だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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決意/だから彼女は思い出す

あの日憧れた英雄は、いないのだと知った。

 

 

「いまから緊急手術だと!? ドーゼ医師、ヴィルヘルミナトリアージとやらを決めたのはあいつら()だったはずだ!! それをいまさらやつらの都合で割り込みを許すのか!!」

「彼女を見てもまだ言えるか!? 我々は、我々を助けてくれた彼女を救わなくてはいけない!!」

 

 

都合のいい英雄なんて、いないのだと知った。

 

 

「担架!! 構わんこっちにまわせ!! 志願したウィッチは直ちに治癒魔法を」

「そんな!? ヴィルヘルミナさん!! ヴィルヘルミナさん!!」

「馬鹿者!! 素人がふれるな傷に障る!!」

 

 

運ばれてきたあの時の英雄は、私と同年代の女の子だった。

そんな彼女は今日見てきた誰よりも酷い有様で。

知り合いらしい人の呼びかけにも答えず、悲痛な絶叫が私の耳を劈く。

 

 

「ジョーゼット、ジョーゼット・ルマール!! 早くこっちに来て手伝え!!」

 

 

名前を呼ばれて心臓が跳ねた。

跳ねた拍子か身体が震えた。

はやく手伝わなきゃと思っても、足は一歩も前に動かないくせに、後ろには進む。

 

 

「ぐっ………父さん……母さん…………私は……………」

「っ!?」

 

 

どうしてだろう。行くべきは、前なのに。

進むべき方向とは正反対に駆けだした。

英雄と信じた者の正体を知って、私は耐えられなくて、逃げたのだ。

でも逃げ出してしまったことに、私はずっと後悔があった、情けなさがあった。

だから発現したばかりであったけれど、治癒魔法の使い手として従軍を志願したのは、私の元来の性格のこともあったけれど。

もう逃げたくない。

そう、強く思ったからだった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

西暦1939年12月7日 リヨン郊外

 

 

 

 

 

篝火が、雪原の真ん中で集まって燃ゆる。その日は珍しく吹雪は止んでいたが、冷気の冷たさは吹く風に乗って相も変わらず、肌をなで斬りしてやまない。

火に群がる男たちは暖を求めて篝火を囲い、揃って凍えた手をかざす。その様は火炎崇拝的ななにかを、篝火を縫って歩いていた少女に連想させた。

 

 

「それにしても、ルドルファー中尉だ」

 

 

歩く中、ふと少女の耳に入ったのは彼女と同年代の少女の名。

あの街で、ネウロイに襲われていた自分を助けてくれた少女の名であった。

 

 

「中尉がどうした?」

「あの御姫様、戦闘以外では姿を見ないがお前は見たか?」

「いや見てない」

「なんでも寒空の下を歩いて冷や飯を食っている俺たちと違って、中尉殿は暖かい戦車の中で、温かい食事を食ってるってぇ噂だ」

 

 

助けてくれた彼女の名が上がれば、やはり気になってしまう少女はひそかに聞き耳を立ててみれば、しかし聞こえてくるのは期待していたようなものでは無く、事実無根の事であった。

更に中年の男が吐いたモノが明らかな悪意に塗れていれば、ますます気分の良いものでは無い。

そんな少女の気持ちなど知らない、話題を振った中年兵士は空になった椀の底をスプーンでカツカツと行儀悪く突っついて、口寂しさを紛らわせるように悪意を続ける。

 

 

「懸命な俺たちとは違って、ふんぞり返っている。流石はウィッチ様。いやはやなんとも、羨ましい事じゃあないか」

 

 

よくもまあ、憶測でモノが言えると少女は憤る。

確かに長い行軍の果てに、休息の合間にようやく食事を取ることを許されても、もらえるものはたった一杯の味気のないスープ。中にはお世辞にもロクなモノが入っているとは言い難かった。

だが、皆同じなのだ。

兵も、士官も、皆同じものを食べている。

少女だって例外ではない。

そして彼女だって、また同じなのだ。

食料が足りていない事は、梯団共通の理解のはずだった。それは正規兵で無い少女すら知る事実。

 

 

「いいんじゃないか? ちょっとぐらい。ルドルファー中尉は年端もいかないのにネウロイ大群相手によく戦ってくれているじゃないか。この撤退戦だけで中型以上だけでも撃破数は既に30を超えているとも聞くし」

「馬鹿おめぇ、そんなの誇張に決まってるだろ」

 

 

それでも。

 

 

「どいつもこいつもなさけねぇ。ウィッチがそんなに偉いのかよ。俺だって、魔力があったらあのくらいっ」

 

 

理解していながらも地面を蹴って不満を漏らす彼は。

 

 

「空軍のくせに、女のくせに。ガキのくせに偉そうにしやがって」

 

 

結局のところ、つまらないプライドの吐露に違いなかった。

幼い少女ではあったが、それでも育った環境のお蔭か同年代よりいくらか聡い彼女は中年兵士の思考を解く力を持っていた。そして、中年兵士の思考を理解できない訳では無かった。

けれど、何度目だ。

彼女に対して陰で、悪口を向けられているところを見たのは。

 

 

「いい加減に!」

 

 

恩人への悪意をそう何度も見逃せるほど、ジョーゼットは大人ではなかった。

故に少女の細い脚は、その中年兵士の方へと夢中に動く。

そして注意しようと声をあげる、しかしその前に。

彼女は不意に背後から右肩を強く掴まれ、彼女の憤りは止められる。

 

 

「止めておけ、ジョーゼット」

 

 

少女、ジョーゼットを止めたのは、ルクレール中尉であった。

彼の片手にはジョーゼットと同じ椀。

 

 

「なんで止めるんですかルクレールさん! ヴィルヘルミナさんの悪口を、このまま許しててもいいんですか!?」

「………確かに、愉快とは言い難いな」

 

 

止めたルクレールは意外にも首を振って、ジョーゼットを肯定する。

そんなルクレールにならと、くってかかるジョーゼットだがルクレールは諭す様に続ける。

 

 

「だが、ある程度見逃さないといけない。こんな環境ならなおさらな」

「どうして!」

「俺たち人間が、弱いからだ」

 

 

淡々と高いところからジョーゼットを見下ろしてルクレールが答えるそれは、まるで彼女が人間ではないと言っているかのような物言い。

キッと、睨み上げる。しかし彼女の批難の目を特に気にすることもなく、彼は踵を反して歩き出した。

そんな彼の態度が、ジョーゼットの感情をまた逆撫でする。

それでも彼の後を無言で続く。それは追いかけたい訳ではなく、ついて行きたい訳でもない。ただ、向かう場所が同じだけ。

二人は兵士の囲む篝火から遠く離れていく。

そして周りには誰もいなくなったところ、そこで。

 

 

「あの男は」

 

 

無言で歩き続けていたルクレールは、背を向けたままようやく口を開く。

 

 

「元居た部隊がつい先日、全滅している。その部隊で生き残っていたのは、彼一人だ」

 

 

ジョーゼットが聞くのは、あの中年兵士の身の上話。

 

 

「そんな彼を救ったのは、ルドルファー中尉だ」

「………」

「彼は助かった。しかしきっと理不尽に思ったはずだ。いとも容易く仲間の命を奪っていったネウロイを。そして、そんなネウロイを容易く倒してしまうルドルファー中尉の事も」

 

 

そこまで聞いてジョーゼットは、中年兵士の不満の真意を理解する。

中年兵士の抱えるモノは、複雑でやり場のない、こころ。

しかしそれでも。

 

 

「だからって、ヴィルヘルミナさんが悪く言われる必要ないじゃないですか!」

 

 

まるで自分の事の様にヴィルヘルミナの為に怒るジョーゼットの怒りは、正しかった。

まったく子どもらしい正しさで、その正しさを貫き通すことは理不尽な悪意を許さない勇気だった。

けれどいけない。

 

 

「いや必要だ。必要なんだ」

 

 

だからこそ、いけない。

幼さからくる誰しも持っていた筈のその勇気は、傷付く痛みを知らない無知からくるものだと、ルクレールは気づいていた。

 

 

「ジョーゼット・ルマール、そもそも君は一つ大きな勘違いをしている」

「それは?」

「ルドルファー中尉に対する誹謗中傷に対して怒っているなら君は、おおきなお世話だということだ」

 

 

何故なら梯団のこの現状は、彼女の了解によって黙認されている結果なのだから。

ルクレールから聞くヴィルヘルミナの意思は、ジョーゼットの目を驚愕の二文字に染めあげる。

 

 

「了解しているって………一番頑張っているのはヴィルヘルミナさんなのに、悪口言われて。そんなの、報われない」

「………梯団の負担の多くを抱えるルドルファー中尉を知らずに好き勝手言われて腹に据えかねる思いは分かる。しかし理解してほしい。ここにいる俺の部下以外の奴らは、みんな元からバラバラだった生き残りのうちからまた生き残ってしまった者の寄せ集めだ。統率なんて、もとから存在しない。いいか、兵士のほとんどは兵士である前に、己が人間だと考える。生存を求めるんだ。生き残っている奴らの大半はそんな奴らだ」

「だから、止めないのですか?」

 

 

ルクレールは、肯定した。

下手に抑圧すれば、士気に関わるどころの問題ではなくなる。現状軍隊として機能が叶っている時点で奇跡である。

それでもと。

そんな現状を止めたいならばと、ジョーゼットの眼前に向けられるのは、指先。

 

 

「今すぐ彼女と代わるといい。人の期待と悪意を一身に受け止めて、ネウロイに一人で立ち向かう彼女に、安い同情を向ける驕りがあるのなら、貴様が代わってやればいい」

 

 

それは、思うだけでは叶わぬこと。

ジョーゼットはルクレールの強い言に、簡単には答えられなくて、口は紡ぐ声を忘れたかのように虚しい開閉を繰り返し、やがて忘れた言葉を紡げぬ悔しさを堪える様に、俯いて裾を握る。

代わりたい。

けれど、代われない。

それこそが、ヴィルヘルミナを人間ではないとする答えでもあった。

力ある英雄が弱い人間を守るのは義務である。さもなければ、大勢の人間が死ぬから。

力ない人は強い英雄に守られることが義務である。弁えなければ、人間はあっさりと死ぬから。

ルクレールはつまり、悪意を向けられることもこの一環だと言いたいのだろうと理解する。

いや、悪意だけでは決して、ない。この梯団の大半を占める称賛する者も羨望する者も、つまりこの梯団自体がヴィルヘルミナという英雄に依存している。

依存している彼らは、ならば潜在的な敵だ。ひとたび失敗すれば、悪意を向ける者と変わらない悪意を、下手をすれば殺意を彼女に向けるのではなかろうかと、ジョーゼットは危ぶむ。

それは、ここにある依存の、想定できる最悪な末路の一つ。

そんな危険な現状を、ヴィルヘルミナは良しとしている?

目の前のルクレールも、目をつぶっている?

それが、最善だから?

そんなの、おかしい。馬鹿げているとジョーゼットは思えども。

でも、どうしようもないことも分かっていた。

それがきっと、生き残った弱い人間を纏める英雄の役目であり、必要な犠牲。

 

 

「兵士は、人間は、強くはない」

 

 

だから君がヴィルヘルミナの状態を無視したとしても、誰も責めはしないという免罪符。君もまた見なかった事にしても構わないという、ルクレールからの甘美な誘い。

それはあまりに魅惑的で。

いよいよ返す言葉も、誘いにのらない信念も不確かであったジョーゼットの足は、心の迷いでそれどころではなくなって、止まる。

 

 

「なら、どうしたら………」

 

 

優しさと、正義感と、現実との葛藤から漏れたであろう一言に、ルクレールは答えない。

しかしいつまでも動かないジョーゼットを見かねた彼は、空いている右手で彼女の手を掴んでゆっくりと、彼女を引っ張り歩いた。

それは悩んでも、苦しんでも、時間は止まらず進む事を教える様な歩みであった。

繋いだ手をジョーゼットはじっと見つめ、やがて二人は戦車の前に行き着いた。

ルクレールの戦車に辿りついた。

辿りついたルクレールは繋いでいた手を離し、すすんで搭乗口を開けば、ぽっかりと開く鉄の洞窟。

ほの暗いその中からは、魔物に侵されるモノの呻き声が響く。

侵されているのは、ヴィルヘルミナ。

侵すのは『痛み』と言う名の魔物。

聞くに堪えない彼女の呻き声はあまりに痛々しくて、ジョーゼットはやはり自身の耳を塞ぎたくなる思いを逸らせる。

見て見ぬフリをしてしまえ、耳を閉じてしまえ。

そうすれば、私自身は傷付かない。

そう彼女の耳に囁くのは、利己。

あの日あの時あの街で、重傷のヴィルヘルミナから逃げた時と同じ利己。

そんなことができれば、嗚呼どれほど楽な事だろうかとついつい思ってしまう彼女であるが、しかし不思議な事に一方で、その声を聞くことができてよかったと安堵する自分がいる事に、ジョーゼットは気づく。

その訳を、ジョーゼットは考えて。

その訳に、ジョーゼットが至るのは、やはり根付いた性格は早々変わることはないという事の、証左。

 

 

「ルクレールさん」

 

 

ジョーゼットは呼んで、目の前にある離したばかりの大きな右手をまた握る。

そんな事をするのは、ルクレールに大人になれと諭されて、その実優しく騙されていた事に気付いて、諦めに傾きかけていた思いと、忘れかけていた決意を取り戻したから。

 

 

「ヴィルヘルミナさんを見捨てる事が、人間が弱いからなんてそんなこと、ただの言い訳ですよ。自分ばかりの命の惜しさに言い訳をして、逃げて、でもそれは結局自分勝手なことの言い訳なんです」

「なにを」

「自分勝手な言い訳は、ただの無責任です」

 

 

それは本来守られる側であるはずのジョーゼットに、振りかざすことは許されない正論。

 

 

「たとえそんな弱さこそが、人間足ら占めるものなのだとしても」

 

 

けれど彼女は、それは些細な問題だと知らないふりして、厚顔無恥な子どもらしい図々しさで押し通す。

 

 

「なら私は、そんな人間にはなりたくないです」

 

 

彼女を支える人がいない、代われる人もいない、だからこそ。

図々しくても、何様と指さされても、無力でも、脚を引っ張ることになろうとも。

必要だ。

彼女を押しつぶす、敵しかいないこの環境で。

彼女の味方が。

一人の人間として、彼女を見てくれる人が。

 

 

「ヴィルヘルミナさんは、人間です」

 

 

だからジョーゼットは断定し、ヴィルヘルミナを同じ人間として見る。

ジョーゼットは彼女の近くで、今度こそ逃げずに支えるのだと、決意した。

目の前の彼と、おなじように。

 

 

「本当はあなたもそう思っていますよね、ルクレールさん」

 

 

ジョーゼットが握った彼の右手の手のひらを、開いて見れば爪痕。

できたばかりと思われる四つ並んだ青黒いそれは、きっとすぐにもとに戻るものではなく、それほどまでに強く握りしめていた訳を、ジョーゼットは悔しさ以外に知らない。

 

 

「………まいったな」

 

 

説得するつもりが、まさか見透かされるとは思わなかったルクレールは、聡いジョーゼットに素直に感心し、しかしそれは未だ幼い彼女にとってはまだ早すぎる決意だと、悲しむ。

持って生まれた貴重な治癒魔法を持つとはいえ、危険で誰も望まなかった従軍を進んで志願するほどの性格は、御覧の通り同年代のヴィルヘルミナが誰かの為に人柱となって一人苦しむ姿を許さなかった。

だが部隊を纏め、自ら率先して前に出て、傷付いても平然と振る舞い皆を鼓舞して、自らは生の限界すら踏破するように、なけなしの命を常に投じて他人のために戦いつづける彼女を直視しつづけるのは、生半可な優しさや同情だけでは到底できない。

そもそも望んでいれば、美しい英雄行為として望める立場だったのだ。自らの保身の為に、一人の犠牲を見なかった事にする方が楽なこと。

ルクレールだって、その方がよいだろうと考えて彼女を誘ったのだ。

それでも直視しようとしている。無視して他人事で許される犠牲を、直視しようとしている。それは泥沼に落ちていく者に、掴まえる支えもなしに身一つで手を差し伸べようとする行為だ。もしかしたら自らも泥沼に落ちるリスクを孕んでいるというのに。

無知故の行動であるのなら、馬鹿者だ。

しかし了解した上でなおも手を差し出すならば、それはもはや万人が持たない強さである。

 

 

「君は、なんて愚かだ」

「愚かでもいいです。私はもうあの時のように、ヴィルヘルミナさんから逃げたくありません」

 

 

だから、ルクレールは悲しむ。

悲しんで、ジョーゼットを憐れむ。

なぜならその強さは、本来もっと大人になって得るべきモノだから。

その強さを得たならば、もう二度と、何も知らない子どもには戻れないから。

そしてその思いを、ヴィルヘルミナの為に利用しないルクレールではないから。

 

 

「それなら愚か者の君は、中尉を人間として見るとい、支えるといい。不遜にもそれが出来るのは、今はきっと君だけだ」

 

 

後ろめたさは当然、ある。

しかしルクレールは頼まずにはいられない。

個人として、ヴィルヘルミナに対する思い入れのあるルクレールであるが、戦力としても優先するべきは、非道であっても英雄たる彼女だからだ。

ただ。

 

 

「なら、お願いがあります」

 

 

そんな思惑を知ってか知らずか。

ジョーゼットのお願いを聴くルクレールは、思わぬ頼みに目を丸くして、そんな彼女の姿に、二人の少女と同じ強さを彼女に重ねる。

それは、軍人として必要なものは理不尽の諦めだと言いながら、率先して他人を助けようとする少女と同じ。

それは、死が怖いと言いながらも安くない筈の頭を下げて、妹のために戦車に乗った少女と同じ。

強さを。

 

 

「君たちウィッチは、どうしてこうも逞しいのだろうな」

 

 

不意にルクレールが漏らした一言は、目の前で首を傾げる少女のもつ強さへの羨望と、人間への落胆。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

西暦1939年12月17日 ジュラ県

 

 

 

 

 

その集落は、まるで人目を避ける様に森と山の自然、その狭間にポツリと存在した。太陽と視界を隠す暗い吹雪の中を進む彼らがまず視認したものは、影として現れた教会であった。

大きな教会であった。その屋根に掲げているものは欧州ではポピュラーな十字架、に似たなにか。

十字架に、鉄の茨が巻き付いていた。少なくとも正しいソレには見えない物。

集落に入れば、古い家屋が立ち並ぶ。家屋の戸には、どこにも蝋台のシンボル。

人の気配がまったく感じられない集落。家屋の隙間を吹く風は甲高く、視界は吹雪の影響で道先十メートルも見渡せない。進む彼らは暗くどこか不気味な集落に、言い表せない不安を抱くのか、小銃を握る手は無意識に力が入っている。

そう、ここは。

 

 

「もとはリヨンから迫害された、異端者の隠れ里か」

 

 

ジョーゼットの手を借りて、戦車を降りたヴィルヘルミナが漏らす。

頭にはケモノ耳。

腰からは尾を生やし、寒さを凌ぐために着る彼女の漆黒の外套は、白銀の長髪を伴って風に激しく靡く。

 

 

「それにしても、如何にも出そうな雰囲気だな」

「えっ? 出るって、何が、ですか?」

 

 

魔力に頼って歩くヴィルヘルミナの負担を減らす為に進んで支えにまわっていたジョーゼットの握る手が、僅かに震える。

 

 

「そりゃあお化けとか、ゾンビとか?」

「…………………………………………冗談、ですよね?」

 

 

さてどうだろうなと意地の悪い笑みを浮かべるヴィルヘルミナの言に、ジョーゼットは顔を青くする。

 

 

「ところで、お化けはともかく、だ」

 

 

見かねたルクレールが、ワザとらしい咳ばらいをして話に割って入る。

 

 

「ネウロイに出てこられたら流石に困る。各位の展開はどうする?」

「周辺警戒を中心で」

「その心は?」

「本隊が先に通った集落だ。ネウロイの糧となるような目ぼしい物も見当たらないここは、いまだセーフゾーンと考えても構わないだろう」

 

 

地元民すら知る者の少ないこの集落の存在をヴィルヘルミナらが知るのは、はぐれた本隊との交信で、この集落の通過についての報告があったからという経緯があった。

因みに通信はそれ以来連絡が取れていないものの、それは以前よりこの地で稀に見られるらしい電波障害であることを、撤退開始前のブリーフィングで把握している。

 

 

「それにしても良く分かったな、ルドルファー中尉」

 

 

ルクレールが話を戻す。

一目見ただけこの集落の背景を推測したヴィルヘルミナの口ぶりは、この地で信仰されていたモノの検討がついているかのようである。

 

 

「おやおやルクレール君。君は歴史のお勉強は苦手か? いかんな好き嫌いは」

 

 

まるで学校の教師の様に冗談めかして下からルクレールを覗き込むヴィルヘルミナ。

家屋の戸に掲げられたシンボルをまるで黒板のように叩く彼女のその手に、ルクレールは教鞭を幻視する。

 

 

「すまんなルドルファー先生。誓って赤点を取るほどでは無かったが、歴史を担当していた教師が苦手でな」

 

 

そんな彼女の調子に合わせて、彼もまた冗談を交わそうとする。

しかし。

 

 

「…………………………あぁ」

 

 

ルクレールの冗談にヴィルヘルミナは彼の望んだ反応は見せず、ただ目を見開いて、返すのは気の抜けた返事だけ。

真に受けて引いたのかとも考えたルクレールだが、彼女の様子はそれとはまた違うように彼には見えた。

 

 

「どうした?」

「………あ、いや。かつて赤点を取った理由を聴いた時、同じ言い訳をした双子の姉妹が、いてな」

 

 

ヴィルヘルミナに関連する双子の姉妹と言えばドモゼー姉妹を連想するルクレールだが、彼女が指すのはドモゼー姉妹ではないらしい。

 

 

「どんな奴らだったんだ?」

「………いい奴ら。いい奴らだったよ、うん」

 

 

ドモゼー姉妹以外の双子の知り合いに興味の湧いたルクレールは軽い気持ちで聞くのだが、いったい何を思い出したのか、どこか調子がおかしい。

ヴィルヘルミナはそこにいるのに。

心は、だんだんと遠くに離れていくような。

 

 

「ヴィルヘルミナ、さん?」

「ルドルファー中尉?」

「なんだふたりとも。聞きたいのか? ハルトマンについて」

「あ、やっぱりいいで――――」

 

 

そして心がどこか遠くに逝ってしまった彼女は、もはやジョーゼットの遠慮も聞かず、勝手に語りだす。

 

 

「エーリカはいいんだ彼女は頑張れば出来る子だから単に勉強が向かないだけだからでもいくら勉強が向かないからって二日に一回は勝手に授業を抜け出していやほんと何を考えているんだろうな怒られにいっているのだろうなそうなのかいやそうなのだろうなしかも連れ戻そうとした私までサボりに誘おうとするなんてほんと冗談じゃないまあ誘いをすぐに断れない私も悪いがなんで苦労して探して連れ戻す私まで毎回怒られるハメになるんだホント勘弁してくれそしてウルスラも頼むよお前の姉なんだから止めるの手伝ってくれよあぁいや待て思えばウルスラお前もエーリカと同じくらい質が悪いじゃないかなんでも本から知識を得ようとするのはいいが授業の時くらい先生の話を聴く姿勢を授業に関係ない本ばかり広げて読まないで先生の話を聴いてくれいや確かにそれは私が勧めた本だでも今読まなくてもいいだろ感想とかなおさら後ででもいいだろうが今私にそんな笑顔で語らないでくれ私を殺す気か公開処刑か先生方の視線が痛いわ全く一体何度この話をしたと思っているんだああ確かに最後は先生の話をすこしでも耳を傾けてくれるようになってくれたのは嬉しいがウルスラ進歩したがなウルスラでもそれは当たり前の話であって胸を張るようなことではないしそもそも張る胸もないだろお前はあ………ぁ、あれ待てよ?今二人を止める奴いないじゃないかああなんてことだどうしよう誰か止められる人材は駄目だいないみんなガキだからいつもエーリカに同調しかしないじゃないかぁああ二人ともすごく心配だちゃんとしているか変な影響受けていないか心配過ぎる好奇心の強いエーリカは特によし戻ろう今すぐカールスラントに戻って……戻れないじゃないかなんてこったい―――――」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

もはや途中からは説明ではない、愚痴だ。

もはや途中からは聞き取れない、独り言だ。

目のハイライトは消え逝き、ブツブツとその姉妹とやらについて永遠と語る彼女はもはや怪しい呪詛師のそれである。

 

 

「………ルクレールさんのせいですからね」

「否定はしないが、はたして中尉がここまでになったのは俺のせいなのか?」

「「………」」

 

 

ついには戸の前でしゃがみこんで頭を抱えてしまったヴィルヘルミナ。

ここまでの撤退戦で数多のネウロイを相手に一歩も退くことない勇ましい姿ばかり見せていた彼女をここまで思わせる存在とはいったいどんな破天荒バーバリアンなのだろうかと、ジョーゼットとルクレールは戦々恐々として、取り乱す彼女にただただ二人は同情した。

 

 

「えぇっと、ルクレールさんの歴史の成績はともかくですね」

「あ、ああ」

 

 

流石に居た堪れなくなったジョーゼットが、わたわたとしながらも未だ戻ってこないヴィルヘルミナに代わって話を引き継ごうと語りだす。

 

 

「少なくとも欧州においての女性、特にウィッチである私たちにとって宗教は、生活する上でとてもナイーブなお話なのです。場所によってはウィッチというだけで奇怪な存在に見られて、その、肩身の狭い思いをすることもありますし」

 

 

まるで実体験をしてきたかのような陰りのある語り口は、説得力を感じさせる。

思い起こしてみれば確かに、現代でこそ倫理と法の整備が進んでいるとはいえ、地方に根付く倫理観は昔のままな所もある。

そういうところでは、宗教によっては今もまだウィッチの存在を異端とするものもあるのかもしれない。

そのようなこと、わが国ではあるはずがないとは信じたいルクレールではあるが、欧州最大宗教のひとつのカトリックすら、魔女狩りなんてことを行った忌むべきかつてがあるのだから、あるのだろう未だにと、彼はジョーゼットを信じる。

ウィッチを異端とする宗教が、価値観が、あるのだと。

ならばそんな社会で生きる彼女たちウィッチが生死に関わる、とまではいかずとも、健全な生活する上で宗教に敏感になるのも無理もない話。

 

 

「あの、だから………そう!! ルクレールさんが紳士を目指すのならそういったことをちゃんと知っておいた方がいいというかいやルクレールさんが決して紳士ではないと言いたいわけでは無くてですねっ、そのっ」

 

 

考えさせられる話であった為に暫く黙っていたルクレールを見て、重たい雰囲気の中でまた重たい話をしてしまったことに気付いたジョーゼットは慌てて弁明をしようと慌てるが、残念ながら彼女は弁明しようとすれば墓穴を直下掘りしていくタイプらしい。

流石に気づかぬままマグマダイブしてしまうまで無自覚の直下掘りさせていては酷である。

 

 

「ところでジョーゼット。君はこのシンボルから宗派が分かるのか?」

 

 

助け船の意図もある問いであったが、それは彼もまた気になっていたこと。

 

 

「え? ええっと、記憶が正しければ、燭台をシンボルにするのはおそらくヴァルド派のものだったと思うのですけれども、でも十字架に茨を巻いたものなんて――――」

 

 

ジョーゼットの言葉が、不自然に止まる。

彼女の視線の先。

吹雪の向こうに、ゆらりと揺れるあやしい人影。

 

 

「ままままさか本当に、お、お化け!?」

 

 

そんなわけないとルクレールは否定するが、増える人影、こちらにだんだんと迫る人影は怪しく、彼の右手はしっかりと腰のホルスターに収められたMle1935A拳銃へと伸びて、ジョーゼットを庇うように立ち、構える。

緊張するふたり。

人影を隔てる吹雪が、その時、僅かに晴れる。

吹雪の向こうから露わになった人影の正体は、お化けではなく、ガリア陸軍の一団。

 

 

「あいやそちらはルドルファー中尉の一団でありますか?」

 

 

数名の部隊を率いているらしい曹長の問いに、ルクレールは緊張を解いて肯定する。

 

 

「小官はC大隊第三中隊所属のルドワイヤン曹長でありますが、ルドルファー中尉はおられますか?」

「私を呼んだか?」

 

 

拙い。

今の彼女は見せられないと一瞬焦るルクレールだったが、彼女から返事がまさか、返った。

振り返れば、いつの間にか何事もなかったかのように、彼女は復活していた。

 

 

「えっ、はっ!? し、失礼しました中尉。そちらにおられましたか」

 

 

存在に気付かずに礼に欠いたと勘違いした曹長が謝罪するが、いま凛として立つこのルドルファー中尉がまさかつい先程まで頭を抱えて蹲り、存在すらどこか希薄になっていたとは思いもしないだろう。

 

 

「ルドルファー中尉はデ・ヤンス大尉のもとにお連れするよう言われております。ご同行願えますか?」

「ついていたのか?」

「ええ、我々もつい先ほどですが、集落を挟んで反対側に到着しておりました」

「大尉はどちらに?」

「今は教会の方におられるかと」

「分かった、案内してくれ」

 

 

曹長の案内に、続くヴィルヘルミナはひとりで歩く。

万が一何が起こってもいいようにとジョーゼットが続くその後ろを、ルクレールもまた続こうとするが、ヴィルヘルミナに何故か止められる。

 

 

「ルクレール中尉、先ほどまでの私の言動だが」

「当然忘れるつもりだ」

 

 

言うまでもないとルクレールは騙る。

努めはする。

しかし忘れようにも、先程の彼女の姿はインパクトがあり過ぎて、おそらく無理だろうと思っていた。

 

 

「忘れてくれ、絶対に、一切だ」

 

 

そんなルクレールの思いを知ってか、それでも忘れてくれと言うように、ヴィルヘルミナからそっと数枚のフラン紙幣を握らされるルクレール。

その紙幣の重さに、流石に彼の気は変わる。

 

 

「………すまない。忘れるのは、少し時間がかかりそうだ」

「なぁに心配せずとも、デ・ヤンス大尉との会談はひとりで大丈夫だぞ」

「そうはいかん。必ずそちらに向かうとも」

 

 

約束を交わし、ルクレールは彼女の言動を忘れる為に立ち止まって、ヴィルヘルミナたちを見送る。

見送った後に周りにデ・ヤンス大尉の兵が誰もいないのを確認し、ルクレールはヴィルヘルミナから受け取った、妙に重いフラン紙幣を開く。

 

 

「………いかん。ルドルファー中尉から指示された命令まで忘れてしまった」

 

 

開いたフラン紙幣の間から、真鍮のきらめきがこぼれ落ちた。

 




11/9 ヴィルヘルミナらの現在地等を修正

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