博士の臆病な愛情。または私が如何にして遠慮するのを止めてトレーナーを愛するようになったのか。   作:トマトルテ

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博士の臆病な愛情。または私が如何にして遠慮するのを止めてトレーナーを愛するようになったのか。

 

「トレーナーはどうしてST-2(サティ)の開発に協力してくれるんだ?」

 

 トレーナーが好きな理由なら数え切れない程にある。

 まあ、恥ずかしくて口にはできないだろうが。

 ただ、私が。

 

 シュガーライツというウマ娘が彼を好きになったきっかけは、この時だとハッキリと言える。

 

「? ウマ娘の夢を叶えたい、そう言いませんでしたっけ? ライツ博士」

「ああ、すまない。君の想いを忘れたわけではないんだ。ただ、もっと個人的な理由がないのかと思ってな」

「個人的な理由ですか……」

 

 私がもう一度この脚で走るためのメカウマ娘(身体)

 フルダイブ型ロボット、ST-2(サティ)を開発するためにトレセン学園に借りているラボで、偶々二人きりになった時だった。

 なんとなしに協力してくれる理由を聞いた。そして、すぐにやってしまったと直感する。

 そう思ったのは、トレーナーが少し考え込む仕草を見せたからだ。

 

「ああ、いや! 本当にそれだけならそれでいいんだ。別に君の信念を疑っているわけでもないし、君の助力を不可解に思っているわけでもない。むしろ、こんな走れもしないウマ娘に貴重な時間と労力を割いてくれることには感謝しかない。ただ、トレーナー達の中で手伝ってくれているのは、君だけだから何か特別な理由があるのかと……うん? いや、何を言っているんだ私は?」

「いや、そんなに遠慮することでもないかと」

 

 言い訳がましいことを並べ立て、自分でも何を言っているのかと苛立ち、車椅子の手すりを人差し指でせわしなく叩く。もしも、昔のように自分の脚で走れたのならば、私は一目散にこの場を後にしていただろう。

 

「ただ、あー……他のトレーナーが来なくて、俺だけなのは多分俺が()()トレーナーだからですね」

 

 だが、トレーナーはそんな私の様子を特に気にした様子もなく話を続ける。

 

「新人だから……まあ、ベテラントレーナーと比べれば時間はある…のか?」

「それもありますけど……一番は俺が現実を知らなかったからでしょうね」

「現実を知らなかった……やはり、担当を持ちながら私への協力は難しいか」

 

 私自身も社会人を経験した身だ。

 仕事をしながら他のことをやるというのは、やはり時間が足りない。

 やはり、現役のトレーナーに協力を求めるのは彼の好意に甘え過ぎていたのかもしれない。

 

「その……忙しいのなら、無理に私を手伝わなくとも……」

「いえいえ! そういう意味で言ったんじゃありません! 先輩トレーナー達も何かと俺のことを気遣ってくれますし。本当なら、ライツ博士にも協力したいと思ってる人だっているんですから」

「そうなのか? 君以外のトレーナーとはあまり会わないから、邪魔者扱いされてるのかと……」

 

 意外な事実に、思わず目を見開く。

 

 トレセン学園に戻ってきた身だが、何となく他のトレーナー達から避けられているように感じていたのだが。

 正直、学生時代の知り合いぐらいは協力してくれるのではないかと、密かに期待していたのでショックを受けたのはよく覚えている。

 

「邪魔だなんて誰も思っていませんよ。ただ……」

「ただ?」

 

 トレーナーの方に耳を動かして、聞き洩らさないようにする。

 そして、衝撃の言葉を突き付けられる。

 

 

「―――怖いんですよ、ライツ博士が」

 

 

 怖い? 私が?

 自由に動けもしない、車椅子に乗ったウマ娘が?

 トレーナー達は恐れている…?

 

「あ、いえ。正確には今のライツ博士の状態ですかね」

「私の状態?」

 

 意味が分からないといった表情の私に、慌ててトレーナーが説明を付け加えて来る。

 

「怪我をして日常生活もままならなくなったウマ娘。それはトレーナーにとっての悪夢です」

 

 私が考えもせずに踏んでしまった、トレーナー達にとっての地雷の意味を。

 

「……ある先輩は言ってました。ライツ博士を見る度に、サイレンススズカ(自分の担当ウマ娘)が車椅子に乗っているように見えるって。だから、極力博士を避けるんです」

 

 その言葉は重たかった。

 あるトレーナーには、車椅子に乗るウマ娘がビワハヤヒデに見えるのかもしれない。

 

 エアシャカールに見えるのかもしれない。

 ナリタタイシンに見えるのかもしれない。

 タニノギムレットに見えるのかもしれない。

 シンボリクリスエスに見えるのかもしれない。

 

 それはトレーナーの言うように、確かに悪夢だった。

 

「ビワハヤヒデは言っていました。走れないという絶望はウマ娘にしか分からないかもしれないと。でも、走れなくなったウマ娘を見る絶望もトレーナーにしか分かりません」

 

 彼が私を見ても恐れないのは簡単な理由。

 新人だったから。まだ、何も知らなかったから。

 そんな無知が生んだ産物に過ぎない。

 

「トレーナーは単なる指導者じゃないんです。命を……ご家族の大切な子供を預かる仕事なんです」

「命を……預かる」

「勝ち負けは運かもしれない。でも、五体満足で無事に家に帰すことだけは義務です」

 

 淡々と、努めて感情を乗せないように語るトレーナー。

 そのことが、より強く激情を表していることにも気づかずに。

 

「その最低限の義務も果たせなかった姿。それがライツ博士の姿です」

「ま、待ってくれ! ()()は…! 私のトレーナーは最大限私に尽くしてくれた!! リハビリだって最後まで面倒を見てくれたし、大学だって先生の伝手で紹介してもらったんだ! ロボット工学の道も、私の趣味や成績を良く知ってた先生から勧められたんだ!! そんな先生が最低限の義務も果たせなかったなんて…ッ!!」

 

 恩師を侮辱されたと思い、思わず声を荒げてしまう。

 確かに私は日常生活も不便になる程の怪我をした。

 だがそれは、スポーツ選手なら誰にでも起こり得るリスクだ。

 トレーナー(先生)にだけ押し付けて良い問題ではない。

 

「すみません。ライツ博士のトレーナーを侮辱する気はなかったんです。ただ、これは私達トレーナーの覚悟の話です」

「あ……うん、こちらこそ……すまなかった。ウマ娘にしか分からないことがあるように、トレーナーにしか分からないことがある。これはただそれだけの話なのだな……」

 

 そのまま痛い程の沈黙が私達の周りを支配する。

 それに冷静になってみれば、今しがたの話はトレーナーとしての総意なのだろう。

 何故なら、私の先生は……もうトレセン学園には居ない。

 まだ定年という年でもなかったのに。

 

 尊敬できる大人だった。だからこそ、けじめをつけたのだろう。

 

「えっと……そう言えば、俺が開発に協力する個人的な理由でしたっけ」

「あ、ああ、そうだな」

 

 トレーナーが露骨に話題を逸らしてくる。

 こっちとしても気まずかったので、渡りに船とその話に乗る。

 

「個人的な理由は……ライツ博士の笑顔を()()見たいからですね」

「私の笑顔が…?」

 

 そして、今度は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするようになる。

 私はそんなに不愛想だったのか。

 何だかんだ笑っているつもりではあったのだが。

 

「あ、いや、普段が笑っていないという意味じゃなくて……そのですね」

 

 そんな私の考えが伝わったのか、それとも先程までの気まずさが尾を引いているのか。

 トレーナーは慌てたように手を振り、若干恥ずかしそうに説明を付け加える。

 

 

「―――走ってる時の笑顔がとても素敵だったので」

 

 

 その言葉で昔の記憶が蘇る。

 大した才能もない私が先生にスカウトされた日を。

『あなたは本当に楽しそうに走るわね! こっちまで笑顔になるわ!』

 もう、思い出さないと思っていた大切な思い出を。

 

「私の現役時代の映像でも見たのか…? 大した選手でもないのに、よく残っていたものだ」

「え? ま、まあ……それはともかく、ライツ博士の最高の笑顔は走ってる時にしか見れないと思うんです」

 

 何故か、若干動揺した様子で話すトレーナー。

 そのことが少し気になるが、根掘り葉掘り聞くのは遠慮しておく。

 何より。それ以上に気になることがあったから。

 

「だが、そうか……私は笑えていなかったんだな」

 

 私は本当の意味で笑えていなかったらしい。

 気にしないつもりだった。

 だがそれでも、やはり私にとっての走りとはそれ程のものだったのだ

 

「今の笑顔も素敵ですけど、やっぱりシュガーライツの笑顔は走ってこそだと思うんです。だから、俺は君を……あなたを走らせたい。()()()()、あなたの満面の笑みを見たいから」

 

 そう言って、トレーナーは恥ずかしそうに頬を掻く。

 きっと、この瞬間だろう。

 私がトレーナーに、いや……彼に。

 

「だから、一緒に頑張りましょう! もう一度、シュガーライツだけの景色を見るために!!」

「ふふ、そうだな……共に頑張ろう、トレーナー」

 

 特別な感情を抱くようになったのは。

 

 

 

 

 

「……フライパンさばきは凄いけどさ。焦がしたんじゃ意味ないでしょ」

「こ、こんなはずでは……ST-2(サティ)の身体なら台所を自由に動けるというのに」

 

 隣でため息をつく茶髪で小柄なウマ娘、ナリタタイシンの呆れた視線を受けながら、私はフライパンの中の、黒く名状しがたい何かになった卵焼きを見つめる。

 

「手とか指の動きは問題はないんだから……ええと、火加減? 温度感覚? それとも目で見える光景がズレてる?」

「……そうか、視点の変化だ。私は普段車椅子に座っている分視線が低い。だが、ST-2(サティ)の視点は立った状態。火加減や焼いている卵の状態を見る感覚がズレているのか」

「走ってる時は気にならなかったの? 大分勝手が違いそうだけど」

「生身の私は走れはしないが、軽く歩く程度のことは出来る。だから、違和感を察知できなかったんだ……うん。やはり、ギムレットの指摘は正確だな」

 

 ST-2(サティ)の制動の精度を上げる。

 その課題に対して私が行っていることは、ST-2(サティ)で普段しないことを行うことだった。

 タニノギムレット発案のこの計画は、かなり効果的だった。

 

「走るという均一の動作だけなら見つけられなかった欠点。それが日常生活を行うだけで、こうも簡単に見つけられるとは」

「まあ、まだこれで結果が出るって決まったわけじゃないけど」

「いいや、こうしているだけでも、以前よりも動作バグが少なくなっているのを感じる。それに……」

「それに?」

 

 私は自分の怪我のことを、走れなくなったのが問題だと。

 それだけが以前と変わったことだと思っていた。

 だが、こうしてトレーナーやタイシン達と過ごすうちに思い知ったことがある。

 

「こうして皆と何かをするというのは楽しいしな!」

 

 車椅子というのは、知らず知らずのうちに人との関わりを少なくするものだったのだと。

 いや、ただ単に私が走れなくなったことで、周囲に遠慮をして塞ぎこんでいただけかもしれないが。

 

「……あっそ。まあ、アタシも別に嫌じゃないけど」

「タイシンはリズムゲームを。ギムレットとクリスエスはビリヤードを教えてくれた。きっとST-2(サティ)が無ければ私は一生触れることもなかっただろう。ありがとう。皆には感謝してもしきれない」

 

 ST-2(サティ)には無限の可能性がある。

 いや、当たり前を取り戻す力があるというべきか。

 正直、走るだけでなくこれだけでも、ST-2(サティ)を開発した価値があるというものだ。

 

「別に……こっちがやりたいからやってるだけだから……それよりもさ」

 

 照れを隠す様にそっぽを向くタイシンだったが、ふと思い出したように私の方を。

 正確には私の手に持つフライパンの方に目をやる。

 

「それ……どうすんの?」

 

 それとはフライパンの上の暗黒物質(ダークマター)

 もとい、黒く焦げた卵焼き。

 科学の発展に犠牲はつきものという言葉を、この時ほど強く思い起こしたことはない。

 

「………うん。後で私が食べよう」

「いや、無理して食べなくても……」

 

 食べ物を粗末にするのはいけない。

 そう、覚悟を決めていた時だった。

 

「ライツ博士、タイシン。調子はどうですか?」

「ト、トレーナー!?」

 

 ガラッと扉が開きトレーナーが私達の様子を見に入ってくる。

 とっさに目の前の惨状を隠そうと、目を右往左往させるが生憎隠し場所などない。

 

「何やってんの……」

 

 そんな私に再び呆れた視線を向けるタイシン。

 だが、私にそれを気にする余裕はない。

 どうにかしなければと思うが、トレーナーは一切の淀みもなく私達の下に歩いて来ていた。

 

「これは……タイシン、何回目なんだ?」

 

 そして、フライパンを覗き込んでタイシンに問いかける。

 

「まだ1回目だよ」

「じゃあ、2回目はもっと上手くなりますね!」

 

 そう言って、トレーナーは朗らかに私に笑いかけてくれる。

 てっきり、失望されると思っていたので思わず目を白黒させる。

 いや、ST-2(サティ)にはそんな機能は存在しないが。

 今度、感情表現の一環として盛り込んでもいいかもしれない。

 

「こ、こんな簡単なことも出来ないんだぞ、私は……それなのに次は上手くいくなんて」

「次上手く行かなかったから、その次です。大丈夫です。出来ないってことは伸びしろがあるってことですよ。そうだろう? タイシン」

「はぁ? ……まあ、元々出来るまで付き合うつもりだったから。博士って諦め悪そうだし」

 

 出来ないのなら出来るまでやるだけ。

 そんな当たり前のことを何で聞いてくるんだと言わんばかりの態度に、思わず笑ってしまう。

 そうだな。諦めが良かったら、そもそも私はトレセン学園に戻ってきたりなんてしていない。

 

「ふふっ……そうだな。少し弱気になっていたみたいだ。うん。タイシン、すまないがもう少し付き合ってくれ。次は必ず成功させてみせる」

「別にそんなに気合入れなくてもいいけど……」

「よし! じゃあライツ博士、この卵焼きは貰いますね」

「……ああ、少々もったいないが捨てて――」

 

 捨てるのだろうと、渡したフライパンからトレーナーが卵焼き(ダークマター)を皿によそう。

 そして、私が制止の声を上げる暇もなく。

 

「いただきます!」

 

 全てたいらげてしまった。

 

「ト、トレーナー!? それは失敗作だぞ!」

「大丈夫です! 俺はライツ博士の料理なら失敗作でも気にしません! というか、ここには博士の料理目当てで来ましたので」

 

 グッと親指を立てながら笑ってみせる、トレーナー。

 その瞳が微かに潤んでいるのは、きっと私の料理の不味さからだろう。

 

「私が気にするんだ! いや、勘違いしないでくれ! まだST-2(サティ)では慣れていないだけで、別に料理が出来ないわけじゃないんだ!! 本当だぞ! うん、今それを証明してみせよう!!」

 

 このままでは女として沽券にかかわる。

 特にトレーナーに料理下手だと思われたままでは終われない。

 見ていろ! 今、私の本気を見せてやる!!

 

「……うわ、凄い集中力。あんた、もしかしてこれを狙ってあんなこと言ったの?」

「いや、100%本音だぞ?」

「トレーナーって……どいつもこいつもこんな奴しか居ないの?」

 

 何やら2人が小声で話しているが、それを気にする余裕は私にはない。

 火加減に細心の注意を払い、壊れ物に触るように繊細に指を動かす。

 私はST-2(サティ)ST-2(サティ)は私。

 

 私に出来ることがST-2(サティ)に出来ないはずがない。

 だから。

 

「見てくれ、トレーナー! この綺麗な仕上がりを!! 味も! ……は、食べられないから分からないが、きっと成功のはずだ、うん!」

 

 皿に盛り付けて、トレーナーに卵焼きを差し出す。

 さあ! これが私の本気だ!!

 

「お、美味しいッ! やっぱり出来たじゃないですか、ライツ博士!」

「だから言っただろう。別に私は料理は苦手じゃないんだと」

 

 満面の笑みで卵焼きを頬張るトレーナーの姿に、私も胸を張る。

 これで女の沽券は守られたはずだ。

 

「いや、卵焼きぐらいではしゃぎ過ぎでしょ……」

 

 そんな私達の姿にタイシンが呆れたように首を振る。

 なんだか、今日はタイシンに呆れられてばかりのような気がする。

 

「いや、でもシュガーライツ…博士の手料理だし……」

「はあ? なにそれ」

 

 だが、タイシンの言うことも一理ある。

 卵焼きなんて、小学生の調理実習で作る程度の料理だ。

 こんなことでは、私の料理スキルの証明にはならないだろう。

 なら、もっと上のレベルの料理を作るしかない。

 

「なら、今度はトレーナーにお弁当を作ってこよう」

「え! いいんですか? ライツ博士の手作り弁当を貰っても!?」

 

 満面の笑みを浮かべるトレーナーに私も心が浮き立つ。

 そう言えば母が言っていた。

 気になる男性は胃袋掴むのが一番だと……いやいや! 何を言っているんだ私は?

 

「あ、ああ。先程よりも複雑な動作をする必要も出てくるだろうし、弁当である以上は盛り付けにも気を使わなくてはならない。つまり、繊細さも求められる。それをクリアすればST-2(サティ)はより本物のウマ娘に近づけるはずだ。そう、全てはST-2(サティ)の研究のために!」

「あ……はい、そうですね」

 

 慌てて、思いつく限りの理由を並べ立てて理論武装する。

 これで防御は完璧なはずだ。

 何故か、トレーナーが若干ガッカリしたような顔をしている気がするが……気のせいだろう。

 

「でも、ライツ博士の弁当が食べられるなんて役得ですね!」

「ああ、なにせST-2(サティ)が、メカウマ娘が作った料理を食べるのは、きっとトレーナーが人類で初のはずだ」

 

 私が誰かに特別に思われるなんてあり得ない。

 期待するだけ損をするだけだ。

 こんな――

 

 

 ―――足手まといにしかならないウマ娘が。

 

 

「ふーん……もしかして、そういうこと?」

 

 

 

 

 

「なに? 急用で来られなくなった? いや、謝らなくていい。もとはといえば、私の研究に無償で協力してもらっているだけなんだ。他に用事があるなら、そちらを優先してくれ……うん」

 

 初めに比べれば、かなり精密に動かせるようになったST-2(サティ)の指で、携帯を切ってトレーナーの方を向く。

 

「ギムレットが急用で来られなくなったと電話があった」

「ギムレットは何て言っていました?」

トレセン学園(パラダイス)理事長(ゴッド)の最も近くに侍るたづなさん(セラフィム)から、欲望の柵破壊(ソドムとゴモラ)の件で説教(ラストジャッジメント)を受ける……と言っていた」

「………取りあえず、来れないんですね」

 

 ニュアンスは何となく分かるが、タニノギムレットの難解な言葉遣いにトレーナーは何とも言えない顔をする。ギムレットにはいつも世話になっているので、出来れば私もギムレットが何を言いたいのか正確に分かるようになりたいのだが……。彼女の言葉を完璧に理解するという彼女のトレーナーには、尊敬の念を抱かずにはいられない。

 

「困りましたね……シャカールはこういうのは専門外と言ってパス。クリスエスとタイシンは用事があって今日は来れないし、ハヤヒデも急用が入るなんて」

「そうだな。私とトレーナーの2人だけだ」

 

 まあ、どうしてもみんなが居なければ出来ないという訳ではない。

 結局の所、ST-2(サティ)の制動の向上が主目的なのだから。

 別に一緒に遊ぶ人間が居なくてもいい。

 ……いいのだが。

 

「……やはり、迷惑だったのだろうか」

 

 自分が避けられているのかもしれないと思うと、中々に心にくるものがあった。

 思えば、車椅子生活になってからというもの、他人と遠ざかるようになっていた。

 他の人間と同じことが出来ない。

 そして、他人はそれを意識させぬよう、優しさから私を遠ざける。

 きっと、あの5人も本心では私のことを……。

 

「いやいや! 俺も含めてみんな迷惑だなんて思ってませんよ!」

「そう…だろうか…?」

 

 自信なさげにトレーナーを見つめると勢いよく首を横に振られる。

 その勢いといえば、残像でトレーナーの顔が3つに見える程だ。

 

「そうですよ。大体、シャカールとかなら迷惑なら遠慮なく言いますよ。『迷惑なら、さっさと言って終わらせた方が無駄な時間を使わずに済むだろ、ロジカルじゃねぇ』……て」

「ふふ……そうだな。まあ、こんな日もあるか」

「はい、偶々ですよ。そうだ! みんなと行く予定だった場所は今度に回して、今日はライツ博士の行きたいところに行って気晴らしでもしましょう。エスコートしますよ」

 

 そう言って、悪戯っぽく笑って仰々しく私の、ST-2(サティ)の手を取るトレーナー。

 確かに私とトレーナーの2人きりなら、普段はいかないようところに……ん?

 2人…きり…?

 

「どうしました、ライツ博士?」

 

 男女が2人きりで出かける?

 つまり、これは―――デ、デート!?

 

「ラ、ライツ博士! ST-2(サティ)から煙が出てますけど大丈夫ですか!?」

 

 ま、待て待て待て!

 確かに、便宜上はそう見えるかもしれないが、これは研究の一環だ。

 そもそもトレーナーにもそんな気など欠片もないだろう。

 

 そして、今の私の姿はST-2(サティ)だ。

 ロボットだ。メカウマ娘だ。

 トレーナーに特殊性癖でもない限りは、そういう対象になるはずがない。

 そして、仮にこの場に居るのが私が本体が居たとしても。

 

「あ、煙が治まった」

 

 私のような走ることも出来ないウマ娘を、トレーナーが特別視することはないだろう。

 私が傍に居ても迷惑をかけるだけだ。

 

「大丈夫ですか、ライツ博士?」

「……ああ、大丈夫だ。トレーナー、どこか走れるところは無いか?」

「え? まあ、近くに運動できる公園ならありますけど……いつもと同じことでいいんですか?」

「ああ、今はただ……走りたい気分なんだ」

 

 鬱々とした気分になり、それを振り払うために走ることを望む。

 もちろん、まだST-2(サティ)は未完成。

 気分が晴れる程に走れるとは思えない。

 だとしても、今はただただ走りたかった。

 

「そうですか……まあ、たまには違う場所で走るのも、いい気分転換になりますよね!」

 

 嫌な考えから逃げるために。

 

 

 

 

「うおぉおおおッ! カッケェエエッ!!」

「お姉さんはロボットさんなんですか!?」

「ねえねえ、一緒にレースしようよ! ボクロボットと走るのは初めてなんだ」

 

 そして、逃げるように向かった公園で、ST-2(わたし)はどういう訳か子供達に囲まれていた。

 

「お、落ち着いてくれ、1つずつ説明するから。まず、この体はST-2(サティ)と言ってフルダイブ型のロボットウマ娘だ」

ST-2(サティ)ちゃんって言うんですね。可愛い名前ですね」

「ああ、ありがとう。それからレースに関してはST-2(サティ)はまだ未完成なんだ。だから、君達の期待に応えられるような走りができるとはとても……」

「えー、でもさっき走ってたじゃん。ボクと同じぐらい速かったよ」

「いや、まあ、子供の君達となら確かに良い勝負は出来るかもしれないが……」

「はぁッ!? なんだよ、それって! オレらが遅いって言うのかよ!!」

「あ、いや、そういう訳で言ったんじゃないんだ!」

 

 子ども達の裏表のない言葉でST-2(サティ)を褒められたことは素直に嬉しい。

 もし、この場に1人なら鼻歌でも歌っていることだろう。

 

 しかし、客観的な目線で見た欠点は伝えなければならない。

 そう、研究者としてのプライドが判断したのがいけなかったのだろうか。

 私は怒りなのか、嬉しさなのか分からない感情で興奮する子供達に囲まれて途方に暮れていた。

 

「ト、トレーナー、笑って見ていないで助けてくれ」

「すいません。博士の研究が認められたのが嬉しくて、つい」

「それは私もだが…! 今はこの状況を何とかするのが先だ!」

 

 私を助ける気があるのかないのか。

 静観していたトレーナーに助けを求めると、若干名残惜しそうな顔をしながらトレーナーが重い腰を上げる。

 

 ひょっとして、トレーナーはサディストで私が困る姿を見るのが好きなのか?

 そんな、どうでもいいことを考えながら助けの声を待つ私の耳に、やっと救いの声が届く。

 

「あなた達何しているの? それにそのロボットは……もしかして」

 

 しかし、その声は女性の声でトレーナーのものではなかった。

 いや、正確にはトレーナーで合っている。

 

「……先…生?」

「その声……やっぱりライツなのね」

 

 私の学生時代のトレーナーという意味でだが。

 

 

 

 

 

「そのロボットがあなたの新しい脚になるのね?」

「ああ! まだ完成じゃないが、トレーナーの彼や生徒達の協力で、着実に現役の時の私の走りに近づいていっているんだ!!」

 

 私はベンチに座って、先生に近況の報告をしている。

 卒業してからは会っていなかった、私のトレーナー。

 話したいことは山ほどある。

 

 そんな私に気を利かせてか、トレーナーは子供達を離して遠くで指導を行っている。

 どうやらトレセン学園(プロ)のトレーナーという肩書は、子供達の琴線に強く触れたようだ。

 

「先生はトレセン学園を辞めてから、地域のクラブの指導者をやっているのか?」

 

 もしかしたら、責任感の強い先生は私が走れなくなったことのケジメに、ウマ娘の指導に関わるのを辞めてしまったのではないかと思っていたが、どうやら私の杞憂だったようでホッと胸を撫で下ろす。

 

「あの子達の指導は最近になってからよ。そうね……あなたが学園に戻ってからかしら」

「私が戻った頃というと本当に最近だな。それまでは、別の所で指導を?」

「……いいえ、今まではずっとウマ娘の指導からは離れていたわ」

「それは……」

 

 訂正。

 先生はやっぱり、あの頃から変わらず責任感が強い人だった。

 

「あなたのせいじゃないわ。むしろ、謝るべきは私の方よ」

「そんな…! あの怪我は責任は私に!」

「ああ……違うのよ。私が謝ろうとしているのはそっちじゃないわ」

 

 若干楽しそうに首を横に振る先生。

 てっきり、あの時のことを再び謝られると思っていたので面を喰らう。

 

「過去は変えられない。あなたの生身の脚がもう二度と走れないのと同じようにね」

「……先生」

「だというのに、あなたは前に進んでみせた。絶望何て轢きつぶしてしまえとばかりに」

 

 先生の瞳を見る。

 ST-2(サティ)の目に異常はない。

 だというのに、私には先生の瞳に炎が宿っているように見えた。

 

「辛かったでしょう? トレセン学園に戻るのは……以前は自由に走れて、何の気兼ねもなくトレーニングも出来た思い出が蘇る場所なんて」

「それは……」

 

 そんなことはない!

 

 ……とは言えなかった。

 ST-2(サティ)という希望があるから、舞い戻ることが出来たが、もしST-2(サティ)が居なければ、私はもう二度とトレセン学園の門をくぐろうとは思わなかっただろう。

 

「あなたはそんな辛い場所でも、夢を叶えるために戻ってみせた。そんなあなたの姿を見てたら自分がとても恥ずかしくなったの。ケジメだなんだと言って、私はただ逃げていただけだった。あなたとの経験を生かして1人でも多くのウマ娘の怪我を防ぐ。それが私の役目だって、あなたの頑張りを聞いてそう思ったの」

 

 そう言って、先生はST-2(サティ)の私の手を握る。

 ST-2(サティ)を通して、先生の温もりが、想いが伝わってくる。

 

「ライツ。あなたは私の1番の誇りよ」

 

 まっすぐな瞳で告げられた言葉に声が出なくなる。

 ……ST-2(サティ)の姿で来ていて本当に良かったと思う。

 もしも本体で来ていたら、きっと溢れる涙を隠すことが出来なかっただろうから。

 

「先生……ST-2(サティ)が完成したら必ず先生を呼ぶ! そして、最前列で見ていて欲しいんだ。もう一度、私が走る姿を!!」

「そうね、楽しみに待っているわ……ただ」

 

 昔のように柔らかく笑い、先生は遠くを見る。

 その視線の先には。

 

 

「最前列は今のトレーナーに譲るわ」

 

 

 子ども達の指導を終えて戻ってくるトレーナーの姿があった。

 

「お互い頑張りましょう、ライツ。あの日から一歩でも前に、少しでも速く走るために」

「……はい! 先生!」

 

 先生の言葉に覚悟を新たにする。

 必ず、走るための脚を取り戻すことを。

 そのためには、今よりももっと! もっとッ! もっとッ!!

 

 ST-2(サティ)との同調を高めなくては!

 

 

 

 

 

「あぁ? 想定よりもST-2(サティ)の開発が早く進んでるだと?」

「ああ! 君達の協力に加えて、私自身も暇さえあればST-2(サティ)を動かすことで、想定を超える速度で開発が進んでいるんだ。君達には足を向けて眠れないな! まあ、私の脚は君達の方に向けるのも一苦労なんだが」

 

 定期的な報告会で私はパンクな黒髪のウマ娘、エアシャカールに報告をする。

 彼女は一見すると取っつきにくい人間に見えるが、面倒見のいい子で私も良く世話になっている。

 

「……オレの計算から大幅にズレてんな。式に間違いはねぇ、だとしたら当てはめる数字の方だ」

 

 しかし、吉報を届けたというのにシャカールの顔は浮かない。

 何を考えているのか、素早くパソコンに何かを入力しながらブツブツと呟いている。

 私もそれが何なのか気になるので、車椅子から()()()()()()()パソコンを覗き込――

 

「Watch out!」

 

 もうとして、そのまま踏ん張りがきかずに転げ落ちそうになった所をシンボリクリスエスに支えられる。

 

「Are you ok? ……大丈夫か? 博士」

「あ、ああ。すまない、ついST-2(サティ)と同じ感覚で動こうとしていた」

 

 背の高いクリスエスの筋肉質な体は、私を受け止めた程度ではビクともしない。

 だが、そんな安心感を感じる抱擁よりも先に、私の胸に来たのは申し訳なさだった。

 この程度のことも出来ずに、彼女達の手を煩わせるとは。

 

ST-2(サティ)の身体なら、こんなことに手を煩わせはしないのにな」

「気にしないでいい……それよりも、受け止めた時に気づいたが腕を痛めているな?」

「…! よく気づいたな」

「Action……受け止めたとき、痛みからとっさに腕を庇う仕草を見せた」

 

 そして、同時に感服させられる観察力の高さ。

 ひょっとすると、私を庇えたのも最初から私の様子がおかしいことに気づいていたからかもしれない。

 

「実は、昨日もさっきみたいにST-2(サティ)と同じ動きをしようとして、転んでしまってな。その時に腕を打ったんだ」

「ライツ博士、怪我の状態を見せてもらってもいいでしょうか?」

「ト、トレーナー? いや、大した怪我じゃないんだ。ちょっとアザが出来た程度で……その、君にはあまり見られたくないんだが……」

 

 私の手を握り、心配そうにこちらを見つめて来るトレーナーに、思わずドキドキとしてしまう。

 だが、こんな醜いものは異性に見られたくはない。

 こんな……醜い体を。

 

「そ、それにだ。私が怪我をしてもST-2(サティ)には影響はないのだから、()()()()()()()()()()

「ライツ……博士」

 

 一瞬、トレーナーの私を見る目に怒りが湧いたように見えたが、それも一瞬で消えて気まずい沈黙が流れる。

 

「なるほどな……異常値が出た理由が分かった」

「シャカール、何か分かったのか!?」

 

 そんな所へ、ずっと黙っていたシャカールの声が聞こえて来る。

 私はこの空気から逃れるべく、蜘蛛の糸をも掴む咎人のように、その希望に飛びつく。

 だが。

 

 

 

「しばらく、ST-2(サティ)の操縦はやめろ」

 

 

 

 その糸はあっさりと千切れてしまった。

 

「…………ST-2(サティ)の操縦が禁止?」

ST-2(サティ)と本体の同調を高めるアプローチは悪くねぇ。いや、方法自体は正解だ。ただ、急激に同調率を上げ過ぎだな。ST-2(サティ)は良くても、生身の方にしわ寄せがいっちまってる」

 

 シャカールの意見に反対しようとするが、喉が渇いて声が出ない。

 

「想定以上の数値が出るってのは良いことでも何でもねぇ。1+1が2じゃなくて3になったら、容量オーバーすんのは当たり前だ」

 

 リンゴが2つしか入らない(うつわ)に3つ入れたらどうなる?

 簡単だ、(からだ)が壊れるだけだ。

 

ST-2(サティ)に感覚を引っ張られ過ぎだ。しばらくは、ST-2(サティ)から離れて生身の身体の調整をしとけ。別に本体だけでも研究は進められんだ」

 

 分かっている。

 シャカールの言っていることは正しい。

 私も自分ことで舞い上がっていなければ、違和感に気づいていただろう。

 だが。それでも。私には――

 

 

「ま、待ってくれ! 私から…ST-2(サティ)を―――また、脚を奪わないでくれ!!」

 

 

 ―――ST-2(サティ)しかないんだッ!!

 

「………だからなぁ。その依存状態が問題だって――」

「シャカール! ……要するに、ST-2(サティ)のトレーニングを休ませるってことだな?」

 

 納得しない私に、なおも理詰めで説明しようとするシャカールの前に、トレーナーが割って入ってくる。

 

「あぁ? ……まあ、そういう風にも言えんな」

「ライツ博士、安心してください。これは単なるST-2(サティ)というウマ娘の休養期間です。最近はトレーニングを根を詰めてやっていたので、ちょっと体を休めるだけです。博士も現役時代はトレーナーから休養の大切さは教わったでしょう?」

「……ああ…そうだな……先生も…言っていた」

 

 そして私の方を向き、しゃがんで目線を合わせてくれる。

 まるで、私が現役時代にいつも見守ってくれていた先生のように。

 そのことを思い出すと、段々と心が落ち着いてくる。

 そうだ……ST-2(サティ)もウマ娘なんだ。

 毎日走るだけではなく、時には休養も必要だろう。

 

「だから、大丈夫です。ST-2(サティ)とシュガーライツは必ず走れるようになれます。もし、それが嘘になるようなら腹を切って詫びます」

「Oh……ジャパニーズ腹切り」

「バカ言ってんじゃねぇよ。腹切る暇があったら、失敗ってデータを活かして次のプラン考えろ」

「ふふっ、いや、その時は腹をくくってもらうとするよ」

 

 冗談なのか、本気なのか分からないトレーナーの言葉に思わず笑ってしまう。

 いや、私をまっすぐに見つめる瞳からして、本気なのだろうな。

 全く、私はどうやらトレーナー運だけは最高に良いらしい。

 

「すまないな、みんな。私は少し焦り過ぎていたようだ」

「いえ、好事魔多しといいますから。それだけ研究が順調であるという証でもありますよ」

「そういう意味なのか…? まあ、それはともかくしばらくST-2(サティ)が休みなら、私は何をしておこうか」

 

 落ち着いて考えれば、ST-2(サティ)との同調を高める方法は1つだけではない。

 私自身をST-2(サティ)に近づける。すなわち、私自身がトレーニングすることだ。

 

「トレーナー、私自身がトレーニングすればST-2(サティ)を操縦していない状態でも、ST-2(サティ)の走りを進化させられると思うのだが……どうだろうか?」

「それは……良い案ですね! ライツ博士自身も鍛えるのは良いことだと思います」

「そうだろう! うん! じゃあ、さっそくトレーニングに移ろう。まずは軽めにダンベルから行こうか」

 

 そう思えば、体に力が湧いてきて居ても立っても居られなくなる。

 まあ、私自身は立つだけでも精一杯なのだが。

 ともかく、気合を込めて腕に力を入れて――

 

「痛ッ!」

「ライツ博士!? 大丈夫ですか!」

「あ、いや。腕のアザが痛んだだけで本当に大したことじゃないんだ」

 

 打ち身した部分が痛む。

 大したことではないが、トレーニング中は少し気になるかもしれない。

 

「Sorry……トレーナー、少しいいだろうか?」

「クリスエス? どうしたんだ」

 

 そう思っていた所で、クリスエスが声をかけて来る。

 

「博士のトレーニングメニューだが、私に作成させてもらえないだろうか……同じウマ娘の方が……怪我の感覚は分かりやすい」

「いいのか?」

「No problem……ただ、2日…いや3日程時間が欲しい」

 

 クリスエスが私の方を見ながら時間を決める。

 その仕草からトレーナーは何かに察したような表情を見せる。

 

「分かった。ただ、そんなに()()()()()()()()。ゆっくりでも構わない」

「博士の()()()()()()には完成するはずだ。それまでは……」

「ああ。博士、すいませんがトレーニングはクリスエスがメニューを完成させてからになります」

「……分かった。お願いするよ」

 

 これで私は最低でも3日の休養となったわけだ。

 トレーニングメニューが無いのだから、すぐにはトレーニングが出来ないというもっともらしい理由の下に。

 

()()、気を使わせてしまったな……)

 

 トレーナーとクリスエスの間で、無言のやり取りがあったことには気づかないフリをしておく。

 気づいたことが分かれば、余計に気を使わせてしまうから。

 

「しかし、これで3日間は休みか……何をしたものか」

 

 ST-2(サティ)は使えない。

 かと言って、自分のトレーニングも出来ない。

 そうなってくると、データを見返して次のチューニングの構想でも考えておこうか。

 

「……あ、あの、ライツ博士。もし、よろしければなんですが、休みの間に――」

 

 そんな所にトレーナーが何かを覚悟したかのように、声をかけて来る。

 意外だ。トレーナーのことだから、とにかく休ませようとしてくると思ったのだが。

 何か、私の気が紛れるようなことでも提案してくるのだろうか。

 と、言っても、今の私にとってST-2(サティ)以上に頭を埋めることなど、何も――。

 

 

 

「―――デートに行きませんか?」

 

 

 

 …………………………ほえ?

 

 

 

 

 

「ライツ博士! こっちです!」

「ッ! あ、ああ……その……待たせたな」

 

 待ち合わせ場所に着いたと同時に、トレーナーに呼びかけられ思わず時計を見る。

 早めに到着するようについたはずなのにと思うが、やはり待ち合わせ時間よりも早い。

 ひょっとして、私が時間を間違えたのだろうか?

 

「すいません。博士とのデートだと思うと居ても立ってもいられなくて、早めに来ちゃいました……迷惑でしたか?」

 

 そんな一抹の不安を、嵐のように吹き飛ばす笑顔が私に襲い掛かる。

 

「いや、め、迷惑じゃない。その…何と言うか……私も……楽しみにしていた、うん」

 

 そんな笑顔がまっすぐに見れずに、私は視線を膝に落としながら答える。

 目線の先には、今日のために引っ張り出したスカートがある。

 年甲斐もなくはしゃぎ過ぎだと思われないだろうか。

 

「そうですか、よかった。それと、ライツ博士もスカートを履かれるんですね。いつもの服も大人な女性って感じがして素敵ですけど、今日の服装は可憐さが出ていて新鮮でとても可愛らしいです」

「そ、そうだろうか? 少し羽目を外し過ぎたかと思ったが……君にそう言って貰えるなら……うん、悩んだかいがあったというものだ」

 

 そんな私の不安を感じ取ったのか、褒めてくれるトレーナー。

 私は今度は桜色に染まった頬を隠すために、再びスカートに目を落とす。

 ……ああ、失望されないでよかった。

 

「ライツ博士?」

「ああ、すまない。少し考え事を」

ST-2(サティ)のことですか? ダメですよ、博士。今日はお休みなんですから」

「……そうだな、すまない」

 

 考え込む私の姿に、またST-2(サティ)のことを考えているのかと言うトレーナー。

 ああ、そうだ。勘違いするな。

 きっと、今日のデートは私を休ませるための方便でしかない。

 

 そうでなければ、車椅子に乗った面倒な女とデートに来たがる男性が居るはずがない。

 これは私の己惚れに過ぎない。私には分かる。分かるんだ。

 

「それに……」

 

 不意に、トレーナーがしゃがみ込み私と視線を合わせて来る。

 いつもウマ娘に向けるまっすぐな目線。

 今の私では火傷してしまいそうな熱のこもった視線。

 

 

「デートなんですから、今日は俺の事だけを考えてください」

 

 

 そして、そんな口説き文句を言われたものだから、私の頭はショートした電子回路のように熱くなってしまう。

 

「……なんて、似合わない台詞ですね」

「え? あ…いや……」

「とにかく、今日は楽しみましょう!」

 

 言った方も恥ずかしかったのか、ポリポリと頬を掻くトレーナー。

 現役トレーナーというものは、こうも簡単に口説き文句を言えるのか。

 私は女性のトレーナーだったが、男性トレーナーが担当になった同期などがよくトレーナーに懸想していた理由が分かった気がする。

 

「今日は俺が頑張ってデートプランを考えましたので」

「あ、トレーナー……その、デートに行く前に先に謝っておきたいことがある」

 

 トレーナーの口説き文句に意識をやられていたが、言うべきことがあったのを思い出す。

 

「……もしかして、付き合ってらっしゃる方がいました?」

「? いや、私に居るわけがないだろう。コホン、ともかくだ。私が言いたいのは……見ての通り私は、車椅子に乗ったウマ娘ということだ」

 

 若干顔を青ざめさせたトレーナーが良く分からない勘違いをするが、私の言いたいことは違う。

 いや、私に付き合っている人間が居ない理由ではあるかもしれないが。

 

「普通の人間が簡単に行ける場所に私は行けない。食事だって専用のサービスをしてくれる所でなければ、他の客に迷惑をかけてしまう。体を使うような趣味は勿論出来ない。私と一緒に居ると……君の居たい場所にはいけないかもしれない。見たい景色も見れない。何より、君も楽しめないだろう。だから、先に謝っておく。すまない」

 

 頭を下げて、彼から目線を逸らす。

 失望の目を見るのが怖いから。

 

「……ライツ博士。今日は映画を見て、それからランチに行く予定です。もちろん、映画館の方にも連絡をして車椅子でも見れる配慮をしてもらっています。ランチもバリアフリーの店に予約しているので、問題はないはずです」

「すまない、面倒をかけさせたな」

「午後からは買い物でもして時間を潰して、それからプラネタリウムに行く予定です」

「歩けない私に良く配慮してくれているな。面倒だっただろう?」

「………()()()

 

 不意に呼び捨てにされて、思わず身構えてしまう。

 ああ……やっぱり失望されたな。

 

 

「俺の居たい場所は君の隣で、見たいものは君の笑顔。それだけで俺は幸せだ」

 

 

 思わず、トレーナーを見上げ……ようとして、彼がまた私に目線を合わせていることに気づく。

 

「遠慮なんてしないでください。あなたはあなたが思っている以上に魅力的な女性です。あなたをエスコートできるなんて男冥利に尽きることです」

 

 熱のこもった目線。

 ウマ娘に向けるものとは違う……情愛のこもった瞳。

 

「なぁ、トレーナー……そんなことを言われたら……私は……勘違いしてしまうぞ? 己惚れてしまうぞ? 本当に……遠慮しなくなるぞ?」

 

 迷惑だから。

 負担になるから。

 だから、遠慮しよう。

 そうするのが、一番傷つかないから。

 それが走れなくなってからの私の人生だった。

 

「勘違いじゃないです。己惚れでもないです。俺に遠慮なんてしないでください」

 

 それを君は変えようというのか?

 ST-2(サティ)しかなかった私の希望に、君がなってくれるのか?

 

 私を―――憐れみ以外の目で見てくれるのか?

 

「そうか……そうか…そうか。うん…なら…だったら……今日は遠慮を捨てて君に甘えよう」

「博士…! はい、任せください!!」

「私は知っての通り、諦めの悪い女だ。例え幾千幾万の正論をぶつけられても、願いを捨てることはしない。今のうちに覚悟をしていてくれ」

 

 車椅子では取れないものがある。

 1人では入れない店がある。

 誰かに支えてもらわないとたどり着けない場所がある。

 

 今までは見えないふりをしていた。

 自覚をしてしまえば、臆病で我儘な私は諦められないから。

 でも……もう遠慮しないでいいんだな?

 

「はい!」

「それから……今のうちに予約しておこう。ST-2(サティ)が完成したそのあかつきには……君に伝えたいことがある。だから、それまでは――」

 

 もう、走れないからとか。

 一緒に生きていくと迷惑がかかるとか。

 そんな、嘘とほの暗い安堵の言葉をかなぐり捨てて。

 ただ、この心のままに私は――

 

 

 

「―――君の隣は私のために空けておいてくれ」

 

 

 

 ―――君を愛してもいいんだな?

 

 




ライツ博士が刺さりに刺さったので書きました。
温泉旅行に行くまで書きます。
多分、後一話程かかります。

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