。

直前に手のひらを返し、俺たちを裏切った。

この場にいる兵を、勝てるかどうかもわからぬ戦場に突撃させることを自分一人、勝手に決めた。

少なからずの血と肉の贄があっての勝利を、全て台無しにするやも知れぬ判断。

それは指揮官として恥ずべき行い、愚行。

 

 

「いや、違う? なんだ?」

 

 

違和感。そう、違うのだ。

怒りの焦点は、ソレだと思っていたが、違う。

焦点は、俺が思う点とは、また別にある。

しっくりこない。

 

 

「『なんだ』、だと? それはこちらのセリフだ、ルクレール中尉。何か言いたいことがあったのではないのか? んっ?」

「………」

 

 

しかし表すには酷く曖昧で、言葉、形にならない。

 

 

「ないのであれば、この手をはな――――――」

「ヴゥワン!!」

 

 

と。

いつの間にか、傍に現れていた白狼が、唸り吠えた。

この白狼、何処から現れたのか? いや、先ほどまでルドルファー中尉に生えていた耳と尻尾が、ない?

ルドルファー中尉の使い魔、しかし吠えた。

俺に、ではない。

彼女にだ。

つまり。

 

 

「貴様は、誰だ?」

 

 

問う。

言ってから気付くが、我ながら可笑しな質問だと思う。

だが問うべき疑問の解は、これが一番しっくりくる。

 

 

「………」

 

 

沈黙。

それはこの場をやり過ごそうとする為か。

だが問われた彼女は俺を睨むが、やはり覇気がなく。

己の使い魔には、唸り続けられる。

暫くして、彼女は観念したかのように口を開いた。

気味の悪い、笑みを浮かべながら。

 

 

「『誰だ』、とは。可笑しな質問をするのですね」

 

 

あまりの気味の悪さに、思わず手を放すが。

変わる口調。

それは、彼女が今までの彼女とは別人である事を認めたも同然だ。

 

 

「貴様は誰だ」

「誰?と問われましても、私はワタシ。いや、ワタシこそが『ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー』であるとしか言いようがないのですが……………取りあえずはじめまして、未来の英雄さん。フィリップ・ルクレール・ド・オートクロークさん」

 

 

優雅に頭を下げて、クスクスと笑う。

そして、それだけで理解しろと言いたげだ。

………二重人格の一種か?

そう勝手に解釈し、銃を彼女に向ける。

 

 

「物騒ですね。ソレ()、下ろしていただけません?」

「今の貴様に、この梯団の軍権は渡さん!!」

 

 

もはや、目の前にいるのはルドルファー中尉ではない誰かだ。

彼女を乗っ取り、折角生き残った皆を地獄へ引き連れようとする悪魔だ。

そのようなモノに、此処まで来て、めちゃめちゃになどされて堪るか!!

 

 

「今の貴方に、果たしてそれが言える立場であるとでも?」

 

 

周りを見ろと、彼女は楽しげに舞う。

彼女の言われた通りに俺は周りを見るが、するとどうだ。

此処にいる士官ら全員が、俺に向けて銃を構えている。

 

 

「………彼らに何をした」

「何をした? またまた可笑しなことを言いますね。彼らはもとより正気ですよ、そして同時に狂気なのですよ。それは貴方が、貴方達が望んだことでしょう?――――英雄であらん、私を」

 

 

何てことだ。

俺は間違っていたのか?

 

 

「………そんな」

「気付いたのですか? そう、そうですよ!! 彼らはもはや、私の信奉者!! 哀れにも可哀想な、そして可愛想な、私に救われ、私を崇め、私に縋るしかない信者!! さもなければ生きられない、それに彼らは気づいている故に、故に!!」

 

 

迫る顔面、見開かれた眼球。

大きく聳え、見下ろされ、覗きこまれるその目は、淡い空色なのに、濁って見えた。

見下ろされる? いや、屈しているのだ、俺が。

俺の持つべき狂気が、軍人としての覚悟が、彼女の理性に責められ屈したのだ。

そして見透かされている。

 

 

「そう、あなたが!! あなたがあなたがあなたがあなたがぁ!! 気付いていながらも!! 無力だからと諦め怠惰にも私に逃れ押し付けた結果がコレなのです!!」

 

 

突き付けられた、怠慢。

信頼したのは過ち?違う。

彼女を信頼することは、過ちではない。

問題は―――

 

 

「諦めたのはどうしてです?」

「俺は」

「私に押しつけたのはどうしてです?」

「軍人として」

「責任を取らないのはどうしてです?」

「ルドルファー中尉が適任だと」

「ちっがあああああああああああああああああうぅ!!」

 

 

否定。

 

 

「貴方は、恐れるあまり、逃げたのです!! 仲間の死から、グローン伍長の死から、死の責任から。そして諸々すべての責任から。自信がないからと、力がないからと、私がいるからと!!」

「ご、ちょう?」

 

 

茫然とする。

伍長の死を、何故知るか?

教えた覚えはない。

彼女は知る由もなかった。

なのに、なのになのになのに。

何故知るか?

虚空を眺め、そして涙する彼女。

見えているとでも言うのか?

死んだグローン伍長の事が。

それは、それは。

なんと恐ろしい。

 

 

「嗚呼、なんて可哀想。私も、貴方も。ですから、ワタシは私と貴方に心から同情するのです。ええ、ええ、分かりますとも、分かりますとも。私は、貴方よりも実に救いようもない、可哀想な思いをしてきたのですから。ワタシはソレを知る。そしてワタシは、分かるのです。ワタシは貴方と同類ですから。私に運命の全てを押し付ける、同類ですからね」

「ぁぁぁああああああ!!」

 

 

そう、恐ろしい。

ルドルファー中尉の中に潜む誰かが、恐ろしい。

俺が死なせた仲間のその顔が見えている事が、恐ろしい。

俺の心の奥底を濁った、いや、濁らされた眼球で覗かれているのが、恐ろしい。

その上理解されて、同情されている事が恐ろしい。

恐ろしさのあまりに、だから、這う。

地を這って逃げるのだ。

みっともなく、情けなく。

 

だが、ルドルファー中尉の皮を被る誰かは、追いかけてきて、捕まえて、囁く。

 

 

「だから、さぁ、恐怖から逃れましょう? みんなで突撃しましょう? 終わりにしましょう? 突撃しながら、ガリア国歌を高らかに歌いながら。きっと楽しいですよ。ねぇルクレールさん?」

「や、やめろ………」

 

 

それだけは駄目だ。

 

 

「やめてくれぇ」

 

 

彼女が突撃を号令するなら、誰もかれもが付き従うに違いない。

皆、彼女に魅せられている。

疑問に思う者は誰もいないだろう。

そしてそれが活路だと皆信じて付き従うのだ。

地獄に導かれていると知らないまま。

いや、知っていても従うしかないのだ。

それが俺と、この場にいる皆が作り上げた、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー(英雄)というモノ。

俺に彼女は止められない。

 

 

「ぁああああ、ルクレールさん!! 私に全てを押し付けた罪を棚に上げ、その上ワタシに他者を慮れと、思えと頼むなんて、なんて傲慢!!」

「頼む、頼むからやめてくれぇ」

 

 

だから「やめてくれ」と懇願しかない。

みっともなく、彼女の足に縋りついて。

 

 

「………己は逃げたというのに、それでもなお偽善を行おうとするとは。まるでワタシを見ているようで、同族嫌悪とでも言うべきでしょうか。ええ、ええ。不愉快ですが、非常に不愉快ですが聞きましょう、聴き入れましょう。そもそもワタシも、私も、無意味な人の死なんてこの場にいる誰よりも、何よりも望んではいませんから」

「本当、か?」

「ですが、一つ条件があります」

 

 

また、彼女の顔面が、眼前に、寄る。

寄って、告げる。

 

 

「ワタシの邪魔をするな」

 

 

それだけ告げて、彼女は立つ。

その両足で、しっかりと。

 

 

「諸君!! 私はこれより単身、この街を占拠する糞虫共に鉄槌を下しこれを打破し、未だ戦う我らが同胞を迎えに行かんと思う!!」

「中尉!!」「ルドルファー中尉!!」「我らも共に!!」

「否!! 諸君らは此処に残り、ただ私の帰還を待て。そして見極めよ!! 私が、貴官らを率いるに相応しい者か、否か!!」

「まて………待て!!」

 

 

邪魔するなとは言われたが、このまま彼女を行かせるわけにはいかない。

この梯団には、彼女が必要なのだ。

だからこそ、一人で地獄へ向かおうという行為を見逃す訳にはいかない。

 

 

「単身で、あのネウロイを打破するだと? それが自殺行為だと分からないのか?」

「言われるまでもなく」

「なら」

「ルクレールさん、ワタシは邪魔するなと伝えましたよ」

「……っ」

 

 

「この場の指揮は任せました」

そう言って、去る彼女を俺は見送る。

これ以上、彼女をとどめる事は、俺にはできそうにないからと、諦めた。

それもまた、怠惰だ。

 

 

「ぉぉぉぉおおおおおおおお!!」

 

 

拳を地に打ち付けた。

俺は人か? 軍人か?

 

 

「づあああああああああああ!!」

 

 

頭を地に打ち付けた。

俺は正気か、狂気か。

もう一度、打ち付ける。

彼女に指摘された、逃げ。

恥じた、それを償うように。

 

 

「ふー、ふー」

 

 

明らかにしなければいけない、覚悟しなければいけない。

俺は、人か、軍人か。

俺は、正気か、狂気か。

それを。

彼女がこの場に再び、帰還するそれまでに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『主を返せ』

 

 

再び戦場へと主を誘う者に、カルラは吠えた。

全ては、主を思う愛と忠誠故に。

逃げて、主に全てを押し付けた元凶の者の勝手を、許さない為に。

 

 

「返せ? この身を? ワタシが、私に?」

『返せ』

「面白い冗談ですね、カルラ。ワタシが、ワタシこそが、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーであるにも拘らず、返せと言う。なんと傲慢。私に、貴女はソレに気付いていながら伝えなかった怠慢の罪を持っているにも拘らず」

 

 

指摘に、カルラは口を噤む。

押し黙ったのではない、噤んだのだ。

カルラは、気付いていながら確かに己の主にソレを伝える事を怠った。

怠慢であると言うが、しかしそれは主を思ってこそ、理由があるからこその怠慢。

だが、それでも怠慢だと彼女は罵った。

怒りさえ、呆れ、収まる。

カルラは察したのだ。

目の前の者は、今、思いを無視した結果だけしか見れない程に、焦っている事に。

 

 

「カルラ。主を助けたいのなら、ワタシを助けなさい。ワタシも、私を助けるから。こんな所で死ぬつもりはないから」

『なら、此処にとどまる事が最善。主も、それが一番だと』

 

 

彼女は首を大きく振る。

まるで、子どもが嫌々と、駄々を捏ねるように。

そして、見下ろす。

その見下ろす先には、ネウロイ。

彼女の空色の瞳に、燃える街が映る。

それは彼女の内の憎悪を表すかのよう。

 

 

「憎い」

『何が?』

「私を苦しめるネウロイが、利用する大人が、この世界が、そしてワタシが、全てが」

『そう』

「ごめんなさい、私。聞こえていないと思うけれど、勝手だと思うけど、謝るわ」

『本当に自分勝手』

「ええ。でもね、個人感情を殺して大衆の為の英雄になる道を選んでくれた私には悪いけど、ワタシにはそんな判断できないの。大切な人は、誰よりも大切だから。眼前の(かたき)を討たないままに去るなんて出来ないから」

 

 

それ以上カルラは何も語ることをやめた。

思いは、語る彼女と同じであった故に。

そしてカルラは、元居たヴィルヘルミナの中へと戻り、ヴィルヘルミナは再び戦場へと飛び出した。

 

 

 

 

 

白銀と朱の軌跡が、再び灰色の空を描く為に、飛ぶ。

 


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