「やっと捕まえたぞ、エーリカ」
「わっ、ミーナ!?」
どれくらい走り続けただろうか?
気づけば森の中を走っていた私を捕まえたのは、今目の前で息を切らしているミーナだった。
「はぁ、はぁ……まったく、スプーンは森に自生しているものだったか?こんなところまで走らされるとは思わなかったぞ」
「ご、ごめんミーナ、勝手に逃げちゃって」
「……いやエーリカ、貴女が謝る必要は無い。悪いのは、あの場で配慮の足らなかった私だ」
すまなかった。
そう言って頭を下げて私に謝ってくるミーナだが、「違うよ」と私は首を横に振った。
そう、違うのだ。
ミーナは悪くない。
「ミーナ、頭をあげて」
「しかし」
「お願い、ミーナ」
「……分かった」
頭をあげたミーナの顔は、私には何か覚悟をしているような、そんな顔に見えた。
ミーナ、貴女は何を覚悟しているの?
私たちとの別れ?それとも私からの罵倒?
難しいことは分からないけど、人の気持ちを察することなんてまだまだ子供である私にはまだできないけれど、私でもできることがある。
「ミーナ、聞いてほしいんだ。私の気持ち」
人の気持ちは分からなくても伝えることはできる。
それが私にできること。
本音を語ることは恥ずかしいことだけど、ここなら二人っきり、他に誰も聞いていないはずだから、私は勇気を出して語りだす。
「私ね、ミーナが引っ越すって聞いたとき、凄く驚いたよ。ようやくミーナと友達になれたと思ったのに、お別れなんて嫌だって思ったんだ」
「……」
「私ね、レオおじさんとミーナのお祖母ちゃんの事恨んじゃったんだ。『なんでミーナをガリアに連れていくんだ!!』って」
「そう、か」
「でもね、ミーナ。ミーナが迷いもなくおじさん達についていくって言ったとき、やっぱりミーナは凄いなって思ったんだ。私みたいな子どもとは……おお、ちが、い……だって……ぅく」
笑ってないといけないのに、ミーナに迷惑かけちゃいけないのに、私の目から涙が止まらない。
付き合いは長かった、しかしミーナを理解し、向き合えた時間は短かった。
けど、それでも私にとってミーナが友達であることは変わらない。
思えば私はミーナを一人にしないためと言って、結局ミーナには迷惑かけてばかり、寄りかかってばかりだった。
彼女に私は何も返せていない。
友達だと思っているのも私だけなのかもしれない。
それでも――
「いやだよミーナ、お別れなんて!!もっとミーナと向き合っていたいよ!!」
それが私の本音、子どものわがまま。
嫌われるかも知れないけれど、ここで言わないと、私はきっと後悔する。
でも……やっぱり嫌われたらもっと泣いちゃうかも。
俯いて泣き続ける私に、ミーナは何も答えない。
森の中には私の泣く声しか響かない。
やっぱり嫌われたかなと、私は俯きながら唇を噛みしめる。
「えっ?」
しかし、ふわりと、私の右手がミーナの両手に包まれる。
私が顔を上げると、ミーナは私をまっすぐ見て「ありがとう」と私に告げた。
「ミーナ?」
「ありがとうエーリカ。そう言ってもらえて私は嬉しい」
「……そうなの」
「ああ、私はこんな性格だから、話しかけてくれるような人なんていなかったんだ。しかしそんな私を見つけて、向き合って、付き合ってくれたエーリカには本当に感謝している」
「そんな、私は別に……」
「それにだ、エーリカ・ハルトマン。確かに私は遠くに行くが、しかしこれが今生の別れという訳じゃない。だから泣くな」
言われてみれば確かにそうだ。
会えなくなることばかり考えて、私はどうやらとんだ思い違いをしていたようだ。
「いつになるか分からないけど、私はエーリカに、いつかまた会いに来るよ」
「ほんと?」
「ああ、本当だ、約束する。私は友との約束は破らない」
「!あはは」
彼女の言葉に私は笑う。
だって、私一人、勝手に泣いていたのが馬鹿みたいだったから。
彼女が別れに躊躇しないのは、また会えるのを信じているから。
そういった事を考えられるミーナは、やっぱり大人だと思う。
「絶対に会いに来てくれるって約束してくれる?」
「無論だ、たとえ地が私を阻もうと、空を駆けてでも私は君に会いにゆくよ」
「そっか……なら私はミーナを笑って見送らないとね!!」
涙を拭いて、前を向く。
しっかりと、私はミーナを見て笑いかけた。
きっと今の私の顔は涙と笑顔でぐちゃぐちゃになって酷い顔だと思う。
それでも私は彼女の為に、笑顔で彼女と向き合った。
「そろそろ戻ろう、エーリカ。途中で抜け出してきたからみんな心配しているはずだ」
「あ~、ウルスラ辺りは小言言ってきそうだよ」
「諦めろ、逃げた貴女が悪い」
「え~、助けてよミーナ、友だちでしょ~?」
「断る」
「即答!?」
さて、エーリカの涙もひとしきり流し終え、落ち着いてきた彼女に、私は歩を進めるようにと促す。
鬱蒼としたこの森、今さら気づいたのだが、地元の人の話では頻繁に木の上から蛇が降ってきたり蜂が襲って来たり狼の群れがこの森に棲み付いていたりと地元の人もめったに近づかない事で有名な森なのだ。
いわばここは自然動物たちのテリトリー、長居するのは余りよいものとは言えず寧ろ危険だ。
だから私はエーリカの安全の為にも早めにこの森を抜けたかったのだが
――ガサッ
「「!?」」
近くの茂みから物音。
私はエーリカを守るように背に回し、近くに落ちている手ごろな小石を数個拾って構える。
小石とはいえ熊が出ようが蛇が出ようが、私の
「誰だ、出てこい」
茂みに隠れるものに私は威嚇するように声を投げかける。
隠れているものが人なら返事をする筈だし、獣でも何かしらの反応があるだろう。
そして茂みは、私の声に反応するようにガサガサと動き、出てきたのは
「なに?」
「嘘……」
傷だらけで満身創痍の狼の子ども。
フラフラとした足取り、しかし眼光はしっかりと私たちを捉えている子狼。
何処で傷を受けたかは分からないが、しかし未だその眼には屈服の意思は見えない。
「可哀想だ……」
そう言って子狼に駆け寄ろうとするエーリカを私は手で制す。
多分無暗に駆け寄ったら、子狼は最後の力を振り絞ってエーリカに噛みつくかもしれない恐れがある事をエーリカに伝え、彼女に何とか留まってもらう。
「でもどうするの、ミーナ。その子、早く助けないと」
「分かっているが……しかしどうしたものか」
エーリカの言う通り、生傷の多い子狼を治療――母さんの治癒魔法を以ってすれば助かるだろう――しなければ、このまま放置していると死んでしまうかもしれない。
しかし手傷を負っている獣ほど、他を警戒するものである。
子狼は現に私たちに向かってずっと唸り声を上げていた。
さて、どうしたものかと私は悩む。
私が子狼を無理矢理捕えて運んでしまう事も出来るのだが、暴れられて引っかかれるのも嫌だし、暴れる事で子狼の体力を消耗させるのもいただけない。
「どうするのさ、ミーナ」
「……運ぼう」
代案が思いつかなかった私は結局子狼を抱えて運ぶしか手はないかと思い、子狼に近寄ろうとするが、子狼は私に対してそっぽを向いた……という訳では無く、今度は私たちとは反対方向、森の虚空に向けて唸り声を上げる。
「エーリカ、如何やら拙い事になった」
「え、何で?」
「周りを見ろ」
――囲まれた。
茂みより身を晒したのは、コワイコワイ狼さん。
ぐるりとウサギたちを取り囲む狼さんは、哀れなウサギをせせら笑うかのように牙を見せた。
牙を見せて、狼さんは得意げに言う。
囲まれたと気付いた時には時すでに遅しと。
小さなウサギさん達に為す術はないだろうと。
「ど、どうしようミーナ!!」
「……」
囲まれたウサギに出来る事は、只々その場で震える事、己の哀れを泣き叫ぶ事、血肉になる事のどれか。
だろう、だろうさ、そうだろう。
距離を徐々に縮める狼さんは確信を持ってウサギさんに迫る。
「済まないエーリカ」
「ミーナ!?」
ウサギさんを抱えたウサギが一匹。
それを見た狼さんはまた笑う。
諦めの、往生際の悪いウサギさんが一匹紛れ込んでいたようだ。
しかし結果、未来は既に確定している。
それは狼さんのお腹の中だと。
「グワォウ!!」
狼さんの誰かが吠えた。
それがまるで合図かの様に、狼さんは、狼たちは一斉にウサギに掛かった。
――誰が良しと言ったか、伏せも知らない駄犬め
唐突に狼たちの足元に飛んできた礫を前に、狼たちは怯み、止まる。
その間にウサギと思っていたものは、子狼をひょいと抱えていた。
「逃げるぞエーリカ」
「えええ!?」
そしてそれは、真っ白い翼のような物を伸ばし――飛んだ。
それが飛び去った空を、狼たちは呆然と見上げ、そして落胆した。
如何やらあいつはウサギではなく、翼を持った鳥だったのだのだ、と。
「……飛んでる?」
「違うなエーリカ。かっこよく、少しずつ滑るように落ちているんだ」
狼の包囲網から空に逃げて数秒か、数分か?
脇に抱えていたエーリカが、沈黙を破って尋ねた問いに、私はそう答えた。
――外部加速
前世とは何故か異なる、今世の私の固有魔法。
簡単に説明すると、加速させたい物や自分の周りに白いブースターのような物を顕現させ、思った一定方向に爆発的加速を加えるという魔法だ。
上手く使えば恐らく飛行中の急旋回などにも役に立ち、所謂変態飛行みたいな事が出来そうだが、爆発力分魔力消費がかなり激しいのがこの魔法のネックである。
「その子どうしよう」
「さあ? 私はこの子を母さんの許で治療を受けさせた後は、好きにさせるつもりだ」
私の左腕で大人しくしている子狼。
狼の群れを飛び抜ける瞬間、茂みの奥に血だらけで倒れていた狼がいたのを私もエーリカも確認済みだ。
恐らくその狼こそ、この子狼の親だったのだろう。
群れの狼たちとこの子の毛の色が違っていた――因みに群れの狼たちの毛の色は茶色で子狼は白色――のに鑑みて、群れの縄張りに不用心に入り込んだところを襲われたといったところか。
「ワン。ガブッ」
「……痛い」
「わっ、血が出てるよミーナ。大丈夫?」
「うん、痛い」
「ミーナが涙目……そんなに痛いんだ」
高いところに追いやっている事に対する抗議か、はたまたただの甘噛みか?
どのみちこの子の牙が鋭すぎて、私の腕から血が出始めているのはいただけない。
「……ミーナ」
「どうした、エーリカ?」
「これって高さ大分高いけど、着地大丈夫なの」
「……」
「ミーナ?」
「……すまん、考えてなかった」
「ミーナの、馬鹿ああああああぁぁぁぁぁぁ―――――!!」
落下が始まり、二名と一匹の悲鳴が青い空に木霊する。
五十mを命綱なしでフリーフォール、悲鳴を上げるのも無理もない話だ。
因みに二人と一匹は奇跡的に川に落ちた事で何とか助かったのだが、その後マリーとハルトマンの母親に二人は大目玉をくらったのは言うまでもない。