だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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身体の芯から凍てつかせるほどの吹雪は未だ強く、やむ様子はない。

けれど、そんな環境下でも、あいつらはやってくる。

死を引き連れて、やってくる。

鎌を引っ提げ、白銀の地獄を闊歩して。

奴らは来る。

ネウロイは決して待ってはくれない。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「だから、よく注意するのだ」

 

 

積もる雪を分けて進む、村の外周を哨戒するデ・ヤンス大尉隷下の歩兵班の長が、神妙な顔持ちで己の隊員に告げる。

疲弊と、ここ数日戦闘の機会がなかったことから生じる隊員たちの気の緩みを感じとった彼は、ここで隊員たちに今一度引き締める様にと忠告する。

死の鎌が、自らと仲間の首にかからないように。よくよく、と。

 

そんな班長の忠告の、隊員たちの返答は白い目だった。

 

 

「誰のせいで、こんなクソ寒い中を歩かされていると」

 

 

隊員の指摘に班長は言葉を詰まらせた。

彼を睨む彼らの心は一つ。

――――班長、マジ許すまじ。

 

哨戒。それは必要な事。嗚呼、理解出来るとも。

けれど極寒の中で、やりたくもない哨戒をやらされる彼らには不満が募っていた。

他は民家にあった暖かい暖炉を囲って温まっているのを知っているなら猶更。

哨戒を決める賭け事に負けたのが、班長のせいなら、より猶更。

 

ぶつくさと文句を言いながらも、それでも彼らは哨戒任務にあたっていた。

すると、班員のひとりが森の中で蠢くものに気付き、報告。

班長が双眼鏡で確認したところ、微かに動く人の腰ほどの影を、村を囲う森、生い茂る針葉樹の向こうに複数確認する。

四足で疾走する様は、機械的な挙動には見えない

ネウロイではないとは断言できなかったものの、それは獣、狼を思わせる。

 

 

「撃って下がらせましょう」

 

 

隊員の提案を、班長は保留とした。

たかが獣、少ない弾は節約したい。

しかし、木々の向こうでこちらをジッと伺い蠢く影は、妙。

まるで、こちらの隙を、待っている。

不気味な影の動きは、班員らの不安を煽る。

 

 

「狼、ですよね?」

「ただの狼ならばいいのだが」

 

 

そういえば。

かつて出現したと記録されるネウロイは、今のような機械じみたものではなく動物に近しいモノだったなと班長は思いだしていたところ

 

――――神さまだよ

 

隊員のひとりの問いに答えたその声は、朗らかで、幼くて。

あまりに場違いな声に、彼らが振り向けば、幼女。

 

 

「神さまが来たんだよ」

「………神?」

 

 

ひとり、心の底から喜んで、『神さま』とやらを歓迎する幼女。

村人か? 集落を捜査した際には見つからなかった筈だが、

 

………いやそんなことはどうでもいい。

 

たかが幼女に、隊員たちは明瞭ではない何かを感じる。

不安? いや、彼らが感じるのはより深い、負の感情。

 

 

「村の子か? 集落の外は危ない。おじさんが集落まで連れて行こう」

 

 

負の感情を振り切った、班長が幼女に近づいた。

民間人だ。つまり、擁護対象。

どこにネウロイがいるか知れない外に、この子を置いておけないと右手を伸ばす。

 

 

 

 

 

すると、伸ばしていた筈の彼の右手が、ぽとりと落ちた。

 

 

 

 

 

はてな?

落ちた己の右手を、班長はきょとんとして見た。

誰の右手? 己の右手?

彼は右手元を見た。失くなっている。

なら落としたのは、己。

 

 

 

「ハッ、おい見ろよ。俺の腕が落ちて、―――――――かふっ!?」

 

 

班長の胸から生える白刃。

そこから溢れる噴水は雪原を紅く汚す。

鮮血に滴る扶桑刀。

その刃は光の届かない吹雪の中でも、紅の合間から白く輝く。

 

 

「は、はんちょ、ぎゃっ!!?」

 

 

瞠目していた一人が、突如襲い掛かってきた影に呑まれた。

ケモノ? 否。

狼を真似た銀色のソレは、生き物にしては奇妙な鳴き声で、駆動音で、人を頭から咀嚼する。

咀嚼? 否。

それは真似事だ。だってアレは、

 

 

「ネウロイっ!?」

 

 

残る隊員、息を呑む二人はその正体を瞬間に察して、そのうちの一人は怯えて逃げる。

死にたくない。死にたくないっ!!

仲間の制止も聞かないで、叫び逃げた隊員は。

 

 

「鬼ごっこ? トロネね、鬼ごっこ大好き」

 

 

首が飛ぶ。

 

積もる雪に足を取られることなく、トロネと名乗った幼女は、逃げる隊員までの距離を一瞬で詰めて、その首を刎ねてみせた。

雪原の上を走って。

 

 

「どうして、ウィッチが………」

 

 

人の常識では考えられない現象だ。

だが、ウィッチならば、話は違う。

 

一人となってしまった隊員は唖然とした、絶望した。

眼前にある死は、逃れようがない。

 

 

「神さまが来たよ」

 

 

そんな彼を、ネウロイの群れが囲む。かごめかごめ。

幼女が嗤う。クスクスと。

 

 

「おじさんも、トロネと一緒に福音を聴こうよ」

 

 

もはや死を覚悟した隊員は、それでもと、銃を構える。

 

 

「班長、マジ許すまじ」

 

 

銃声はすぐに止み、吹雪の中に埋もれてなくなる。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

『これは貴方の意思か?』

 

 

ヤーベ・デ・ヤンス大尉はヴィルヘルミナが去った後も、教会に居座り思案していた。

脳裏にこびりついて離れないのはヴィルヘルミナの問い。

ヴィルヘルミナに問われたその問いが、彼女が立ち去った後も、彼を苦しめていた。

 

ヤーベはガリア貴族、ガリア軍に軍閥を持つヤンス家の分家筋の生まれである。分家筋といっても遠く、血族である父親は田舎町にある会社の勤め人にすぎなかった。ヤーベも幼少の頃は貴族とは無縁の生活を送っていた。

そんな彼の生活が変わったのは、彼が十歳の誕生日を迎えた日のことである。

子宝が恵まれなかった主家と、少ない賃金で暮らす生活費に苦しみ借金を抱えていたヤーベの父親との利害が一致して、ヤーベは主家に養子として送られる事となったのである。

彼はヤンス家の一員として迎えられ、ヤンス家の次期当主として育てられた――――自由意思がない傀儡として。

養子縁組の実態は、主家に近い分家筋による専領工作だった。

 

彼の人生は決められたレールの上にある。

決められたレールの上だけを生きてきた彼だが、それに疑問を持った事はなかった。幼少からそうして生きてきたのだから今更苦ではなかった。

彼の周りには常に分家の息のかかった人間が付きまとっていたが、それもまた当たり前の事であった。

 

そんな彼にもアイディンティティーと呼べるものがあった。

砲術だ。

 

 

『中尉、私は砲兵だ』

 

 

だからヴィルヘルミナが野砲の放棄を提案した時に、ヤーベが咄嗟に返したその言葉は、脅かされるアイディンティティーを守る防衛意識が働いたからであった。

唯一の自信を持てるもの。それを脅かされそうになったのだから、憤りすら覚えた。事実、兵科運用の面では彼は自信に見合うだけの才能を持っていた。

しかしヴィルヘルミナが去った後、落ち着いて考えれば、彼女の言葉は全く正しい事が分かる。

思い返せば、兵科のおかげで此処まで数多のネウロイを屠ってきたヤーベだが、兵科にこだわらなければ、不利な戦力差等を加味しても、生き延びていた部下は何人いたことか。

彼女に視野狭窄を思われても仕方のない事だと、ヤーベは悔いる。

そもそも彼女は兵科以前に所属する軍種も異なるというのに。

これではどちらが子どもか分からない。

 

あの中尉となら。

ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉となら変われるのか?

 

レールの上しか生きた事ないヤーベが、自ら変わりたいと願った。それははじめてのことであった。

今一度、ルドルファー中尉と話がしたい。

その為には目の前の部下らをどう説得したものかと、ヤーベが思案していたところ。

刹那、銃声。

 

 

「なにごとだっ!!」

 

 

外を見張る兵に聞くも、分からないとしか答えない。

吹雪で視界が閉ざされて、教会から現状の把握は困難であった。

はじめは遠くで聞こえた銃声が、段々と近づく。

気付けば集落の各所で銃声が轟いていた。

混乱と罵声、統制が取れずに混乱している様は、教会内でもよく知れた。

 

そこに一人の兵が教会内へと駆けこむ。

 

 

「大尉、襲撃ですっ!!」

「聴けば分かる!! ネウロイか!?」

「いえ、それもありますが………」

 

 

兵はなぜか少し口ごもって、続ける。

 

 

「幼女が」

 

 

幼女?

頭にはてなを浮かべて困惑するヤーベだったが、突如として彼の鼻が異常を訴えて、おかしな音を聞いて、思考を止める。

異臭。異音。

何かが焦げる臭いと、シューと何かが焼ける音。

此方を見ている兵が青ざめている。

 

 

「ねぇねぇ、おじさん」

 

 

服の裾を引っ張られたヤーベは振り返る。

裾を引っ張ったのは、先ほど保護した三姉妹のひとり。

笑顔でヤーベに差し出すその両手には、真っ赤な棒状のものを持って、棒状の頭から伸びる導火線は、火花を散らして既に根本。

 

 

「プレゼント、あげるっ!!」

「だ、ダイナマっ」

 

 

ヤーベが叫ぶよりも早く、炸裂したダイナマイトの衝撃波は、ヤーベの意識を容易く刈り取った。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

ジャクリーヌの振り下ろしたナイフは、無防備な肉塊を貫いた。

深々と刺さったナイフ。それを無感動に豚の肉塊から引き抜く彼女に、震えた声で投げかけられる何故。

 

 

「なんで、リーネちゃん………」

 

 

向けられたジャクリーヌの「ごめんね」を聞いて、ナイフに気付いて咄嗟に避けたジョーゼットだったが、ナイフを向けられ殺意を向けられる理由が分からずに怯え震える。

 

直前まで、あんなにも優しくしてくれたのに、何故っ!?

 

ジャクリーヌの豹変ぶりに困惑しながらも、なんとかその場から逃げようとするジョーゼット。しかし恐怖のせいか、足がうまく動かず転ぶ。

 

 

「こ、来ないでっ!!」

 

 

這って逃げるも、すぐに壁。

ジョーゼットはルクレールから護身用に渡されていたMle1935A拳銃をジャクリーヌに向ける。しかしジャクリーヌの足は止まらない。

 

 

「君に人が撃てるものか」

 

 

確信しているかのようなジャクリーヌの指摘は、まさにその通りだった。

ブラフ。

ジョーゼットは、人には拳銃を向けた事はない。引き金を引く覚悟も持てない。自らが生きる為に他人を害することなど、ジョーゼットが持つやさしさが許さない。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

迫るジャクリーヌのナイフが踊れば、ジョーゼットの頼りない手から拳銃がさようならをした。弾かれた拳銃をジョーゼットは目で追いかけるが、手を伸ばしたところで届くところではない。

正面に意識が返ればジャクリーヌがまさにナイフを振るわんとしていた。ジョーゼットは寸でのところで転がり避ける。

 

怖い、怖いっ

 

ジョーゼットの目元は涙で溢れる。

死など望まないからこそ、生にしがみつくことをジョーゼットはやめない。

そこらにある積み上げられた瓶やら肉塊を懸命に、迫るジャクリーヌに投げるものの、だが次はおそらく避けきれない。

 

 

「――――私は道具」

 

 

自己暗示の呟きか。

無表情で、投げられるものをものともしない殺戮人形のような冷たい瞳をジョーゼットに向けるジャクリーヌを見て、彼女は察する。

 

 

「………助けて」

 

 

思わず漏らしたその「助けて」は、いったい誰に向けられたものか?

助けては、届かない、叶わないだろうとジョーゼットは知っていた。しかし願わずにはいられなかった。

彼女に。

あの時、己を助けてくれた、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーに。

 

 

「死ね」

 

 

淡々と死の宣告を告げるジャクリーヌ。

向けられた凶刃に抗うように、ジョーゼットは助けを叫けぶ。

助けて。

ヴィルヘルミナさん、と。

 

 

 

 

 

彼女の叫びに応える様に、天井が爆せた。

 

 

 

 

 

 

「来た」

 

 

振るう手を止めたジャクリーヌが、天井から舞い降りる影を認める。

舞う人影はまるで白銀の外套を纏うように髪を靡かせて、包帯で巻かれていない右眼の碧眼は爛々と輝きを放っている。

 

 

「ジョーゼットぉぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

拳銃を引き抜いたヴィルヘルミナは、空中でジャクリーヌに牽制射を放つ。

堪らずジョーゼットから離れるジャクリーヌだが、心なしか、彼女の無表情であるはずの口元が、彼女の到来を歓迎するかのように緩むのをジョーゼットは見た。

 


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