境界剣士の最愛精霊《レスティアート》   作:時杜 境

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41 幻滅

 ──辿る。辿る。辿る。

 精霊の気配を彼女は追う。その精霊の加護の軌跡を彼女は追う。追い続ける。

 一つ一つ、丁寧に。

 取りこぼしなど万一もないよう、念入りに──(つぶ)しながら。

 

「……小賢しい。痕跡が消え始めてますね。事ここに至ってなお、希望に縋りますか」

 

 教団のトップは眠りについている。

 ならば、動いているのは下々の者たちだ。彼らが望霊(エルピス)に願いをかけても消耗戦にしかならないが、それほどにこの破壊者が恐ろしいのだろう。

 

 チリッ、と彼女──レスティアートの近くで、軽く火花が散った。

 

「無駄ですよ、私に干渉しようとしても」

 

 天井の崩れた廃墟の中から、ふわりと彼女は上空へ飛び上がる。虚空の向こうへと視線を向ける。

 逆探知。今の干渉経路を辿って、次の目的地への移動を開始する。

 

「私は『破壊』という概念そのもの──どれだけ願おうと、当たった瞬間に砕けるだけ。逃げられるなどと、思わないように」

 

 その姿は次の瞬間、境界の壁を突き抜ける。

 ばりんッ!! とガラスを割ったような空間の出入り。彼女の眼下にはもう、別の界域の風景が広がっていた。

 

 目標地点さえ定めれば、境界の距離などゼロと同じ。自分と界域との()()()()()()()()()のだ。結果、まるで空間転移じみた移動になっている。これほど無茶苦茶な芸当が出来るのは、破壊の大精霊たる彼女以外にいまい。

 

「……あそこですね」

 

 多くの界域と同じように、濃霧に覆われた空間。

 だがその中には、一つの巨大な建造物がそびえていた。中心へと向かって大きく渦を巻く城郭。天上へと鋭く突き上げた中央塔。異様な形状をしたその巨城は、界域内の情報が複合して生まれた産物だろう。

 

 教団の総本部。

 その最奥に、標的はいる。

 

「──……む、いけません。ディアの気配が近づいてますね……」

 

 精霊とその契約者には繋がりがある。それを通しての感知に、彼女はやや苦い顔をした。

 会いたくないわけではない。決して。

 むしろ今すぐにでも無事を確認し、めいっぱい怒られてもいい気持ちの方が大きい──が。

 

 会ってしまえば決意が揺らぐ。怒りが遠のく。殺意が薄れる。

 いつも通りの、恋人に戻されてしまう。

 

 それは、今だけは嫌だった。

 

(……あなたは、どんな私でも綺麗だと言ってくれるでしょうけど……)

 

 情け容赦なく、感情のまま相手を殲滅する姿。

 これまでの関わりから、彼がその程度で揺らぐことはないだろうと彼女は知っている。

 しかし、だ。

 

「──私にも、見られたくない姿があるのです」

 

 杜撰な猫かぶりにしかならないかもしれないが。

 それでもこんな行いをしている自分を見られたくはなかった。猫かぶりだろうと見栄っ張りだろうと何と言われても──好きな人には、キレイな自分だけ見ていてほしいから。

 

「ごめんなさいディア。お説教なら、全てが終わったあと、いくらでも聞きますから──」

 

 身勝手なエゴ。乙女心は時に刃となって、相手に襲い掛かる。

 

 

     ◆

 

 

「うっ、おグッ……!?」

 

 今まさに、界域に踏み込もうとした瞬間だった。

 急激な息苦しさに俺は膝を折る。そのまま地面に手をついた。

 

『ん? おい、どうした。魔獣か?』

 

「いやッ……違う……!!」

 

 これは──レティだ。レスティアートによるものだ。

 俺の接近を察知したのか、恐らくこっちの生命維持に回す霊力の量を制限し始めた。生きているだけなら支障はないが、移動すらままならない状態にされるとは……!

 

『あー、そっか。彼女ちゃんね。おまえ、命握られてんだっけ。分析は前会った時にしてやったけど』

 

 分析──というのは、喫茶店で再会した時のことだ。

 その時に俺は、こいつにある疑問を解いてもらっていた。

 

「“なんで俺の身体は、レティの破壊の霊力を受け入れて平気なのか”……だな」

 

『斬世は存在ごと上書きされてる。新生、ってやつだな。人間から精霊の眷属へー、的な。いや、ただの精霊や大精霊に成せる神業じゃあないんだけどね。あの子、どっかの神様かもよ?』

 

「レティが女神級に可愛いってことは否定しねぇよ」

 

『しかし驚くべきは、あくまでもおまえは()()()()()、ってことだ。人間という中心核を傷つけず、傷ついた命だけを摘出して自分に同期させる。今の科学技術でも到達していない奇跡の域だ。まさしく天才だね』

 

 存在の輪郭(フレーム)の上書き。

 外側だけ変えて、中身の人間部分はそのまま──と考えると分かりやすい。こういった眷属化じみた行為は、まったく同じ存在、同じ規格、同じ種族にまるっと書き換えた方が手っ取り早いらしいが、そこをレティは器用にこなしたのだ。

 

『つまるところ、斬世は彼女の霊力に依存した生命(にんげん)になった。タフなおまえが二日も寝てたのも、その辺りが原因かもね。敵方の殲滅に霊力を割いていたから、おまえの生命維持は最低限にされてたってワケだ』

 

「ゾクゾクする話だな」

 

『なんだこの純愛の変態』

 

 ともかく──このまま撤退、なんてのは選べない。

 レティがどんなつもりで俺を拒否しようと、関係がない。

 

(──独占欲が強いのはお前だけだと思うなよ、レティ……!)

 

 俺のために怒って、色々やってんのかもしれねぇけどな。

 恋人に置いてかれた上、別の男に夢中になってるなんて現状、男心的にはキツいもんがあるんだぞ……!

 

『で、どーすんだよここから。彼女ちゃんがいそうな界域へのルートはあるけど、せめて走れないと魔獣に食われて終わるぜおまえ?』

 

 うるせぇ、と心中で舌打ちしながら、壁に寄りかかりつつも立ち上がる。

 ……ッ、歩くだけならどうにか……ってところだが、これじゃあ追いつくことなんて夢のまた夢だ。立ち往生したまま、何も出来ずに終わってしまう──!

 

 

「──あれ? 斬世? そんなところで何やってるの?」

 

 

 知っている声に、知らず息が止まった。

 苦労して後ろを振り返ると、そこには何故かソフトクリーム片手の男子高校生。黒髪私服の、馴染みあるその顔は──ていうか良夜だった。

 

「良夜ァッ!!」

 

「キャーッ!?」

 

 天の助けかと勢い任せで叫ぶと、女子ばりの黄色い悲鳴を上げられた。

 アイスを落としそうになりながらも、そろそろ~……っと彼はこちらに近付いてくる。

 

「な、な、な、なに? っていうか斬世、入院したって聞いてたけど……? なんでこんな所に?」

 

「お前こそ。今日は平日だろ……お坊ちゃんが良いご身分だな?」

 

「うっ。こ、これはそのぅ……下調べというかぁ、デート先のリサーチっていうかぁ……」

 

 もごもご、とアイスを食べつつ目を逸らし始める良夜。

 だが経緯はどうだろうと、このタイミングで来てくれたことには感謝しかない。最高だよお前。

 

「良夜──ちと白銀竜(ジャック)、貸せ。俺はレスティアートのところに行かなきゃならねぇ」

 

「え。ど、どういうこと? 何があったの? ていうか斬世、なんか顔色悪くない!?」

 

「いいや、お前のお陰で絶好調だ。この上なくな。そしてお前が(あし)を貸してくれれば完治するッ!」

 

「えええええ!? ぜんっぜん、話が見えないんだけど──!?」

 

「いいから貸せェッ!! 急ぎなんだよ!」

 

『これはまさにチンピラの所業』

 

 もうなりふり構わずに良夜に掴みかかる。

 ぎゃー、とか叫んで泣きそうになっている友人を恐喝する不良が、そこにはいた……

 

 

     ◆

 

 

 ──男は生まれた時から全てを持っていた。

 地位、財力、権力、容姿、約束された上等な将来。

 首筋を覆うように流した柔らかい金色の髪は、陽射しに照らされてきらきらと輝き、穏やかな目つきの翆眼を整えた美貌は、通るたびに人々から羨望の眼差しを注がれた。

 

 ただ彼は、ありとあらゆることに、興味がなかった。

 

 それはある意味、統治者としては理想的な在り方だった。情を解し、計算もでき、能力があり、人望もあるならそれは、皇族の“目立たない”一人として数えられる優秀さだ。仮に国に大事が起これば、代わりの統治者として十全な働きができる程度には。

 

 その日も、男にとっては皇族の仕事に忙殺された、ありふれた一日だった。

 仕事終わりに、少し庭園をぐるりと巡る。日課というよりは習慣じみたその行いは、彼自身、意味も効果も分かっていなかった。疲れたから巡るのではなく、仕事が終わったから巡る。それだけのものだった。

 

 ただ一目、白い“彼女”の姿を見かけるまでは。

 

「──────」

 

 入り組んだ緑の庭園の向こう、幼い少女もまた通りすがっただけだった。その姿はすぐに立ち去り、棒立ちになった男は、永遠に見惚れていた。

 

 この一瞬が、彼の過不足ない人生のヒビになった。

 生まれて初めて他者の造形というものに打ち震え、熱情というものを否が応でも理解した。

 

 ──少女が第一王女として公に姿を現し、呪われた姫の伝承になったのは、その翌日の事である。

 

 

     ◆

 

 

 彼女との接触は固く禁じられた。

 男だけではない。他の兄弟も含めた皇族、使用人たちまで全てだ。

 事件から数日後のこと。謁見の間に通された男は、皇帝と皇后に相対していた。

 

“アレの使い路が決まった。必要な処置を取り次第、『向こう側』の最前線に送り込む”

 

 それはただの報告だった。皇族の一人として、耳に入れておくだけの情報。

 皇帝の口ぶりからして、既に彼女は皇族の一員から切り離されているのだろう。血を分けた実の娘の名すら呼ばないとは。

 

「……まだ二桁も齢がないのでは?」

 

“問題はありません。既に必要な能力が揃っていることは確認済みです”

 

「……、」

 

 男の問いに答えたのは皇后だった。どうやら今の問いを、使命を遂行できる確率への疑念ととったらしい。

 ──そうではないだろう、と一般的な感覚で彼は思った。それはこれまでの彼の人生で、一度としてなかった、人らしい感覚だった。

 

「……他の用途には使えないのですか? 我が血族から生体兵器を生み出したとあっては、他の国々からどんな謗りを受けるか──」

 

“問題はない。()()()()()()()()()()()

 

 ──そこで男は悟った。

 これは本当にただの報告だった。彼女は生まれる前から用途が決まっていたのだ。それは皇族なら、他の兄弟とて同じことだ。ならば先日の祭典の出来事も──

 

「お前らしくもないなセオドア。()()()()()()か?」

 

 不意の皇帝のその一言は、男の精神に衝撃を与えた。

 感じたのは──恐怖。わからない。()()()()()()()()()()()()()()()()()。以前と自分と今の自分で何かが変わった? 彼女を見かけたからか? それによる変化は、皇帝の目に留まるほどのものなのだろうか? 逆鱗に触れるような事柄なのか?

 

「そうか──いや、そうか。()()()()()()()()。では問おう、()()我が子よ。お前はアレの用途に異を唱えるか?」

 

「ぁ……、い、いえ、陛下の勅命に背くなどとは──」

 

「ではそれでいいのだな。現世のため、アレの消費を容認すると」

 

「そ、それは……」

 

 ──それは、なんだ?

 世界と個人。どちらが大事か?

 ……考えるまでもない。皇族として育ってきた者ならば悩むまでもない。多数か少数か。救うべきはどちらなのか。個人のために、世界を見捨てるなど────

 

「……全ては、皇帝陛下の、御心のままに。世界を──お救いください」

 

 ──あってはならないのだ。

 

 

     ◆

 

 

 それから十年の月日が経過した。

 その十年間、男は永遠に後悔し続けた。

 

 ──あそこで「否」と答えていれば何かが変わっていたのか?

 ──彼女ではなく、別の方法を用いた世界の救済が行われたのか?

 

 今となってはもう分からない。時間を遡行して事象を変えるようなことは不可能だ。皇帝と契約している大精霊(アイオーン)の守護がそれを阻む。故に男は未来に賭けるしか道がなかった。

 

 その日。彼女の使命が完了したのだと悟った。

 大陸規模の領土が現世に戻ってきたからだ。男は即座に捜索隊を編成し、探させたが──彼女の痕跡はおろか、行方すらも掴むことはできなかった。

 

“彼女は異界の果てに消えたのか?”

 

 ──ならば取り戻そう、と彼は誓った。

 何年かかろうとも構わない。仮に全て自分の空回りで終わることになったとしても、彼女にもう一度会いたかった。

 

 

 まずは自分に接触してきた教徒たちを利用した。皇族だからと此方を傀儡にしようとしてきたが、逆に組織を乗っ取り、非正規だが好きに使える集団を手に入れた。

 

 それから更に十年かけて、■■の召喚に成功した。直前まで告発しようと動いてきた国軍がいたが、教徒に願わせ、自分たちの行いと証拠を“なかった事にした”。

 

 ■■を求め、爆発的に信者たちは増えていった。何度か告発されたが、その度に消した。消した。消した。消した。不都合を塗り潰し、現実を改変する■■の力は絶大だった。

 

 半世紀近くが過ぎようとした頃、いったん方針を変えた。■■の力を以ってしても、“彼女”を召喚、ないしは探し出す対価が足りなかったからだ。そこで三十万ほどいた教徒たちを用いて、“彼女”に出会うために必要な寿命を獲得した。

 

 大儀式を良い機会に、表舞台から自分は退場した。死んだことに“なった”のだ。歴史に汚点を残すことなく、地道に再び信徒たちを獲得する期間が始まった。慎重かつ、狡猾に。

 

 

 ──そして何千年もの時の末、遂に“彼女”に繋がる情報を知った。

 その手掛かりは、研究を生業とするある家にあった。強力な精霊士を教徒たちの中から選りすぐり、襲撃作戦を行った──だがそれは失敗に終わった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 全滅──全滅だった。その家が作り出したらしい、()()()()()()()()()()は、完全に常軌を逸していた。男もまた、どうにか命からがら生き延びるのが精々だったほどに。

 

 口惜しいが、今は、時期ではない。

 

 長年耐え忍んだぶん、驕っていた節があったのだろう。まさか──まさかまさかまさか、今の世にあんな化物じみた人間がいるとは思わなかった。

 

 だが耐えることには──待つことには慣れている。

 

 故に待った。更に四十年、待った。不明の事故でその家が消えた時も、傍観に徹した。案の定、学園の長が調査に来たので、英断だったと知ることになる。それから裏社会の人員を集め、忘却の契約をし、足がつかないよう細工した上で、巡ってきたチャンスに賭けた。

 

 これが最後だと、半ば確信していた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今度の戦場は──船だった。持ち主らしい子供はあの家の者だと知っていたので、警戒を重ねて別動隊に任せた。男本人は豪雨が降りしきる甲板で、今回の最も大きい障害と相対していた。

 

「如月悠楼と申します」

 

 そう名乗ったのは白いスーツの初老の男。

 武器らしきものはI字の杖一本。中折れ帽を片手で押さえて佇む様は、隙だらけのように見えた。だが、それはブラフだとすぐに分かった。その異質な気配は、三千年と生きてきた男をしても、これまでに類を見ない傑物の予感がしたからだ。

 

「貴様は……何だ。何だ貴様は? 本当にこの世界の……()()()()()()?」

 

 皇族として養われた感覚が、直感的にそう言っていた。

 こいつは何かが違う。精霊士だの、人間だのという話じゃない。根本からして、在り方が異なっている。

 男の問いに、悠楼という人物は笑みを崩さない。物申さぬその態度は、まるで、まるで──

 

「──いいや、どうでもいい。私の邪魔をするつもりなのだろう? 排除させてもらうぞ」

 

「ええ、そうして頂けますと幸いです。私情はあれ、仕事もありますから……舞台に上がっていながら、何もしないというのは、あまりに脚本への誠意がない」

 

 ──なんだ、ただの傍観者気取りか。

 彼の評定はそこで終わる。目の前のモノの正体など、男の人生には関係がない。そのための生涯ではない。全ては彼女のため。彼女に出会うため。

 

 だが前述の通り、ここでも彼は運命に恵まれない。

 

「なぜだ……何故ッ!」

 

 彼女の顕現。彼女の契約。

 それを察知し、男は声を荒げる。愛が憎悪へと変わるのではないかと思うほど、この時ばかりは因果を呪った。彼女に失望した。

 

「ここまでやってきたんだぞ……ここまでやっても無理だというのか? ここまで来ても届かないというのか? 私は──私は、」

 

「貴方の軌跡もまた、私のような者からすれば刮目に値する『奇跡』です。そして貴方がたの価値は、どれも唯一無二に素晴らしいからこそ、互いに反発してしまうのでしょう」

 

 妄想語りの狂人の批評に付き合っている暇はない。

 如月悠楼は傷一つなく──雨に濡れた様子も無い佇まいで、息を切らす男を見つめている。それを無視して、男は悠楼の背後にある、船中へと繋がる扉を睨みつける。

 

「向かうおつもりですか? 止めておいた方がよろしいでしょう。今の彼女は、ようやくの安息に浸っているでしょうし。貴方は彼女をそれほどまでに想っていながら、穢そうと言うので?」

 

「──ッ」

 

 高ぶりかけていた、男の激情がそこで水を打ったように沈着する。

 ……そうだ。自分は彼女を想っている。ならば、彼女の幸せを認めることが自然な流れだ。そうではなくてはならない。自分は、まだ──彼女のために、何も出来ていないのだから。

 

(……ああ、そうか)

 

 ならば話は簡単だ。

 彼女の想いを穢さずに、その幸せを認める方法が一つだけある。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……いいだろう。私の生涯は──彼女のために費やすと、とうの昔に決めたのだから」

 

 

     ◆

 

 

 追体験も、そろそろ終盤に差し掛かっていた。

 『ヴァイス』という名を、家から解放された少年はようやく捨て去った。

 少年から青年へ。晴れて「刈間斬世」として孤独な生活が始まり、入学からの出来事が、穏やかに過ぎ去っていく。

 

 なり替わりの儀式を完遂する絶対条件はただ一つだけ。

 対象の過去に耐えること。乗り越えること。

 それが■■の出した方法だった。その果てに、大願成就の夢は叶えられるのだ。

 

 これは発生させた時点で、妨害も邪魔も入らせない。後はただ、己の精神力に賭けるだけ。

 三千年もの時間を耐え抜いた己に、乗り越えられぬ試練など存在しない。

 ──そう思っていた。確かにそう確信していたのだ。

 

 追体験が始まった十日目で、彼という追想者の自我は限界を迎えていた。

 

 凄絶な拷問があった。理不尽な実験があった。あらゆる痛みと痛みと痛みと痛みと苦しみと憎悪と怨恨と怒りを根絶し黙らせる、不条理と悪意と好奇心と合理を突き詰めた、人の手で造られた牢獄がそこにあった。

 

 当の少年は、ただ耐えた。

 狂わず。死なず。斃れることなく。

 耐えられるから、耐えただけだった。

 

 その後も人生は続く。未来は継続される。

 突き進む少年から、追想者の男は決して離れなかった。

 

 廃人になりながら──それでも。

 彼女に会うために。彼女に会うためだけに。会って──会って、会って、会って、会って、会って? 会ってどうしたいのか、どうしたいんだったか、もはや思い出せない。

 

 焦がれている。焦がれている。……焦がれている。

 あの一瞬に。

 全ての始まりに。

 だからもう一度会いたい。それだけの一念だけを残して────ああ、ようやくだ。

 

 

 ──白く顕現した姿。

 ──此方を見つめる青の双眸。

 ──彼女の全てに焦がれ、あらゆる意識が抹消された。

 

 

“……ああ”

 

 美しい──と、血だまりに沈む青年の眼を通して、男はようやく運命に手が届く。

 待ち続けた。焦がれ続けた。想い続けた。

 永遠に永遠に永遠に──この時を、待っていた。

 

 あと少し。

 あと少しで届き、全てが手に入る。

 自分は“刈間斬世(カレ)”となり、永遠の時を彼女と過ごすのだ──

 

 そう、思っていた。

 

 

 愛しい彼女に、心臓を握りつぶされるまでは。

 

 

“──────は?”

 

 意味がわからなかった。意味がわからなかった。

 何が──何が何が何が何が、起きているッ!?

 

 困惑と混乱の渦に、男は愕然としながら顔を上げる/青年はそれでも焦がれるように。

 視界には、悪魔のように口を歪めた人外の化生が映っている/その、全てに見惚れている。

 

「そう……あなたが……」

 

 やめろ。

 やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろッッ!!

 

 何も見たくない、と男は絶望する。

 目を離せない、と青年は歓喜する。

 

 こんなのは嫌だ、と男は拒絶する。

 死の間際まで感じていたい、と青年はこい願う。

 

 ……かけ離れる表裏の意志。

 ……乖離する二者の精神。

 

 確かに男は彼女を愛していたが、殺されたいなんて欠片も思っちゃいない。あれだけの理不尽に晒され、それでもしがみついて来た果てに殺されるなど、到底耐えられる仕打ちじゃない。

 

 たとえその果てに彼女と共に在れる運命に辿り着こうと。

 一度自分を殺した相手を、平然と隣に置くことなど出来やしない。

 

 つまるところ、彼はどこまでもありふれた人間だった。

 目の前の相手は、もはや精霊という理解の外の怪物にしか見えなかったのだ。

 

 ……末に。擦り切れきった意識の端で、男は悟った。

 

 

 私が焦がれ続けてきたモノは こんな化物だったのか

 

 

 ──それが決定的なものになった。

 砕け散る。追体験の世界が終わる。

 男は決してその先の彼らのことを知りはしない。

 あとたった一秒だけ耐えて(待って)いれば、彼女が口付けし、望んだ全てが手に入ったことなど──決して。

 

 なり替わりの儀式はこうして終わる。

 希望さえ捨て去った男に残されたものは、自分で構築してきた灰色の現実だけだった。

 

 

     ◆

 

 

「──ぁ──」

 

 目を、覚ます。

 拠点にしている城の祭祀場だった。奥にある長方形の祭壇の上で、男は──セオドアは我を取り戻し、心の底から安堵する。

 

 ──だが。

 

「ああ──よかった。ちょうどよく目覚めてくれて」

 

「ひッ……!?」

 

 怖気の走る声に、引きつった音が喉から出る。

 がばりと素早く上体を起こした男は、部屋に入ってきたばかりらしい、扉近くに立っていた存在を目撃する。

 

「事の元凶を、眠ったまま滅してしまっては芸がありませんからね──さ、遺言をどうぞ。洒落の利いた一言を期待します」

 

 白髪の乙女、青眼の精霊──レスティアートだった。

 破壊の大精霊。呪われし英雄。かつては焦がれ続けた女。

 かつてならば歓喜に頬を緩ませもしたろうが──今はそれに対して、恐怖しかない。彼女という存在そのものに。自分の人生を破滅に追いやった、最悪の存在に。

 

「あら? どうしたんですか固まって。貴方、私が好きなのでしょう? だからディアに手を出したんでしょう? 良い度胸ですね本当に。ええ──本当に」

 

 ぎりぎりと、彼女の右手は握っている白銃を軋ませる。

 銃口はまだ向けられていなかった。それでも一秒あれば、彼の生涯を閉じるには十分すぎる。

 

「青ざめていますよ、お義兄(にい)さま? そんなに私を怖がるなら、初めから国と運命を共にしていればよかったのです。貴方の器はその程度に調整されていた。公爵家から取った養子たちは、皆そのようにして生涯を終えていったはずです。だというのに貴方は────」

 

「あ、ああ……あああああ!! うわぁああああああアアアアアッッッ!!!!」

 

「ちょ、」

 

 尋常ではない恐怖の咆哮(こえ)を上げながら、セオドアは転がるように祭壇から飛び降りる。そのままバタバタと奥に繋がる道へと消えていき、祭祀場から逃げ出した。

 完全に想定外の反応に、思わず呆気に取られてしまった少女はすぐに気を取り直し、白銃を構える。

 

「……そう簡単に逃げられると思わないことです」

 

 白き処刑人は歩き出す。

 個人的な恨みや怒り、因縁に決着をつけるために。

 帝国が遺してしまった失態(エラー)に、一族の娘として──始末をつけるために。

 

 

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