博士の臆病な愛情。または私が如何にして遠慮するのを止めてトレーナーを愛するようになったのか。   作:トマトルテ

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トレーナーの異常な愛情。または俺が如何にして隠すのを止めて博士を愛するようになったのか。

 

 あの日のことを夢に見る。

 悲劇を。混乱を。慟哭を。

 ただただ、思い出す。

 

 あの日に囚われたまま脚を動かすことすら出来ずに、悲劇を見つめるだけの観客。

 声もなく、色もなく、ただ灰色にくすんだ景色だけが広がる夢。

 だというのに、記憶の中で1人だけ鮮やかに映る人がいる。

 

 新緑の髪に、紫陽花(アジサイ)のような瞳。

 立ち上がることすら出来ないのに、這ってでも前に進もうとする女性(ヒト)が。

 笑い方すら忘れたというのに、強い心で絶望に立ち向かうウマ娘(ヒト)が。

 

 人は言うだろう。

 この光景は悲劇だと。

 観客に涙を流させるためだけに仕組まれた、悪趣味なシナリオだと。

 

 だが、それに同意することは出来ない。

 何故なら。

 崩れ落ち、前に進むための脚を奪われてなお、諦めることなく足掻くその姿は、きっと。

 

 

 

 ―――誰もが憧れる英雄譚(ストーリー)だから。

 

 

 

 

 

「今日は賢さトレーニング……だったよな? ギムレット」

「どうした車輪の姫(アリアンフロド)。俺の紡ぎし脚本(スクリプト)が気になるか?」

 

 今日は眼帯のウマ娘、タニノギムレットと共に賢さトレーニングをするはずだったのだが、どういう訳かギムレットは、どう見てもレースにも勉学にも関係のない何かを執筆していた。

 

「あ、ああ、それは何のトレーニングなんだ?」

「トレーニングではない! これは俺の深淵(アビス)の底から溢れ出す情熱(パドス)現世(ミズガルズ)に顕現させたもの! 聴衆に絶望と慟哭の涙を流させるための悲哀なる聖典(バイブル)だ!!」

 

 詳しくは分からないが、ノートを覗いてみると台詞や地の文が並んでいるので、何かの物語を書いているのだろう。というか、トレーニングではないと断言したが大丈夫なのだろうか。担当ではないとはいえ、一応横にトレーナーも居るのだが。

 

「…………まあ、観客がどう思うかを考えるということは、レース展開の予想にも使えるかも……いや、まてよ? 脚本、つまりは劇……そうだ!」

 

 ―――ふと閃いた! このアイデアは、シュガーライツのトレーニングに活かせそうだ!

 

「待ってくれトレーナー!? 今のどこに閃く要素があったんだ!」

「すいません、博士! 今から博士のトレーニングメニューを練り直すので少し待っていてください! ギムレットはそのまま物語を書いていてくれ」

「クク……先導者(トレーナー)葡萄酒の神(バッカス)からの天啓(ギフト)を手にしたか! ならば、存分に飲み乾せ!!」

「ああ! 任せてくれ!!」

「くッ、まともなのはロボットであるST-2(サティ)しかいないのか!?」

 

 トレセン学園名物である、トレーナーの閃きが発生し、自分の部屋に駆け出すトレーナー。

 高笑いをしながら、それを見送るギムレット。

 どちらも、優しい人間なのは知っているが、人を置いてけぼりにしないで欲しい。

 

「ハーッハッハッ! 混乱(カオス)に囚われるな。先導者(トレーナー)が戻ってくるまで、束の間の休憩(オアシス)でも満喫するがいい」

「ま、まあ、私は君のトレーニングに付き合わせてもらっている身だ。君がそれでいいなら、構わない」

 

 そのまま、どこか気まずい沈黙が流れる。

 いや、ギムレットの方は心底楽しそうに筆を走らせているので、気まずいのは私だけかもしれないが。

 それにしても、彼女が書いている内容から見るに。

 

「……なあ、ギムレット。ギムレットは悲劇が好きなのか?」

嗚呼(ああ)! その通りだ! 物語の終幕(ラグナロク)には無慈悲な悲劇の別れ(レーヴァテイン)こそが相応しい!」

「なるほどな……私とは反対だ」

 

 ギムレットが書いているのは男女の悲劇の別れの物語。

 きっと、そのシーンを書きたいがために他の部分を書いている。

 そんな強い想いを込めた作品。

 私の……あまり好きではないジャンルだ。

 

「ククク! どうやら俺の書きかけの物語(アエネイス)がお気に召さないようだな、繋がれし姫君(アンドロメダ)

「あ…すまない。別に個人の趣味嗜好を否定しているわけではないんだ」

「いいや、構わない。運命の女神(フォルトゥーナ)美酒(ネクタル)ではなく、己が(プシュケー)で酔わすもの。初めから酩酊(めいてい)していては興醒めだ」

「どうだろうな……私はやっぱりハッピーエンドの方が好きだからな」

 

 私とて悲劇というものの美しさは分かる。

 

 破滅の美学。

 散り際の美しさ。

 日本人としては馴染み深いものだ。

 

 だとしても、私は。

 

「悲劇は………もう、お腹いっぱいだ」

 

 これ以上の悲劇はごめんだ。

 

「………車輪の姫(アリアンフロド)。いや、シュガーライツ博士」

「ギムレット…?」

 

 いつもは奇妙な名前でしか呼ばないギムレットが私の名前を呼ぶ。

 そのことに驚いた表情で彼女を見つめると、彼女はいつもは見せないどこか寂し気な顔をしていた。

 

「懺悔だ。俺は……いやワタシは、自らに課された運命(フェイト)を為せれば、自らが車輪の姫(アリアンフロド)になることも厭わなかった」

 

 ポツリと呟かれたのは謝罪だった。

 それは目の前にいる私に向けられたものか。

 それとも、どこかにいる別の者にか。

 

嗚呼(ああ)、恥じよう。俺は預言書(カッサンドラの声)に記された通りに駆け抜ければ、それでいいと、それで役目が終わる(ヴァルハラへ誘われる)と思っていた」

 

 ギムレットは少し前に、NHKマイルカップから日本ダービーへの強行で世間を騒がしていた。

 そして、一時期はその無理がたたって休養を取っていた。

 私ならば絶対に取らない選択だ。

 

「だが、今は違う! 原初(オリジン)預言書(カッサンドラの声)などまやかしに過ぎない!! 紙切れだ!! 例え、この言葉が! この鼓動が! 天上の神(アラクネ)の操り糸だとしても知ったことかッ!! ワタシは抗う! 俺は駆ける!! この胸の情熱(パドス)の炎が終焉の巨人(スルト)に焼き尽くされようともッ!!」

 

 そう言い切って、ギムレットは天井を仰ぎニヤリと笑う。

 まるで、天から自分を覗き見る神を嘲笑うように。

 

「悲劇は美しい! だが、シュガーライツ(諦め知らぬ英雄)よ。お前は悲劇を喜劇へと変えるためにST-2(デウスエクスマキナ)を生み出したのだろう?」

 

 そして、ギムレットはページを捲って凄まじい勢いで執筆を再開する。

 

永遠(とわ)に消えぬ絶望で、久遠(くおん)に残る希望をッ!! お前とて傷つき涙を流すのにはもう飽きただろう!? ならば、これから英雄が紡ぎ出す物語はありふれた日常(ハッピーエンド)以外にあり得ない!! さあ、天上(オリュンポス)の神々よ喝采を上げろ! 涙を流しむせび泣け!! これこそがお前達が生み出し、望んだ1人の女(ヒロイン)への祝福だッ!!」

 

 ギムレットの筆が止まり、私の方にノートを放り投げて来る。

 慌てて受け取り、その内容を確認する。

 そこに書かれていたのは――

 

 

「ふふ……整合性も何もない、無茶苦茶なハッピーエンドだな」

 

 

 ご都合主義(デウスエクスマキナ)により、主人公と結ばれるヒロインの姿だった。

 

「その通りだ。だが、俺の腕がそう動いたのだ! さながら婚姻の神(ヘラ)の神託を受けたようにな!!」

「これはこれで別の物語にした方がいいんじゃないのか?」

「いいや、それではイフィゲネイアの足掻きだ。意味がない。悲劇が何故遍く人の心に残ると思う? それは悲劇が人の心に傷をつけている(ヒュドラの毒を与えている)からに過ぎない。そして、その毒は万夫不当の英雄(ヘラクレス)すら一生乗り越えることは出来ない」

 

 別にハッピーエンドの物語とバットエンドの物語を1つにする必要はない。

 別々の物語にすればいいと提案するが、ギムレットは首を横に振る。

 

 

「―――物語の主役(ヒロイン)が救われるという、方法を除いてな」

 

 

 人々はロミオとジュリエットによく似た2人に結ばれて欲しいのではない。

 ロミオとジュリエット、その人に救われて欲しいのだ。

 

「そうか……それならば、仕方ないな」

「ククク! 運命(フェイト)を蹴り破るも一興! だが、運命(フェイト)と共にワルツを踊るのもまた一興ッ! どのような結末(フィナーレ)を迎えようとも、全てはお前の決めること(ストーリー)だ! さながら三女神に運命の選択を迫られたパリスのように!! 何故なら―――この物語の主役はお前自身なのだからなッ!!」

 

 相も変わらず、何を言っているのかは正確には分からないが、それでも分かることはある。

 ギムレットはきっと私のことを。

 

「ありがとう。やっぱり私は一流の悲劇よりも、三流の喜劇の方が好きだな」

 

 応援しているんだ。

 

「フ、それでいい。物語(ラグナロク)結末(クライマックス)は定められた。もはや、(オーディン)ですら変えられはしない! スレイプニルより解放された、お前の脚で悲劇と絶望を踏み砕き、慟哭(セイレーン)の声をかき消す歓喜(ヴィクトリア)の歌声を聞かせてみせろ!」

 

 だから、この期待に応えなければならない。

 そう、思うとST-2(サティ)の身体に流れないはずの血潮が熱くなる。

 人々の想いを乗せて走るのがウマ娘。

 ギムレットの応援は私にそれを思い出させてくれた。

 

「ああ、もちろんだ!」

 

 さあ、この想いを胸に今日もST-2(サティ)のトレーニングに勤しもう!

 

 

「ライツ博士! ギムレット! お待たせしました! レースを脚本にしたものを作って来ました!! この脚本通りに役を演じれば、様々なレース展開にも対応できて、尚且つ相手の心理も分かるようになると思うんですッ!!」

 

 

 ……勤しもう。

 

 因みにトレーナーが考案したトレーニングは本当に効果があって、戦慄したのは内緒だ。

 

 

 

 

 

 

 きっと、一目惚れだった。

 

 何の気も無しに覗いたレース。

 観客もほとんどいない、無名のウマ娘達のレース。

 せっかくだからと、まだ学生だった俺は最前列でレースを観戦した。

 そこで、初めて俺は出会った。

 

 ウマ娘、シュガーライツに。

 

 速くはなかった。強くもなかった。凡そ凡庸な走り。

 素人目に見ても凄いとは思えない走り。

 入着すらしていない。

 だというのに、どういう訳か――

 

 楽しそうに走る彼女の笑顔が、目に焼き付いて離れなかった。

 

 

 ―――これを一目惚れと言わずになんと言うのだろう。

 

 

 それから俺は彼女の姿を見るために、レース場に通い詰めた。

 時には、仮病を使って学校をサボったりもした。

 もちろん、後でバレて親に怒られたが、理由を知られた時の生暖かい目は今も忘れない。

 

 それはともかくとして、俺はその日からウマ娘シュガーライツのファンになった。

 まあ、ファンと言っても思春期特有の照れと見栄で、サインなどを貰ったりはしていない。

 声援だって、無駄に斜に構えていたせいで送れていない。

 そう。結局、俺はシュガーライツの現役時代中に彼女と会ったことはない。

 

 観客席とターフの境界がそのまま俺と彼女の境界だった。

 ただの人間には超えることのできない境界。

 だから、彼女には声をかけられない。触れられない。

 そんなことを漠然と思っていた。

 

 そのまま時間だけが無為に過ぎていく。

 

 

 ―――そう思っていた。

 

 

 思い出すのは、レース中に彼女が崩れ落ちるところ。

 彼女が後続のウマ娘達に巻き込まれる光景。

 

 思い出せるのはそこまで。

 だって、俺は次の光景を想像して目を逸らしてしまったから。

 

 聞こえて来るのは、周りの観客の悲鳴にもならない息を呑む声。

 彼女を踏みつけてしまった後続のウマ娘の狼狽えた声。

 トレーナー達が飛び出していき、怒声を上げながら救護班を呼ぶ声。

 

 声、声、声、声、声、声。

 

 目を閉じ、現実逃避することしか出来ない俺が認識できたものはそれだけ。

 そして、意を決して目を開いた時に俺の瞳に映ったものは――

 

 

 

 ―――白い体操服を真っ赤に染め上げたシュガーライツだった。

 

 

 

「何でもいいから、思いつく限りの仮説をよこせ。博士とST-2(サティ)の接続が切れる原因。走りの専門家のお前の知識の中に、似たような症例があるなら片っ端から上げていけ」

「走っている最中の無意識の断絶か……」

「ああ、博士が無意識の領域でST-2(サティ)を操っているにも関わらず、ライツ博士とST-2(サティ)の間に生じるズレの正体。それを見つければ博士はもっと自由に……こいつが最後の課題だ。何とかして原因を突きとめっぞ」

 

 エアシャカールと顔を突き合わせながら、ライツ博士とST-2(サティ)の間に起きた問題の原因を考えていく。博士は一時期はやり過ぎとも言えるレベルで、ST-2(サティ)を操っていた。今更、感覚が違うなどということはあり得ない。

 

 では、集中力が続かないのか?

 それともST-2(サティ)の能力に博士の生身が追いつけていないのか?

 考えられる点は幾らでも上がる。

 だが、今の博士とST-2(サティ)を見ていて、これだと言える問題点は分からない。

 博士は、いや、ST-2(サティ)はかつてのシュガーライツと同じ走りを――

 

「……同じ? いや、本当にか?」

「なんか、心当たりがありそうな顔だな。言ってみろ」

 

 そんなことがあり得るのか。

 単なる自分の思い違いではないかと思うが、シャカールに促されて言うだけ言ってみる。

 

ST-2(サティ)の今の走りは……時々だけど、昔のシュガーライツの走りを超えている気がする」

「昔の博士って言うと、健常状態だったときか?」

「ああ、よくよく思い出してみると……その時に限ってST-2(サティ)との接続が切れているような」

「……つまり、博士の能力が足りていないんじゃねぇ。ST-2(サティ)の方が博士に追いついてねぇってことか?」

「そうなる……自分でも信じられないけど、やっぱりあの頃のシュガーライツよりもST-2(サティ)は速いと思う」

 

 常識的に考えればおかしい。

 いくら鍛え直したと言っても、博士は本格化も終わったウマ娘だ。

 引退したウマ娘に、全盛期よりも速く走れと言っているようなものだ。

 おかしい。おかしいのだが。

 

「ライツ博士なら……シュガーライツなら……超えられるかもしれない」

 

 シュガーライツ(物語の英雄)なら成し遂げる気がした。

 脚が折れ、砕けようとも、もがき続ける彼女なら。

 常識を打ち破れるかもしれない。

 

「……よし、現状はそれしか手掛かりがねぇんだ。取りあえず検証してみるか」

「ああ、お願いするよ」

「だから……出せ」

 

 出せ?

 シャカールの唐突な言葉に疑問符を浮かべる。

 それに対して、シャカールは苛立ったような声を上げる。

 

「そんだけ詳細に博士の現役時代を覚えてんだから、映像か、何かしらのデータがあるんだろ? 俺が探しても見つけられなかったってことは、学園でトレーナー権限が無いと見れないとかその手の奴なんだろ? そいつを出せって言ってるんだよ」

 

 ……言われてみると、そうである。

 これだけ知っているのだから、資料を持っていると思われるだろう。

 

 実際に正解だ。

 その資料が、俺が個人で撮影したものというを別にすれば。

 

 いや、違うんだ!

 あの時代は撮影とかにまだ大らかな時代だったから!

 決して、決して! 盗撮という訳ではない!! ……はず。

 

「…………分かった。だが、出来たら映像のことは博士には黙っていて欲しい」

「あ? なんで……いや、どうでもいいか。いいから、さっさと見せろ。後、集中したいからお前は部屋から出て行け」

 

 怪訝そうな顔をするシャカールだが、どうでも良いことと判断したのかすぐに切り替える。

 ついでとばかりに、部屋の権限も奪い取られる。

 

 その後、シャカールは見事ライツ博士とST-2(サティ)のズレを見つけ出すことに成功した。

 俺も部屋を追い出されたかいがあるというものだ。

 ただ――

 

「なあ……あの映像…お前が………いや、何でもねぇ。トレーナーってのは、どいつもこいつもそういう所があんだろ」

 

 シャカールの、こいつも俺のとこに負けず劣らずキモイな、という視線には多大なるダメージを受けたのだった。

 

 

 

 

 

 あの日以来、シュガーライツはレースに姿を現さなくなった。

 走ることが出来なくなったのだという。

 もう二度と観客の前に、あの笑顔を届けることが出来なくなったのだ。

 

 その絶望や悲しみは、俺には押しはかるすら出来ない。

 俺には彼女の痛みに触れることも出来ない。

 涙を拭いてやることすら出来ない。

 

 だから、俺は。

 

 

 トレーナーを目指した。

 

 

 もう、二度と。

 あのような悲劇が起きないように。

 自分がトレーナーになれば何かが変えられるかもしれないと。

 

 何の根拠もないのに、ただひたすらに勉強した。

 いや、今思えば分かる。

 俺はただ逃げていただけだ。

 あの日感じた恐怖と絶望から逃れるために。

 目を逸らすために。

 彼女が居ない喪失感を忘れるために。

 

 何か別のことに打ち込むことで気を逸らそうとした。

 

 気を抜けば、言い知れぬ恐怖で押し潰されそうになるから、遊ぶことも忘れてひたすらに勉学に打ち込んだ。レースを見る度に血に塗れるシュガーライツを思い出すから、応急処置や怪我の手当て、安全な走り方を徹底的に学んだ。

 

 そして、いくつかの冬を超え、春を迎えた時。

 

 

 俺は、トレーナーになっていた。

 

 

 

「ふふふ、見てくれタイシン、ハヤヒデ! ST-2(サティ)特製弁当の完成だ!!」

「へぇ、盛り付けも完璧じゃん。初めの頃とは大違い」

「味も完璧です。これなら、野菜嫌いの私の妹でも……コホン、失礼。とにかく、ほとんどの人が食べて美味しいと感じる出来です」

 

 ST-2(サティ)の最後の課題も乗り越え、後はお披露目するだけとなった束の間の休息期間。

 私はかねてより、トレーナーに約束していたお弁当を作っていた。

 その完成度は料理の上手いナリタタイシンとビワハヤヒデも認める出来だ。

 

「2人のおかげだ。ST-2(サティ)はまだ味覚までは再現できていないからな」

「そこまでする必要ある? 別に料理を食べるのは肉体で良くない」

「いや、タイシン。本物のウマ娘を目指すのなら、喉の渇きや痛みを再現するのも悪くはない」

「走るときの喉の渇きか……ある方が不便じゃない?」

 

 タイシンが、それは意味があるのかと呆れたように聞いてくる。

 確かに、彼女の言うようにロボットに味覚は不要(むだ)だろう。

 だが、敢えて言おう。

 

「確かに、タイシンが言うように、そう言った不都合なものが無い方がロボとしての完成度は高いだろうな。だが、私が目指すのは本物のウマ娘だ。ただ速く走るだけなら、車で良いしな。科学の発展としては意味がないかもしれないが、それで構わない。そもそもST-2(サティ)は私個人の我儘を叶えるための身体だからな」

 

 その無駄こそが私の追い求めているものだと。

 

「……あっそ。まあ、博士がやりたいようにすれば?」

「ああ、そのつもりだ。ST-2(サティ)は完成した。だが、完成イコール終わりではない。私が生きる限り、前に進む限りST-2(サティ)は進化を続ける!」

「完成は終わりではない……私の勝利の方程式にも大いに当てはめられそうですね」

 

 ST-2(サティ)はかつての私と同じように、いや、それ以上の速さで走れるようになった。

 だが、それはかつての時間に戻っただけだ。

 私の願いは、今よりも少しだけいい景色を。

 少しだけ速く。

 そういった願いなのだから、きっと果てなどないんだ。

 

「そういうことだ。……さて、袋で包んだし後はこれをトレーナーに渡すだけだな」

 

 話しながら手を動かして、綺麗に包んだ弁当を持ちST-2(サティ)の脚を動かす。

 丁度昼時だったので、自分用も作ったがそれは後で食べるとしよう。

 今はトレーナーに渡すのが先決だ。彼はトレーナー室にいるだろうか?

 

「博士、ちょっと、待った」

 

 意気揚々と踏み出そうとした脚だったが、タイシンの待ったが入り立ち止まる。

 

「どうした? タイシン」

「いや、その……何て言うかさ。ST-2(サティ)で渡すより、博士本体で渡した方がいいんじゃないの?」

「……なるほど、確かにそちらの方が良さそうですね、博士」

 

 タイシンの良く分からない助言。

 そして、時計の針が12時付近を指しているのを確認したハヤヒデの賛同。

 一体、ST-2(サティ)で渡すのに何の問題があるのだろうか?

 

「今は食事時ですので、トレーナーと一緒に食事をすればいいのでは? 自分用のお弁当もあることですし」

「そ。どうせ感想も聞くんだろうし、その時にご飯を食べられないST-2(サティ)が居るとトレーナーも変に気を使うでしょ?」

 

 ハヤヒデとタイシンに言われて、自分用に作った弁当箱を見る。

 確かに、走れない私の前でレースの話しをするのに気を使うように、ものを食べられないST-2(サティ)の前でご飯を食べるのは、少し気まずいかもしれないな。

 それに……彼と一緒にランチと言うとデ、デートを思い出すしな。

 

「ありがとう、2人とも。確かに、2人の言うとおりだ。すまないが、私は本体に戻るとしよう」

「はい、それが最善かと。では、私とタイシンは後片付けをしておきますので、気にせず食事を楽しんできてください」

「何から何まですまないな」

 

 私は軽くお辞儀をして、部屋から出る。

 2人は本当に優しい子だ。

 今度、ST-2(サティ)とのトレーニングで得た彼女達のデータを送るとしよう。

 きっと、レースに活かせるはずだ。

 

 そんなことを考えていたからだろうか。

 

「ナイスフォローだったぞ、タイシン。正直、その手の事には疎いと思っていたのだが」

「いや、あんな思春期の小学生みたいなやり取りしてれば、誰だって気づくでしょ」

「ふ、そう言ってやるな。博士もトレーナーも奥手な所があるのだろう」

「それであんなもどかしいものを見せられる、こっちの身にもなって欲しいけどね」

「……確かに。私自身もいささかもどかしく感じることがあるな。なら、ここは思い切って、背中を押してみるのもいいかもしれないな」

「はぁ? 何かする気?」

「他のみんなにも協力を仰いでみるとしようか」

 

 ハヤヒデとタイシンが何かを企んでいるのに気づけなかったのは。

 

 

 

「ト、トレーナー。失礼するぞ」

 

 入り慣れたトレーナー室だというのに、何故だか今日は緊張する。

 コン、コン、コンとノックを3回。

 普段よりも丁寧に扉を叩いて、入っていく。

 

ライツ博士(はいふふぁふぁせ)?」

「あ……す、すまない。食事中だったか」

 

 聞こえてきた返事は、口の中に何かを入れたようにくぐもった声。

 しまったな。トレーナーに弁当を持っていくことを伝えるのをすっかり忘れていた。

 弁当だから、別に食べるのは後でも良いと最初は考えていたのだが、それが裏目に出た。

 

 いや、そもそも昼時なのだから、そのぐらい思い至るべきだった。

 つい、彼との食事が楽しみで浮かれてしまっていた。

 思わず落ち込んでしまい、視線をトレーナーの机の上に落とし――

 

「……トレーナー、それが君の昼食か?」

「あ、いや……あはは」

 

 ウィダーインゼリーの抜け殻とカロリーメイトの箱。

 そして、カロリーメイトを咥えながら、パソコンで資料を作成する彼の姿が目に入る。

 ごまかす様に苦笑いを浮かべているが、そんなものでは子供だって騙されない。

 

「……まあ、私も社会人だ。忙しさに追われ、食事が疎かになるという感覚も分かる」

「は、はい」

「休憩時間も休憩しない。睡眠を削る。全て思い当たるふしがある。現に私の目の下にも分厚いクマがあるしな。女としてどうかと自分でも思うが」

「いや! 博士のクマはチャーミングです!!」

「では、このままでもいいと思うか?」

「いや、それは……睡眠はちゃんと取るべきかと」

「そう言われても……自分は出来ていない人に言われてもなぁ…? うん?」

 

 車椅子を動かしトレーナーのすぐ隣に移動し、ジトりとした目を向ける。

 今は彼も椅子に座っているので、目線の位置は変わらない。

 そのせいか、いつもと違いトレーナーも私に威圧感を感じているようだ。

 

「……すいません。生活を改めます」

「うん、いい返事だ。コホン………お、おっと、こんな所に多分美味しそうなお弁当があるぞ」

 

 そして、圧に屈したトレーナーから言質を取ったので本命の行動に移る。

 

()()()が作ったわけではないが、どういうわけか私は弁当箱を2つ持っている。ウマ娘と言っても私は本格化も終わり引退した身。2つも食べれば、生活習慣病まっしぐらかもしれないな。うん。どこかに、親切にも余った弁当を食べてくれる人が居ないものか……」

「………ああ、ありがとう」

 

 私の完璧な誘導に騙されたのか、トレーナーは疑うことなく弁当箱を受け取る。

 若干、その目が死んでいるように見えるが、きっと根を詰めて仕事をしていたせいだろう。

 

「安心してくれ。このお弁当は自信作…コホン。タイシンとハヤヒデも美味いと言っていた」

「ああ、ありがとう……」

 

 またもや、気の抜けたような返事。

 やはり、相当に疲労がたまっているようだ。

 カロリーメイトとウィダーインゼリーが主食の生活では、寿命を削る。

 私も実際にやったから良く分かる。

 ……ならば。

 

「トレーナー。一つ提案があるのだが?」

「ああ、あり……提案ですか?」

ST-2(サティ)は完成したと言っても過言ではない。だが、私はそこで終わる気はない。さらなる成長を求めていくつもりだ」

「流石です、博士。その強い信念は素直に憧れを抱きます」

 

 正気を取り戻したトレーナーに、今後の展開を伝えていく。

 

「そこでだ。今後ともST-2(サティ)とのシンクロ率を高めるために、今までみんなと行ってきたことを続けるつもりだ。例えば……料理を作るとかな」

「料理……」

 

 トレーナーがチラリと弁当箱に目を向ける。

 ここまで言えば、察しの良いトレーナーはやはり気づくか。

 

「毎日……は難しいかもしれないが、可能な限りST-2(わたし)は料理を作ろうと思う。だから……その…なんだ。君には残飯処理のようなことを頼むことになるのだが……ST-2(サティ)の作った料理の処理を手伝って欲しい」

 

 ST-2(サティ)の操作の鍛錬を兼ねて毎日、彼に弁当を作っていこう。

 そうすれば、私自身も料理が面倒だからと手抜きをしないだろう。

 何より、彼への返し切れない恩を少しでも返したいから。

 ただ1つ、問題があるとすれば。

 

「も、もちろん、君が迷惑だと言うのなら……」

 

 トレーナーの迷惑になる可能性があるということ。

 彼には彼の人生がある。

 私の我儘を押し付けるわけには――

 

 ―――遠慮なんてしないでください。あなたはあなたが思っている以上に魅力的な女性です。

 

 ふと思い出すのは、デートの時の彼の言葉。

 ……そうだった。私はもう、彼には遠慮しないと決めたのだったな。

 

「……いや、これは私の我儘だが……君なら、当然付き合ってくれるのだろう? トレーナー」

「! ははっ、もちろんですよ。ライツ博士」

 

 一瞬、驚いたような表情。

 しかし、すぐに満面の笑みを浮かべて頷いてくれるトレーナー。

 そんな彼につられて、私も自然と笑い――

 

「………やっぱり、綺麗だな」

「ん? 何か言ったか、トレーナー」

「いえ、何でもありません。それよりも、せっかくですので博士も一緒にお弁当を食べましょう」

「あ、ああ、そうだな。良く味わってくれ……いや、別に私が作ったわけじゃないがな?」

 

 眩しそうに目を細めるトレーナーに首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

 運命という言葉を信じたのは、その時が初めてだった。

 

 晴れてトレセン学園に就職し、1人でも多くのウマ娘が怪我をしないように頑張ろうと意気込んでいたある日。理事長の放送で呼び出されて行った先で、俺は運命に出会った。いや、再開したと言うべきか。

 

 あの頃から変わらず美しい新緑の髪。

 紫陽花のような瞳の下には、分厚いクマが出来ていたが俺にはチャームポイントにしか見えない。

 視線を上に上げていれば、俺の青春がそのままそこに居た。

 

 だが、一度視線を下げてしまえば……現実という理不尽の津波が俺を襲う。

 

 車椅子。走れない。過去の悲劇。

 それを自覚してしまえば、彼女の顔にあの頃の笑顔がないのが嫌でも分かってしまう。

 目を逸らしたくなった。あの日のように。

 無責任に、他人のままに。

 

 だというのに。

 

『私はもう一度、走りたいんだ』

 

 あなたの瞳には炎が宿っていた。

 

 物語はバットエンドで終わったと思っていた。

 だが、そんなものは俺が思い込んでいただけの空想だった。

 

 シュガーライツの物語は悲劇の作品ではない。

 如何なる辛酸、苦難、絶望が訪れようと最後には乗り越えハッピーエンドを迎える物語。

 そう、これは――

 

 

 ―――英雄譚。

 

 

 絶望や悲劇など幸福のフィナーレを盛り上げるためのスパイスに過ぎない。

 彼女は諦めない。屈しない。決して歩みを止めない。

 誰より強く、気高い。そんな主人公。

 

 魂から震えた。

 この世にこんなにも強い人がいるのかと。

 こんなにも美しい人がいるのかと。

 俺の存在そのものを打ちのめされたような気分だった。

 いや、だったという過去形はおかしい。それは現在進行形で感じているのだから。

 

 一体この感情に、何と名前をつければいいのだろうか? それは今でも分からない。

 

 憧れと言うには、彼女を誰よりも身近に感じていたくて。

 恋と呼ぶには、余りにも穏やかで満ち足りていて。

 愛と名付けるには、苛烈で鮮烈で全てを焼き尽くす炎のようで。

 

 異常だ。全てから逸脱し、全てを内包するような不可解な感情。

 ああ、だから俺はその感情をこう表現することにした。

 

 

 

 ―――異常な愛情と。

 

 

 

「みんな、今日は集まってくれてありがとう。さて、早速今日の議題に移りたいと思うのだが……シャカール君、何か?」

 

 放課後の空き教室。

 ビワハヤヒデが厳格な女教師のように黒板の前に立ち、エアシャカール、ナリタタイシン、シンボリクリスエス、タニノギムレットが席に座る。そして、開始直後に異議ありとばかりにシャカールが挙手をするのだった。

 

「おい、帰っていいか?」

「ダメだ。今日の議題である『ライツ博士とトレーナーの中を進展させるには、どうするべきか』に対する明確な案が出るまでは、この会は解散できない」

「んなもん、当人同士に任せてりゃいいだろうが!?」

「それだと一向に進展しないから、こうして会議を開いているのだろう!!」

 

 下らねえから、帰ってもいいか?

 お前も道連れだ。

 

 そんな熱い友情を感じさせる会話から、会議は始まるのだった。

 

「あの2人、どっちかが告白すれば一瞬で終わるのに、思春期の子供みたいに進展しないからね」

「故にだ! 俺達がアタランテとなり、後押し(キューピット)の矢を射なければならない。違うか?」

「Confess……日本では付き合うのに、告白という過程を経なければいけないのか。興味深い」

 

 会議の内容は、ライツ博士とトレーナーの関係が進展しないくせにイチャイチャするので、いい加減うざったらしく……失礼。ちょっと背中を押してやろうという、何とも優しい心遣いから始まったものだ。

 

 まあ実際の所は、2人はデートの時にほぼ告白まがいのことをしており、ST-2(サティ)が完成したらという空気になっているので進展していないだけなのだが、生徒達は勿論知らない。

 手が触れたら恥ずかしくなるような初々しい反応を延々と見せられて、はよくっつけという思いが立ち込めているのである。

 

「む? クリスエス君。アメリカでは告白をしないのか?」

「Proposal、結婚する際のプロポーズはあるが、付き合うという過程ではそうした告白はないことがほとんどだ。好き合う者同士が……自然と付き合っている」

「あいつらが日本人じゃなきゃ、俺がこんな無駄な時間を使わせられてないってことだな」

 

 留学生であるクリスエスの海外ならではの話に、棘を隠さずに発言するシャカール。

 それでも、無理やり帰ることはせずに残っているのが、彼女というウマ娘の本質である。

 

郷に入っては郷に従え(ローマではローマ人のようにふるまえ)。ここが日本(ジパング)である以上は、法王(ポープ)ではなく天皇(エンペラー)に従う必要があるという訳だ」

「……で、どうすんの? もう、私達で直接気持ち聞いて大丈夫そうなら、告白させる?」

「まて、タイシン。それでは余りにも直接的すぎないか? 私としては出来ればもっと自然に意識させて、時間をかけて距離を詰めて行った上で告白。出来ればトレーナーの方から告白といった形が理想ではないかと思っている」

 

 それはハヤヒデがしたい恋愛なんじゃ。

 タイシンは喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

 

「ホント、頭でっかちなんだから……」

「誰の頭がデカイって!?」

「いや、硬いって意味だから」

「そ、そうか。それなら……待て、タイシン! 私は物事を柔軟に考えているつもりだ!」

 

 器のデカイ姉貴として評判のビワハヤヒデだが、自らの頭への侮辱は決して許さない。

 まとめ役だった彼女が役目を放棄したことで、場の混乱は増していく。

 

「もし、私が誰かと付き合うのなら……Difficult。好きならば好きだと言うだけだ。こういった場合への対処法は……思いつかない」

「思いつく必要もねぇよ。こんなこと考える時間があるなら、寝てた方がマシだ」

 

 会議は踊る、されど進まず。

 このままでは、花の女子高生がただ恋話(こいばな)をして終わるという、非常に健全な展開になってしまう。

 

「クックック……フッフッフッ…ハーッハッハッ!」

 

 そんな心配を打ち砕く高笑いが突如として、教室に響き渡る。

 

「ギムレット……何か思いついたのか?」

嗚呼(ああ)。俺の提案(サタンの甘言)は、お前達の稚拙な(恥知らぬ)(ヴィジョン)を打ち砕き、知恵を授ける(パラダイスから追放する)だろう」

 

 声の主はタニノギムレット。

 言語出力が非常に複雑で分かりづらいが、同期のクリスエスにはギムレットがアイデアを思い付いたと言っているのだと分かる。

 同室のナリタブライアンですら、分からないのによく理解できるものだ。

 

「ほお……この私の“恋愛版:勝利の方程式”よりも良い案があると?」

「当然だ、ビワハヤヒデ(アングルボザ)よ。既にこのワタシの手には切り札(グングニル)が握られている」

「切り札だと?」

 

 そして、どういうわけか(ブライアン)に出来ぬ翻訳を平然と行う、(ハヤヒデ)

 同室のテイエムオペラオーのオペラ知識もりもりの会話で、鍛えられたおかげかもしれない。

 

「さあッ! 顕現し!! 君臨しッ! 蹂躙せよッ!!」

「まさか…! それは!?」

 

 何はともあれ、自信満々でギムレットは懐からあるものを取り出す。

 それは、努力や実力だけでは決して手に入れられないもの。

 那由他の数の挑戦の果てに、運をもって初めて手にすることが出来る――

 

「いでよ! 温泉旅行券(カナンの道標)よ!!」

 

 ―――温泉旅行券、ペア用である。

 

「ど、どこで手に入れたのだ?」

「クックック……商店街(アルカナ)を巡り、抽選器(運命の車輪)をこの手で回し、特賞(正位置)の力を得たまでのことだ」

「まさか、商店街の福引で特賞を当てるとは……運が良かったな」

 

 そう、ギムレットの言う切り札とは温泉旅行券のことだった。

 当然お高いものではあるのだが、ギムレット言うようにカナンの地に行くものではない。

 

「もしかして、それをライツ博士とトレーナーにあげるの?」

「良い感だ、タイシン」

「でも、いいの? それかなり良い所なんだから、自分で使ってもいいんじゃない」

 

 しかし、貴重なものであることには変わりない。

 タイシンが言うように、ギムレットが使ってもいいものだ。

 だが、そんなタイシンの気遣いにもギムレットは首を横に振る。

 

「何を言っている? これは犠牲(サクリファイス)ではない。俺は俺の望む結末(フィナーレ)のために、戦果(リザルト)を使用するだけだ」

 

 何やら難しいことを言っているが、要はギムレットは気ぶっているだけである。

 自分の推しが幸せになって欲しいだけだ。

 

「なるほど……君の覚悟は分かった。だが、少し性急過ぎはしないだろうか? 急ぎ過ぎれば2人の関係が壊れる可能性もあるのでは?」

「破壊無くして、創造はあり得ない。シヴァの踊りは破壊だけでなく恵みをも齎す」

「……確かに、新しい関係になるには今までの関係を捨てる勇気もいるか」

 

 良い方向にいくか、悪い方向に行くか。

 それは神ならざる少女達には分からない。

 ただ1つ分かるのは、今の関係を続けるだけでは、決して手に入れられぬものがあるということだ。

 

ST-2(ブリキ缶)完成する(デウスエクスマキナとなる)日に、これを渡す。それでもなお……新しい関係の構築(ノアの洪水)を恐れるというのなら、俺は邪竜(ファブニール)の如く温泉旅行券(ラインの黄金)を自らのものとしよう」

 

 背中は全力で蹴り飛ばす。

 しかし、だからといって無理強いはしない。

 言葉使いから勘違いされやすいが、ギムレットは空気が読める子なのだ。

 

「そうか……なら、私からはこれ以上は何もない。ギムレットの案でいこう」

「アタシもそれでいいよ。じゃ、もう帰るね」

「では……MissionはST-2(サティ)を観客の前で披露する日に」

「神は賽を振るか。それとも、運命の名の下に神託を授けるか……クックック」

 

 作戦の決行日は、大勢の観客を集めた中でのお披露目会の日。

 1つの物語が終わる日。それ以降も、2人の物語が続くかどうかは2人次第。

 そのことを認識し、彼女達は教室を後にするのだった。

 

 

 

「………やっぱ、オレは帰ってても問題なかっただろうが」

 

 

 

 シャカールの心底疲れたような呟きを残して。

 

 

 

 

 

 あの日の思い出が蘇る。

 

 シュガーライツというウマ娘に一目惚れした日を。

 ガラガラの観客席から見た楽しそうに走る1人のウマ娘。

 俺の物語の始まり。

 

 しかしながら、今は過去ではなく現在だ。

 物語の始まりではない。

 あの日と違い、ここ東京レース場の観客席には大勢の人がいる。

 レースではなく、1人のメカウマ娘が走っているだけ。

 ST-2(サティ)には笑う機能はついていない。

 

 だとしても、あの日から止んでいた風が吹く。

 芝を踏みしめる感触が、大地を蹴り上げる音が、小さくもハッキリとした歓声が。

 何よりも、ST-2(シュガーライツ)の満面の笑顔が。

 あの日と同じように蘇る。

 

 これは、ライツ博士の物語の終幕だ。

 

 絶望を乗り越え、悲劇を笑い、運命に打ち勝った英雄譚。

 そのグランドフィナーレ。

 

 だから俺は叫ぶ。喉を震わせる。

 恋慕を、憧憬を、情熱を乗せて。

 

 この喉が張り裂けそうになる程に、ここで声が枯れ果てても構わないとばかりに。

 謳う。

 

 あの日のように満面の笑みで走る彼女に、あの日に届けられなかった想い(こえ)よ。

 届け。

 

 

 

「頑張れぇええッ!! シュガーライツゥウウッ!!」

 

 

 

 ―――俺は君のことが好きだ!!

 

 

 

 

 

「トレーナー!! やった! やったぞ!! 見ていてくれたな!?」

「もちろんです! ライツ博士――て、危ない!?」

 

 ST-2(サティ)で東京レース場を走り抜けた私は、車椅子から勢いよく飛び出す。

 そして、当然の如くバランスを取ることが出来ずに倒れこむ。

 だが、私を抱き留めたのは固く冷たい地面ではなく、トレーナーの温かな胸の中だった。

 

「ライツ博士、興奮してまだST-2(サティ)の感覚が抜けてないんですか?」

「いいや、ST-2(サティ)と私の切り替えは、みんなのおかげで完璧だ」

「じゃあ、なんで?」

 

 危なかったと注意してくるトレーナーの言葉を遮り、私は上目遣いでトレーナーを見上げる。

 これはミスではない。意図して起こしたもの。

 すなわち、必然だ。

 

「こうすれば―――君は必ず抱きしめてくれるだろう?」

 

 私がこけそうになっても、必ず支えてくれる人がいる。

 これはその証明行為に過ぎない。

 

「………言ってくれれば、そんなことしなくても抱きしめますよ」

「そう言うな。私は君の前では、ちょっとだけ我儘になるんだ」

 

 そう言って、トレーナーの肩を借りて他のみんなの方に向き直る。

 感謝を伝えたいのは、トレーナーだけではない。

 手伝ってくれた全ての人に伝えたい。

 

「あー……アタシ達はどっか行ってようか? お邪魔そうだし」

「これは……ふふふ、どうやら私の方程式で証明するまでもなかったようですね」

「Congratulation。最大限の祝福を、博士の成果に。2人のこれからに」

「ハーッハッハッ! 後押し(キューピット)の矢ではなく、己が牙で勝ち取ったか。面白い」

「ふざけてんじゃねぇよ! オレの無駄に終わった時間を返しやがれ!!」

 

 純粋な祝福の言葉や、憎まれ口がかけられる。

 何故だか……ST-2(サティ)の完成への祝福が少ない気がするが。

 

「みんな、ここまで来れたのはみんなの協力あってのものだ……ありがとう。他にも言いたいことはいっぱいあるんだが……うん、今はそれしか出てこない」

 

 だとしても、みんなが心から祝福してくれているのは分かる。

 なので、私は満面の笑みでみんなへお礼を言う。

 そう、満面の笑みで。

 

「あ、あれ? おかしいな……嬉しいのに涙が……止まらない」

 

 私は笑っているはずだ。

 だというのに、何故だろうか?

 瞳から溢れ出て来るのは、涙ばかり。

 

「ライツ」

「先生! 来てくれたんだな!?」

 

 そんな私の下へ、観客席から先生が歩いてくる。

 

「あなたは本当に…本当に……凄い子ね」

「先生の教えがあったからですよ!」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。ねぇ、ライツ――」

 

 笑いながら、目に涙を一杯に溜めて。

 私と同じように。

 いや、私以上に泣きそうな顔をしながら。

 

 

「―――初勝利おめでとう」

 

 

 私に祝福の言葉をかけてくれる。

 

「初…勝利…?」

「ええ、現役時代は私はあなたを勝たせてあげられなかったけど、今日ここであなたは怪我に勝利してみせた。……私以上にあなたにピッタリなトレーナーが居たのは、ほんの少し……いえ、とても悔しいけど」

 

 心底悔しそうな顔をしながら。

 でも、その悔しさこそが、心の底から私のことを想っていてくれた証だと分かる。

 

「すいません。シュガーライツは俺が貰っていきます」

「ええ、出来れば式には呼んで欲しいわ」

「ま、待ってくれ先生! 私達はまだ――」

「大丈夫よ、あなた達のペースで歩んでくれれば。私はまだまだ生きるつもりだから」

 

 まだ付き合ってもいない。

 そう言おうとしたが、先生には届かない。

 し、しかし……先生の目にはトレーナーと私が付き合っているように見えるのか…えへへ。

 

「それにしても……」

 

 ちょっと、気持ち悪くニヤける私をよそに、先生がトレーナーに向き直る。

 その顔には、どういうわけか懐かしさのようなものが混じっていて――

 

 

 

「―――ライツのレースにいつも来ていた子が、随分と立派になったものね」

 

 

 

 衝撃の発言を残していくのだった。

 

 

 

 

 

「いい、お湯だったな。トレーナー」

「ああ……」

「名物の海鮮料理も絶品だった」

「ああ……」

「この温泉旅行券を譲ってくれたギムレットには感謝しないとな」

「ああ……」

 

 蹄鉄の代わり(幸せのお守り)だと言って、ギムレットから渡された温泉旅行券。

 それを使用して、私とトレーナーは温泉旅館に泊まっていた。

 当然、同室。ペアチケットで尚且つ、お互いに成人済みなのだから何の問題もない。

 しかしながら、先程からトレーナーの様子がおかしい。

 

「トレーナー、どうしたんだ? もしかしてのぼせたか」

「ああ……」

「……それとも、混浴が忘れられないか?」

「ああ………あ! いや、そういうわけじゃ!?」

 

 まあ、理由は分かっている。

 車椅子の私は入浴介助が必要だ。そのため、家族用の温泉に入りトレーナーと混浴したのだ。

 その瞬間からトレーナーは今の状態になっている。

 

「まあ……そうだろうな。私のような女性としての魅力には乏しい女と混浴したところで……」

「ち、違います! ライツ博士は魅力的です!! ただ、俺の心のドキドキが止まらないだけで!?」

「ふふふ、ありがとう。君の素直な称賛は嬉しいよ」

「あ……はかりましたね?」

 

 ちょっと落ち込んだそぶりを見せると、慌てて本音を言ってくれるトレーナー。

 そういう所が可愛くて、私はクスリと笑ってしまう。

 

「遠慮するなと言ったのは君の方だろう?」

「まあ、そうですけど……」

「……なあ、トレーナー。予約の件は覚えているか?」

 

 如何にも惚れた弱みといった顔をするトレーナー。

 そんな表情に私の自尊心も満たされるのだが、私はどこまでいっても臆病だ。

 信じたいのに、言葉がなければ信じ続けることが出来ない。

 そんなか弱い女だ。

 

「はい……俺の隣は――」

 

 トレーナーが立ち上がり、私の隣に来て座る。

 『君の隣は私のために空けておいてくれ』

 そんな予約を果たすために。

 

「―――君だけの場所だ、ライツ」

「……うん」

 

 トレーナーの肩に体を預ける。

 心地よい温もりと火照りが伝わってくる。

 ああ、そうだ。走る景色と同じくらいに、私はこれが欲しかったんだ。

 

「なあ、トレーナー」

「なんですか? ライツ博士」

「君は……現役時代の私のファンだっただろう?」

「今もシュガーライツのファンですよ」

「それは知ってる。聞きたいのは……君がどうして私のファンになったのかだ」

 

 耳を動かし彼の頬をくすぐる。

 そして、上目遣いでトレーナーを見つめる。

 すると、トレーナーは挙動不審になったように視線を右往左往させる。

 ……おかしいな。雑誌で見たモテテクでこうすれば、男性は一発で落ちると書いていたんだが。

 

「…………」

「トレーナー?」

「……一目惚れでした」

 

 長い沈黙の後、トレーナーが意を決したように口を開く。

 

「初めて走っている姿を見た時から、笑っている姿を見た時から、あなたから目を離せなくなった」

「そ、そうか……」

 

 待ち望んだ言葉。

 だというのに、私の心はそれを受け入れるには容量が足りなかった。

 溢れて零れて、消えてしまいそうだ。

 

「それから、あなたの出るレースは全て観戦した。でも、恥ずかしくて声はかけられなかった。応援の声を出すことも。俺はただただ、観客席からあなたを見つめるだけだった。見つめている間だけは、あなたと同じ世界に居られると思ったから」

 

 堰を切ったように溢れ出す思い、想い、重い。

 自分のことだというのに、余りにも大きな感情にどこか他人の話だと思ってしまう程だ。

 

「でも……あの日、俺はあなたから目を逸らしてしまった」

怪我した日(あの日)か……」

「そこで、俺とあなたの関係は終わったと思っていた……まだ始まってすらいなかったのに」

 

 まるで懺悔だ。

 神に罪を告白し、赦しを請う行為。

 トレーナーの真摯な想いの深さは、それを思い起こさせるには十分だった。

 

「それからトレーナーを目指した。あなたの人生は悲劇で終わったと思って。もう、繰り返さないようにと。でも―――あなたのストーリー(人生)は終わってなどいなかった」

 

 戸惑うように、優しく彼の腕が私の肩を抱く。

 

「学園で再開したあなたは。あの日失ったものを拾い集めようと藻掻いていた。痛みも涙も全て抱きしめて前に進もうとしていた。そんなあなたの夢を叶えたくて。あの日失った笑顔をもう一度見たくて……今度は見つめるだけじゃなくて、あなたの隣で笑っていたかったから。俺はあなたの研究に参加したんです」

 

 そして、痛い程に強く抱きしめられる。

 私はウマ娘だ。下半身が動かせずとも、人間ぐらい簡単に振り払える。

 だが、この痛みは、この温度は、例え昔の私だとしても――

 

 

 ―――決して振り払うことは出来ない。

 

 

「愛しています、この命よりも深く。どうか俺と……結婚を前提に付き合ってくれませんか?」

 

 

 まっすぐな瞳。

 これから訪れる困難も全て覚悟したもの。

 だから、私も身体障碍者を家族にする大変さは問わなかった。

 

 彼の聞きたいこともそのようものではないだろう。

 なら、返すものは、ただ一言の返事と――

 

 

「……喜んで」

 

 

 ―――砂糖のように甘い口づけ、それだけでいい。

 

 

 




こいつらオーバードライブしたんだ!


まあ、何はともあれ本編は完結です。
次回は短いおまけでも書こうかなと思ってます。

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