レスティアートの髪を乾かし終わった後は、リビングのソファに座らせて櫛で梳かしていく。
白い細糸の髪は滑らかな手触りだ。空気か水に溶けるんじゃないかというほどに。
「……ディア。今日は……ありがとう、ございました。それから、ごめんなさい」
何に対する礼と謝罪なのかは考えるまでもなかった。
髪を梳かしていた手が止まりそうになりつつ、どうにか言葉を返す。
「……いや……なんつーか俺も……お前の覚悟を甘く見てた。別にレティの今までを、否定したいわけじゃなくて──」
「わかってます。……わかってるから、大丈夫です。精霊としての実力と、恋人としての評価は関係ない、って話ですよね。とてもキリセの心遣いを感じます。私、愛されてますね!」
「……」
「な、なにか言ってくださいよ……」
「え。いや別に訂正すべきところも何もないし……」
コミュニケーション率、百パーセント。
すれ違い、勘違い、誤解の要素ゼロ。完璧な解釈に、どうケチをつけろと言うのか。
「……私ばっかり意識してるみたいで恥ずかしいんですけど。でも、安心しました。きっとキリセなら、私がいつか間違った道や、誤った選択をしそうになった時、殺してでも止めてくれそうで」
「どうだろうな……五分で心中する覚悟くらいはあるが……」
「しっ!? だ、ダメです! 私はともかく、キリセは逃げてください!」
「つーか、お前を殺したら俺も死ぬんだろ。どっちにしろ心中だよ」
「あぁぁ……!?」
愕然と天を仰ぐレティ。わなわなと震えている。背を向けられているので、その顔が見れないのが実に惜しい。
けどまぁ。
「俺は殺したくねぇよ。絶対」
「……はい、分かってます。私も気を付けます」
「じゃ、今日みたいな無茶は二度とするなよ」
「……ぜ、善処……します……」
「駄目だ。約束しろ」
「や、約束──って」
「破っちまうのが怖いか?」
問うと、こくん……とためらいがちに頷かれる。
まぁ確かに、ここでどう言っても口約束になる。界域では何が起こるか分からない。時には、また……今日のように、レティ任せになってしまうことも、これから無いとは限らない。
「だったら、必ず俺を巻き込め」
「え……」
「あの殲滅術、光剣を撃ってる時は無防備になってただろ。これからは使う時、ちゃんと俺を連れてけ。恋人を守るくらいの働きはしてみせる」
それがせめてもの妥協点。
英雄としてなんでも背負い込みがちなこいつには、丁度いいくらいだと思うのだが。
「なんで……そんなに普通なんですか。そんなこと、言ってくれるんですか。あんなの見たら、普通、怖がるところでしょう……?」
「あのな……俺はお前に殺されながらお前に惚れたような奴だぞ。あの程度じゃ怯まない。というかアレ、別に人間相手に使ってたわけじゃ──」
「使う可能性だって、あるんですよ」
硬い声色、だった。
まるでその一線、その危険性を無視することは許さない、と暗に言いたげに。
「……あなたは分かっていません。この力の恐ろしさを。常に霊力を制御しなければ、破壊しかもたらさない。暴走なんかした暁には……指向性もなく、全てを滅ぼしかねないんです」
──真面目な話。
破壊精霊レスティアートというのは、初めに人類が召喚するには大きすぎる力だった──らしい。
存在するだけで次元に軋みを上げさせ、世界を圧殺しかねない情報の塊。彼女がその身に宿すものは、彼女自身の意志によっていくらでも形を変え、出力の仕方さえ変わるだろう。
かつて彼女を召喚した者たちが、彼女に「使命」のみを与えて戦場に放逐したのは、制御をもはや諦めていたから。
使い倒して使い潰して使い捨てて、それで終わり。
彼女は世界を救うために
それを前提として考えるのなら、確かにそう。
英雄ではなく、精霊でもなく、「恋人」として彼女を求める俺は、相当に危ない橋を渡っているに違いない。
「私の意志一つで壊れるような世界に生きるあなたは……私が怖くないんですか?」
…………とてつもなく重大で、今、とても大事な問いを投げられているのは分かる、のだが。
この空気の重さに合わせて、俺も俺で相応に決まった答えを返したいのは山々、なのだが。
しかしなぁ…………
「うーん……レティに壊されるのは本望だし、怖い以前に愛してるって感情が大部分を占め過ぎていてうまく測れないし、究極的にお前が幸せなら世界とかどうでもいいっつーか」
「ぶ、ぶっちゃけすぎです!?!?」
弾かれたようにレティがこっちを振り向いた。顔が真っ赤。ついさっきまでシリアスな顔してただろうになー、かわいいなー。
「ぶっちゃけるも何も本心で……」
「くっ……! よ、予想以上にディア、私に夢中ですね!? 恋は盲目って言葉、知らないとは言わせませんよ!?」
「じゃ、愛は贔屓目って知らないのか?」
「しっ……知りませんし聞いたこともありませんよ! そんな言葉、ないですよね!?」
「……」
「……え、あ、あるんですか……?」
そこで信じかけちゃうのが本当にそういうところだと思うぞ、レティ。
こんなお前が「世界を滅ぼす! はかいしん!」とか、どうやって想像しろというのか。
本人に説得力が大いに足りていない。
まずはその可愛いさ度をどうにかしろ。
「~~ッ! 念話で! 妙に一理ある感じの反論をしないでくださいっ!」
「ならこうだ。『かわいいは正義』──現代の最先端哲学が見出した真理が一つだ。そんなに可愛いお前が! 世界を滅ぼしても! 正義!!」
「そんなわけありませ──ん!! もっとまじめにっ……!」
「真面目だよ」
真面目だし本気だ、と櫛を片手に俺はレティを見据える。
「お前を怖がる? 好きなんだからありえない。レティが世界を滅ぼす? そうかなるほど、そりゃ大変だ。──そこでお前が助けを求めるなら、俺は全力で止めるし、どこまででも付き合うよ。まー、うっかり世界を敵に回した時は……二人でどっかに行こうぜ」
逃げの選択肢もあり。
どんな結末だろうと、俺はレティが幸せであればいい。
「?」
ぽすん、と脱力したようなレティが、こっちの胸に頭を預けてくる。
どうしたというのだろう。ロリが胸に飛び込んできたのなら、それを抱きしめる以外の選択などあるのだろうか? いやない。なので当然のように抱き締める。
「……あなたといると、まるで精霊じゃなくなったみたい」
「精霊でも英雄でもなくなってろ。俺の前では」
「あ、あんまりカッコいいことばっかり言ってると、カッコいいですよ!」
「どういう意味だよ」
ははっ、と笑ってしまう。つられたのか、レティからも笑い声がした。
「もー……なんか色々と考えてきたのが馬鹿らしくなってきました……ディアって馬鹿なんですね、よく分かりました。どうりで私以外に恋人が作れないはずです」
「レティ以外はいらねぇよ……まあ、だからこれは他意はなく、好奇心だけで訊くけど……もしもお前以外の女とか作ったら、どうなるんだ?」
「とりあえず皆殺して世界を滅ぼす」
────────おお。
────なんと、頼もしい。
──破壊の精霊様なのでしょうか──!
ものすげー淡々と事務報告じみた返答に、初めてレティの前で寒気がした。敬語が消えただけで凄まじい迫力。この娘、ハーレム系とかの適性が驚きのゼロパーセント。俺に世話を焼いてくる幼馴染ヒロインとかいなくてよかった!
「ディアは……キリセは私のものです……私の
ヤンデレ? いや一歩手前?
なんかそんな感じの暗いオーラを放ち始めているレティだった。心なしか、カタカタと部屋の家具が揺れているような気がする。まずいまずいまずい。
「そっかー、嬉しいぞー、俺もレティが浮気とかしたら嫌だからなー?」
「っ!? そ、そんなことありえません! 無用な心配です! 安心してください!!」
一瞬でレティの様子が元に戻る。室内の謎の震動も収まった。
……もしかして俺って、結構、世界の運命を握ってしまったのかもしれん。
◆
飯は食った。風呂に入った。歯も磨いた。
やることなし。
午後九時すぎって頃合いだが、初陣もあって疲れたので、早々に寝入ることにした。
──だというのに。
「一緒に寝るのか……?」
「……ダメですか?」
「……じゃないが……」
部屋はたくさん。寝室も二人ぶん。
だから俺用、レティ用と私室を分けているってのに、やはりこの精霊様は俺に引っ付いてきた。
入院中からの恒例、添い寝スタイルの就寝である。
しかしこう、やはり困る。クッソ緊張する。さんざん口説いといて何を、と言われるかもしれないが、夜に女子と二人っきりって……なぁ!? 高校生には早すぎる世界じゃねぇの!?
「……なぁ。あの、やっぱ俺だけ床に寝とくとか……」
「……キリセと一緒がいいです」
「あ、うん……」
名前を呼ばれると駄目だった。俺は弱い!
そんなこんなで布団にイン。なるべく俺は壁際の端へ寄っていくが、すかさず後ろからレティがくっついてくる。
……ああ……また良い匂いと柔らかさが……温かさが……でもって背中に引っ付かれてしまうと、寝返りを打った時に潰してしまいそうで怖い。なので必然、俺は仰向けになる。
このまま維持して……後は朝を迎えるのみ……
指先動かさず、微動だにせず……早鐘を打ちまくっている心臓を、呼吸を整えることで落ち着かせながら……修行か?
「……ディア。ぎゅっとしてください」
「……」
無言のまま、レティの手をぎゅっと握った。
不満げな視線、空気を感じたが許してほしい。──と、天に祈っていると。
「……世界を」
「どうぞ」
「そ、そこは止めてください! 慌てたディアが、ぎゅっとしてくれるところでしょう!?」
知らん知らん。世界よりも安眠だ。世界とレティかどっちかを天秤にかけられたら断然レティだが、世界か安眠かをかけられたらそりゃあ安眠をとるに決まってる。……というか。
「……さっきお前、霊力を常に制御してるっつってたが……それって寝てる時もか?」
「それはもちろん。これくらい無意識下でやれないと、日常生活なんて送れません」
常に霊力を制御……だからこそ、あの卓越した霊力操作か。合点がいく。
しかしなんでもない事のように言うが、そんなの想像を絶する生活だ。普通の精霊はそんな事しないだろう。上位であれ下位であれ、多少の霊力は体外に漏れてしまうもの。レティの場合はそれを一切零さず、宇宙空間で息を停めているにも等しい。
ほんの少しでも零してしまえば。
そこには、破壊がもたらされる。
「……だから、怖がるのが普通です。普通なんです……なのにディア、全然そんな顔しない……」
「そりゃあ、好きだからな」
仮に、俺たちの出会いがもっと違うものであったとしても。
レティが破壊の化身として街を歩いていたとしても──俺は焦がれてしまうだろう。
あの少女に近付きたい、と。
「……ほんとうに馬鹿ですね。いいです、約束、します。さっき言ってたこと……無茶する時は、キリセも付き合ってもらいます。……ずっと、私の傍にいてもらいますからねっ」
「ああ。任せろ」
即答した。彼女の願いに応えるのが俺の意志であり全てだと。
決して軽い気持ちで言ったわけではない、──が、おそらくそれがこの後の展開を完全に決定させたのだろうと、後に俺は思う。
「……ではさっそく、ちょっとした相談なんですけど……」
「ん? どうした?」
「私って今日、すごく働きましたよね」
「そうだな。色々と反省点はあれ、戦果としては凄いもんだ」
「はい。それでそのぶん、霊力もたくさん使ってしまいました」
「…………霊力?」
──そこでようやく思い出す。いや、どこかで無意識に排除していたその問題を。
レスティアートの霊力。全盛期の二分の一。そう、あれだけの光景を展開しておきながら、今日の彼女は全力ではなかった。それは俺と命を共有して救ったせいで──
あれ?
じゃあ待て。今のレティって、霊力どんだけ残ってるんだ?
「今も、ディアの近くにいることで少しずつ霊力は回復していますが……再び戦場に立つには、ぜんぜん足りません。自然回復を待つとなると、向こう半年以上は無力ですね」
「は、半年」
じゃあええとちょっと待て。だったら、その霊力の回復法は、かいふく、ほう、は──……
「ね、キリセ」
きゅっ……と右手を握られる。恋人繋ぎ。指同士を絡み合わせるように、“逃がさない”と言わんばかりの力強さを伴って、握られる。あ、ちょ、待ってマズイかもしれんこれ。
「い……言いましたよね。私、霊力が半分しかない、と」
「い、言ってたな」
「だから、その、今日で……いっぱい、使っちゃったので……」
「使っ……た……」
「霊力が、足りない……です……」
「……」
──いや。
もう皆まで言わずとも察していた。悟っていた。
なにせ同時に思い出していたから。いつかレティが提示した、霊力の回復法とは──
「より効率的な霊力の回復には、契約者の体液……現世の情報を優先的に取り込む必要があります」
「そ……うか」
わざわざ再説明されてしまった。それも詳細に。分かりやすく。
「ご存じでしょうけど、精霊は霊力なしに生存ができない存在でして……」
「……だ、そうだな」
「このままだと……とても戦闘には、向こう半年は復帰できなくて……」
「……そ、うなのか」
「……濃厚な、接触が、必要です」
のうこうなせっしょく。
小学生風にひらがなにしてもダメだった。字面が終わっていた。
逃げ場も言い訳も釈明の余地もないほどに。
彼女が求めているのは、つまり──
「…………あの、血液とか」
「血の味を愉しめる舌は持っていません」
「…………だ、唾液とか」
「一度の摂取量が非効率的です」
「………………」
「……いっぱい、ほしいです」
……本気で、退路がない。
無くなっている。消え失せている。次元の彼方へ。
試練とかフラグとかラキスケ回避とか言っておいて、オイなんだこれは。
正面からこうも合理的に、理論的に、詰められるとは思っていなかった──ッ!
「わ、私は……事務的なものでも、ぜんぜん……」
事務的。
気持ちの伴わない、ただ効率性と必要性、合理性のみを優先したもの。
……ここまできて、よくもまぁ提案できたものだ。少し心配になってくる。
「……そういうのでいいのか、お前は?」
「ぅ……い、嫌です……」
「だったらそんなこと言ってんじゃねぇ。大体、無心で恋人貪れるような精神性してねぇよ、俺は」
「じゃあ……小さいから、だめ……?」
──その呟きに、思わず顔を向けた。
彼女を見た。
そこには頬を染めて、恥ずかしそうに。或いは、悔しそうに。
自分の胸に──握った俺の手を押し付けながら、レティはそんな殺し文句を言ってくる。
「わ……わたし、は、キリセが欲しい……です。キリセ……は、わたしのこと…………、」
「──俺も、欲しい」
もはや逡巡も、思考も自制もなかった。
彼女にここまで言わせておいて、応えないなんて、なかった。そもそも「頼れ」と言ったのは俺だ。その言葉を裏切るわけにはいかない。
それにだ。
理論と感情、両方の理屈を詰められて、耐えうる鋼の理性なんぞ俺は持っちゃいない。
……体を向けて、自由になってる左手で、彼女の輪郭に指を伸ばす。青い目を少し見開いたレティが、こっちの掌にすり寄った。──溜め息が出るほど、愛らしい。
「……あんまり、その。初めてなんで、上手くやれるか、分からない、ぞ」
「……私も知識でしか知らないので、その……」
「……ま、まあ、やってみるか」
「……で、ですね。実戦あるのみ……ですっ」
「じゃあ…………キスから?」
「そ、ですねっ。…………もっと、さわって……? んっ……」
小さな唇が触れてくる。表面をくっつけただけのそれは、少しずつ深まっていく。
左手が、腰の辺りに導かれる。服越しでも分かるほど柔らかくて、細っこい。そこで顔が離れると糸が引いた。じっ……と期待と甘さの混じった青い瞳が見つめてきて、どうにかなりそうだ。
「……ふふ。緊張、してますね……?」
「……お前は、しないのか……」
「今にも爆発しそうです。でも……それ以上に、幸せで……」
声音が、理性を蕩かしていく。
レティの右手が伸びてきて、首筋から、頬へ。此方の形を確かめるように撫ぜていく。
「……あんまり、面白みのない体で恐縮ですが……いいですか?」
「すげー好みだしレティのこと愛してるから何も問題はねぇ」
「っ!? そ、そそ、それは……なにより……です…………」
まだ不安そうな顔をしやがったので真顔で反論した。
こちとら会話、いや目撃するだけで常時最高の気分なんだぞ。問題なぞ存在するはずがない。
「……もっとキスしていいか」
「は、はい……」
「……触っていい?」
「も、もちろん……」
「じゃあ──」
そこでゆっくりと体を起こし、レティに覆いかぶさる。
見下ろした白い花嫁は据え膳状態。恍惚とした顔で見つめ返してくる。
「──たくさん、くれ」
「──はい。いっぱい……ください……」
……そこからの展開は語るまでもない。
休日のっけから、俺たちはお互い、最愛に溺れ尽くすことになった。