ある日のお昼時、トリエラはヒリヒリと痛む肘を撫でながらグリフィンの基地を歩いていた。
「うぅ……なにもあんなに投げ飛ばさなくたっていいのに」
教官のAR-18に呼び出され、ジュードーギなるスポーツウェアに着替えさせられたトリエラは徒手格闘を教え込まれた。
一〇〇式と四式による簡単な柔道 合気道 銃剣道講座。
そして62式 64式自 89式による自衛隊格闘術の稽古。
2週間という短い期間での訓練は物理的にトリエラに叩き込まれている。
過酷なそれは、しかし確かにトリエラに身に付いてきているのだ。
「あ!ヒルシャーさん」
「あぁ、トリエラ。君もお昼か?」
「はい。午前の訓練も終わりましたから」
トリエラが食堂への道のりでばったり会ったのは担当官のヒルシャー、彼もまたナガンやマカロフによる教官になるための教育を叩き込まれ、どこか疲れを感じさせる姿だ。
しかしヒルシャーはそれを感じさせないように振る舞う。
トリエラが頑張って居るのに自分が音を上げてどうするのだと己を鼓舞して。
「まさかグリフィンの基地をこうしてまた歩けるなんて思ってもいませんでした」
「グリフィンがスポンサーになるなんて予想外だったからな。僕達もそうだけど、課長達も大慌だったよ。今頃、福祉公社は大忙しだろうな」
「大忙し?」
「グリフィンが金も人も総動員して施設の改修と職員の福利厚生をしてくれているんだ。トリエラ達の宿舎やシューティングレンジも新しくなっていると思う」
報告のために福祉公社に戻ったヒルシャーが見た時は、ロシア帽に赤い星をつけた女の子が改修工事(謎の二足歩行ロボの方が注目されていた)をしていた。
公社本部は1000年前に建てられた修道院がベースになっている。
流石に改築や修繕をされているとは言え、福祉公社は何かと金のいる組織。投入される資金では全てをカバーできる訳ではなかった。
そこを改修してくれるのだからありがたいとヒルシャーは考えていた。
ジャンやロレンツォは反対していたものの、結局は押し切られていたは余談である。
「帰ったら色々と回って見るといい」
「そうします。ちょっと楽しそうですし」
年相応、今までのトリエラよりも少しだけ素直な言動に、ヒルシャーは温かい物を覚えながら食堂へ向かった。
お昼時と言う事もあり、2人が訪れた食堂はグリフィンのスタッフで賑わっていた。
いくつかの部隊や人員は任務で基地を離れているとは言え、それでも多い。トリエラとヒルシャーは昼食のトレーを持って空席に座る。
「公社の食事も好きですけどグリフィンのも美味しいですよね、色々な国の料理が出てきますし。今日のこれは何でしょう?」
「これはドイツ料理だな。懐かしい」
「へぇ、ドイツ料理。これは何ですか?」
「シュパーゲル、白アスパラだよ」
なぜドイツ語と言うのはこう、いつも仰々しいのだろうか。
そんな疑問と共に白アスパラを口に運んだ。今が旬の白アスパラの確かな歯応えとオランデーズソースの爽やかさが美味しい。
「僕の居たドイツでは白アスパラは春の風物詩でね、お祭りなんかもあるらしい」
「白アスパラのお祭り……」
一体どんなお祭りなんだと訝しむトリエラに、ヒルシャーは微笑む。
モンタルチーノでピノッキオと交戦してからと言うものどこか塞ぎ込んで、ともすれば自暴自棄にもなりかねない危うさを感じさせていたトリエラだった。
だが今は違う。
グリフィンでの訓練を始めてからは以前と同じく、いやそれ以上に態度が軟化した物だとヒルシャーは感じた。
グリフィンの空気が良かったのだろうか。
確かにここではスタッフ全員がトリエラよりも強い、その分安心して寄りかかれるし普段言えない事も相談しやすいのだろう。
主菜のロールラーデン(薄切り肉でベーコンや野菜を巻いた物)に舌鼓を打つトリエラを眺めた。
今はただ、こうして年相応な彼女を、トリエラを見守ろう。
所変わって、グリフィンの基地から遠く離れた社会福祉公社にはサイファーとジョゼが居た。
「今日もアンジェリカのお見舞いか?」
「それとクラエスの様子見だな、ラバロ大尉から頼まれた」
「ラバロ大尉……まさか生きていたなんて」
ジョゼはどこか懐かしさを顔に表しながらつぶやく。
ラバロ大尉とは色々とあったし、少しの期間しか一緒では無かった物の心配位はしたくなるものだ。
「クラエスに重ね掛けされた条件付けのせいで2人を会わせるとどうなるか皆目見当もつかん。HS2000からも接触は控える様に言われたからな」
サイファーはジョゼと対照的に悲しさをたたえて吐き出すように言った。
万事が万事ハッピーエンドとは行かない、その歯がゆさにままならぬ物を感じるのだ。
彼は深くため息をついて休憩所のベンチに座り込んだ。
「随分とお疲れだな。何かあったのか?」
「新しく孤児院を作ったんだ。StG-940とかDP-12、DP-28、スプリングフィールド……まぁ、頼れる人材を回しててなぁ。それに加えて作戦報告書やら会社の決済案やら……そりゃ手伝ってはくれてるけど最終的には俺が目を通さないとダメだし」
「決済案……そう言えば社長だったな、サイファーは」
「お飾りだけどな。ウチに一流のセラピストがいなかったら今頃ダウンだよ」
コルトM1851Nのことを考えながら、彼の手は懐に伸びる。
その動作はやけに緩慢だった。
「タバコ吸うか?」
「いや、遠慮しておくよ」
「あぁ、ヘンリエッタがいるからか。すまなかったな」
サイファーはそれだけ言い残すとタバコの先を炙り紫煙を含む。
ゆっくりと吐き出されるそれは、サイファーの労が移ったかのように濁っていた。
最初はやっぱりもらっておけば良かったと考えていたジョゼも、こんな吸い方を見せられればさすがに吸いたくも無くなる。
こうなった理由は色々だ。サイファーが言ったように書類仕事や各所との交渉、訓練、K11のファクトリーでの強化、新しく作った孤児院の運営。
しかし今一番サイファーを苦しめて居るのは1つ。
「なぁジョゼ、さっきここに運ばれて来た娘……義体の2期生にする予定だろ?」
「……あぁ」
「まったく、嫌になるな」
サイファーは見てしまった。まるで死んだように眠り、福祉公社の手術室に運び込まれる少女を。
たったそれだけ、だが確かにその光景は自己の狭間で苦しむ彼には十分だった。
「俺は……今すぐにでもここを破壊して、義体に関わった全員を殺すべきなのかもしれん」
「サイファー」
「目標だけは大きく掲げて、そこまでの道程は見て見ぬ振りをして、これで良いと言い聞かせているのは他人か自分か……」
そこまで言ったサイファーは自嘲し休憩所の灰皿にタバコを押しつける。
火と共に何かを消すかの如く。
「嫌なもの聞かせたな」
「こんな仕事をしているとおかしくもなるさ」
「そう言ってくれるとありがたい。じゃ、俺はそろそろ行くよ。新人の担当官に顔合わせしたいしな」
そういって歩き去るサイファーを、ジョゼはただ眺めるしかできなかった。
彼の言葉が嫌に胸に刺さったのだ。
目標だけは大きく掲げて、そこまでの道程は見て見ぬ振りをして、これで良いと言い聞かせているのは他人か自分か……
完全に当てはまるのかと言われれば違う。ジョゼは堅実な人間であろうと努力し、一つ一つを積み重ねてきた人間である。
だが否定はできなかった。
否定しようとすれば、心の何かがその冷たい手を首にかけてくるような気がして。
「ジョゼ!ヘンリエッタによろしくな、お互い後悔のないように」
「あぁ、後悔のないように」
ふらりふらりと危なげに歩くサイファーを見て何だか放っておけなかったジョゼは、小走りに近づくとサイファーを支える。
「なんだ?随分と優しいじゃないか」
「後悔のないようにしてるだけさ。お前が倒れたら仕事が増えてしまう」
「そりゃスマンね」
そう……後悔のないように。
ジョゼはただ、そう思った。
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サイファーとジョゼが肩を並べている頃、福祉公社の違う場所ではジャンが何時にもまして険しい顔をしていた。
彼がそうなっているのにも様々な理由がある。
だが今最も彼が苛立っているのはグリフィン……いや、サイファーが関わってきた事だ。
「……チッ」
彼もまた、サイファーと同じように労の乗り移った様な淀んだ紫煙を吐いた。
深く、深く、それは白よりも黒い色だ。
「気に入らない」
グリフィンによりリフォームされた本部。
真新しいデスク、真新しいパソコン、真新しい照明。
タバコの煙に混じってくる、どこからともなく漂ってくるペンキの臭い。
その全てがジャンをイラつかせた。
サイファーの胴体に銃弾を撃ち込むと言う最悪のファーストコンタクトをとった2人ではあったが、報復を受ける様なことはなく今までのように五共和国派を殺して回っている彼。
そんな彼がなぜグリフィンを……サイファーを毛嫌いしているか。
彼は忘れられないのだ。
あの作戦、リコとサイファーが出会い共闘した作戦。
サイファーに頭を撫でられているリコの姿が。
あの時のサイファーの声が。
フラテッロ思いの兄め。不器用な奴だな
「貴様に何がわかるッ」
脳内にリフレインするサイファーの声、忌々しいそれをかき消そうと灰皿に吸殻を押し付けた。
「あの、ジャンさん?」
ジャンを呼ぶリコの声。彼が振り返って見てみれば、その小さな手に何やらお菓子を持っている。
「……なんだそれは」
「サイファーさんからお菓子を貰ったんです、皆で食べるようにって」
ニコニコとお菓子を差し出すリコ。
サイファーは義体や担当官、福祉公社の職員によく差し入れをよこす。それも気に入らない。
なぜ他の職員はグリフィンを受け入れる?
何を仕掛けられるか分からないんだぞ!
なぜ弟はサイファーと親しくしている?
やつはスポンサーであって味方ではないんだぞ!
なぜリコは心を開いている?
お前は俺の義体なんだぞ!
「リコ、奴らに絆されるな」
「え?」
「いいなッ!」
なぜだ?なぜこうも変わったんだ?
ジャンは怒鳴る様に言い、リコを殴りつける。
勢いよく尻もちを着いたリコは、しばらく茫然と担当官であるジャンを眺め……
「はい!分かりました!」
腫れあがる頬も口から流れる血も気にすること無く、溢れんばかりの笑みで返事をした。
そう、それで良いんだ。今までと同じように。
だと言うのになぜ、胸が痛むのか。
ジャンはそれに気づきもせず……いや、見て見ぬ振りをした。
義体は所詮殺しの道具に過ぎないのだと、何時もの様に自分を誤魔化して。