――11月
その日は冬特有の木枯らしがヒュォっと口笛を鳴らしながら窓をガタガタと、何度も何度もしつこくノックしていたのをよくよく覚えている。
その日、白い、白いベッドの上で、真っ赤な一輪の花が満開を迎えようとしていた。
その花の名前が何なのか。
それは私には分からない。
残念ながら私は、花の名前に然程詳しくない。
鑑賞物として花を「綺麗」と思いはしても、それぞれの無数に存在する花の種類、名前に、興味は微塵も無かったのだ。
その花は水を沢山与えられ、肥料漬けにされ、多くの手間暇がかかった上で、そうして今日漸く咲く事が出来た、満開になる事が許されたものだった。
しかし周りの鑑賞者達は、満開になったその花を見て、嘆いている。
――何故?
何故彼らは綺麗な、綺麗なその花を見て、そして嘆いているのか?
ぼんやりと鑑賞者達を眺めていた私は暇つぶしをするかのように、不躾に、彼らが嘆く訳を、所以を探す。
己の中の沈黙に潜り、探す事数秒。
ああ、きっと彼らはこの素晴らしい花が満開を過ぎたらすぐに萎み、そして枯れてしまうことを惜しんでいるのだろうと、私は沈黙の中で得る事の出来た勝手な自己解釈を、部屋の端から私は鑑賞者達に張り付けた。
「……八時二十三分、死亡確認。ヴィッラ」
「はい」
「そんな……ああ、フランツ!! 目を開けてフランツ!! お母さんを、お母さんを置いて行かないで!!」
父さんの、花の完成を告げる言葉を受け、私は納品書にサインを加える。
これは天に召します我らが父に向けられた納品書。
それを書くことが、今この場に与えられた私の仕事。
そしてそれを書き終えた私に、この部屋にこれ以上留まる必要はなくなった。
私は静かに、そっと、後ろで嘆く誰かを他人事と切り捨てて、聞こえる言葉の意味を理解する事もせず、足早に部屋からの退出をはかる。
彼らだって今はそっと、刹那の美しさを見せる白いリボンに飾られたその花をずっと、ずっと、飽きるまで、愛でていたい筈だ、独占していたい筈だ。
私が触れたステンレス製の銀色ドアノブは、暖められた部屋の温度を無視するように、ただ冷めきっていた。
病室から抜け出した私にすれ違いざまにぶつかってきたのは、最近顔見知りになった若い女性看護師。
前のめりに倒れていく彼女の両腕には目一杯に抱えられた薬品の山。
後ろが壁だった事が幸いし、すぐに体勢を整え直す事が出来た私は慌てて彼女に右腕を伸ばし、彼女を支える。
「すまない、大丈夫か?」
「あ、ありがとヴィルヘルミナさん」
礼だけを言って去っていく彼女。
謝罪は、ない。
しかし私はそんな彼女を咎めない。
謝罪をする。
そんな暇さえ今は無い事は私も、そして彼女も、互いによくよく分かっているから。
「包帯と薬が足らないわ!! そう、モルヒネもよ!! あるだけ持ってきて!!」
「いてぇ……いてぇよ……」
「先生!! 追加の急患、急患です!!」
「誰か、誰か整形外科の先生はいませんか!!」
様々な色をした声が、真っ白な廊下の至る所から聞こえてくる。
色の種類は、赤に、青に……所々に黒色。
それらの色は無造作にキャンバスを汚し、最早それらが何を表しているのか、私には全く理解できない。
「ワン」
「……カルラ」
病室の外で待っていてくれたカルラが、私を色の世界から引き戻す為に、呼ぶ。
カルラの顔をふと見ると、彼女の目は「ちゃんと前を向け」と私を怒っているように、責めているように見えた。
現実逃避とは私らしくない。
そう思いつつ、私はカルラの頭をそっと撫でる。
「そうだな、そろそろ前を見ないと」
「――前を見るって、どういう事だいヴィッラ?」
「! 父さん……いえ、何でもありません」
「そうかい?」
後ろから声を掛けてきたのは、先ほどの病室での役目を終えたであろう父さん。
彼は私の事を思ってか、労うように優しげな微笑みを向けてくれる。
しかしそんな彼の笑みに、僅かながら陰りがある事を私は見逃さない。
……そういえば彼が休んでいるところをこのところずっと見ていないなと思い出し、一歩、私は彼に寄る。
「父さん。ちゃんと眠れていますか、休めていますか?」
「……何のことだい?」
「とぼけないでください、疲労が顔に出てますよ?」
「うぐっ」と、言葉を詰まらせ、父さんは視線を泳がせる。
やはり私の予想通り、碌に休んでいなかったらしい。
「……ヴィッラ。言いたいことは分かるけど、僕たちは一人でも多く、苦しんでいる彼らを助けないといけないんだ。休んでいる暇なんてないんだよ」
「疲労のせいで手元が狂う、なんて事を私が許すとでも?」
「……」
「私は父さんの為だけではなく、患者の為に言っているのです。お願いですから今は少し休んでくださ……わふっ!?」
私の言葉を遮る様に、父さんは私の身体をその腕に抱く。
男性故か、私を抱く腕は少し荒々しい。
一体全体何なのだと、私は父さんに文句を言おうとして……止めた。
彼に、他意が無い事は何となく分かったから。
荒々しいその腕に、何処か壊れ物を扱うようなやさしさがあったから。
彼の身体が、少し震えているような気がしたから。
「父さん?」
「ごめん、ヴィッラ。少し苦しかったかい?」
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
ふと、私は先ほど看取った若いガリア軍兵士とその母親の事を思い出す。
思い出して、納得して、私はそっと彼を抱きしめ返す。
父さんは……うん、少し驚いているみたいだ。
「大丈夫です、父さん」
「ヴィッラ?」
「私は、此処にいますよ?」
「……はは、これではどっちが大人か分からないな」
そりゃあ私の方が精神年齢、上ですからね……とは言わない。
父さんの、両親の愛にどっぷり漬かって甘えているのは私の方だから。
しかし、私はそろそろ前を見なければならない。
対策を考えないといけない。
彼らを、大切な人達を、また失わないように。
(さて、どうするか……)
思考の海に、潜る。
1939年、10月
東欧州がネウロイの襲来で混乱する
巣が確認された場所は――
前世と異なり、ガリア南部に突如として現れ、侵攻を開始したネウロイ。
しかし突然の侵攻にも拘らず、南部ガリア陸軍、空軍の各方面司令部は混乱少なくこれに即応、的確に防衛ラインを段階的に構築、抵抗を開始する。
何故これ程までに素早い反応が出来たのか。
確かにこの時司令部内にいた多くの将兵が前大戦体験者であった事も大きいが、実のところ南方司令部は前大戦の教訓を生かし、南方司令部は独自にガリア南部に存在するヒスパニアやロマーニャ公国等の各国を仮想敵国と想定した、また前大戦のネウロイ襲来時の記録を基に、数十パターンにも及ぶ本土防衛ドクトリンを組み立て、そしてそれらの作戦が恙無く取れるよう訓練を怠らなかった事が大きい。
また1936年のヒスパニア戦役は不介入であったとは言え、国家としても国防として、南方の警戒を更に加速させたのは言うまでもない。
しかし南方司令部は、それから一か月余りで陥落する事となる。
理由としてはネウロイの巣と司令部までの距離があまりにも近すぎた事、そして前大戦で現れることの無かった大型航空ネウロイによる制空権の早期失陥が大きく響いた。
それでも多くのガリア国民を北やヒスパニア方面に逃す時間を稼ぐには十分であった事には変わりなかったのだが、南方司令部に最後まで残り、撤退の殿を務め、散って逝った優秀な将兵は少なくなく、それによって明確な司令塔を失った南方ガリア軍兵士の多くは組織的に動く事も儘ならず各々壊走。
結果として南方司令部が陥落以来、僅か半月余りでガリア南部都市の多くはネウロイの勢力下に下ってしまう事となった。
今この町のガリア陸軍の駐屯地には、南方司令部より撤退してきた将兵の手によって、この町の近くに存在する防衛ラインを指揮する為の臨時司令部が置かれている。
その臨時司令部の司令官――カジミール・ドモゼー陸軍准将は、此処に司令部を置いて以来、ネウロイの侵攻を各戦線の指揮官と連携して思いの外よく押さえ、また押し返している。
あの一件があって私は彼には良い印象を持っていなかったとはいえ、やはり伊達に准将という地位に着くだけの事はあるなと少し彼に感心しつつも、しかしそれも長く続かない事も私は薄々感じていた。
物資の問題では無い。
兵士の数と士気の問題、特に士気に関しては深刻なものであった。
元々南方から撤退してきた者達の士気は皆高かった。
彼らはガリア国民を一人でも多く逃がす為に戦っているという意識が最初からあった為か、負傷して
しかし北部等からの増員、援軍として送られてきた兵士たちは、その逆。
前線へ向かう、この町に立ち寄った彼らを何度か目にした事があったが、彼らの目は既に、戦う前から死んでいる。
ただ、彼らの気持ちは分からないでもない。
勝てもしない怪物に小銃持たされ攻撃を命じられる。
言うなれば第二次世界大戦末期に日本が取った神風特攻……いや、それよりも酷いのかもしれない。
それは端的に言うと「ガリア国民の為に肉壁になってこい」と言われているに等しい命令なのだから。
兎も角、前世と大きく異なりこの町が、ガリアが、ネウロイという名の業火に前世より早く飲み込まれるのは時間の問題だろう。
しかし両親は、レオナルドもマリーも何時まで経ってもここから逃げようとはせず、ずっとこの町に送られてくる負傷兵達の治療にあたり続けている。
逃げ出す気は……きっと無いのだろう。
今更だが、彼らが苦しんでいる誰かを見捨て、自分たちだけで逃げ出す事は彼らの性格から考えてあり得ない事だ。
それにこの病室の一部屋にはお婆様が、未だ目を覚ます事無く眠り続けている。
その事がまた彼らの楔となり、足枷となってしまっていた。
このまま残り、当初の目的の通り彼らを守る選択をすれば、私は軍にも入る事も出来ず、それどころか何も出来ずに実にあっさりと死んでしまうかもしれない。
……ハッキリ言うと、今すぐにでも逃げ出したいと思ってしまっているのが私の本音だ。
二度も死に、三度目の人生を迎えられた奇跡。
しかし四度目があるとは限らない。
死に逝く時の、あの寒さ、孤独。
二度と、二度と体験したくない。
――死にたくない
ついそんな事を思ってしまうのは、人間として当然の本能なのだろう。
しかし私はそれでもこの場に、彼らと共に留まる事を選んだ。
後悔が無いと言えば、嘘になる。
留まる事は怖かったし、ジワジワと迫っている死から目を背けたい余り、先ほどまで現実逃避していた程だ。
しかし私は、私が死ぬことよりも、何よりも。
大切な彼らが死んでしまう事の方がもっと、もっと、怖かった、恐ろしかった。
だから私は、それでも私は此処に留まり彼らを護る決意をしたのだ。
たとえ私が死ぬことになっても、彼らを護りたいと思ったのだ。
なのに。
それなのに……
「母さん……もう一度、言ってくれますか?」
「逃げなさいと言ったのです、ヴィッラ」
母さんはどうして私にそんな
「逃げろって……どうして」
「ヴィッラ、君はカールスラントの国籍を持っている。撤退するガリア軍と共にパリに行って、カールスラントの大使館を使ってカールスラントにいる父さんたちの所に逃げるんだ」
「違う……違う!! 私が言っているのは手段じゃないんです、父さん!!」
病院の中であろうと、往来の激しい廊下だろうと構う事無く、私は彼らに大声を上げる。
無論そんな事をすれば周囲の注目が集まるだろうが、今はそれどころでは無い。
「此処ももう危ない事はヴィッラだって分かっているでしょう」
「だから、何ですか!! それを言ったら母さん達だって……」
「私たちは
「……」
「分かっているでしょうヴィルヘルミナ。どんなに貴女が賢くても、どんなに貴女が取り繕おうと、貴女の身分はまだ子どもである事に変わりないわ」
「それは……」
「ヴィッラ、分かってくれ。マリーは意地悪を言っている訳じゃないんだ。僕たちはただ、ヴィッラに生きていてほしいんだ」
それはそうだ。
私が彼らに死んでほしくないと思うように、彼らだって私を死なせたくないと思うことは親として当然なのだろう。
だからこそ、もどかしい。
私は母さんの言う通りどんなに私が精神年齢を積み重ねていたとしても、私の外見は、そして身分は、無力な子どものそれなのだ。
子どもである私から大人である彼らに頼る事は可能でも、大人である彼らが子どもの私に頼る事は出来ないのは当たり前の事。
だから「私を頼ってほしい」なんて、「私が護るから」なんて、言える筈が無い。
その言葉は大人である彼らを見下し、馬鹿にしている事に同義なのだから。
「少し……少し考えさせて、下さい」
「分かったわヴィッラ、でも早く決めないと駄目よ」
「はい……」
期限を先送りにする。
悔しいが、それしか今の私には出来なかった。
「ヴィッラ、お願いしてもいいかしら」
「……何でしょう」
「家から、私たちの着替えを取ってきてほしいの。これからはもう、私たちには家に帰る時間もないでしょうし。勿論ヴィッラの分もね」
「分かり、ました」
今は一人になって考えたかった私に、その母さんからのお願いはありがたいものだった。
無論快諾。
しかし「それじゃ」と言って家に戻ろうとした私の後ろを当たり前のように、そうある事が当然の事のように付いてきてくれるのは、カルラ。
「カルラ……」
ああ、そうだ。
私は彼女のこれからの事も考えないといけない。
あの日エーリカと共に彼女を助けて以来、彼女は元居た自由よりも私を選び、ずっと私の後ろを黙って付いてきてくれた。
しかし、もし私が死んだ時、残された彼女はどうするか……
「カルラ」
「ワン」
もう一度彼女の名前を呼ぶ。
視線を彼女に合わせるように私は屈んで、彼女に母さん達と此処に留まるようにお願いする。
「クゥン」
「カルラ、すまないが私がいない間、母さん達を護っていてくれるか?」
「(フルフル)」
「ごめんね、カルラ……今は、一人にさせてくれ」
「……」
最後まで渋る素振りを見せていたカルラだが、私がそう言うと、彼女は大人しく腰を下ろしてくれた。
「ありがとう」
カルラに与える、お礼と一撫で。
暫く私は、カルラを無心でその手の内で転がす。
少し荒くし過ぎたのか、手を離した時にはカルラの毛並みがぐしゃぐしゃになっていた。
しかしそれでも気にした様子もなく私をジッと只々見送る彼女の視線に内心謝りつつ、私はゆっくりとした足取りで家に向かった。
帰り着いた我が家で私を迎えてくれたのは、沈黙。
カチャンと、玄関の開閉音以来家の中から聞こえる音は私の息遣いだけ。
日頃家族との笑いあっていた、笑いが絶えなかった我が家が、しかし家族がいないだけでこんなにも寂しいものかと、少しだけセンチメンタル。
「……よし」
作業に取り掛かる。
まずは父さんの衣服を、下着を含めて
前世が男だったお蔭で、父さんの下着を何も思うこと無く触れることが出来た訳だが、最低限の物を鞄に詰め込んだつもりだったのに、既に鞄は「もう食べきれぬ」と悲鳴をあげていた。
仕方なく新たに鞄を用意した上で詰め込み始めた母さんの衣服なのだが、彼女のクローゼットから持っていく服を選んでいると、以前母さんが着て見せてくれた軍服を見つける。
「ん……」
軍服というものは基本、一般的な服より頑丈に出来ている物である。
当然ネウロイ相手には無意味かもしれないが、少しでも今後の生存率を上げるという意味では役に立つかもしれないと、軍服を手に取りながらふと思う。
……これ、母さんに強請ったら譲ってくれるだろうか?
そんな淡い期待をしつつ、とりあえずその軍服も鞄に詰め込む事にする。
母さんの着替えの詰め込みも終わり、あとは私の着替えだけなのだが、其処はやはり自分の物だけあって特に問題なく準備を終わらせる。
そうして出来上がった肥満体型の鞄が三つ。
それらをひとまず玄関近くに置いて、続いて私は今後の為の準備――ネウロイがこの町に迫ってきた時の為の、必要な物を手早く持って逃げ出せるようにする為の準備を始める。
ランタンなどの必需品、食料、特に保存性に富んだ物等、兎に角私が思いつく限りの、逃げる際に必要になってくるであろう物を片っ端に箱に纏めて、これらもまた玄関近くに置いておく。
「さて、他に何か必要な物は……ぁ」
玄関の端に置かれた真っ黒金庫が目に映る。
中にはお爺様の猟銃と弾薬が収められているのだが、私はその金庫に手を伸ばし、しかし途中で止めた。
果たして銃は必要か?
銃を持っていく事で起こるメリット、デメリットを慎重に天秤に掛け、少しして私は再び、今度は迷いなく金庫に手を掛けた。
本当はお爺様に許可を貰わないといけない事なのだろう。
しかし今、彼は此処にはいない。
彼は欧州でのネウロイの出現を機に、軍に復帰しているのだ。
そして彼の配属先は――
「……銃、お借りします」
万が一ネウロイに襲われたとき、誰かが、軍が、必ず私を、家族を守ってくれるとは限らない。
そう考えた私はガンケースに銃をありったけの弾薬と共にしまい、しかしそれは必要物資の上に置かず、肩に担ぐ。
そして置いていた着替えの入ったバッグを更に担ぎ、私はそのまま家を出た。
病院に戻る為に通る必要のあった町の主要道路は、避難を急ぐ人や車で溢れかえっている。
本当に今更である彼らの避難。
ただ、彼らも避難の為に家を捨てるという決断は中々出来なかったかもしれない。
この町の建物はどれもこれも歴史のある物ばかり。
先祖代々その家や店を護ってきた者だって彼らの中には少なからずいるだろう。
そうでなくても己の慣れ親しんだ家を、訳も分からない怪物からの脅威と天秤に掛けた時、どうしても家に傾きがちになってしまう彼らの気持ちは分からないでもない。
分からないでもないのだが、そのシワ寄せが前線で懸命に戦ってくれているガリア軍の兵士たちに寄ると思うと……
「はぁ」
避難する彼らを視界に入れないように、私は近くの壁に背を預け、空を見上げる。
空は相も変わらずの、青。
そのまま暫く、私はぼ~、と空を見上げながら何も考えない。
「……しまった」
考えないと言えば、今後についてどうするかについて全く考えていなかった事を今になって思い出す。
折角病院から離れ、一人になる時間を貰ったのに何をやっていたのだと、先ほどまでの自分に呆れつつ、改めて今後について、またどうやって両親を説得するかを考えてみるがすぐに妙案を思いつくような脳のつくりに如何やら私の脳は出来ていないみたいだ。
案は、結局その時その場において何一つも浮かぶ事はなかった。
私は考えることを止め、病院に戻る事にする。
こんな所で油を売っている暇があるのなら両親の治療の手伝いをしていた方がよっぽど有意義な時間の使い方だ。
それに何かしら作業をしていた方が、何か良い案を思いつく事だってあるだろう。
そう思って私は壁から離れ、止めていた歩を改めて進めようとして
――空を切り裂く、音を聞く
遠くに聞こえた微かな音は何だと、私は空を再び見る。
先ほどは気づくことは出来なかったが、注視すると、確かに何かがあった。
空遠くに見えるのは小さな、小さな黒点。
その黒点は、紙に少量垂らされた墨汁のようにわずか、僅かに広がって、空を小さく、しかしハッキリと、徐々に汚していく。
それに伴って、音は段々と大きくなっていく。
大きくなって、更に大きくなって。
それだけ大きくなれば、流石に人々も気づくだろう。
皆足を止めて、空を見上げる。
「あれは隕石か?」
誰かが言った、呟きを聞く。
その言葉が誰によって呟かれた言葉なのかは分からない。
もしかしたら呟いたのは私だったかもしれない。
しかしその言葉を耳に入れた時には、黒点は更に大きくなっていて、私はその意味を漸く理解し、叫ぶ。
「みんな、伏せろおおおおおお!!」
――黒点が、落ちる
「ゲホッ、ゲホッ……クソッ、一体何が……!?」
小学校があった丘の上に、空から落ちてきた何か。
それによって引き起こされた地震よりも何よりも大きい振動と衝撃。
津波のように巻き上げられ、そして迫ってきた粉塵。
それらが収まり、立ち上がって、開けた視界の先に私は見た。
言うなればそれは大きな、大きな一本の黒い槍だった。
明らかにこの世の物ではないであろうそれを、私も、人々も、只々呆然と眺める。
黒い槍には斑点があった。
赤い、赤い、綺麗な正六角形の斑点だ。
「嘘だ――」
そして黒い槍は、変化を見せる。
「どうして――」
視界の先で、黒い槍はバラバラと、積み上げた積み木を倒すかのように崩れていくのだ。
「何故――」
しかし崩れゆくその積み木の大半は、落下を途中で止め、重力を無視し、まるで手品のように宙に浮いてみせた。
黒い槍も崩壊を中ほどで止め、そこから綺麗に包丁に切られたように身を六等分にしてまで何かを産んだ。
産まれた何かは、四脚をその身に生やしてのっそりと、立ち上がる。
「ネウロイが――ッ!?」
刹那。
丘よりもたらされた赤い閃光と共に町が――割れた。