結局レスティアートの着替え類はぜんぶ斬世の部屋で見つかった。
なんで一式揃ってんだよ、と顔を引きつらせながら、斬世がそれらを洗面所に放り込み、一連の騒ぎは解決を見た。
そして入浴の順番が入れ替わり、次は斬世が着替えを探した──が。
「……下着はあるが服がねぇ。お前の部屋にないか」
「あるわけないと思いますが……まぁ、一応探してみます」
ネグリジェに着替えたレスティアートは、そう口を尖らせながら己の自室と思しき部屋に踏み込んだ。
ちなみにどうして自分の衣類が彼の部屋にあったかは考えない。考えたら、こう、記憶喪失前の自分への信頼が瓦解しそうな気がした。なので今は考えない。
そして数分もしない内にレスティアートは自室から外に出た。
その両手に、何十枚もの男物のシャツとズボンを回収して。
「……提出物はこれで以上か?」
見下ろす斬世の視線が突き刺さる。
白髪幼女の顔は、なんともいえぬ表情で頬を染め、顔を逸らしている。身に覚えのない罪の証拠を暴かれたように。
「し、知りませんよっ。っていうかなんでお互い、仕舞ってる部屋が逆なんですか! それとも想定した部屋が逆だったんですか!?」
──普通にその可能性はあるが、いやないだろう、と斬世は頭の中で却下した。
(……こいつが自分の部屋に自分のスケッチ置いとく意味も分かんねぇしなぁ……)
が、それをここで証言する理由もないのでノーコメントで通す。
一方レスティアートは、
(……な、なんであんなにノートが一杯……しかも内容がこの人との恋愛小説ですし! なんで!? 恋人なのになぜそんな書き物を!? しかも謎に帝国語で!!)
ちょっと口には出せないレベル、というか恋人にさえ教える気のない妄想小説だった。そこは日記とかじゃないんですか! などと内心で泣いていた。
((記憶を失う前の自分たちの得体が知れない……))
彼も彼女も、ここにはいない己のことを思い、吐息した。
◆
リビング。
ソファに腰を落ち着けたレスティアートは、その手に携帯端末を握る。
(……当世で私が使っていたという情報記録媒体……この中に、なにか記憶を取り戻すヒントは……)
幸いにもロックはかかっていなかった。
ひとまず分かりやすい記録から、と写真フォルダをタップした瞬間。
「ほぇわぁっ!?」
一瞬で氾濫する白髪赤眼の写真情報。
寝顔や寝起きのようなものが多い。多い。いくらなんでも多すぎる。底が見えない。ホーム画面が何の変哲もない風景写真だった故に思わぬ奇襲をくらった。
(わ……わぁー……ちょ、ちょっと……悪く、ないんじゃないですか……)
そこにあったのは、今の彼なら絶対にしないような表情ばかりだ。
一体どうやったらあの仏頂面がこうなるのか。興味は尽きない。
それ故に──思い知らされる。
本当に今の刈間斬世は、自分に恋など微塵もしていないことを。
(なにがあって、なにをして、こんな風に……)
──愛されて、いたのだろう。
わからない。思い出せない。
ただ、
「いいなぁ……」
思い、焦がれる。
今の彼だって、自分を恐怖しない。化物として見る目をしていない。
だけど、愛してくれては、いないのだ。
「……私の恋人……」
どんな切っ掛けがあれば思い出せるだろうか。思い出してくれるだろうか?
思いつくのは、やはり湯浴みの時に考えた案だ。しかし、いくらなんでもそれは、と
「……む? なんでしょうか……」
携帯がなにかを受信した。
一通のメールだ。そこに表示された端的な文章に、彼女は目を見開いた。
「……はぁぁああああー!?」
◆
本日の夕飯は味噌汁と白米。それから肉じゃがの入った保存パック。
……俺が作り置きしたやつか? これ?
「おい幼女」
「ぬっ……キチンと名前を呼んでください。不敬ですよ」
などと言いながら、とてとてやって来るのはなんなのか。
こっちのキッチンまで来いとまでは言ってないのに。
それに先ほどから少し様子がおかしい。俺が風呂から上がってきてから、なんだかもじもじしている。なにか話を切り出しかけているような、そうでないような。
なんなんだ。
「夕飯っぽいのがあった。適当にレンジ使って食えよ」
「そ、それはどうも……え? 貴方は? 食べないんですか?」
容器を渡して去ろうとすると、そんなことを言ってきた。
「別にいらない。外で適当に食う」
「えっ……でもこれ、二人分ありますよ! それにお風呂からあがったばかりですし、その」
その……と、先に続く言葉がないのか、レスティアートがそこで俯く。
……なんだこの居たたまれなさは。背丈が小さいからか、しょぼんとしただけで、ますます小さく見える。
「……一緒に食えばいいのか?」
「!」
ぱっ、と嬉しそうに顔を上げるな。不敬とか言うくせに分かりやすすぎる。
「──あれ? 髪、乾かしてないんですか?」
レンジを稼働させている間、ソファに座っているとそんな指摘が飛んできた。
別に、と目を逸らす。
「ほっとけば乾く」
「……どらいやーの使い方、分かりませんでした?」
「面倒だっただけだ……」
「仕方ありませんねぇ、乾かしてあげましょう」
断ろうとしたが、気配は一瞬で消えた。
洗面所から器具を持ってきて、コンセントをひいて、ごぉー、という温風が当てられ始める。
色々と文句は思いついたが……なんかもう面倒なので放っておくことにした。
『……王族が世話係やっていいのかよ』
『元、ですよ。それに経験がないからこそ、やってみたくなるものです。……意外とサラサラですね。妬ましい!』
『なんの恨み言だよ』
乾かし自体は、そう髪も長くないのですぐに終わる。
──と、頭に乗っかるものがあった。彼女の左手だ。
「……何」
「折角の機会なので」
言ってる間にも細い手指が頭頂部をさすっていく。
……変な感じだ。こんなことは初めてされたはずなのに、どこか懐かしい気がする。失くした記憶の残滓か?
「……私に恋しちゃったり、しません?」
「しない」
立ち上がって強制終了する。いきなり何を言ってんだこの幼女は。
とっくにレンジも仕事を終えていたのでそっちに向かう。さっさと夕飯も片してしまおう。
「──そうだ。これ」
皿によそった料理をテーブルを置くついでに、ごとり、とレスティアートの席に一本の缶飲料を出した。精霊用の霊力回復剤だ。
「食い合わせの良さは知らんが飲んどけ。必要なんだろ」
「あっ……ありがとう、ございます……えーと、まあ、いただきます…………」
幼女の表情は曖昧かつ微妙なものだ。
どういう感情なんだ。わからん。
俺も対面の席に腰かけると、湯気に乗った料理の匂いが空腹を促進する。……我ながら良い生活ができるようになってるもんだな。
両手を合わせる。
「いただきます」
「い、いただきますっ」
箸を手に、黙々と食事を開始する。
交わす言葉はない。聞こえるのは食器を突く音と、咀嚼音だけ。
互いに無言だが、料理の味はそれなりだった。過去の俺が作ったものだとしたら、我ながら、中々の腕前と言っていいだろう。
「あの……」
「なんだ」
「あ、貴方の呼び方とか、どうすればいいでしょうかね。カリマさん……? でしょうか」
「……苗字は好きじゃない。名前でいい」
「ではキリセさんと。……なんだか、口慣れないですね。この呼び方ではなかったんでしょうか……」
知らない。知る由もない。
俺だって、いちいち「レスティアート」なんて長ったらしい名前を呼んでいたのか。
呼びやすそうな略称は……
「じゃあ、俺は『レティ』とか──」
「! そ、それ! それいいと思います! 凄くいいと思います! なぜでしょう!?」
「は、いや知らん。なんだいきなり……」
「あ、失礼しましたっ」
がた! といきなり身を乗り出したので驚いた。いそいそと少女が座り直す。
どうやら聞き馴染みのある音だったらしい。俺の呼び方は、過去と一致しているのか……?
「あの、」
「なんだ?」
「あ……キリセさんは、なにか聞きたいことはありませんか。私も、何も思い出せたことはありませんが……その……今の状態について、とか……」
「今の状態?」
普通に問い返した。
するとレスティアートは、神妙な面持ちになる。
「……気付いてなかったみたいですね。私と貴方の命は現在、契約によって『リンク状態』にあります。片方が死ねば、片方も同じく命を落とす──私たちはそういった関係で成り立っており、また、貴方の命は私の手の中にあると同義なんです」
割と重要そうな情報に食事の手が止まりかけたが、
「……ふうん」
「反応薄いですねっ!?」
「いや……別に。自分のものを誰かに管理されるなんて珍しいことじゃないからな。けど、俺が死んだらお前も道連れってのは……」
それは良くない。
正しくない──と思う。
むしろ、
「……本当にどんな出会いがあったら、そんな状態になってんだ。俺たちは……」
「そ、そうですね。想像もつきませんね──」
どうしてそんな状態を許容していたのかが分からない。
どうしてそんな、彼女を縛り付けるような真似を良しとしたのか分からない。
(惚れたから、か)
理由だけは知っている。
経緯は分からないし思い出せもしないが、こいつと恋人同士らしい、というのは知っている。
惚れたから、命を救われたから、恩義を返そうとしたのか。
……まぁ、解らなくもない動機だ。しかしそんなの、一生かかっても返せやしないだろうに。
「なぁお前」
「は、はい?」
「俺のこと好きなの?」
美少女がむせた。
ヴェほっ!? と呼気を乱して咳き込んだのだ。大丈夫か、とテーブル横にあったティッシュ箱を寄せてやる。
「にゃ、にゃんですかいきなり!!」
「別にいきなりじゃねぇだろ……さっきも恋がどうかとか言ってたし」
「あ、貴方のことなんて気になってるだけです! 恋なんて私、知りませんしッ!」
「そりゃそうか」
忘れてんだから当たり前だ。
だが互いに心当たりがないとはいえ──恋人関係、という事実が消えたわけじゃない。それは、俺たちの中から自覚が消えてるだけのこと。
「なんでそんなこと、訊くんですか。やっぱり好きに、」
「なってない。……はぁ。否定するだけ信憑性が薄れていく気がするな。単に、記憶の戻し方も分からない以上、これからお前とどう接するか、ってのを考えただけだよ」
「か、考えて……どうするんですか?」
そうだな、と声を置く。
今の考えをまとめながら、言葉にし始める。
「身に覚えがないとはいえ、俺自身が決めてやってきたことらしいからな……釈然としないが、お前との関係はいったん受け入れる。上手くやってやれる自信はないけどな。──ま、気に入らなければそっちで決めろ。契約を断って俺から自由になるもよし、だ」
「っ、しませんよそんなこと!! なんてこと言うんですか!」
「いや……だって生命維持とか面倒だろ。拾わなくてもいい命を、お前は抱えてる。恋人って関係に随分と惑わされてるようだが、冷静に考えろよ?」
「……?」
「『俺』がお前の善意と好意を食い物にしてるって可能性もあるんだぞ」
……可能性、なんてつい言ってしまったが、これは客観的な事実だ。
記憶を失って互いに熱が冷めてる今、改めて現状を考え直すことだってでき、
「そんなことはありませんよ」
──やけに冷静な一声が差し込まれた。
俺は眉を上げる。
「……なぜ断言できる?」
「目が覚めて、いの一番に私を庇ったりする人がそんなことできたらビックリですよ?」
「──、」
「何か言いたいけれど言い返せない顔ですね? というか、恋の駆け引きで私を出し抜こうなど三千年は早いです。上辺だけの愛の誓いなんて、すぐわかりますよ」
……よく分からんが怖い特技だな。
たとえ脳みそが沸騰してても、王族ってわけか。
「……でも、私との関係を受け入れてくれるとまでは思いませんでした。別に恋愛対象とは見てないんですよね? どういう風の吹きまわしですか?」
「どうって……精霊士なんだから、契約精霊の責任を取るのは当たり前だろ。恋愛とは関係ない」
「おや見た目に似合わず律儀な回答を。もしかして、損をするのがお好きだったり?」
「……分からない奴だな。
「──あっ」
なんで言われるまで気付かないんだ、こいつは。
……確かに俺はこいつに命を拾われ、延命できている。だが俺は俺で、刃物さえ手元にあれば、契約を断ち切ることなんて容易だ。
こいつはいつでも俺の命を手放せるし。
俺はいつだってこいつと心中できる。
「え……で、でも、精霊との契約を、簡単に切れるわけ……」
「
断言する。
根拠はないが直感はある。
そして剣才に限った場合のソレは、外れたことがない。
──だがその上で俺は、永遠にその権利を放棄する。
「……
こんな言葉も口先だけだ。
俺の終わりに、彼女を巻き込む必要性はまったくない。
「す、すみません。ごめんなさい……軽口が、過ぎました……」
「……ふん」
これで俺の誠実さの一パーセントでも分かって貰えればいいんだが。
……まぁ難しいか。愛想とかねぇもんな、俺。
◆
レスティアートは動揺していた。
今の表情を、どんなものにすればいいのか分からないほどに。
(いつでも斬れる契約を、そのまま……)
気付かなかった。
いや、考えないようにしていたのか。
彼の剣才のほどは、記憶にない。だが彼が言うのなら出来るだろうという、確信めいたものがあった。
それが真実なら。
記憶を失う前でも同じ条件だったというのなら、彼は。
(あ、愛してるってことじゃないですかそれ──!!
果たして当時の自分たちに、そんな意識があったかどうかは未知数ではあるが。
それでも今、レスティアートは知ってしまった。理解してしまった。
「──……ッ」
目の前にいる相手ほど、伴侶に相応しい者はいない──なんて。
(……思い出したい)
本当はどんな出会いだったのか。
今までどんな日々を過ごしてきたのか。
彼と自分の関係を、全て取り戻したい。
「……キリセ、さん」
「ん?」
「たとえ現在の私たちが、恋愛的意識を持っていなくとも……合理性という観点においては、互いの意見を一致させることはできると思うんです」
「……? そりゃまあ、必要なことならな」
──言質とったり。
そう思ってしまうが、否、これは絶対必要な工程だ。
合理。そう合理。
理論的かつ理性的に考えて、これから言うことも、合理と計算のもとに導き出された最善策なのだ──!
「記憶を取り戻す方法……あると言ったら、協力、してくれますか」
「──あるのか?」
当然の返し。
それに頷き、しかしレスティアートの顔はどうしても伏せがちになる。
「……なんだ? なにかとんでもねぇ代償とか必要なやつなのか?」
「そうではないんです……そうではないんですが、こう、今の私にたちにとっては、とてつもなくハードルが高いというか……!!」
「???」
迂遠な言い回しに斬世は首を傾げるしかない。
なぜそんなにレスティアートの顔が赤くなりつつあるのか、なぜそんなに言い辛そうな態度を取っているのか、その理由に見当もつかないからだ。
「よく分かんねぇが……具体的な説明をしてくれよ。俺、そんな察しよくねぇぞ」
「…………フュージョン、的な、アレ、です……」
「フュージョン? ……融合?」
──直後、レスティアートは覚悟を決めた。
ばしんッ!! とテーブルを両の手で思い切り叩き、立ち上がり、勢いをつけて──つけでもしないと、言えなかった。
「
……彼女はその脳裏に思い出す。
つい先ほど、携帯に受け取った、過去の己からの簡潔なメッセージを。
〈記憶復元の方法→合体(物理)。頑張ってくださいね~!〉
──なにを頑張れというのかなにを丸投げしているのか。
彼女の人生でもっとも奮闘する時間が、これより始まる。