「あらヘンリエッタ?来てたんだ」
「あエルザ。うん、ジョゼさんに連れてきてもらったの」
「そう、今から屋上に行くのね」
「え!なんで分かったの!」
「そんな大きな望遠鏡を持ってたら誰だって分かるわよ」
クスクスと笑うエルザと顔を赤くするヘンリエッタ。
暫しの談笑を経て、エルザはAlfaとヘンリエッタの夜間観測隊に加わった。
道中で少し挙動不審気味なサイガにお菓子を渡されたり、9A-91からティーセットを持たされたりなど色々ありながらも見晴らしの良い屋上に出た3人は望遠鏡を組み立てる。
「Alfa、これでいいの?」
「うん、完璧よヘンリエッタ」
「望遠鏡を組み立てるのって意外と簡単なのね。スナイパーライフルを組み立てる方が難しかったわ」
「狙撃に使う銃は少しでも組み立てが甘かったら精度が落ちちゃうもんね」
一見すれば山学海学の様な学校行事に見えなくも無いが、エルザとヘンリエッタの口から飛び出す言葉に物騒な物が含まれるのはご愛敬である。
「見て、オリオン座が見えるよ」
「あれがそうなの?……星なんてみんな同じに見えるわ」
エルザは初めて星に触れる。
だからかヘンリエッタとAlfaの星談義にはあまり着いていけないが、かと言って楽しめ無いという訳でもなさそうだった。
2人の語らいをBGMに慣れた手つきで湯を沸かしている。
そんなエルザに少しでも興味を持たせようとAlfaが口を開いた。
「オリオン座にはこんな話があるのよエルザ。猟師オリオンを誤って射殺したその恋人アルテミス、彼女は自分が夜空を駆ける時に寂しくないようオリオンを星座に加えてもらったそうよ」
「へぇ、アルテミスって人は射撃の腕を磨くべきね」
「言えてる」
得意げに話すAlfaとティーセットを用意するエルザ。
その2人の光景はヘンリエッタにはどこか引っかかるものがあった。
何かを忘れているような、おぼろげな輪郭が頭から出ようと引っかかっている感覚。
悶々とした感覚の中に不意に温かなものがある事に気がついた時には、クーラーボックスから缶ビールを取り出したAlfaからの答え合わせが待っていた。
「まぁヘンリエッタに教えてもらった話だけど」
「私?」
「そう、あなたに。何でも大切な人から教わったんでしょ?そう言ってたわ」
そうだ、私はこれが初めてじゃない。
前にも望遠鏡でオリオン座を見た事がある。
前にもこの哀しいお話を聞いた事がある。
忘れていた忘れもしない大切な記憶を、ヘンリエッタは1つ思い出した。
「寒くなってきたしお茶にしましょう。サイガさんから貰ったお菓子もあるし」
「エルザってそんなことできたんだ」
「お母さんから色々学んだもの、Alfaはどうする?」
「ビールがあるからいいわ」
慣れた手つきで淹れられたお茶の良い匂いに、ヘンリエッタはわぁっと声を上げた。
「このジャムをどうするの?」
「ジャムを舐めて紅茶を飲むのよ」
ジャムの盛られた小皿をもらい一匙舐めると、ヘンリエッタの顔がパッと笑顔になる。
それを見たエルザはとても満足そうにして注いだ紅茶を差し出した。
「皆とお茶会をするのは初めてだけど楽しいね」
「初めて?」
「……もしかして前にもあった?」
「前の事なんて関係ないわ、今が楽しければそれで十分じゃない」
「そうそう、指揮官もよく言ってるわ。そしてジェリコに怒られてる」
そう言って缶ビールを流し込むAlfaの物言いに、その光景を想像したヘンリエッタ達は笑う。
こうして少女達は澄み切った満天の夜空を背景に楽しく談笑に興じる。
美味しいお菓子で小腹を満たし、友と笑い合い、冷たい夜風の中を温かい紅茶で暖を取る。
とても楽しく、とても温かい、ずっとこうしていたい思い出。
でも私はいつかこの事も忘れるのだろうと、ヘンリエッタの心を不意に冷たい物が襲った。
でも不思議とそんな冷たさはどうでも良かった。
「ヘンリエッタ、どうかした?」
「寒いなら毛布とか持ってくるわよ」
「ううん、何でもないよ。ただ……何だか嬉しくて!」
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「ごめんなさい電話がきたわ。もしもしお父さん?うん……うん……え、ジョゼさんが?分かった、ヘンリエッタに伝えておくわ」
「エルザ、ジョゼさんに何かあったの?」
「ジョゼさん、お酒を飲み過ぎて寝ちゃったみたい。だから今夜は泊まるようにって」
「大丈夫かな……」
「スプリングフィールドさんが着いてるから大丈夫よ。それよりヘンリエッタはどうするの、私の部屋に泊まる?」
「どうせならこのまま屋上に泊まりましょうよ。私前線基地用の倉庫からテントと寝袋を取ってくるわ」
駆け出したAlfaに置いていかれ、2人だけになった屋上。
少しの静寂を取り戻した夜空の下でヘンリエッタは不意にエルザに問いかけられた。
「ねぇヘンリエッタ、今幸せ?」
「え?うん、幸せだよ」
「嘘、あなた悩んでるでしょ」
「……なんで分かるの」
「私もそうだったから」
紅茶で温められたエルザの小さな口から白い息が出てくる、フーッと息を吐ききる様はどこか父と慕うサイファーと似ていた。
あるいは似せようとしていたのかもしれない。
「稀にだけどね。稀にだけど、体の震えが止まらなくて、もうジョゼさんのお役に立てないって思ったり。ジョゼさんとの大切な思い出を忘れたらって思うと何も考えられなくなるの……ジョゼさんに捨てられたら私は……」
「そう、意外ね」
「?」
「ジョゼさんってそんな簡単にヘンリエッタを捨てられる人だったんだ。薄情者ね」
「違うッ!」
どこか嘲る様なエルザの物言いに、ヘンリエッタは和やかな空気から打って変わって悲痛にも見える怒り顔でエルザに詰め寄る。
自身の担当官であり大切な人でもあるジョゼを侮辱されるなどヘンリエッタには我慢ならぬ事であった。
「ジョゼさんは薄情なんかじゃない!私を捨てたりなんかしない!だって、だって……これからも私のそばに居てくれるって、そう言ってくれたもの!」
そんなヘンリエッタの訴えは、しかしエルザに何の影響も無い。
エルザは淡々とロシアンクッキーを口に運ぶと、サイガお手製の味を楽しんで紅茶を飲む。
「そうなの。なら何の心配も無いじゃない」
「え?」
「だってジョゼさんがそう言って、ヘンリエッタはそれを信じてるんでしょ?ならそんなに不安になることは無いわ」
「え、あ……うん」
何だか毒気を抜かれたような、拍子抜けをくらったような感覚のヘンリエッタに、エルザはクッキーを差し出す。
渡されるがままクッキーを食べると甘く優しい味がヘンリエッタを落ち着かせた。
「大丈夫よ、ジョゼさんはヘンリエッタを見捨てたりしない。だってお父さんやお母さん達グリフィンの人がついているもの」
どういう理屈なのかは分からない。だが自信ありげにそう言い切るエルザに安心しないと言えば嘘になる。
「そう、だね」
でも確かにそうだとヘンリエッタは思った。
私はジョゼさんを信じている、そして信じているジョゼさんはそばに居てくれると言った。
なら信じよう。
そんな単純でなんとも浅はかではある考えだが、ヘンリエッタにはそれで十分だった。
「安心した?」
「うん。何だかさっきのエルザ、サイファーさんみたいだった」
「本当に?ちょっと嬉しい」
「ヘンリエッタ、エルザ!テントと寝袋を借りてきたわ!」
まだまだ夜間観測は続く。彼女達は普通の少女として星を見て、やがて寝袋に入り、寝入るその時までおしゃべりが続いた。
「昨夜は迷惑をかけた、色々と話してしまったよ」
「迷惑になんて思ってないさ、むしろ役に立てたのかが気がかりだ」
「そんなことはない。僕は十分に楽にさせてもらった」
こんなにも朝日を感じたのはいつ以来か。
ジョゼはある種清々しいような、または憑き物が落ちたかのような感覚と共にサイファーや戦術人形達に見送られる。
「ジョゼ、出会った中で今が一番いい顔をしている」
「そうか……ありがとう」
「おう、公社に戻っても元気でな」
2人は固く手を握る。互いの手を伝う熱と力は確かな、言わば友情とでも言うべき存在をひしひしと感じさせ、荒れかけた心に光を見つけたような気さえ覚えた。
この男が居なかったら自分はどうなっていただろうと、兄の言うがままに、妹に言われるがままに。
否、他人に理由を押し付けていたのではないかと思う。
「おはようございます!ジョゼさん」
「おはようヘンリエッタ。夜は楽しかったかい?」
「とっても!」
駆け寄るヘンリエッタをジョゼは優しく迎える。
小さな体に大きな銃を抱えたこの子は妹ではない、だが確かに自分達はフラテッロなのだ。
「ジョゼさん?」
「あぁ……そのP90、直ったのかと思ってね」
「はい、なるべく元の状態で、最低限のパーツ交換だけで済ませてもらいました。この銃はジョゼさんがくれた大切な物ですから」
照れているのか恥ずかしそうに話すヘンリエッタの手を取り愛車に向かう。
「今度はジャンも連れて来てくれよ。一緒に飲んでみたい」
「どうだろうね、兄さんはそう言うのが好きじゃなさそうだし。特にサイファーからの誘いとなると難しそうだ」
「そうか、まぁ時間はあるからいいさ。それじゃなジョゼ、また会おう」
愛車であるポルシェに乗り込みエンジンをかける。
ふと、声が聞こえた気がした。
『ねぇジョゼ兄様、兄様はやっぱり私よりもヘンリエッタが大切なのね』
当たり前だろう。
『酷いわ、私は兄様の可愛い妹なのに』
ふざけた事を、お前はエンリカじゃない。
エンリカは誰かを消せと唆すような子じゃない。
幻覚は所詮幻に過ぎず、死者と生者の区別を付けなければならない。
そしてなにより、エンリカを人の命をもてあそぶような悪霊するつもりはない。
アクセルを踏んでエンジンが唸る。重厚なグリフィンのゲートをくぐる頃には幻覚は消えていた。
「どうかしましたか?」
「……何でも無いよ。それより、グリフィンの子と夜間観測をしたんだろう、聞かせて欲しいな」
「はい!エルザも加わって3人で大きな望遠鏡を組み立てました。それから星を見ながらお茶をして……それで、思い出したんです。前にもジョゼさんと星を見たこと」
助手席に座るヘンリエッタがいつもより幼く、小さく目に映る。
しかしそれも幻覚だったかもしれない。
「でも思い出せました、ジョゼさんとの思い出をたくさん。だから私はジョゼさんを信じます。素敵な思い出を作ってくれたジョゼさんを信じてます」
全幅の信頼を寄せるヘンリエッタの笑顔。
ジョゼは不思議と、それが条件付けによるものではなく、紛れもないこの子の本心であると。
そんな確信に満ちた納得が溢れるようだった。
そしてこの子はヘンリエッタであると、エンリカではないのだと、気づいたのだ。
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「大人しくしろ、今さら何をしようが無駄だ」
街灯からも離れ、月の明るさも届かぬ裏路地。
男は聞く者全てがゾッとするような声で語りかける。
その相手は銃創から止めどなく血を流し、激しい痛みを堪えながら気丈にも男を睨む1人の男。
エルザを奪われたとして左遷された元担当官のラウーロであった。
「大人しく従えば、見逃してくれるのかよ……えぇ?」
「投降すれば事が終わるまで拘束されるだけで済む。お前も死にたくはないだろう」
ラウーロは男の言葉を鼻で笑い、おぼつかなくなる脚に力を込めた。
そして男を睨みつける、男の付けているサングラスに反射する自分を睨むように。
「俺はな、あの子に……エルザに、何もしてやれなかったんだ。だから俺はやるんだ」
「たかが義体のためにそうまでするのか」
「あぁそうさ、あの子のためになッ!」
隠し持っていたコンパクト拳銃を抜き男に突き付ける。
小口径とはいえ当たり所が悪くても致命傷となる程の至近距離、ラウーロは生き残るべくトリガーに指をかけた。
銃声が2つ。
「ぐぁッ!?」
遠く離れた距離から放たれた7.62×54R弾の一発はラウーロの腕を打ち抜き、二発目が胸を貫く。
ドサリと倒れ伏し、ラウーロにもはや助かる術は無い。それでも彼は残された腕を必死に伸ばし男の行く手を阻むように男の羽織るコートを掴む。
「おれは……おれはまだなにも、してあげて……やっとサイファーのところで……しあわ」
男は表情を変えず、最後の力を振うラウーロに拳銃を向け引き金を絞る。
サプレッサーで減音された銃声がくぐもり、コートの裾を掴むラウーロの手から力が抜けた。
「忌々しい男だ」
男はしゃがみ込むと事切れたラウーロの目をそっと閉じさせた。
『そう、それでいいのよ。邪魔な者は今まで通りに殺しなさい』
痛みは宿主を変え、より強力な痛みを持って心を蝕む。
『だって兄様にはそれが許されるのだから』