だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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だから彼女は困っていた

彼は自身の持てる最高の走りでもって山の中、緑色の世界をただひたすら駆け抜けていた。

 

産まれてから今日にいたるまで、培ってきた生存本能。

乗り越えてきた危機は数知れず。

誰にも頼る事無く、群れにも入らず、今日まで独りで生き延びてきた彼にとって、己の脚とその本能だけが、彼にとっての信ずるに足る物であった。

 

 

「ウォォォオオオオン!!」

「――!?」

 

 

しかしそれは今日までの話。

遠吠えが先ほどより近くに迫っている事を確信し、驚愕する。

そんな、そんな筈はない、と。

彼は自身(自信)の脚を以てしても追ってくる者を振り切れないというその事実に頭を振って否定したい気持ちで一杯になるが、しかし彼の生存本能は大きく、大きく警鐘を鳴らす。

逃げろと、ただ逃げろと。

 

相手はたった一匹の白い狩人。

しかも相手は子どもだった筈である。

しかし現に、彼の脚に、逃走に追いついているのは事実。

 

だから彼は今までで最高クラスの警戒を、追ってくる白い子どもの狩人に向けた。

子どもだからとて慢心はしない。

危険に大も小も存在しない。

どんなに小さな危険でも、命を落とす事だってあるのだから。

彼はそれが十二分に分かっているから、だからこそ彼は迷う事無く逃げるのだ。

そして自身は明日も生きる。

それが、それこそが、今まで生き延び続け、脅威から逃げ続けてきた彼の、生への逃避だった。

 

 

「ふぉ、ふぉ――」

 

 

脚で負けているなら地形を使う。

ずっと暮らしてきたこの山の中で、逃走経路を立てることは彼にとっては易い事。

岩場の多い悪路を走り、障害物で視界を奪い、右に左と駆け抜けて、どんどん、どんどん追いかけてくる者より距離を放していく。

そして走り続けて、走り続けて、気づいた時にはもう、後ろから忌々しい白い狩人の足音は聞こえない。

彼は脚を止めて振り返った。

 

 

――そこには何もいない、誰もいない

 

 

彼は漸く一呼吸。

そして周りを見れば、元居た場所からかなりの距離を駆け抜けていた事に彼は今更になって気が付く。

それだけの距離を走り続けないとあの白い狩人から逃げられなかった事に驚き、そして安堵する。

今日もまた逃げられた。

息を整え、今もまだ自身が生きている今ここにある事実を彼は素直に喜んだ。

 

 

「ピィ……」

 

 

長時間、長距離を走り続けた彼は、小腹が空いていた。

しかし今は冬場。

山に食べ物が少ないのは、彼も重々承知している。

しかし彼は冬場であっても食べ物が沢山実っている場所を知っている。

そしてその場所は、既に彼の目下に見えていた、広がっていた。

 

目下の景色は黄金色。

それを初めて見た時はまるでこの世の楽園かと、彼は大層驚いたものだった。

しかし彼が楽園に入る事は叶わなかった。

二足歩行の気味悪い奴らが、既に楽園を独り占めしていたのだ。

もしそんな奴らの占領している楽園の中に立ち入ろうものなら、奴らは雄叫びを上げて、直ぐに長くて太い木の枝を持ち出して火を飛ばしてくる。

奴らは愚かで、そして浅ましい生き物だ。

彼にとっての彼らの評価はその一言に尽きる。

自然の恵みであろう黄金色した草原を、まるで我が物顔で刈り取ってゆく彼らを山の上から何度見下ろした事か?

あんなにごっそりと草原を刈ってしまっては、地は死に絶え、草は二度とその土地に生える事は無い事は、山に住む動物たちは皆分かり切った事なのに、彼らはそんな愚かな事を毎年繰り返す。

今はその土地の、草原の生命力のお蔭で何とか食い繋いでいても、いつかは黄金の草原は枯れ果ててしまうだろう。

自然の中で、動物は自然に生かされている事を彼らは本当に理解していない。

食べ物を独り占めし、自然を顧みない彼らは、いずれ食べ物が無くなって飢えて滅ぶ事は自明の理だろうと彼は思った。

 

閑話休題。

今ここから見渡せる限りでは、楽園に奴らは見当たらない。

それを確認した彼は小さくほくそ笑む。

この時、この瞬間こそ、あの黄金の草原にありつけるチャンスだと彼は思ったのだ。

トントンと、彼は立っていた岩の上で蹄を鳴らし、早くあそこに駆けたい気持ちを抑えた。

しかし彼はすぐには駆け出さず、もう一度目下の楽園の周囲を注意深く見渡した。

やはりそこには奴らはいない。

そうして二度、安全を確認した彼は「ブルっ」と、喜ぶように声を漏らし、スキップをするかのように下に駆け出す。

いや、駆けだそうとしたのだ。

 

 

「ヴァオオオオオオン!!」

「ピィ!?」

 

 

下から聞こえてきた遠吠えに彼は驚き、思わず自身の身が固まるのを彼は自覚した。

振り切ったと思っていた筈の白い狩人が、彼の前に先回りしていたのだから。

 

何故?

 

どうして?

 

何故?

 

どうして?

 

彼の頭の中にはそんな疑問ばかりがグルグルと、グルグルと回る。

しかしその場で疑問を考えるばかり、という訳にはいかなかった。

こうして考えている間にも、死は、彼のすぐ近くまで近づいているのだから。

だから彼は走り出したのだ。

本来駆け抜けるはずだった方向とは逆の方向に。

まるで楽園を追放され、追い立てられる罪人のように。

 

 

――走って、走って、走って

 

 

――逃げて、逃げて、逃げて

 

 

死を振り切る為に、ただ走り。

明日も生きる為に、ただ走り。

風も音も景色さえ、全部、全部を振り切って。

彼はとにかく上へ、上へとひた走る。

 

そんな彼に、不意に木漏れ日が差し込む。

逃げる彼をあざ笑うかのような、突然の逆光。

彼はその逆光に思わず目を瞑る、立ち止まる。

立ち止まった瞬間、風向きが変わったのを彼は肌で感じ、そして彼は鼻で知ったのだ。

 

 

――死は既に、彼のすぐ傍まで来ていた事を

 

 

轟音

山の上より轟く、耳を壊すようなこの世の物とは思えない音を聴いた頃には彼の世界は90度回っていた。

否、彼自身が世界に対して回っていたのだ。

それを自覚した瞬間、彼は脚に違和感を覚える。

彼は何事かと、視線をゆっくりと脚に向けた。

そこにあるのは見慣れた緑の世界を覆い隠すように、塗りつぶす様に広がる真っ赤な、真っ赤な死の世界。

 

 

「―――――――ィ!!?」

 

 

何が起きたのかを理解した彼は悲鳴を上げる。

脚に襲う激痛と、逃げられない死を、彼は思うがままに泣き叫んだ。

生きたい。

彼は思った。

死にたくない。

彼は思った、そう思ったのだ。

だから彼は必死に痛みをこらえて、もがく。

一歩でも、少しでも、死から逃げる為に。

 

 

「よかった、ちゃんと脚に当たっているな」

 

 

誰かが彼の近くで呟いた。

しかしそんな事は彼にとってはどうでもよかった。

一歩でも遠く、一歩でも遠くへ。

逃げないと、逃げなきゃ、逃げねば。

彼の思考は既にそれしか残されていなかった。

 

 

「すぐ楽にしてやる」

 

 

カチリという音と共に、ツンと嫌な匂いを纏った黄金色の何かが彼の傍に立つ誰かの足元に落ちた。

その匂いを嗅いだ彼は、少しだけ理性が戻ってはたと思った。

はて、私は一体何から逃げていたのだろうか、と。

 

 

「許せ」

 

 

長くて太い木の棒が彼の顔に向けられる。

彼はその木の棒の空洞になっている真っ暗な世界を眺め、頬に流れる何かを感じながら思う。

 

 

――死にたくない

 

 

ただそれだけを。

そして彼の逃避行は、打ち放たれた小さな花火と共にここで幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガリアに引っ越してきて一年がたったが、私の日常が特筆して大きく変わる事はなかった。

本で知識を得て、程よい運動で身体を鍛え、物を浮かせたりなどして魔法の訓練。

あとは母の家事のお手伝いをする事、その四つが私の生活の大半を占めていた。

一番の懸念であった言葉の壁も、前々から予習していたお蔭で問題は無かった。

変わった事といえば偶にお爺様の狩りに連れて行ってもらったり、簡単な魔法の指導をしてもらっている事ぐらいだろう。

 

 

「……ヴィッラ、これはお前がやったのか?」

「いえお爺様、私とカルラの二人で仕留めた物です」

 

 

私たちが仕留めた大鹿を見て、お爺様は唸り声を上げる。

最近麦畑を荒らしている大鹿を狩ってくれと依頼を受けて、折角だから何方が早く目的の鹿を狩れるかと、私とお爺様は競争し、そして勝ったのは私とカルラ。

狩りに慣れているお爺様より早く、山の主と言われ、熟練の狩人たちでも長年仕留める事の出来なかった大鹿を仕留める事が出来て、カルラに手伝ってもらったとはいえ実は少し嬉しかったりする。

 

 

「……いいだろう。約束通り、何でも欲しい物を買ってやる」

「有難うございます」

 

 

私とお爺様の約束。

それは私が競争に勝ったら、何でも欲しい物を買ってくれるというものだった。

 

 

「しかしお爺様、今回頑張ったのは殆どカルラです。私はただ伏せて待ち構えていただけ。ですので、今回は今日の功労一等であるカルラに褒美をいただけないでしょうか?」

「お前ではなく、カルラにか?」

「はい」

 

 

事実、山の中を駆けずり回り、私の伏せていた所まで大鹿を追い立ててくれたのはカルラだ。

私のやっていた事と言えば、ただ大鹿の逃げる時に通るであろうポイントに息を殺して伏せ続け、大鹿に向かって引き金を引くだけ。

故に何方の功が大きいかは明白であると、私はお爺様に説いた。

 

 

「分かった、カルラにも何か褒美を与えよう」

「有難うございます、お爺様」

 

 

早速私はカルラの方を向いて、カルラが何を望むかを聞いてみた。

すると、大人しくその場にお座りして静かに待機していたカルラは大鹿に歩み寄り、大鹿の脚、しかも私が猟銃で撃ち抜いた所をポンポンと前足で器用に示してみせた。

如何やら鹿の肉をご所望のようだが――

 

 

「カルラ? 貴女が仕留めた獲物なのだから、そんな粗末な部位ではなくて、もっと美味しいところを望んでもいいんだよ?」

 

 

私は腰を下ろしてカルラにそう諭すが、カルラは一瞬迷った様子を見せて、やはりカルラは同じ部位を望んだ。

私が勧めても、欲を見せないカルラ。

そんなカルラを見かねてか、お爺様も身を屈めてカルラに勧める。

 

 

「カルラ、遠慮するな。頑張ったお前には此奴の一番美味しい部位をくれてやるぞ」

 

 

ヴィッラの好意を無駄にするなよ?

お爺様にそこまで言われ、漸く頷くカルラ。

そんなカルラを見、私は生き物を飼う事の難しさを改めて実感する。

カルラは言う事を聞かない動物、という訳では無い。

カルラは賢くてとてもいい子である。

しかしカルラの好物や好きな事についてはまだあまり分かっていない。

本当にカルラの望んでいる事をしてあげられているのか?

ちゃんと構ってあげられているのか?

不満は無いだろうか?

そんな不安が私にはあった。

 

私はゆっくりとカルラの頭を、その綺麗な毛並みを梳くように撫でる。

撫でられるカルラは目を細め、私が撫でやすいようにと少し頭を下げてくれた。

 

 

「さてヴィッラ、今度はお前の番だ。ヴィッラは何が欲しい? おじいちゃんに遠慮なく言ってみなさい」

「わ、私もですか?」

「無論だ、カルラに褒美を与えてお前にやらない道理はない」

「むう……」

 

 

欲しい物と言われても、私に今のところ必要な物は正直無いし、十分足りている。

しかしお爺様の性格から鑑みて、約束しておいて今更「欲しい物などありません」では済まされないだろう。

 

私の欲しい物……私の欲しい物と言えば――

 

 

「……クリームパン」

「何?」

「お爺様、私はクリームパンが食べたいです」

 

 

クリームパン

外はしっとり、ふんわり、もちもちパン。

その中に、大事な宝物のように隠された、とろ~りなめらか、あまあまな、きいろい、きいろいカスタード。

口にした瞬間私の舌を包み込む、パンとカスタードのあのデュエットは、私の心を捕えて止む事は、私が死ぬまできっとないだろう。

 

 

「……そんな物でいいのか?」

そんな物(・・・・)が、いいのですよ。お爺様」

「はぁ、そんな恋する乙女みたいな目をしよって。分かった、買ってやろう……まったく、カルラもヴィッラも欲が無いのぅ」

 

 

お爺様はそんな事を呟きつつ、私が既に彼が到着する前に済ませておいた血抜き作業が十全行われ、血が抜けきっているかを確認し、頷く。

如何やら血抜きは上手く行ったようだと、私はお爺様の反応を見てホッとした。

 

 

「血抜きも大丈夫、と。今回はよくやったヴィッラ、それとカルラものぅ」

「はい。お爺様もお疲れ様です」

「おお、お疲れ。まあ、あとは儂に任せておけ」

 

 

そう言ってお爺様は大鹿を一人で抱えようとしているのを見、私は慌ててストップをかけた。

大鹿の体重は、見て呉れだけでも100kg以上ある事は想像に易い。

そんな物をお爺様に担がせる訳には――主に身体と年齢的な理由で――いかないのだ。

もし担ごうとしてぎっくり腰なんてことを起こさせて、お爺様につらい思いをさせる訳にはいけない。

 

 

「お爺様、それは私が運ぶので、お爺様は担がなくても大丈夫ですよ」

「ヴィッラが? ははは、冗談きついぞヴィッラ。いくらお前が身体鍛えているとはいえ、お前はまだ子ども……」

「ふんっ!!」

「……」

 

 

お爺様が私に遠慮する前に、私は大鹿の前足と後足の間に頭を通すようにして、お爺様に大鹿を担ぎ上げてみせた。

無論、私の素の筋力ではこの大鹿を担ぎ上げる事は敵わないだろうが、私には母とお爺様仕込みの魔法がある。

身体能力を底上げし、大鹿自体を多少浮かばせる事で私でも大鹿を担ぎ上げる事が出来た訳であり、私に実質掛かっている重さは体感で10kg程度。

子ども、しかも齢11の女の子の身体からしてみれば10kgも十分重い方の部類ではあるのだが、伊達に私はいつも鍛えている訳では無い。

それに此処から町の肉屋までそんなに遠くもないので――とは言え此処から4,5km程はあるのだが――そこまでなら私でも十分運べるだろう。

 

 

「さて、帰るよカルラ……お爺様も呆けていないで早く帰りましょう、置いて帰りますよ?」

「ワン」

「……最近の女子(おなご)は本当にコワイのぅ」

 

 

お爺様が何やら呟いたようだが、私はそれをあえて無視してカルラと共に、先に山を降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――いい年をした自分の母親が、家に帰るとコスプレをしていたら誰だって驚くだろう

 

そう思う私はきっと正しい筈である。

仕留めた大鹿を肉屋に預け、疲れた身体を伸ばしつつ、家に帰ると母さんが、青い軍服らしきものを着て、鏡の前でおかしなポーズをとっていたので、私はゆっくりと、そっと、母さんの邪魔をしないように、開けた扉を閉じて……

 

 

「ちょっとちょっと待ってお願いよヴィッラ!?」

「お母様、大丈夫です。私、分かっていますから。ちゃんと分かっていますから……私は暫く外に散歩に行ってきますので、後はゆっくり楽しんでくださいね」

「ヴィッラが想像している事、絶対に違うからね、誤解だからね!?」

 

 

必死に言い訳を重ねる、そんな母さんの後ろ、奥の方で椅子に座りながら私たちを見て、口を押さえて笑いを堪える父さんを見つける。

コスプレをしている母さん、椅子に座りこの場にいる父さん。

二人を見比べ、私はとある結論に気づいてポンと手を鳴らす。

 

 

「成程……お父様、特殊なご趣味をお持ちのようで」

「ぐはっ!!? ち、ちがっ、僕はそんな……」

「……ごゆっくり」

「「行かないで!!?」」

「何をしておるんじゃ、お前さんたちは……」

 

 

さて、私たちは一息入れ、どうして母さんがコスプレなんかをしていたのかを父さんに――母さんは昼ご飯の仕上げに行くと言ってキッチンに逃げた為に仕方なく――問いただしたところ、元々母さんはガリア軍の軍医として一時期働いていた時期があり、その時の軍服を偶々クローゼットから見つけたので懐かしくなって着てみたのだと私に答えてくれた。

 

しかし恐らくその答えは理由の半分程しか答えていないだろうと私は薄々感じていた。

テーブルに置かれている読みかけの新聞。

一面には大きく『扶桑国、ネウロイの殲滅を宣言せり』という見出しが書かれているそれを、私は見逃しはしなかった。

 

 

――扶桑海事変

1937年に起こった扶桑海に出現したネウロイとの戦闘。

確かその時のネウロイの侵攻は、後の欧州戦線と比べれば中規模程度だったとはいえ第二次大戦下において人類が初めてネウロイに勝利する事のできた貴重な事変だった筈だ。

扶桑がネウロイに勝つことのできた理由は恐らく、扶桑国が島国であった事と、大戦初期のガリアのようなストライカーユニットを保有していなかった国とは異なり、既にストライカーユニットの試作機を偶々製造していた事にあるのだろうと私は前世の記憶を引っ張り出しながら思った。

 

 

――戦争が近づいている

 

 

ネウロイの侵攻が始まるまであと一年程。

その一年の間に私に出来る事とは一体何か?

答えは至極単純明解。

今まで通りに暮らす事、ただその一択しかない。

私のような餓鬼がウィッチの優位性を未だ見出していない筈の今のガリア空軍に口出しする事も、入軍する事も、とてもではないが叶わない事は考えるまでも無い。

私が軍に入隊出来るのは恐らくカールスラントが破れ、ガリアへのネウロイの侵攻が始まり、ブリタニアに避難を始めるダイナモ撤退作戦前後になるのだろう。

 

 

――真っ赤な空を、私は嫌う

 

 

私は空が好きである。

しかし私が望んだ空は、そんな空ではなかった筈だ。

私が目指したのは青空だ。

血に染まった赤ではない。

それでも、このまま前世と同じ歴史を辿るというのであれば、私は――

 

 

「ヴィッラどうしたんだい、そんな難しそうな顔をして?」

「い、いえ……何でもありませんよ」

「そうかい?」

 

 

父さんに言われ、私は思考の海から顔を出す。

暗い話は後でもいい。

今は、扶桑海事変をネタにコスプレなんて出来る程平和な今というこの時間を、私は大切にしたい。

そして護りたいのだ、大切な人たちを、彼らを。

今まで受ける事の無かった温かさを、私にくれた両親たちを。

だから私は彼らを護る為なら真っ赤な空でも飛ぶ事を厭うつもりはなかった。

 

 

「おまたせ、ご飯出来たわ」

 

 

母さんがキッチンから声をかけてきたので、私はキッチンに向かい、料理を運ぶ手伝いを始める。

 

 

「母さん、まだそれを脱いでいなかったんですか?」

「どうかしらヴィッラ、サイズはちょっと大きめだけど、私だってまだまだ着れるものだと思うのだけど」

 

 

そう言って母さんは、いきなり気を付けをして右手を自分のおでこに添えてみせた。

 

 

「ガリア空軍所属、マリー・フォンク空軍中尉であります……なんちゃって」

「……ぷっ」

「笑われた!?」

 

 

母さんの敬礼は何処から見ても立派な敬礼とは言えず、母さんの敬礼からは「へにゃあ」とか「ふにゃあ」とか、そんな音が聞こえてきそうで何より母さんらしいなと私は思った。

ブツブツと文句を言ってくる母さんを適当にあしらいつつ、私はテキパキと料理を運ぶ。

そしてそれを終えると私は席に着いて父さんとお爺様に食事をするように勧めた。

それを聞いて母さんも慌てて席に着く。

 

 

「ヴィッラ、君はとてもいい性格をしているね」

 

 

父さんからは何故か小声で褒め言葉をいただいた。

 

 

食事中に最近話題に上がる事といえば、お婆様の病気の具合であったり、世界情勢であったり、近所の某さんがどうのこうのであったりと、私が口を挟む機会の少ない話題が多い。

と言うより、私は精神年齢こそ成熟していても、外見は子どものそれであるのでそういった話にはのらない方が自然だろうと思い、話に割り込む事は無かったのだが、今日に限っては私の話題で話はもちきりである。

今日の大鹿の話であったり、この間の作曲事件であったり、色々盛り上がっていく話の中で、父さんが私に問う。

 

 

「ヴィッラ、ガリアには慣れたかい? ガリアに来てから一年経ったけど、何か困ったことはあるかい?」

 

 

困った事……私は現在進行形で困っている事が一つだけあった。

ガリアに引っ越してきてから困っている事。

それはエーリカ達と別れる際、必ず守るようにと約束させられた()()()なのだが、それが未だに果たせずにいて、実は私はかなり困っていた。

……この際だから、両親たちに相談してみるのもいいかもしれない。

そう思い、私は「相談があるのですが」と一言断りを入れて、私は彼らに問いかけた。

 

 

「友達とはどうやってつくればいいのでしょうか?」

「「「え“」」」

 

 

その時問いかけられた彼らの、何とも言い難い、表現しがたいその顔を、私は一生忘れる事はないだろう。

 


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