だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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だから彼女は瞳に見る 【挿絵有り】

昔から。

正確には久瀬であったころからか。

私は痛みにはめっぽう強いほうであるという自覚があった。

しかしそれは痛覚が鈍いとは、また別物である。

痛みは人並みには感じているし、痛いものは、確かに痛いと感じることはできる。

だが、人間とは不思議なことに大抵の痛みは「痛くない、痛くない」とでも唱えていれば、あら不思議、なんとかなるもので。

それは言うなれば、()()()()

心頭滅却すれば、なんとやらとでもいうべきか。

この自己暗示はそれに近いものだと、私は認識していた。

 

さて。

一度意識を取り戻した後の意識は朦朧とし続け、痛みに苛まれて魘されて、何度もなんども衛生兵のお世話になった果てに、今、こうしてようやく意識を取り戻すことが叶った訳だ。

前回のような、妙な意識と身体のズレは感じない。

そのことに安堵し、身体をベッドから起こす。

 

すると、みしりと、妙な音。

 

 

「………」

 

 

冷や汗垂れる私の身体は、震えが止まらない。

嫌な音だ。

とてもとても、嫌な音だ。

ベッドの軋む音? いや、違う。

ソレは、私の中の、骨の音。

 

 

「………ふ、ふふ。痛くない、痛くないぞ」

 

 

ごあいにく。

痛みの聴覚は現時点を以て閉じてしまったもので。

身体が訴えてくる悲鳴は僅かに聞こえはしたが、もはや聴くことはもはやない。

聴き入れている時ではないのだ。

 

よし、さてと気合を入れ。

よっこいしょと、立たんとしてみる。

とはいえ、身体の悲鳴を無視する。

それは悪化しているコンディションを回復できるというわけではない。

迂闊であったと、白状する。

 

 

「ぶっ!?」

 

 

地面とキス、再び(アゲイン)

立ち上がろうとして、また転倒する事になるとは。

 

 

『大丈、夫?』

 

 

心配してくれるのか、静かに寄って。

しかしオロオロしているのは、カルラ。

「大丈夫、だ。私は至って大丈夫だ」と、さも平然のように答えるも、今の私の顔はきっと、羞恥で真っ赤に違いない。

 

ふと気になった、折れていた筈の左腕。

私が眠っている間に治癒魔法を受けていたのか、以前よりもマシのようだ。

しかし未だギプスは外れておらず、使えないらしい。

という訳で、右腕だけで身体を起こすことを、試みる。

私を支える右腕も脚も、プルプルと生まれたての小鹿のように震えているのを見、これでは自力で出歩くことは、未だ無理かと溜息を零す。

と。

 

 

「ルドルファー、中尉?」

 

 

そうこうしていると、入り口より、声。

顔を上げて目が合うのは、戸惑いの表情をみせるルクレール中尉と。

それは嗚呼、なんということか。

間が悪すぎる、再会。

 

冷めた顔のほてりが、再加熱。

 

 

「ふっ、ふふふっ、ふふふふふっ」

 

 

私の身体が大いに震えるのは、先ほどまでとはまた異なる震えであるのは、言うまでもない。

 

 

「………よし中尉、頭を私の届く位置まで下げて差し出せ、今すぐに」

「ま、まて!? まてまてまて!? その握りしめたまま振り上げた拳は何だ!?」

「心配するな。家族へのお悔やみの手紙は、私が書いてやろう」

「成程殺す気か!?」

 

 

ルクレール中尉に、転んでいる私をまた見られたという恥辱。

彼とは、私がやらかした愚行と罵倒の件があるので、できればしばらく距離を置きたいと思っていたのだが。

しかしまた私の恥ずかしいところをみせてしまったわけだ。

ああくそっ、前言撤回だ。

何が「痛くない、痛くない」か。

痛い、頭が。

 

恥辱に頭を抱える。

そんな私に、そっと手が差し伸べられた。

差し伸べてきたのは、当然ルクレール中尉。

 

 

「ったく。ほら、ルドルファー中尉」

「あ、ああ」

 

 

手を伸ばしかけて。

しかし前回は払いのけてしまったことを思い出し、少しばかり躊躇ってしまう。

結局は、その手を掴むことを選ぶのだが。

 

 

「すまない」

「構わない、が………ルドルファー中尉は、その」

「なんだ?」

「もう起きても大丈夫なのか?」

 

 

ベッドに一度腰を下ろした私に、ルクレールは歯切れ悪く問う。

転んで地面とキスしていた件について触れない程度には、ルクレールは紳士であるらしい。

 

 

「大丈夫、とは?」

「中尉、君の身体の話に決まっている。中尉が手術を受けてから、まだ四日しか経ってないのだぞ」

「むっ?」

 

 

手術の件は、初耳。

しかしまあ、四日で動けるのなら、問題ではないと判断する。

久瀬の頃は一か月意識不明の重体でも、回復後は即戦線復帰したこともあるのだ。

それを考えるなら、今回の()()は大したことない。

 

 

「………ルクレール中尉、君はおかしなことを言うものだ。見て分からないのか、それとも顔面についた眼は節穴か」

「俺が言いたいのはそうではなく―――――」

「まあ、そんなことはさておき、だ」

 

 

余計な詮索、気遣いは無用とばかりに、言葉を被せる。

いま必要で、重要なのは個人の心配ではなく、一つでも多くの情報。

私が眠っていた間に変化したであろう我軍と、その周囲の現状だ。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「――――さてルクレール中尉、いろいろなことを聴いてきた訳だが、我々の現在地の所在は何処だ。日数的にはモンベリエあたりだとは思うのだが」

 

 

梯団の編成状況、戦力、物資等々。

知っておくべき情報を確認し終えた私は、最後に我軍の現在位置の確認せんと聴く。

が、ルクレール中尉は溜息一つ吐き。

 

 

「残念ながら、現在地も何も、我々は未だ撤退行動に移行していない」

「撤退を、はじめていない?」

 

 

現在地は、未だ駐屯地?

この切迫した状況下で、しかし今日まで梯団を動かしていない?

………馬鹿な。

南部から広がるネウロイの勢力圏は、こく一刻と私たちを飲み込もうとしているのだ。

だからはやく。

ネウロイの脅威が迫る、ネウロイの瘴気が迫るその前に、北に撤退しなければ我々は全滅してしまう。

私でさえ気づけるその危うさを、おじいさまが分かっていないとは考えづらい。

ではおじいさま――――ルネ・フォンク大佐は何をもって梯団を動かすことをしなかったのか。

 

 

「………っ、成程。嗚呼、くそっ」

 

 

目頭を揉む。

それはさも考えているという姿勢をみせる、()()()

 

答えは考えるまでもなく。

分かり切った答えには、落胆と、今後の困難を想って思わず舌打ちしてしまう。

この四日間は、おそらくは合理主義的軍人ならば当然として判断するべき決断の猶予であったのだ。

助かる見込みがない者を見捨てる、決断と選別の猶予だ。

私もまた回収した負傷者たちを見、考えた事である。

ルネ大佐なら何か妙案を、とも思って期待はしたが、四日もとどまったことはそれがない事の証左。

残念であり、そして面倒だ。

 

四日というギリギリの猶予を捻出したルネ大佐は、まだ情のある人間だろう。

きっとその決定には、梯団を取り纏める将兵たちからの反発が大きかったに違いない。

その中で、反発したであろう将兵を抑え、それだけの猶予をつくったルネ大佐は流石としか言いようがないが、しかし四日も待ったとはいえ助かる見込みがない者を見捨てる決断は、事実上の死刑宣告だ。

これを受けた人々の反応は如何にと想像すれば、それもまた考えるまでもない結果が見えてくる。

 

 

「ルクレール中尉」

「なんだ?」

「少しばかり、手をかしてくれ」

 

 

たとえそれが助からない者であっても、軍人でもない民間人を切り捨てる決断は、理解されても、納得はされまい。

命を見捨てることは、なによりも非情な判断だと捉えられることは当然避けられないだろう。

 

壊死した細胞を取り除くような、決断。

それは我々に、助かる見込みのない者まで面倒を見る余力がなかった力不足故にさせるもの。

そう。

判断したのはルネ大佐であろうが、判断させたのは我々である。

彼ただ一人を責められるのはおかしな話だが、しかし組織の力不足、その責任の所在は彼に発生する。

それが、組織のトップというモノだ。

 

彼と私では、偽りとは言えそれでも階級が違う故に、だからこそ、その立場を変わる事はできない。

歯がゆい事だ。

この責任問題ばかりは、私にはどうしようもない。

 

だが非難の()()に立つべき人は、必ずしも彼でないといけないということは、ない。

ミスディレクション。

憎むべき対象を、私が矢面に立つことで誘導することはできる。

 

ルネ大佐はガリアの、いや、欧州全域に名を知られるほどの大英雄だ。

これからの戦いのこと、撤退戦の後の、反攻戦を考えるなら、当然大佐は要るべき存在。

梯団を、ガリアを纏めるべき御旗だ。

当初の撤退時に群集団を纏めるべきソレになるべきかと覚悟した私だが、それよりも確かなネームバリューがあるルネ大佐がいるのであれば、私はもはやソレになる必要はない。

大佐が――――おじいさまがいるのであれば、私の身の振り方もまた変わるのだ。

御旗は、二つもいらないから。

 

その御旗を穢させぬ。

汚れを拭うのは、綺麗な御旗よりも擦り切れて使い古したボロボロの雑巾の方がいいに決まっている。

私もその方が性に合っているし、慣れている。

それが彼の娘を、備えていたにもかかわらず、みすみす死なせてしまった私の咎で。

愚かにも自己満足で犠牲になり、おじいさまを復讐者に成り下げさせてしまった私の罰となる。

 

もっとも。

私がただの少女だという事を知っているおじいさまが、これから私のすることを黙認してくれるかどうかという問題がある。

………説得は、必要か。

いや、この際、私の罪も暴露してしまったほうがよいか。

そうすればきっと、おじいさまは私を見限ってくれる。

そうすればきっと、おじいさまは私を頭のイカれた奴だと思ってくれることだろうから。

 

捨てられて、嫌われる。

仕方のない事で、当然の結末だ。

おじいさまには、その権利がある。

寧ろ嫌われた方が、私としても都合がいい。

そうすればおじいさまは躊躇なく私を戦場に投入でき、私もまた、もとの軍人としての私へと戻れるのだから。

 

 

「中尉、その身体で何処に行く?」

「なに、ただの散歩だよ」

 

 

散歩とは、また下手な方便だな。

そう思いながらルクレールの手を借りようと手を差し出すが、しかしルクレールはそれに応えない。

応えずに、彼は痛々しげな顔をして、私を見る。

 

 

「中尉、君はもう十分戦っただろう」

 

 

………十分?

 

 

「ルドルファー中尉、君は看過できない負傷を負っている」

 

 

負傷?

敢えて言おう。

だから、なんだ? と。

 

 

「………ルクレール中尉、見ての通り、確かに私は負傷している。思考レベルも、今こそ平時よりも低下している事も認めよう。だから、言いたいことははっきりしてくれよ」

 

 

嘘だ。

ルクレール中尉が言いたいことは、私の頭でも分かっている。

負傷して、満足に動けない私は、お荷物。

邪魔でしかない。

中尉が私に向ける言葉を想像するのは容易だ。

だが、その言葉は今の私にとって。

 

 

「これ以上、中尉が戦う必要はないという事だ」

 

 

ほら。

至極、最悪、極まる。

 

 

「はっ、戦うとは。また可笑しな事を言う。ルクレール中尉、外を見ろ、敵は何処だ?」

 

 

外を指す私は、どうやら苛立ちを覚えているらしい。

己が思っている以上に、語る言葉は荒々しい。

 

 

「ルクレール中尉、私を見ろ、負傷しているぞ? 戦おうにも、少なくとも数日は戦えんよ」

 

 

己の胸に手の平を向ける私は、どうやら焦っているらしい。

己が思っている以上に、語る言葉は早口だ。

 

 

「敵はネウロイだけではない。君の行動次第では、民間人も場合によっては敵になり得るだろう」

 

 

言葉遊びには、させてはくれない。

ルクレール中尉はどうやら、私が今から行わんとすることを分かっていて、その上で私を邪魔せんとしているらしい。

私の闘争と贖罪を。

私の戦争と責務を。

 

 

「………貴官らの責任者は、私だ。貴官は私がその役割を負う事を認めておいて、しかし今更その責務を奪うのか?」

「いまさら理解の不足する子どものふりしてとぼけても無駄だ、ルドルファー中尉。既に我々があちらの梯団に組み込まれた事を察せない君ではない筈だ。これからの責任はフォンク大佐にある。それでも君が動く理由があると言うのか」

「ある」

 

 

即答する。

ここにいたのは四日と言った。

腹立たしい事この上ないが、恥を忍んで頭を下げる。

時間がないのだ。

 

 

「だからこうして頭を下げて、手をかしてくれと言っている。ルクレール中尉、私が気に食わないなら、それでもいい。だが、余計な事をしている暇はない」

「それは、『フォンク』という苗字に、関係あることか?」

「――――っ」

 

 

図星。

故に、言葉に詰まる。

だが。

 

 

「確かにそれは理由の一つにはある。だがそれを決意にするには不十分だ」

 

 

贖罪は確かに理由の一つにはなる。

が、しかし不十分だ。

 

 

「なら、そうまでして君が動かんとする理由は何だ?」

 

 

ルクレール中尉は、まっすぐに私を見て問う。

嘘偽りは、許さんと言わんばかりに。

私の真意を探らんと。

 

 

「理由も何も、私は軍人だ。ガリア軍の将官だ。理由はそれに尽きる」

 

 

だから私もまた、まっすぐにルクレール中尉の目を見て答えた。

 

一度騙ってしまったのだから、致し方なし。

私は軍人に徹底して成り切らねばならない。

そうなれば軍人として、大局を想っての選択は当然である。

所詮人生は、配られた手札で最善を尽くすしかないのだ。

詰まりは自己の生存戦略と保身を図る為。

他人任せの不安故もあるが、極論、嘘偽りはない。

 

これからを想ってこそ。

傍から見ればさも国家国民に忠誠を尽くした軍人としての模範的な回答に、さて、ルクレール中尉はどんな反応をみせるか?

 

 

「信じていいのか」

 

 

しかし否応ではなく。

そんな事を口走った彼の言葉は、正直予想外のものであったと白状する。

 

中尉の参謀としては壊滅的なほどに感情的な部分は、参謀としては失格と言わざるを得ないところではあるが、だからと言って、彼に能力がないこととイコールにはならない。

私から見たルクレール中尉は、よく頭の回る利口な奴だという認識であった。

そんな彼が、彼と彼の仲間を私は扇動し利用した事実に気付いていないとは思えず。

それでも私を「信じていいのか」と言うのだ。

 

 

「私を、信じるのか?」

 

 

だからそんな阿呆な事を訊かれては、思わず聞き返してしまう私は悪くない。

いや、私の都合のよい駒に成り下がるのなら歓迎するのだが、そんなうまい話などある訳がない。

第一、私が再度出撃する際にルクレール中尉に吐いた罵倒から、彼は私の精神状態が正常のそれとは遠く離れたものだと分かっている筈だ。

 

 

「ああ」

 

 

そんな私を、信じる?

戯言は大概にしてほしい。

ルクレール中尉。

一体、何を考えているのか?

 

てっきりルクレール中尉は、今から私のやらんとすることを邪魔せんとしていたものと考えていたが、これでは、まるで………

 

 

「ルドルファー中尉。この四日間、俺は君が出撃する際に言った言葉をずっと考えていた」

「………あの時言ったことは、忘れろ。あの時の私は錯乱していたのだ」

「それでも――――」

 

 

曖昧であった時の話をされるのは恥ずかしいと、目を逸らすが。

ずいっ、と。

ルクレール中尉は一歩、こちらに寄る。

 

改めて言うが、私は未だ少女である。

背はようやく140を超えたあたりの、ちんちくりんである。

対してルクレール中尉は男で、大人。

そして参謀にしてはよく鍛えられた、屈強な、れっきとしたガリア兵士である。

何が言いたいかというと、ただでさえ彼の大きくてよく鍛えられた体格は、視点の低い私にとってはより大きく見えるということ。

 

 

「君が言った言葉を、俺は考えずにはいられなかった」

「お、おい………」

「ルドルファー中尉、俺は君に謝らないといけない」

 

 

彼がずいっ、ずいっ、と鼻息荒く迫ってくるのだ。

 

 

「俺は君を疑っていた、俺は君が怖かった。そして俺は君の力を羨望し、全てを投げていた。でも、それは間違いだった」

 

 

私の感じる恐怖を、お分かりいただけるだろうか?

貞操の危機。

いや、流石にそんなつもりは彼にはないだろうが。

しかし頭によぎるのは、生前、能見二尉が竹下二尉に矢鱈と連呼していたロリコンというワード。

 

後ずされば、彼が寄る。

仰け反る体勢では力が入らず、とうとう私はベッドに倒れてしまう。

それでも私の目をまっすぐに見て語ろうとするルクレール中尉だが、いい加減気付いてほしい。

誰かに我々の格好を見られようものなら。

 

 

「だから俺は、君に――――」

「ルクレール中尉、大変――――――――あっ」

 

 

私を襲っているものと、勘違いされかねないというのに。

………もう手遅れのようだが。

 

 

「ヴぃ、ヴィ、ヴィルに何してるんだ!! この、変態!!」

「ち、違っ!? おごぅ!?」

 

 

後ろから誰かに蹴り上げられたルクレール中尉のムスコは、私の目の前で壮絶な殉職を遂げてしまった。

一瞬、本気でルクレール中尉の実家にお悔やみの手紙を出すべきかと思ってしまう、それほど容赦の欠片もない見事な蹴りであった。

地面に股を押さえて転げまわって唸るルクレール中尉。

そんな彼には、私も元男だっただけあって、大いに同情する。

あれは、さぞや痛かったことだろう。

ただ紳士だったり紳士じゃなかったりラジバンダリーと、妙に気が利いたり利かなかったりする彼にはいい薬となっただろう。

 

さて。

ルクレール中尉が床に転がったことで私の視界が開け、そこで彼のムスコを蹴り上げた誰かのご尊顔を拝見することが叶うわけだが。

私に向けられる、栗色の瞳。

同色の髪はショートカットに切り揃えられ。

気の強い子犬を連想させられる彼女は、ジャンヌ・フランソワ・ドモゼーだ。

 

 

「ヴィ、ヴィル!? 目が覚めたの」

「やあジャンヌ。四日ぶりかな」

 

 

シャルロットもな。

 

ジャンヌの影に隠れるように立っていた彼女にも、声を掛ける。

戦場で見かけた時にはひやりとさせられた彼女だが、こうして無事だったことが分かったことは、朗報だ。

たとえ彼女に以前みたいな明るさがめっきりなくなって、俯きで瞳が前髪に隠れて影を落としていたとしても、生きていたなら朗報だ。

朗報ったら、朗報だ。

 

………ああ、また面倒事か。

内心とはいえ、また溜息を吐く。

今のシャルロットには、誰かのデジャヴを感じて、その危うさを予感する。

が、ぶっちゃけ、構ってられないのが本音だ。

自身のメンタルさえ定かではない私が、どうして他人のメンタルケアをしなければならないのか?

 

明らかに爆発物と化してしまったシャルロット。

だから、悪いが今の彼女には、薄情だが触れないでおこうと、判断。

 

 

「で? ジャンヌたちはルクレール中尉に用があったのでは?」

「そ、そうだった。ルクレール中尉、へんたっ――――大変なんだ。部隊の人が早く来てくれって」

「………おいドモゼー、いま変態って言いかけなかったか?」

 

 

そんなこと今はどうでもいいだろと、ルクレール中尉に肘打つ。

 

 

「何があった?」

「わ、分からないけど、僕たちがドクターの手伝いをしていたら、大人の人達がドクターの人達に殴りかかって………」

「………喧嘩か?」

「いや、ただ喧嘩なら、ルクレール中尉を呼ぶまでもないだろう」

 

 

大方、ドクターの誰かが不用心にも切り捨ての件について話していたのを、他の誰かに聴かれてしまったのだろうと推測する。

ルクレール中尉が呼ばれた時点で、それはただの喧嘩ではなく、もはや暴動の一歩手前であることすら考えられる。

 

 

「もたもたしている暇はないな。ルクレール中尉」

「………本当に、行くのか?」

「なに、中尉が事態を上手く取りまとめる事ができるなら、私を置いて行っても構わんぞ?」

 

 

事態は最悪な方向へと進んでいるようだが、いずれは伝えないといけなかった事だ。

予定が繰り上がったと考えれば、問題はさほど最悪ではない。

 

 

「………止めておこう。ルドルファー中尉は過保護だから、置いて行ったところで這ってでも来そうだ」

 

 

差し出す手を、彼は取る。

「過保護」という言葉には引っ掛かりを覚えたが、手をかしてくれるのだからまあいいかと捨て置く。

というより、最初から素直に手をかしていればいいものをとは思うのだが。

 

 

「むー」

 

 

………はて?

傍にいたジャンヌが、どういう訳か不満げなのに気づくが。

訳が分からん。

いまから遊びに行くわけではないのは、彼女だって分っている筈だ。

 

 

「なんだ、ジャンヌ。この融通の利かない中尉の代わりに私の従順な松葉杖になりたいのか?」

 

 

冗談めかして言ってみる。

私の知るいつものジャンヌなら「冗談じゃないよ!!」と怒るかと思ったのだが、「えっ、あの、その」と顔を真っ赤にして慌てはじめたので、可笑しなものだと笑う。

まあ、彼女が中尉と代わりたいと言ったところで私は、それ以前に中尉もその役目を代わらせることは絶対に無いのだが。

 

そう。

今これより、護られる幼女である彼女たちと、私の立場は明らかにたがうのだから。

 

 

「ジャンヌ」

「な、なに?」

「気張れよ」

 

 

ここから先、ドモゼー姉妹とまともに会う機会はないだろう。

私は兵士として前線に立ち、彼女たちは梯団に民間人として保護されるのだから、当然だ。

だが護ると約束した手前、二人をこのまま他の誰かに任せるのは気が引けた。

だからせめてと、言葉を残す。

 

 

「私はこれから先、一兵士として最前線に身を投じる事となるだろう。それは二人を護る事に繋がると信じているが、二人を直接護ることはできない」

「ヴィル………」

「いいかジャンヌ、人間は非力だ。子どもなのだから猶更だ。だから他人を頼れ、大人を頼れ、生きたいと渇望するのならあらゆるものを頼れ、君たちにはその権利がある」

 

 

だが、と。

ジャンヌの腰の物に、そっと手を伸ばす。

そこにある物は、私が護身用にと渡した、拳銃。

 

 

「本当に、最後の最後に自分たちの身を護れるのは自分たちしかいない。いいか、そのことをよくよく覚えておけよ」

「………分かった」

 

 

私の言葉に、ジャンヌは強く頷く。

妹の為にと戦っていた、強い意志を持つ彼女のことだ。

多少の困難くらいは、きっと乗り越えてくれることだろう。

さて。

 

 

「シャルロット」

 

 

問題は、彼女だ。

本当なら早急にこの場から立ち去りたいところだが、ジャンヌに声を掛けておいて彼女には何も言わずに去るというのも、失礼か。

だからと言って、何と声を掛けたものかと悩むのだが。

 

ふと、私が名前を呼んだからか、彼女は少しだけ顔を上げてくれていることに気付き。

ようやくシャルロットの、前髪に隠れていた瞳を覗くことが叶うのだが。

そうして、「ああなんだ」と。

デジャヴを感じるのも、無理もないと納得した。

 

それは久瀬の時と、一度目のヴィルヘルミナが、自暴自棄であったときの、瞳。

誰かからの「非難」を求める瞳。

 

 

「シャルロット」

 

 

「非難」をくれてやることは容易い。

私だって、彼女に文句の一つや二つはある。

けれど、それを言ってもらったところで、なにも満たされることなく寧ろ飢えてしまうのは、経験則で分かっている。

何故なら感情の深層で、本当に欲していたものは「非難」ではないのだから、満たされているのに飢えてしまうのは当然と言えば当然だろう。

 

 

「………っ」

 

 

だから。

私はシャルロットの名前を呼んで。

彼女の頭をポンポンと、触れてあげる。

そして。

 

 

「ありがとうな、私を助けてくれて」

「っ!?」

 

 

シャルロットが一番欲しておらず、けれど彼女に一番必要な言葉をあげるのだ。

彼女にとって残酷な、救済の言葉を。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

シャルロットに言うべきことを言い終えた私たちはすぐ、ドモゼー姉妹を残し天幕を後にした。

先を急ぐ問題があるのだから当然ではあるが、ルクレール中尉に引かれる私は、背の天幕から少女の涕哭を聴く。

振り返る事はない。

私が彼女にできることはしたつもりだから。

後はシャルロットの気の持ちようと、ジャンヌのフォロー次第か。

 

………それにしても「ありがとう」、か。

 

朦朧とする意識の中、シャルロットが懸命になって夜な夜な私に治癒魔法をかけてくれていたことを覚えていたからこその言葉は。

しかし私が決して、生前一度としてかけられることの無かった言葉であった。

それを「欲している」と考えるのは、いやはや、我ながら女々しいものである。

今でこそ割り切れていると思っていたが、しかし今でもそう考えてしまうという事は、つまり――――

 

 

「………なあ」

 

 

遠くの喧騒に向かって、暫く無言で歩いていた私たちだったが。

ルクレール中尉は不意に足を止め、私もまた止まる。

 

 

「ルドルファー中尉」

「………なんだ」

 

 

彼は私を見ていない。

彼の目は、聴こえる喧騒を眺めていた。

 

 

「俺は君を信じていいのかと訊いたな」

「ああ、訊いたな」

「本当はもっと君に言いたいこととか訊きたい事があったんだが、これだけは訊かせてくれ」

「なんだ?」

 

 

 

 

 

――――軍人に必要なものって、なんだ?

 

 

 

 

 

………また抽象的なことを訊くものである。

それは兵士としてか、参謀としてか、指揮官としてか。

軍人と言っても、その立場たちばの違いによって、心構えというのは変わるものだ。

一括りにはし難い。

 

だが、人と軍人の違いの狭間に苦しんでいるのであれば。

その人にとって必要なモノは。

 

 

「理不尽を諦め、受け入れる耐性だ」

 

 

それが、私の答えであった。

 




新年あけましておめでとうございます。
「二年かかって33話、しかも未だストライカーさえ出ないって、どういうことかね?」と、方々からお叱りを頂戴おります拙者こと、bootyでございます。
相変わらずの亀更新ではございますが、他拙作共々これからもご付き合いいただければ幸いでございます。


さて、今回話で34話目となりますこの「だから彼女は空を飛ぶ」ですが、ストライカーは本当に出るのかと疑問に思っている読者様もいらっしゃることでしょう。
そこで、以前挿絵を頂戴致しました崋山氏と相談いたしまして、先の未公開話の、ストライカーを履いたヴィッラ嬢の挿絵を新たに頂戴する運びとなりまして、先行してその線画を公開する事に致しました。
挿絵を新たに描いてくださいました崋山氏には、この場をお借りして改めて感謝を。



【挿絵表示】



また、こちらも崋山氏が製作された「だから彼女は空を飛ぶ」の表紙画になります。



【挿絵表示】

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