だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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胡蝶之夢

――ながい、ながい、夢を見ていた

 

――それは、それは、とても幸福に満ち溢れた、幸せな夢

 

――そう、とても、とっても、「  」にとってその夢は、かけがえのない、替えようのない幸せだった

 

 

 

 

 

どうして気づかなかったのだろう?

 

どうしてもっと大切に出来なかったのだろう?

 

幸せは、幸福は、いつもこの手のひらから零れてしまう。

 

大切な人たち――友、家族。

 

それらは皆、みんな、いつも「  」に背を向けてどこか遠くに行ってしまう。

 

「  」にとって大切な物は、大切だと気付く頃には全部、ぜんぶ、無くなってしまうのだ。

 

残るのは――後悔。

 

夢の終わりはいつも、いつも、唐突に。

 

物語の終わりはいつも、いつも、悲劇で終わる。

 

そんな物語を突き付けられ、「  」はその場に佇み、只々悲劇を哭く。

 

それはひとり、スポットライトに照らされただけの真っ暗闇の世界の中で歌う、誰にも届かない独唱歌(アリア)

 

 

 

 

 

スポットライトが引かれていく。

 

物語は「  」の都合など知ったことかと、勝手にも、理不尽にも幕を下ろしていくのだ。

 

それでも、終わってしまうその前に。

 

そして、終わってしまったその後も。

 

誰かに助けてほしくて、誰かに気づいてほしくて、誰かに引っ張り上げてほしくて、「  」は声を張り上げ、歌う、哭く。

 

そうして「  」は、真っ暗闇な世界で一人、それでも、届かぬ思いを哭き続ける―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

目覚めた私の目の前にあるのは白い世界。

そしてその世界に浮かんだ、大きな青い二つの橋。

 

いきなり目の前に現れたそれらに戸惑い、それだけでは何が何だか分からなかった私は、そこから離れて、よりその世界を知ろうとする。

 

 

「ああ、なんだ」

 

 

離れた私はそれらの正体をすぐに知る。

何が白い世界か、何が青い橋か?

白い世界と思っていたものは、私のデスクの面の白さであり、青い橋は私の腕、軍服の青さだったのだと、私は気づく。

どうやら私は腕を枕に、いつの間にやら職務中にも拘らず、居眠りをしてしまったみたいだ。

 

ふと見たデスク上に置かれている黒縁時計の針は丁度22時を廻っていた。

立ち上がり、周りを見渡せば辺りは暗く、明るいのは私の周りだけ。

皆、各々の家に帰宅してしまったようである。

ふと私の周りを天より照らす光源を見上げれば、眩しいほどの白。

 

 

「ランプじゃない……」

 

 

何故か私の口からそんな言葉が漏れる。

科学文明が発達した今の時代、闇夜を明るく照らすのはランプではないのは当たり前の事だろうにと、我が事ながら呆れ……呆れ……?

 

 

「何処だ、ここは?」

 

 

未だ私は寝ぼけているのだろうか?

愚かな疑問が、私の脳裏にふわりと浮かぶ。

そんな事問うまでも無いだろうにと、私は頭を振って、そして思い出す。

此処は、ここは……そう、ここは私が今現在駐屯している空自の基地の一室。

眠る前まで私は……書類整理を行っていた筈だ。

疑う事無く私の現実。

目の前に広がっている現実を、どうして疑う必要があろうか。

 

 

「……疲れているのか?」

 

 

目の前にある疑いようのない現実。

しかし私はその現実を、私は何故か疑わずにいる事が、現実として捉えることが出来ないでいた。

本当に私は此処にいたのか、と。

本当に私は書類整理をしていたのか、と。

例えるならば――『夢現』

そんな常識外れで、訳の分からないもやもやが、私の胸に痞え、そしてそれが気になって、気になって仕方がない。

このもやもやは一体何なのだ?

そんな事を考えながら、私は自身のデスク近くに掛けられている掲示板にフラフラと寄る。

 

 

「今日の宿直は能見二尉と竹下二尉、か」

 

 

確認するように、私は独り言を呟く。

そして誰もいないこの場所を離れ、彼らが詰めているであろう宿直室に足を向ける。

誰かの声が、聴きたい。

きっとそれは私が、この現実が現実だという証明が今すぐにでも欲しいという心理からきたものなのだろう。

 

部屋から出て、蛍光灯に照らされた白色廊下を一人、歩き続ける。

しかし不思議な事に、歩けど、歩けど、誰一人として私が誰かとすれ違うことは無かった。

流石にスクランブルに備えて、幾人かはこの基地に詰めている筈なのだがと、私は首を捻りながらも廊下を進み続ける。

カツン、カツンと、廊下に響く私の歩みの音だけが、この基地に蔓延る無音とせめぎ合う。

 

 

――人がいない、見当たらない。

 

 

宿直室に向かう途中、回り道をし、他の仕事場や休憩所、果ては格納庫にも足を伸ばし、顔を出してみたが、まるで人だけがこの世界から欠落したかのように、誰もいない。

誰も、誰もいないのだ。

歩く距離が伸びていくにつれて、私の歩みは自ずと早くなり、そして駆け足へ。

ますますこの世界が現実なのかという疑念が私を不安にさせ、そして支配していく。

 

そんな私が最後に行きついたのは宿直室。

掲示板の通りなら能見二尉と竹下二尉がここに詰めている筈である。

ドアの前で荒くなっている呼吸を整え、そして祈る様に私はドアノブに手を掛ける。

心なしか、ドアノブに掛けた私の右手は小さく、小さく震えていた。

此処にも人が居なかったら……

そんな不安が表に出ていたのであろう。

 

 

「……ふぅ」

 

 

不安を払うため一呼吸置き、落ち着いた後、ドアノブを捻り、そして私はゆっくりと宿直室のドアを開ける。

 

果たして人は―――確かにいた。

宿直室のソファーに座り、ホットコーヒーに口を付けようとしたまま、私を見て目を丸くしている能見二尉。

能見の対面のソファーで、私が来たことに気づいていないのか、ヘッドフォンを付けたまま、ノートパソコンをいじり続ける竹下二尉。

どちらも私の知る二人の姿と変わらぬ姿でそこにいた。

 

 

「……あの、どうしましたか隊長。今日は非番ですよね?」

「ぅえ、久瀬二佐ぁ!?」

 

 

能見が律儀に立って、私に対応してくれたことで流石に竹下も私に気づいたのか、慌てて彼も立とうとしたせいか、ヘッドフォンのコードがピンッと伸びる。

伸びたコードはノートパソコンに繋がっており、ノートパソコンは弾かれたように、カエルの様にテーブルから飛び上る。

ノートパソコンはそのまま水平投射、そして重力落下。

 

 

『―――――――――』

「……ぅ」

「……ぁ」

「あちゃ~」

 

 

ゴトリと、私の足元に落ちたノートパソコンは、竹下のヘッドフォンが取れたせいか、世にもおかしな声をあげ続ける。

何事かと、私はノートパソコンを持ち上げ、そして画面を見て絶句。

だってそこには綺麗に描かれた俗に言う二次元の女の子があられもない姿を晒している静止画が、そしてノートパソコンのスピーカーからは、その女の子の何ともはしたない声が漏れていたのだから。

 

 

「……」

 

 

だから私は竹下のノートパソコンをそっと閉じ、近くの窓を開き、そのまま振りかぶって……

 

 

「ちょぉ!? 何やろうとしているんですか久瀬さん!?」

「なに、ちょっとした物理の実験だ」

「止め……いや、止めてください!! お願いします神様久瀬様仏様ぁぁぁ!!」

「……冗談だよ竹下、ちょっとしたジョークだ」

 

 

そう言って開けた窓を閉じ、素直にノートパソコンを竹下に差し出すと、彼は奪うようにノートパソコンを受け取る。

 

 

「久瀬さんが言うとガチにしか聞こえませんよ、マジで心臓に悪いっすからそういう冗談は止めてください」

「それは、すまん……くっ、アハハ」

 

 

自然と、込み上げる笑いを抑えきれず、腹を抱えて私は笑う。

そんな私を不思議そうに見て、能見は尋ねる。

 

 

「久瀬さん、どうしましたか?貴方が笑うなんて珍しい」

「なんでもない……ふふ、なんでもないんだよ」

 

 

ホッとした。

誰もいないかもと不安だった先ほどまでの切羽詰まった心持とのギャップのせいか、込み上げる笑いが止まらない。

しかしそれは決して悪い物では無い。

だから私は暫くの間、込み上げる笑いの流れに身を委ね、ハテナを浮かべる二人を置き去りに、笑い続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近のアラート待機というものは昔と違って存外暇なものである。

それは私が戦時中の常在戦場で気を抜く事の出来なかったあの頃の雰囲気に慣れ過ぎたという事もあるが、領空侵犯の常習犯だったロシアと中国の空軍が再編中である事もあり、領空侵犯の回数が戦時前に比べて激減した事もある。

それに未だそれぞれの国内にはクーデター軍の残党がちらほらと残っているらしく、それ故に正規軍も此方にちょこちょこ領空侵犯しに来る暇があるのなら、クーデター軍の残党殲滅の方に力を入れる筈だろう事も領空侵犯が少なくなった理由の一つだろう。

 

時刻は既に零時を廻っている。

この時間になってしまうと流石に自宅に帰る気にもなれず、明日は休みだし折角だからとこのまま朝まで彼らに付き添う事にした。

とは言っても暫く私と談笑していた能見は、迫る睡魔に抗いきれず、先ほどからソファーの上で横になって静かな寝息を立てている。

そして竹下は先ほどの「エロゲー」なる物を自粛して、パソコンで何やら動画らしき物を見る事に専念している。

そんな訳で、早速手持無沙汰になってしまった私はこのまま寝てしまおうかと目を閉じてみるが、先ほどまで寝ていたせいか全然眠れる気がしない。

 

 

「眠れないんすか、久瀬さん」

「ああ、さっきまで眠っていたせいかな。どうも眠れないんだ」

「ん~、なら久瀬さんも一緒にどうっすか?」

「どうって……うっ!?」

 

 

竹下が見せてくれたパソコン画面に映るのは、ズボンを穿いていない、下着丸出しの二次元少女たちが足に機械を履いて空を飛ぶアニメ。

生身で空を飛ぶという製作者の着眼点は素晴らしいと言えるが、やはりパンツ丸出しなのは……

 

 

「久瀬さん、パンツじゃないから恥ずかしくないんだ!!」

「へ?」

「パンツじゃないから恥ずかしくない、恥ずかしくないんだ!!」

「……二度言わんでいい、と言うか叫ぶな。能見が起きるぞ」

「さ、サーセン」

 

 

竹下曰く、明らかにパンツであろうそれは、このアニメの中の世界ではズボンという認識になっているらしい。

確かに我々の概念が常に世界の常識という事は決してなく、他の国ではその常識がおかしい事だと思われる事だってあるだろう。

しかし、だからと言ってこれは……

 

 

「スマン、内容に興味はあるが、やはり、その……」

「ズボン、駄目っすか? なら小説版があるんでそっちを貸しましょうか?」

「ああ、そっちで頼む」

 

 

竹下に渡されたアニメの小説版は、私が日ごろ読んでいる物より一回り小さい、所謂文庫本サイズの物であった。

表紙には生憎カバーが掛かっており、そこから本のタイトルを読み取ることは出来ない。

本の中を開くも、タイトルが書かれているであろうページもカバーの内に飲み込まれてしまっている。

竹下はきっと、本を大切に読むタイプの人間なのだろう。

ならば、普段読む時より大切に、本を傷つけぬように注意して読まねばと、私は本のタイトルを確認する事を諦め、次のページを捲り進める。

 

本の内容は、先ほど見たアニメの明るい感じからは想像出来なかったが、第二次世界大戦を基にした架空戦記物だったようだ。

読み取れる限りでは、突然現れた謎の存在『ネウロイ』によって欧州等の国々の大半がそれらの勢力下に下り、人類滅亡への緩やかなカウントダウンが迫る中、その秒針を止める為、祖国奪還の為、本土防衛の為、様々な思いを抱いた年端もいかぬ少女たちが機械仕掛けの魔法の箒を履き(・・)、武器を手に取り日夜戦う物語……と見せかけて、年頃の少女たちが織り成す様々な日常話の方が大部分を占めており、戦時中という雰囲気をあまり感じさせない明るいコメディ的作品に仕上がっている。

戦争体験者としては随所にツッコミ所盛り沢山な作品ではあるが創作物と割り切れば読めない訳では無く、そして空を飛ぶことを生業にしている為か、興味をそそる物が一つある。

 

 

――ストライカーユニット

 

 

機械仕掛けの魔法の箒。

それは、少女たちを大空へと誘う翼であるのと同時に、少女たちを戦場へと駆り立てる、言わば悪魔の兵器という側面を持つそれ。

現実ではありえない、実に荒唐無稽な空想物。

しかし私はそれを見て、そして思うのだ。

それを履いてみたい、と。

そして飛んでみたい、と。

それで以て空を駆け抜ける。

それはそれは、とてもとても気持ちのよいものなのだろう、と。

そんなストライカーユニットを履いて、飛ぶことが出来る本の中の彼女たちに私は羨望を、そして僅かな嫉妬を抱きながらも、気になる物語の続きを読み進めていく。

 

 

「ん?」

 

 

小説はとうとう最終章「エピローグ」に差し掛かったところで、私はその章を読む手を途中で止めた。

理由を端的に言えば、「エピローグ」の内容、書き方に違和感を覚えたのだ。

言うなれば、この作品に似つかわしくない終わり方。

「エピローグ」に至るまでの雰囲気を台無しにしてしまう終わり方だったのだ。

 

「エピローグ」はほんの数ページ程の短いものだった。

内容は物語の主要人物と思われるカールスラント軍に所属する少女三人が、ネウロイから奪還した基地を視察途中、そこで戦死してしまった仲間を、幽霊になった戦友を見るというものである。

 

 

 

 

 

――ミーナ?

 

――どうしたの、フラウ?

 

――あ、ううん、ミーナの事じゃなくて……

 

――もしかして、ヴィッラ少尉の事か?

 

――うん。今、彼女がそこの廊下を通って……

 

――馬鹿な、彼女は私を……いや、済まないハルトマン。でも見間違いじゃないのか?

 

――でも、でも!! 確かにそこを通ったんだ!!

 

――おい、待てハルトマン!!

 

 

 

 

 

「難しい顔をしてますね、久瀬さん。小説、合いませんでした?」

「いや……ただ、な」

「? ああ、その話ですか」

 

 

本を覗きこんで苦笑いを浮かべる竹下。

「その話、結構読者の批判が多かったんっすよね~」と、独り言に近い形で私に教えてくれる。

 

 

「やはりか」

「折角そのキャラ、立ち絵が可愛い子なのに死んでるなんて設定、勿体ないし許せないんすよ。それに自分、こうもあからさまにお涙ちょうだいみたいに登場人物を死なせる物は余り好きではないっす」

 

 

彼の言葉には同意だ。

この話はあからさまな程に、悲劇を語っている。

何故明るい流れを壊してまで、作品の雰囲気を壊してまでしてこの話を盛り込んだのか?

一体、作者は何を言いたかったのだろうか?

意図は何だったのか?

読み進めても見える事が無い、謎。

結局謎は解けぬまま、残るページ数はあと三つ。

それ以降、あとがき等のページは再びカバーに飲み込まれており、捲る事は許されない。

それに彼の話から察するに、あとがきにこの話を言及する内容が無かったのだろう。

 

ページを捲る。

 

 

 

 

 

――『―――』を庇って死んだことには後悔は無いの

 

――私はあの時、仲間たちの、エーリカたちの力に少なくともなれた

 

――もしそうなら、本当にそうだったのなら私は幸い

 

――でも、でもね

 

――それでも私は……

 

 

 

 

 

幽霊少女の短い独白。

死んだ戦友に別れを告げ、基地から去っていく三人を、基地の窓から見下ろす優しいまなざしをした少女の挿絵。

何となく、何となくだが……私はこの挿絵を何処かで見た事のあるような気がして……少女の独白を……何処か……で聞いたことがある……気がして……

 

 

「あ……れ……?」

 

 

眠くなかった筈なのに……今はどうしてかな?

とても、とても………眠い。

 

 

「久瀬さん?」

「竹下……スマン、少…し……眠っ……て……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倒れるようにソファーに身体を沈ませたその時の私はきっと、物凄く疲れていたのだろう。

だからこの先の、ページの先の最後のセリフを知っているなんていう事も、きっと疲れから来る妄想なのだ。

 

 

――それでも私は、もっと生きていたかった

 

 

それは竹下の声でも、能見の声でもない、紛う事無く知らない誰かの声、まだ年端もいかないような少女の声だった。

しかしどうしてかな、その声を懐かしく思ってしまうのは……

 

 

「ゆ……め……」

 

 

きっと以前にでも、その声を夢の中で聴いたのかもしれない。

その姿を見たのかもしれない。

それなら合点がいく話だ。

何もおかしなことは無い。

そう、おかしなことは何一つ無いのだ。

 

私はその日、そんな事を思いながら、深い深い闇の中に一切の疑問を抱く事無く、闇に意識を溶かしていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして私は夢を見る

 

――まだ「  」が幸せだった、あの頃の夢を

 

――夢の中の「  」は笑う

 

――大切な人たちと、本当に、本当に幸せそうに

 

――それを覗いた私は、願う

 

――どうかその幸せが続きますように、と

 

――今度こそ、運命に負けないように、と

 

 

 

 

 




・竹下二尉と能見二尉

久瀬の部下。
戦争中期あたりから足りなくなった人員補充の目的で航空学校から招集され、生き残る事が出来た数少ない人達。
二人は幼馴染という設定。

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