だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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『我々は、必ず還ってくる』


――――タルヌ県 国立平和記念公園記念碑より――――


だから彼女は失敗する

街がネウロイから解放されてからの四日間、軍医や民間の医師らで編成された医療チームに参加した者のほとんどは、ほぼ不眠不休で傷病者の治療行為に従事していた。

『回復の見込めない者は、捨て置く事』

ルネ大佐の決定したその方針に該当する者を、一人でも多くなくすためであった。

 

彼らの尽力は、一定の成果としては出ていた。

当初の想定されていた該当患者数から半数以上数を減らすことに成功したのである。

勿論彼らに新たなトリアージ法――――ヴィルヘルミナトリアージ――――が齎されたことによって適切な初期治療が行われるようになり。

そしてネウロイから街を解放し、動くことのできない医療現場に及ぶ危険を排除したルドルファー中尉の貢献を排除することはできない。

しかし医療チームの尽力は、多くの人命を救った行いは、それに勝るとも劣らないモノであったと言える。

 

 

「………先輩」

「この患者は、駄目だ。ここにあるものでは、これ以上のアプローチは望めん」

 

 

それでも。

該当患者の半数以上の数を減らすことが叶っても、全員ではない。

どんなに尽くしても、助からない命もまたあった。

 

頭部外傷が原因と認められる、意識不明で運ばれた老婆がいた。

その時、彼女を担当していたのは、二人の医師であった。

一人はベテランの医師であったが、もう一人は研修期間も明けていない新米の医師であった。

 

 

「布を『黒』に換えておけ」

 

 

二人とも目の下には、酷い隈。

それは二人もまた医療行為に奔走した証左であって、その分だけの救った命も多くある。

だが。

 

 

「もう………もう限界だ!!」

 

 

切り捨てを決断した患者もまたあって。

命を選別する、その重圧感と罪悪感は己に、もっと己に技術があれば、と。

もとより責任感の強かった新米の医師は切り捨ての度に、己を、責めて、責めて。

その果てに、いつしか己の医療行為が切り捨ての選別のための行為にしか思えてならなくなってしまった彼は、ついに限界の時がきた。

手に持つカルテを地に投げ捨てた彼は、頭を抱えて蹲る。

 

 

「これ以上俺にはできない!! 切り捨てなんて、見殺すなんて!!」

 

 

直前まで混乱を避けるため、切り捨ての選別を行っている件は、医療チームと梯団の首脳部以外には伏せられていることである。

新米故に彼についていたベテラン医師は、彼を止めるべきであったのだろう。

俺はこんなことをするために、医者になったのではない。

そう叫ぶ新米医師を、しかしベテラン医師はどこか他人事のように虚ろに見下し、そして止めることはしなかった。

 

彼もまた、同感であったのだ。

そしてもう、億劫であったのだ。

自分たちもまたネウロイに襲われ、大切な者を失った。

だとというのに嘆く暇もなく、ほぼ不眠不休で医療行為に従事しているのに己の無力、無能を晒すばかり。

 

ベテランの医師も、ネウロイの襲撃によって妻を亡くした。

彼もまた心身ともに疲労困憊であったのだ。

だから同感である意見を止めることをせずに。

一瞬だけ、少しだけ、と。

自分では吐くことが許されない悲鳴を、代わりに新米の医師に言わせていたのだ。

 

 

「………おい」

 

 

結果、やはり、隠さなければならなかったモノが露呈してしまうのだが。

たとえそれが間違いだとしても。

それによって何が起こるか分かっていても。

 

 

「切り捨てって、どういうことだよ」

 

 

もう、どうでもいいと。

ベテランの医師もまた、全てを投げてしまった。

責任の、放棄。

それが暴動の発端であった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

人、集まれば群衆と呼び。

群衆になった人々は、常に何かしらの熱気を持つものである。

それをヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーは知っている。

ソースは己だと、胸を張る。

 

 

「軍の暴挙を、許すなぁあ!!」

 

「我々を、見捨てるなぁあ!!」

 

「選別を、止めろぉお!!」

 

 

その熱気は、多種多様な変容性を持っているが。

例えば、今ここにある熱気は、『熱狂』。

それも、あまり好ましい類のものではないとヴィルヘルミナは肌で感じた。

 

ルクレール中尉に支えられ、彼らがたどり着いた喧騒の現場は一触即発の空気が漂っていた。

今でこそ兵が壁となって人々を塞き止めて、何名かの士官が説得を試みているようだが、話を聴き入れてくれる様子は、ない。

状況は暴動の一歩手前かとヴィルヘルミナは見た。

 

 

「中尉、エヴァンス中佐だ」

 

 

兵に指示を出すカイゼル髭を蓄えた壮年の陸軍将官に向かって歩くルクレール中尉の耳打ちを受けて、ヴィルヘルミナは了解する。

ルクレール中尉と違って自身はおせっかいで来ているのだから、此処にいる将校の中でも最高位らしいエヴァンス中佐に話を通すのは、確かに筋である。

しかし相手は陸軍。

見た目少女である自身の話を聴いてくれるものか。

不安に思いながらも、ヴィルヘルミナは身を引き締める。

 

 

「失礼。フィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉、到着いたしました」

「ルクレール中尉か。よく来てくれた――――?」

 

 

ルクレール中尉が敬礼する横にいるヴィルヘルミナに、エヴァンス中佐がはたと気づいたところで、彼女もまたルクレール中尉に倣う。

揃えた踵、軍靴の音。

それは喧騒の中でもよく響いた。

 

 

「君は、確か」

「無様な格好で申し訳ありません、エヴァンス中佐、お初にお目にかかります。小官はガリア空軍所属のヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉であります」

「………ルクレール中尉。彼女は絶対安静だと聴いていたが」

 

 

ルクレール中尉に目を向けて、エヴァンス中佐が言葉尻強く問う。

意を汲み取るならば、「支えられなければ立てぬような小娘が何故此処に?」か。

 

 

「お言葉ですが中佐」

 

 

負傷兵が怪我をおしてこの場にいる状況。

いやはやそれを不安に思うのは致し方なしかとヴィルヘルミナはエヴァンス中佐の心情を察し、なけなしの魔力で以てルクレール中尉の支えから離れ、二本足で立ってみせ。

 

 

「僭越ながらこの状況、猫の手も必要なものかと愚考いたしますが」

 

 

そして、心配には及ばないと、彼女は不敵に笑ってみせた。

それを見るエヴァンス中佐は眉を顰めるが、やがてやれやれと呆れ降参する。

 

 

「まったくルドルファー中尉、つくづく君の献身的貢献には感心させられるよ」

「はっ、恐縮であります」

 

 

エヴァンス中佐が両の手を挙げるのは、はたして降参の意図だけか。

いや声色は、彼が諸手を挙げたものだとヴィルヘルミナは解釈する。

 

 

「さてルドルファー中尉、君はこの事態を何処まで把握しているかね?」

「残念ながら、まったく」

 

 

素直に白状するヴィルヘルミナ。

しかし、ですがと、彼女は一呼吸おいて続ける。

 

 

「事態の起こった事情の予想はついております。この騒動の原因は、『切り捨て』の件にありますね」

「………なるほど」

 

 

エヴァンス中佐は彼女の返答を聴いて、頷く。

概ね、彼女の答えは、正解。

しかしエヴァンス中佐が頷くのは、なにもそれだけのことだけではなかった。

そこにあるのは、感心と関心。

 

 

「ルドルファー中尉。事態の推測ができていた貴官は、つまり()()()()()()()していたという事か」

「はい。我軍を取り巻く情勢、現状、及び敵性勢力の進行状況等に配慮し勘案しました場合、生存確率の高い撤退ルートのひとつとしてローヌ渓谷が妥当かと判断し、またローヌ渓谷を進行する際の問題のひとつとして、既に合流以前より覚悟しておりました………対策が遅れ、結果として問題を先延ばしにしたこと、お詫び申し上げます」

「いや、貴官はネウロイ撃破後、意識不明の重体であったのだ。貴官を責めるところではない」

 

 

彼自身、ウィッチの価値は理解しているも、欧州列強がこぞって進めているウィッチの軍事運用の件に関して言えば、懐疑的であった。

それは倫理的に彼女らが女子供であるだけでなく、精神も経験も未熟である彼女らに作戦の理解、そして私情に左右されない一貫した遂行能力を疑ってのことであったのだが、いや、今一度、見直さなければなるまいとエヴァンス中佐は考えを改める。

 

頭の回転は、よい、思考力はある。

尉官にして戦略を理解するのではなく勘考でき、その責任を自覚できる人材は中々いるモノではない。

損得勘定を醒めた視座で決断できる能力もまた同様、だが………

エヴァンス中佐はそこまで考えて、はたと、目の前の事実をあらためて整理する。

 

 

「―――――? ………………!?」

 

 

整理はやがて理解を推し進め衝撃となり、彼は愕然する。

 

こんな少女が、戦略を?

兵士としても確かな戦力として数えられる?

はっきり言って、「稀有」。

極めて稀有な人材だと評価する他ない、と。

これが熟練の尉官なら、まだ、理解できた。

が、彼女はまだ12。

齢12にしてこれか?

冗談ではない、と。

 

年齢のことを思うなら未だ伸び代のあることを思えば、末恐ろしいと言う他ないとエヴァンス中佐は表情筋には出さないものの、内心では嫉妬と驚愕交じりの感情を渦巻かせる。

 

 

「? エヴァンス中佐?」

 

 

ヴィルヘルミナはヴィルヘルミナで、何か見当違いで拙いことを言ったかと恐縮していた。

恐る恐るで、上目づかいで。

 

 

「………いや、なんでもない」

 

 

その姿は、彼女を年相応の少女であることも、またエヴァンス中佐に思い出させた。

 

私が、子どもに、嫉妬?

彼女の資質はともかく、なんと大人げもないことをと、彼は自戒する。

 

改めて、エヴァンス中佐はヴィルヘルミナを見下ろす。

流石にルドルファー中尉をモデルケースとするのは些か人選としてはアレではあるが、ウィッチは軍事利用するに足る能力を持つことは可能である証明は、いずれ彼女によってなされるだろう。

それを思えば頼もしく、同時にここで散らすにはあまりに惜しい人材だとエヴァンス中佐はヴィルヘルミナを再評価する。

 

 

「ルドルファー中尉」

「はっ」

「貴官の推測は概ね正解だ。補足として医師団総括であった軍医中佐と他数名の民間医が人質に取られていることを把握しておけ」

「武力鎮圧は、あくまでないと」

 

 

後の禍根となる武力鎮圧は、人質あるなし関係なく当然として最終手段であるというのは理解しているが、あえて言葉にすることでそれが共通認識であることを、エヴァンス中佐の首肯で以て、ヴィルヘルミナは確認した。

自然ではあったが、組織として一貫した共通認識を持つことの重要性を理解している若者は少ないが、彼女はそれこそ生まれる前より理解していたようだとエヴァンス中佐は感心する。

しかしヴィルヘルミナに限っては、あながちそれは間違いでもないので、笑えない話である。

 

 

「さてルドルファー中尉。事態を予測し、怪我をおして来ている貴官のことだ。何の腹案もなしに此処まで来たわけではあるまい」

「御高察の通りであります」

 

 

話が早くて助かると、やはり持つべきは理解ある上官であるとヴィルヘルミナは安堵する。

 

 

「結構。その腹案を話したまえ」

「はっ。差し出がましくも発意致しますに、小官は此度の事態の解決、説得が望ましいものと愚考いたします」

「………説得? 説得かね?」

 

 

ヴィルヘルミナの口から語られたものは、奇策でも何でもない。

何の変哲もない、凡案であった。

それを聴いたエヴァンス中佐は耳を疑い、その視線を民衆を抑えている自らの部下たちへと滑らせる。

その中で何名かの士官で以て、説得は、既におこなわせている。

結果は、当然芳しくない。

それを目の前の彼女が見えていないとは、エヴァンス中佐には思えなかった。

だから、もっと。

なにかあるではと、彼が期待するのは当然であった。

 

期待。

それを向けるエヴァンス中佐の視線を、ヴィルヘルミナは言葉足らず故の催促と誤解し、彼女は早口で言葉を続ける。

 

 

「謹んで申し上げますがエヴァンス中佐。問題点を踏まえない場当たりな説得では、まったくの無意味であるものかと」

「続けたまえ」

「はっ。小官が彼ら民衆の抱える問題を勘案致しますに、評価するのに値するのは事実・不安・ストレスの三点であります。説得時には、この三点を余さず取り除くことが肝要かと」

「なるほど、見えてきた、が―――――」

 

 

ストレスによって民衆の心は既に不安定であり。

隠していた『切り捨て』の事実と、知らされていなかったソレに起因するネガティブな思考から来るのが不安かと、エヴァンス中佐は理解する。

確かにその三点を取り除くことこそ肝要であるのだろう。

が、しかし、語るのは易い。

その三点を同時に取り除くことは容易では無い。

だが、この少女は………

 

エヴァンス中佐は、突如として笑い出す。

笑いを装っていないと、目の前の才能に、もはや嫉妬を隠せる自信がなかった。

 

 

「はっはっはっ!! ルドルファー中尉!! 貴官は政治家にでもなるつもりかね!?」

「は? い、いえ。命令であれば、小官は政治家でも扇動家でもなってみせましょう………小官如きでは()()()()()()()()()の域は抜けるとは、とてもではありませんが申し上げられませんが」

 

 

一瞬だけぽかんとした表情をみせたヴィルヘルミナは、それは拙いと気づきすぐさまその表情を抑えた彼女の心の内はまさに表情の通りであったが、対して、返答を聴いたエヴァンス中佐は己の意思を総動員し、笑い続けることに精一杯であった。

 

子どものおままごと? それは相当の自信がないと口に出来まい。

呆けている? それはまさか己の資質が疑われるとは思っていなかったということか。

彼女は信じ難いことにこの状況、平和無事に収拾する自信が、つまりあるとエヴァンス中佐は受け取った。

 

平然と言うそれは、そんな事ができるのは、指導者。

それを君は勿論知っているだろうなと、エヴァンス中佐は内心で問いかけるそれは、言葉にしない、だから。

彼がヴィルヘルミナから受けた底知れぬ衝撃と勘違いを、互いについぞ気付くことはなかった。

 

 

「いいだろう、我らの戦乙女がそこまで豪語するのだ。彼らの説得はルドルファー中尉、貴官を信任し、一任するとしよう」

「はっ、謹んで拝命いたします。信任していただき感謝いたします、エヴァンス中佐」

 

 

エヴァンス中佐と同じ陸軍ではない、たかが中尉、しかも年端もいかない少女を、まさか信任してくれるとは。

中々どうして、これほどうれしいことは無いだろうと逸る気持ちを抑えて、つとめて平然を装うヴィルヘルミナだが、「では、小官はこれにて」と洗練された敬礼の後に踵を反して早足で民衆へと向かうのはやはり急いでいるからだけではないのだろう。

一方で、彼女を見送るエヴァンス中佐の心境は、複雑の一言に尽きた。

姿形は少女のソレ。

そして足取りはまっすぐだがしかし負傷の影響を隠しきれてはおらず、足が僅かに震えて引きずっているのを、彼は見過ごさなかった。

しかしながらその身にそぐわぬ才を持ち、それを以て我が身を顧みず。

義務とよく心得、祖国と国民のために粉骨砕身行動するその姿は、まさしく軍人の鑑。

祖国に献身を尽くす人材は、いつだって歓迎されるものである、が。

少女を戦場に立たせることを許し、少女に扇動を願い、少女に未来を託す。

いやはや、人生とは何が起こるか分からないモノだと。

そうして彼もまた、彼女を眺める一人となる。

 

 

 

 

 

兵と民衆の垣根に消えていったヴィルヘルミナ。

後にエヴァンス中佐の耳に届くのは、三発の銃声。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

――――パンッ、パンッ、パンッ

 

 

私たちの大切な人たちを見捨てるなと。

人々が悲痛に、必死に、軍にそう訴える中。

突如として響いた三発の銃声は、彼らの本能に危機を訴えた。

軍が我々に、銃を向けたか!?

やはり、軍は保身を図るつもりか!?

皆、そんな「まさか」を疑って、ひたすらに発砲した犯人を捜した。

 

ただ。

犯人は、明白であった。

彼らは発砲した犯人を、捜すまでもなかった。

 

箱の上に登った一人の少女。

髪は白銀、自分らを見下ろすその目は鋭く。

その少女が掲げた拳銃からは、ゆらり、薄く硝煙が風に吹かれて踊っていた。

注目した人々は、忘れ、視線は彼女に釘付けとなる。

 

 

「皆さん」

 

 

無理もないだろう。

 

 

「皆さん、聴いてください」

 

 

その姿は忘れられない――――救われた。

 

 

「皆さん」

 

 

その姿を知っている――――知り合い。

 

 

「どうか聴いてください」

 

 

その姿はなんだ、誰だ――――関心疑問。

 

 

「ガリア軍を代表し、私、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーより、申し上げたきことがございます」

 

 

無理もないだろう。

この場にいた誰もが、彼女のことを。

 

 

「親愛なる隣人の皆さま、私たちは皆さまに謝罪申し上げなければなりません」

 

 

彼女の姿を。

 

 

「私は、私たちは、敵に。あの忌々しき化け物に。ネウロイに敗北を続けていることを」

 

 

彼女の声を、知っていたのだから。

 

 

「私に、我々に力が足りず、敗北を続けていることを」

 

 

絞り出すように語られるヴィルヘルミナの言葉、事実は、集まる民衆にそのことを、今一度再確認させた。

故に、今の我々があるのだと。

故に、今の状況があるのだと。

 

 

「皆さま。私は大切な隣人であるあなた方に真実を言わねばなりません。だから我々は、助かる見込みのない方のみとはいえ、その方々をこの地に残していかねばならないことを」

 

 

再確認したところで、ヴィルヘルミナは本題を語る。

切り捨てを認めた彼女の発言。

正しく彼らに情報を伝えたとはいえ、助かる見込みがない者を、切り捨てることは事実。

また声が上がるかと思えば、しかしそれは無く。

まだ、人々はヴィルヘルミナの声を聴いていた。

 

人は語られる内容よりも、視覚情報に要点を置く存在である。

だから人々は、ヴィルヘルミナに注目し、耳を傾け、熱をもって語る姿に、酔う。

しかし、だからこそ。

ヴィルヘルミナにはもはや、生半可な言葉は許されなかった。

 

 

「私は許しを請えません。これは偏に、また、我々に、いえ私に、力が足りなかったが故。私に力が足りぬ故に、護るべき皆さまの大切な人を、助かるかもしれない隣人を、この場に残そうとするのです」

 

 

一息。

ヴィルヘルミナのただ一息の呼吸でさえ注視する者は、自覚がなくても、もはや彼女の虜であった。

虜になった者には、彼女の言葉は深く染み渡る。

 

 

「許せないでしょう。我々軍の役目は、第一として貴方がたを、その大切な人を護ること。それを果たさぬ我々に強い怒りを覚え、大切な人が死にゆく悲しみは、私も理解するところであります」

 

 

ヴィルヘルミナはここで、人々に語り掛けるように、口調をつとめて柔らかくし。

それは人々に、気持ちを理解していると訴えるため。

 

はたして、人々にそれは伝わったか。

ヴィルヘルミナがそう判断するのは、前列にいた男が小さく頷くのを確かに見たことから。

ならば、近づくのは今、ここ。

 

 

「………私の両親もまた、ネウロイに殺されました」

 

 

胸を苦しそうに押さえ、顔を俯かせて悲し気にするそれは、より深く人々に寄るため。

 

 

「ですが、ネウロイ………ネウロイ!!」

 

 

人々に更に一歩、もう一歩寄るために感情をわざと漏らし、叫ぶ。

 

 

「あの、あの悪魔が、私たちの大切なモノを奪う。奴らさえいなければ、私たちは、皆さんがこんな思いをすることはなかったはずなのです!!」

 

 

感情を抑えること無く涙を見せて言葉に詰まらせながら語り、人を魅せるために騙るのだ。

 

 

「今は夕日。いつもなら家に帰り、いつもなら家族とともに過ごし、平和であった時ならば食卓を囲うはずの時間。しかし我々は今、此処にいる、何故か!!」

 

 

積み上げてきた平和。

安寧の日々はもはや、もとには還らないことの再確認。

 

 

「平和、平和!! 忌まわしき悪魔たちに壊された、当たり前のソレがないから此処にいるのです!! ソレを保つことこそが我々の役目でありました!! 古より先人たちが祖国の防人としての使命を果たしたからこそ、これまでの平和がありました!!」

 

 

それを理解するだけの理性をヴィルヘルミナは、久瀬として生きたから、ヴィルヘルミナとして生きてきたから、持っていた。

だからこそ、彼女は此処に立つ。

 

 

「しかし我々はその平和を護れなかった、確かにネウロイに敗れた!! だからこそ、此処にいる!! しかし、誰が進んで祖国の破滅を願うでしょうか!! 誰が大切な愛すべき人を奪われることを願うでしょうか!!」

 

 

だから、まだ、まだ。

祖国のための闘争を。

 

 

「我々はその先人の背に続く一人なのです!! 危機迫るのであれば私は武器を取り、祖国を護るため、皆さまを護るため、子の未来を護るため、迫る脅威に断固として抵抗し、助けを求めるところあれば駆けつけることは本望であります!!」

 

 

ガリア国民のための戦争を軍は諦めることはないことを、意思表示。

それは嘘偽りのない決意である――――嘗てなら。

 

 

「ですが、いえだからこそ、どうか理解していただきたいのです!! 皆さまが苦境に立たされているのと同様に、我々もまた、身を引き裂かれても足りぬほどの苦渋の選択を迫られていることを!! それは皆で心中するか、否かであることを!!」

 

 

詭弁だ。

ふざけた騙りだと、ヴィルヘルミナは自覚する。

国家国民のために戦うと高らかに誓ったそれは、所詮前世のものでしかない。

成り行きで此処にいるだけの自身が、嘗ての所信を持ち出し扇動するなど、酷いペテン師だと、反吐が出ると、嘲る。

それは目の前の民衆のためにもなるとはいえ、突き詰めれば所詮はヴィルヘルミナ自身と祖父のルネのため。

 

 

 

「これは命令でもなく、強制するものでもなく、要請でもありません。護るべき隣人に向かって、どうして我々が『死ね』などと言えるものでしょうか? ですから、助けること叶わず、その上彼らに、私は己が無能を恥じながらも頭を垂れて地に着け、願うしかないのです。『子のために、残された隣人らの未来のために、どうかここで死んでほしい』と」

 

 

子のために、残された者のためにと嘯く。

気付いている者は、いるか?

ヴィルヘルミナは人々を見渡すが、あるのは最初とは異なった、熱狂、好感。

気付いている者は、いない。

子のため、残された隣人のためときれいごとを吐いたが、しかしそれは裏を返せば人々を、子の未来を人質に取ったのと同然だ。

許されるものかと、自問する。

許されないだろうと、自答する。

 

 

「しかし、貴方達の死を、ただの死にはさせないと誓う!! 我々は、必ずこの地に還ってくる!! 死に逝った隣人の苦しみを背負い、死に逝く隣人の無念を背負い、残された貴方がたの悲しみを全て背負い、我々は断固としてネウロイと戦い、必ずこの地に還ってくることを誓う!!」

 

 

我々は、()()()である。

撤退が済んだらカールスラントに逃げる算段を立てているヴィルヘルミナには、とてもではないが「私は」とは言えない。

 

 

「それは、我々だけの力では叶いません。我々だけでは、ネウロイには勝てないことは証明されてしまったのです。だから、どうか皆さまに、我々と共に立っていただきたい!! どうか至らない我々に、力を貸してほしいのです!!」

 

 

武器を取ってほしいとは願わない。

ここで願うのは、一丸となること。

一丸となって、撤退を完遂すること。

 

ここで一息置いて。

はたして民衆には、一定の理解は得られたかとヴィルヘルミナは認識する。

民衆に真実を語り、不安は取り除いた。

ストレスの矛先、怒りの行方はネウロイへと誘導し、共通の敵だと確認させた。

 

 

「私が酷なことを願っているのは承知しております。その上図々しいことを頼んでいることもまた、理解しております」

 

 

ならば、後はと、彼女は頭を垂れる。

その姿に、人々は目を疑う。

 

 

「だから皆さまの憤り、私の身で叶うのなら、受け止めたく思います」

 

 

深く、深く、頭を垂れた。

ネウロイからたった一人で、街を解放した少女がだ。

 

 

「ですから、どうか」

 

 

その姿に、皆沈黙する。

 

説得は、成功か?

答えは、否。

ヴィルヘルミナはこの時、二点において失敗していた。

一つは、説得が過ぎたこと。

身を差し出し、為すがままにされても構わない。

だから、どうか、未来のためにと願う少女。

ネウロイから多くの人々を救った英雄に、救われた()()()()が思うところが無いはずがない。

その過ぎた説得をヴィルヘルミナが後悔するのはまた後のこととなる。

だから今は、もう一つの失敗を語る。

 

 

「………?」

 

 

いつまで経っても罵声も、礫も、飛んでは来ない。

はて? どうしたかと訝しんだヴィルヘルミナは顔を上げるが、そのタイミングが悪すぎた。

 

 

 

 

 

顔あげて、既に左眼目前に迫る、礫。

その奥に映るのは、礫を投げたであろう涙目の少年の姿。

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナの失敗は、子どもの未熟さ、理解の無さを考慮しなかったことだろう。

それを悟ったのは、ぐしゃりと礫を受けて、箱から落ちていく刹那。

 

 

「ヴィッラ!!」

 

 

己の祖父が見たことも無いような慌てようで己に駆け寄る姿を、妙に右に偏って狭まった視野で見つけてしまった瞬間であった。

 

………嗚呼。

馬鹿だなぁ、私は。

落ちゆく時の中で、ヴィルヘルミナは己の詰めの甘さを胸中で独り吐き捨てる。

 




2017/10/4 土下座のシーンを修正

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