だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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明晰夢・後編

大通り。

大衆の前でハリウッド女優顔負けのプロポーションを持つ女がきゃあきゃあ騒げば、当然目立つ。

人々の無関心は、関心へ。

周りはわいのわいのと騒がしい。

 

彼女は。

いや、私は。

その立場上、目立つことはあまり好ましくはない。

だから片手に傘を強く持って。

もう片方にはスミスを確かに握って。

強弱を繰り返す雨の中、ただ人混みを早足で抜けた。

人目がある、人目が集まるのは困る。

人目につく、人目に触れるのは困る。

何故なら私は――――

 

 

「人殺し」

 

 

誰かの指さしを受けた気がした。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

人目につかない裏路地を縫って、雑居ビルに転がり込んだところで、ようやく一息つく。

息を荒くするほど駆けた訳ではなかったが。

湿気は熱気を閉じ込めて、発汗を促しシャツをべたつかせるのは、不愉快。

 

 

「Hey,ユーイチ? ちょっと痛いネ。それと触ってもいいけどさぁ、時間と場所を弁えなヨ」

 

 

誰のせいで走らなければならなかったと思っているんだ、スミスと。

その名を呼ぼうとした私の口を、スミスは指先で制す。

 

 

「No,今の私は金剛ネ」

 

 

無自覚か、わざとか。

いや、ニコニコしながら腕を絡めて、そんなことをする彼女は絶対に確信犯だろう。

流石は、スミス(職人)と呼ばれるだけのことはあると感心する。

 

………さて。

転がり込んだ雑居ビル。

所狭しと立ち並び、影を落とすビル群の路地裏という立地に建つそこには、なんの考えもなしに転がり込んできた訳ではない。

雑居ビルの地下へと続く階段を、スミスを連れて下りる。

 

薄暗い階段。

踊場を照らす橙色の電灯の明かりを頼りに、私たちは下りる。

微かに聞こえてくるクラシックジャズに導かれ。

踊場を折り返した先に見えてくるのは一軒の喫茶店。

その店の前には、『CLOSE』。

喫茶店の営業を報せる看板は、誘う音楽に反して、客の来店を歓迎していなかった。

 

 

「閉まってるネ」

 

 

いや。

違う、と。

私は来店を歓迎しない看板に構わず、店のドアを開ける。

瞬間、私たちを襲うのは、むせ返るほどの芳香。

 

 

「おや、久瀬君。待っていたよ」

 

 

間接照明の暖かな灯りに照らされた、僅かなテーブルにカウンターがあるばかりの小さな店内。

そのカウンターの向こうから、ミルで珈琲豆を挽きながら、私を歓迎するのは片眼鏡をかける、白髪交じりのオールバックの紳士。

「村井さん」と、私は呼ぶ。

彼は、私の後ろにいるスミスを見、顔をほころばせ。

 

 

「ガールフレンドかね?」

 

 

などと宣もうた。

解せぬ。

 

 

「Yes、英国生まれの金剛デース」

 

 

よろしくお願いしマース、なんて言ってピョンピョンと飛び跳ねて、小娘の様に騒ぐスミス。

「いやいや米国じゃないのか」なんて内心でツッコミつつ、村井さんには、彼女の紹介。

 

 

「村井さん、こちらはM()r() スミス。彼女が(くだん)の情報提供者です」

「………はて、ミスター? ミス、ではないのかね?」

 

 

いいえと言って、首を振る。

私にも分からないのだと、白状する。

本当に、スミスの性別については不明なのだ。

ミスターと呼ぶのは、スミスと初めて会った時は中年の男だったので、そう呼び続けているだけ。

職業柄か、スミスは同じ姿で私の前に現れた事はない。

スミスの姿は、子どもからお年寄りまで変幻自在で。

今まで一度として同じ姿、同じ性格、同じ喋り方で現れた事はない。

 

ただ。

一つだけ共通するのは、私と出会って以来は必ず女性で現れること。

 

 

「彼女が久瀬君の協力者か。なるほど、心強いな。まさかラングレーのMr.スミス………失敬、Ms,金剛が久瀬君の味方とはね」

 

 

ラングレーとは、CIAの別称。

村井さんがスミスを知っていたことは、別に驚く事ではない。

それよりも、私は村井さんが豆を挽く手を止めたことに目がいく。

微笑みこそ絶やさない。

だが、ミルのハンドルを握る手は僅かに筋が緊張しているのが見える。

スミスを警戒しているのか。

 

 

「Uuu、そういう貴方は元CIRO(内閣情報調査室)の村井順一郎ですネ?」

 

 

対するスミスの反応も、村井さんと同様。

いや、村井さん以上の警戒をあらわにする。

 

もしや因縁でも?

そう疑うも、しかし入店時の二人の反応は初対面のソレだった。

「知り合いか?」と、とぼけてみる。

すると二人して「違う」と。

スミスの方はムスッとして、村井さんはニコニコとして即答。

 

 

「はっはっはっ。久瀬君、心配せずとも私が()()()()()()()()()のは始めてだよ」

 

 

村井さんの含みのある言葉に、スミスの肩が僅かに跳ねる。

顔を合わせたのは、か。

何があったのかは知らない、知る気もないが。

ただ、二人とも諜報という世界で生きていたことは知っている。

 

 

「スミス、場所を変えるか?」

 

 

なら、致し方ないと諦めるしかない。

人に聴かれたくないために此処を選んだのだが、スミスにへそを曲げられても困る。

と、そう思いスミスに聴いてみる。

 

 

「ユーイチは他人に気を使い過ぎ」

 

 

スミスは不意に笑みを浮かべ、私に寄って。

頬に口が当たりそうな距離で、耳打ち。

僅かにふわりと香るのは、どこか真夏を思わせる、柑橘の果実。

 

 

「大丈夫ネ」

 

 

珈琲の匂いの染みついた、ここでは場違いな香り。

しかし不快感はなく。

柔らかく甘美な香りは、スミスが離れた後も余韻を引く。

 

 

「うむ、なるほど。それが、金剛君が久瀬君に肩入れするわけか」

「Yes , Yuichi is my future husband」

 

 

スミスの戯言はともかく。

今のやり取りで村井さんは何を納得したのだろうと本気で疑問に思うところであるが、彼の警戒が解けたのは何よりだと安堵する。

 

 

「むしろ逆に聴きたいネ。どうして村井のようなbig nameがユーイチに手を貸すのデスか?」

 

 

………疑問は、もっとも。

事実上日本の諜報機関と目されている内閣情報調査室の元官僚と、自衛官。

その接点は確かに不自然だ。

そう、赤の他人なら。

 

 

「村井さん」

 

 

しかし、話してもいいものか。

村井さんに是非を問うと彼は頷き、自ら口を開いた。

 

 

「私の娘がね、空自でファイターをしていたのだよ。大戦中は久瀬君の僚機を務めていてね」

「僚機? ユーイチの大戦中の僚機って………もしかして、タカミ?」

「おや、知っていたのか」

「中国から脱出するときにユーイチと一緒に私を守ってくれた命の恩人デス。まさか村井の娘とは思わなかったネ」

 

 

でも、と。

スミスは言葉を詰まらせる。

 

村井鷹見一尉。

大戦中期より、唯一私のロッテの僚機(ウィングマン)として飛んでくれた彼女は、中国にスパイとして潜入していたスミスの強硬脱出作戦に私と共に参加したこともあり、鷹見一尉とスミスは面識があった。

 

 

「そうだよ、金剛君。知っての通り鷹見は『女狐』に落とされた」

 

 

当然、鷹見一尉がすでに亡くなっている事も、また知っていた。

 

『女狐』

本名は、浅見コウという。

私の元上官だった人だ。

彼女は当時私を含めた彼女の部下全員の殺害を図ったのち、テスト段階であった新型機をもって中国、そしてロシアへと亡命した裏切者であり。

そして村井さんにとっての、娘の仇である。

だから、私たちが結託しているのは『女狐』を追いかけるため――――

 

 

「その『女狐』は、久瀬君が討ってくれた」

 

 

ではない。

大戦終期、私は『女狐』を殺害に成功している。

 

一見、村井さんの仇は既にいない。

だが、私も村井さんも『女狐』の行動には喉に小骨が刺さったような、妙な引っ掛かりを覚えていた。

分かっている限りの、大戦中の彼女の足取りは、彼女らしからぬ不可思議なもので。

ただの他国のスパイにしては釈然としない彼女の行動は、別の。

()()()()()()何らかの意思があるのではないのかと疑っていた。

だから、村井さんと私は手を組んでいる。

 

 

「私は知りたいのだよ、金剛君。娘の、本当の仇がいるのなら、その正体を」

 

 

故に私は此処にいる。

故に、我々は此処にいる。

戦争は、確かに終わったのだろう。

だが、我々の戦争は、未だ終わってはいない。

言葉ではそれ以上を語らない村井さんであったが、しかしその目は、語られる言葉よりも雄弁であった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「いつまでも立ち話というのもいけない。そこに座っていてくれたまえ。今、珈琲を入れよう」

「私は紅茶が飲みたいネ」

「了解した。金剛君は紅茶だね」

 

 

とっておきの茶葉で入れてあげようと言って、村井さんがバックヤードへと消えるのを見送り、私たちはカウンターへと着く。

 

 

「ユーイチは――――」

 

 

席に着いたところで、スミスが私を呼んだ。

「なんだ」と応えるも、スミスはそれからを語ることを、何故か躊躇う素振り。

クラシックジャズをBGMに、僅かに沈黙。

 

 

「どうして『女狐』のことを知りたいのデスか?」

 

 

ようやく切り出したスミスだが、しかしその内容は取るに足らないモノだった。

どうして、知りたい?

それを聴くべき必要が、スミスにあるのか?

問う私に、スミスはYesと。

強く、頷く。

 

 

「『女狐』を知りたいのは、誰のためネ?」

 

 

………誰のため?

何のためではなく、誰のため?

スミスの質問の理由が、分からない。

スミスの質問の意図が、図れない。

 

 

「私は仕事、村井は復讐。そこには確固として自分がいて、理由があるネ。でもユーイチは?」

 

 

スミスの真意が、図れない。

図れないから、そのままに。

 

 

「強いて言うなら、死んでいった仲間の為だ」

 

 

私は、ただ存念を語る。

 

当時『女狐』の部下であったために、『女狐』が亡命する際に不意打ちで殺された先輩たち。

私が『女狐』を殺せなかったから、殺された仲間や鷹見一尉。

そして、

 

 

 

 

 

―――――私に望んで殺された、浅見コウ

 

 

 

 

 

確かに私は『女狐』を堕すことができた。

けれど。

もっと早く、もっと強くあれたなら。

死ぬことはなかった者がいるのなら。

浅見コウに、裏切らなければならない理由があるのなら。

私に殺されなければならない理由があったのなら。

私は真実を知らないといけないのだ。

それが、生き残った者の、義務。

 

 

「………結局、他人のため?」

 

 

私はそれに、答えない。

 

 

「ユーイチには、自分がいないの?」

 

 

また要領を得ない言の葉だ。

語るスミスの表情は、変わらず、だから伺えず。

ただ私の存念が、スミスにとって納得できる解答では無かったことは理解した。

 

しばし無言し、また私から問う。

「この問答は必要か」と。

スミスに依頼していたのは、『女狐』のことについて。

ただそれだけの筈なのに。

これでは、まるで私の覚悟を聴いているよう。

そう思う私を肯定するように、必要なことだとスミスは断言。

 

 

「ユーイチは、もう十分戦った。誰の為にも戦う必要もなく、傷付く必要もない」

 

 

今までのふざけた口調は、ない。

 

 

「私や村井と違ってその選択をユーイチはできる、後戻りができる、権利がある」

 

 

自らの姿さえ、偽って生きてきた筈のスミス。

そんな彼女がまっすぐに、私の瞳を覗いて語る。

「ユーイチのためだ」と謳うのだ。

 

 

「それでも、真実を知りたいと願うなら――――」

 

 

そっと、テーブルに置かれるのは、ファイル。

 

 

「後戻りはできないことを覚悟して」

 

 

間接照明の琥珀色に照らされた伸びる白磁の手は、ファイルに置かれたまま離れない。

きっとファイルには、私の知りたい真実があるのだろう。

しかしスミスがファイルを離さないのは、私に真実を知って欲しくないことの意思表示。

私を思ってのことなのか。

 

だから、顔は見ず。

感謝も、あえて述べず。

置かれたファイルをスミスの手から無言で抜き取った。

私は私を思ってくれた、スミスの気持ちに応えずに。

ただ私は、真実を知ることを取る。

 

 

 

 

 

―――――浅見コウに関する調査報告

 

 

 

 

 

それからは、ただファイルに挟まった資料を読み進める事に努めた。

当然全文、勿論英文のCIAの資料。

苦労して持ち出してくれただろうスミスに、言葉にしない感謝を思う。

 

 

 

 

 

―――――浅見コウ、元航空自衛隊二等空佐は経歴、行動には明らかな不審点を認む

 

 

 

 

 

浅見コウ。

行動だけでなく経歴さえも詐称していた彼女は、よく自衛隊に入隊できたものだと感心する。

詐称、それはどうせ、他国のスパイ故。

それなら当然かと思い読み進めるが、どうやら違う。

 

まずとして、『孤児』を見た。

そうだったのかと思えば、『孤児院に偽装された研究所』とある。

首を傾げ、目を疑うも、『人体実験』なんてワードが飛び出すものだから。

 

………。

………?

………なんだ?

なんだこれは?

なんだ、これはと困惑する。

 

呟かずには、いられなかった。

震えずには、いられなかった。

想像を絶すると、言うしかない。

 

読む手に自然と力が入って、真っ白な紙には歪みが走る。

読み間違えたかと何度も読み返すが、結果は同じ。

そして視覚に飛び込むその先のワードも、また、まだ、突拍子もないモノが並ぶ。

『開発』、『超兵計画』、『皇室派』、『再軍備』、『第二次大東亜共栄圏構想』。

羅列するそれらは、出来の悪いSF小説を思わせる。

 

 

「スミス」

「………なに?」

「この資料は、信用していいのか?」

「当然ネ」

 

 

スミスが信用性を保証する。

ならば、全面的に資料に書かれた内容が全て真実だとするならば。

そして資料に書かれた内容を要約するならば、

 

 

 

 

 

―――――『第二次大戦の戦犯を逃れた一部将校らが皇室派と呼ばれる組織を結成、長年日本、皇室の権威復興を画策してアジア地域に影響力のある中国とロシア、そしてアメリカの失墜を図って』いて

 

 

 

―――――『先の大戦は皇室派の画策。大戦の引き金となった中国とロシアのクーデターは、皇室派の工作によるもの』であり

 

 

 

―――――『浅見コウは孤児であり、皇室派が保有していたとされる、孤児院に偽装していた研究所で超兵として開発を受けた一人』で

 

 

 

―――――『彼女は皇室派の工作員であり中国、そしてロシアに渡ったのは、工作のため』だった

 

 

 

 

 

ということになる。

 

………うん。

冗談。

今は6月。

エイプリルフールはとうに過ぎているじゃないかと頭を抱える。

しかし理解した内容に相違ないことを尋ねれば、スミスは私の願いに反して頷くものだから、私は背にかかる不思議な重さに耐え切れなくて。

 

 

「なんてこと」

 

 

席の背もたれに、だらしなくも身体を任せてしまう。

これは。

酷い。

酷すぎる。

ファイルを閉じて、目頭を揉む。

吐き出す言葉は見つからず、やっと出るのは溜息。

 

………本来なら。

これを書いた者の正気を疑うところ。

しかし資料を持っていたのは、あのCIAである。

その信用度は、言うに及ばず。

 

しかしながら、考えてみれば。

中国とロシアはクーデターによって、アメリカはその対応を誤ったことによって内外から圧力を受けて、アジアにおける影響力を失ったこと。

その失われた影響力を補うことを、日本に求められていること。

日本を取り巻く情勢を鑑みはじめればきりはなく、信憑性は更に増す。

日本にとって、今のアジアはあまりにも日本に都合が良すぎるのだ。

 

なるほど。

スミスが警告したのも理解できるというもの。

時代錯誤な理想と大義を掲げ。

しかしGHQの追及を逃れ、今日まで力を蓄えて。

ロシアと中国、更にアメリカさえも手玉に取る組織。

私たちの敵は。

個人で立ち向かうには、あまりに巨大すぎる。

 

 

「ふむ、なるほど。皇室派か」

 

 

いつの間に戻ってきたのか。

村井さんもまたファイルを手に取りその中を検めて。

皇室派をさも以前から知っていたかのような口ぶりで。

「職を辞して正解であったな」なんて言って苦虫を噛み潰したような表情をして。

そして出た言葉が、ソレならば。

そこから量れるのは、CIROの内部にも皇族派の工作が及んでいること。

 

ふと私の傍。

そこには静かに湯気の上る白磁のカップがあった。

村井さんがいれてくれたであろう珈琲はブラック。

真っ黒な液を乾く口を湿らせようと少し含めば、文明社会の味がした。

 

 

「よく知らせてくれた金剛君。これは外部でないと調べられない情報だっただろう」

「………別に、村井のためじゃないネ」

 

 

突慳貪(つっけんどん)にそう返すスミスと村井さんの関係は、おそらく今後もこのままだろうと察したところで、村井さんが「さて」と、私を見る。

 

 

「久瀬君。皇室派の件に関しては、全て私に任せてもらえないだろうか?」

 

 

それは、思わぬ申し出………いや。

村井さんの申し出自体は、理解はできた。

復讐で目がくらんだわけでもなく、専門家故の適材適所。

また職を辞したとはいえ、彼には多くの協力者がいることを私は知っている。

だが、しかし、全てを任せる。

それは流石に、あんまりである。

 

 

「私に、座視しろと?」

 

 

私たちの戦争を、利用されたのだ。

仲間の死を、懸命な思いを、利用されたのだ。

やれることの少ない私だが、だからといって除け者にされることに対して憤りを覚えないと言えば嘘になる。

座視など到底できることではない。

 

抗議せんと、立つ。

しかし立つ私の袖を引き、止めるのはスミス。

 

 

「ユーイチ。村井の言う通り、皇室派の件は村井に任せた方がいい」

 

 

スミスまで何を言うか。

キッと彼女を私は睨むが、しかし彼女も言葉荒くして問う。

また、他人のためか?と。

 

 

「ユーイチ。ユーイチに他人のことを心配する暇ないネ。今はただ、浅見コウと自身の事に集中すべき」

 

 

妙な言い回しだ。

浅見コウと、自分のこと?

首を傾げる私に、彼女が新たに取り出して渡すのは、一枚のパンフレット。

色あせたソレには孤児院の名。

なんだそれはと、問わずとも分かる。

おそらく浅見コウが開発を受けていただろう、件の孤児院のパンフレット。

 

 

「見るネ」

 

 

受け取って中を開けば、孤児院の健全さをアピールするためか、院内の案内の他に40人余りの子どもたちの集合写真。

事前に知らなければまったく健全な写真に見えるが、この子どもたちすべてが皇室派のおもちゃにされていたと考えると、恐ろしい。

 

 

「見るネ、ユーイチ」

 

 

スミスが指さす近くには、肩程に伸びた癖のある茶毛が印象的な、快活そうな女の子。

浅見コウ。

人を分かったような雰囲気は、喰ったような雰囲気は、写真の向こうからでも伝わる。

子どもの頃から、彼女は変わっていないのだろう。

 

 

「見るネ、ユーイチ」

 

 

三度目の指摘で、私は気付く。

延びる彼女の指がさすのは、幼少の浅見コウではない。

では、誰を指さすか?

彼女以外に、何があるものか。

彼女以外に、誰がいるモノか。

 

 

「落ち着いて聴いて、ユーイチ」

 

 

そんな私の幼稚な現実逃避を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――これ、貴方じゃないの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スミスは、許さない。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

その後のことは、よく覚えていない。

気付けば私は外を駆けていた。

 

ひたすらに走ったのだろう。

立ち止まれば、息も絶え絶え。

脈打つ拍動で、胸が苦しい。

 

外は驟雨。

路地裏で一人。

傘も差さず。

雨にただ打たれ、濡れる。

 

天を見上げれば、曇天。

天は見えない。

先は見えない。

光が見えない。

歪んで見えない。

 

思い出すのはさっきのこと。

パンフレットに映っていた少年。

浅見コウに握られた少年。

恥ずかしそうに映っていた少年。

あれは間違いなく、私。

ならば私も浅見コウと同類か。

『開発』を受けた、化け物か。

 

化け物、化け物。

その事実に納得していると、不思議と笑いが込み上げる。

おかしなと思えども、私はそれを止める気はない。

むしろ心の底から笑ってやる。

己が不明を。

己が不在を。

己が滑稽さを。

 

なるほどスミスの言う通り。

己がおぼつかない者に、どうして他人を心配するなんてご大層なことができようか、いやできまい。

 

 

「私は――――――ッ!?」

 

 

苛立ちで唱えようとした、何事か。

その一人称は『私』? はて?

いつ自身の呼び方は変わったか?

いや、変えた事はない。

自身は一貫して『俺』だった。

しかし自身を『私』と呼ぶことに、違和感はなかった。

まるで昔から、そうであったかのような感覚は、レゾンデートルの崩壊を思わせた。

 

また、不明か。

その苛立ちは、拳で以て傍にあるコンクリート壁に向けた。

一度、二度、三度。

しかし壁はびくともせず。

対して拳は血がにじむ。

しかし痛みは、あまりなく。

無意味な行いは、むしろ自己嫌悪を招くばかり。

 

 

 

 

 

不意にカチャリと、鉛色の音。

 

 

 

 

 

あまり穏やかではないその音は、背後から。

音にはやや距離があって。

しかし感じる純粋で、強烈な殺意は。

距離があっても確かに感じる。

銃を向けられていると、察する。

 

 

「………誰だ」

 

 

むき出しの殺意は、懐かしい。

空では、戦争中にはしょっちゅう感じていたが。

しかし、ここは地上。

地上で感情をむき出しにするのは玄人とは思えない。

 

さて、相手は誰だ。

 

 

「久瀬優一だな」

 

 

女性の声、若い。

僅かな訛りは中国人を思わせる。

中国人。

彼らに恨みを買われる心あたりは、十分すぎる程ある。

だから。

 

 

「―――――ッ、動くな!!」

 

 

確信をもって、振り返る。

相手は、素人。

 

 

「顔が見えなきゃ、意味がないだろう。君にとっても、俺にとっても」

 

 

銃を構えているのは、20代前半。

ヘタをすれば10代後半であろう、女性。

 

 

「確かに、俺が久瀬優一だ」

 

 

路地裏、人通りは望めず。

相対距離は5M。

曲がり角に駆けるには遠く、遮蔽物はこの場になし。

 

 

「俺を殺すか?」

 

 

構える銃を見る。

種類はおそらく、トカレフ。

銃の先端にはサプレッサーがついているが………

 

 

「久瀬優一………父さんの、仇ッ!!」

 

 

トカレフ。

拳銃としては既に骨董品と呼んでも差し支えないそれは、しかし見た目はかなり真新しく。

ヤクザ関係から手に入れたにしては、少々無理がある。

サプレッサーがついている点も、気がかりだ。

 

一歩寄る。

 

 

「う、動くな!!」

 

 

警告されるが、かまわず一歩。

 

 

「動くなと言ったのよ!! 聴こえないの!?」

 

 

彼女が持ち込んだものかと思案するが、それはないと判断。

戦争が終わった直後の現在、日本に入る荷物の検査は未だ厳戒態勢のままであり、チェックはかなり厳しいはず。

持ち込むならば、なにかしらの協力するものがいた事になる。

 

 

「撃てるものなら撃ってみろ」

 

 

挑発して、一歩。

 

明らかに素人である彼女だが。

仮に、彼女が中国の諜報機関に該当する組織の工作員であり、そのバックアップを受けていたとしよう。

それでも、銃殺という手段は、ない。

そもそも暗殺が目的ならば、日用品に偽装した毒殺などが望ましいはずなのだ。

 

 

「散っていったその父とやらの戦いに、泥を塗って穢したいのなら」

 

 

ならば。

ならば誰が、彼女に銃を?

誰が、彼女を利用した?

 

 

「俺を殺して陶酔してろ!!」

「ッ!?」

 

 

既に一息で駆けられる距離。

当然、制圧するため彼女に走る。

銃を構えられている相手に襲い掛かられると思っていなかったのか。

反応が遅れた彼女が撃てたのは、僅かに三発。

一発は、右頬をかすめて。

一発は、左肩を穿って。

一発は、胸を叩いた。

 

 

「ぐぇっ!?」

 

 

鳩尾を叩くと、踏みつぶされた、カエルの声。

決して女の子が出してはならない声だが、致し方なし。

殺さないだけマシだと思えと、泡吹く彼女を投げ捨てる。

 

 

「………痛っ」

 

 

撃たれた胸の痛みに、蹲る。

流石にこれは拙いかと、胸を触るとそこには、しこり。

 

 

「………くそっ」

 

 

身体を容赦なく襲う雨の中、力が入らず。

六月だというのに寒さを感じ、急速に眠気が俺を支配するのは、雨に体温を奪われるからか?

 

まて、まだ。

まだだ。

戦いは、これからだ。

だと言うのに、雨と、雪。

混凝土と、雪原。

ぶれて重なる二つの視界。

 

ようやく敵を、理解したというのに。

『俺』の戦いは、ひとまずお預けらしい。

それは夢の『私』への帰還の合図。

 

夢も、現実も、己を急かす。

いくら立ち止まりたくても、自身に進むことを強要する、ならば。

前を向くしかあるまい。

前に進むしかあるまい。

そんな場当たり的な、安い覚悟をして、今は眠る。

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナの、夢を見る。

 




↓毎度おなじみ崋山氏の、ヴィッラ嬢の設定画を頂きました、が………


【挿絵表示】


………うん、ちくしょう、かわいいなぁ(血涙)

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