五月初頭。世間一般では休日やら祝日やらが集中していることから『ゴールデンウィーク』などと称されているらしいが、合間合間に平日が存在するのも確かな事実。その平日を休みにするかしないかは学校や会社によって異なるそうだが――悲しいかな、我が校は登校日である。
そして、我らが一年Dクラスには嘆きの声が響き渡っていた。
まあ、無理もあるまい。前述の通り、今日はゴールデンウイークの合間だ。入学以来ポイントを節約していた者も、次の振り込み日が近い、という理由から散財した可能性は否めず、元よりそんなことを気にせずに散財していた者もうちのクラスには多い。――だというのに、嬉々として迎えた今日、我がクラスに振り込まれたのは約三万ポイントである。
一ポイントも振り込まれないよりはマシだが、十万ポイントを期待していた者にとって、この『落差』は上手く呑み込めるものではないだろう。何度となく己の端末を繰り返し確認している者が多い。――しかし、現実は非常である。何度確認したところで、約七万ポイント目減りしているのは確たる事実。
この様を目にして思う。――なるほど、刃の言葉を信じて正解だったな。
例えば、これが入学初頭からオレにも気安く接してくれた池や山内を基準にしていたとしよう。いくら節約を心掛けたところで、付き合いによりポイントは確実に目減りしていた筈だ。ともすれば、五万も残っていれば良い方だったかもしれない。
実際、本堂などジュースすら買えない有様だし、山内も同様だ。池だって、多少はマシ、といったレベル。
加え、池や山内を基準にした場合、オレの振る舞いもそれに倣うこととなる。――当然、収入は今よりも減っていただろうし、口止め料だって入手してはいなかった筈だ。手持ちの端末に表示されているように、三桁万代ということはなかっただろう。
まあ、今までの生活環境が環境だ。オレ自身はそれでも構わないと言えば構わないのだが、一般人にとってはその限りでもないだろう。実際、大半のクラスメイトは嘆きの声を洩らしつつ、虚しい希望に縋っているのだから。
基本的な一般人は、こうなる前に何かしら対処しようとする筈だ。それをせずのこの結果。つまり池や山内は、一般は一般でも、『下落人生を送る人間』の一般例、ということなのだろう。
その考えでクラスに目を向けてみると、嘆き具合にも差があることに気付く。
現実を受け入れられないが故の嘆き、現実を受け止めているが故の嘆き。嘆いているのは同じだが、これは明確な違いだ。そして、重要なのは後者だ。
例えば、隣席の堀北。他と違い嘆いてはいないが、端末を見て怪訝そうに首を傾げている。
それも仕方ないだろう。客観的に見て、堀北は『優等生』だ。授業態度は真面目そのもの、遅刻や無断欠席、廊下の走行もしない、節約を心掛けている、言葉がきついためややコミュニケーションには難があるが、これを『優等生』と言わないのなら、誰を『優等生』と呼べばいいのか? そんなレベルだ。
そしてそれを、堀北は自任している。だからこそ、現実が解せなくて仕方ないのだ。確かにコミュニケーション能力で失点を付けられるかもしれないが、それは七万ポイントに及ぶものなのか……と。
それも分からなくはないが、堀北の思考には過失がある。彼女の思考にあるのは、あくまでも『個人評価』でしかない。抜け落ちているのか、元より存在していないのか、彼女には『集団評価』という考えが無いのだ。故に、現実との齟齬を嚙合わせることが出来ず、納得がいっていないのだろう。
個人評価しか頭にない故に、周りを気にしない。周りを気にしていないから、振り込まれたポイントがクラス毎に同一であることにも気付いていない。少し周りに気を配れば、容易く気付ける事実だというのに。自分の考えに凝り固まるあまり、言葉が耳に入っても聞き流しているのだ。
また、そんなだから、周りに対して言葉がきつくなる。教師はともかく、生徒にどう思われようと評価には関係がないから。……堀北の思考ルーチンはこんなところか。
まあ、実際に評価を下すのは教師なのだから、その考えに至るのも理解は出来る。――が、その『評価基準』が絶対だと、一体誰が決めたのか? 誰も決めてはいない。あくまでも堀北自身の考えであり、堀北の中でしか完結していない。
その、己が明確な欠点に、堀北は今現在直面させられているのだ。……首を傾げていることからして、分かっていないのは明白だが。
幸村も同じようなものだろう。幸村は、学力特化版の堀北、とも言える男子生徒だ。運動能力では明確なまでに堀北に劣っているが、そこを除けば表立って見える行動はほぼ同じだ。
松下は? 他の女子とグループを組み、クラスカーストでも上位にいるが、時折表情が変わっている。それは正に、失敗した、と言わんばかりだ。おそらく、大まかには絡繰りに気付いている。
目立ちたくないが故に周囲に合わせて埋没する。それは一つの方針として有りだ。そして、松下もその口だったのだろう。ともすればオレも同じ目になっていたので、僅かに同情の念が巻き起こる。
そして、佐倉。メガネをかけた地味な女子――というのは、今はもう昔の話だ。
水泳授業初日の出来事――クラス命名『櫛田ショック』を機に、彼女と桔梗の仲は急接近した。佐倉が桔梗に礼を言いにいったところからの付き合いだそうだが。
それにより佐倉はメガネを外すようになり、うつむきがちな姿勢も止めた。結果、今ではクラスでも最上級に垢抜けているのではあるまいか。
それも無理は無いことで、グラビアアイドル『雫』と佐倉は同一人物であったらしい。世に数いる女子の中から、グラビアアイドルとして見出されたのだ。運もあろうが、『美』という点では既に社会的に認められたも同じである。
そんな経緯を持っていれば、そこらの女子など太刀打ち出来るわけがない。――まあ、オレ自身は雫などサッパリ知らなかったわけだが。それを告げた時の、佐倉の何とも言えぬ表情が印象に残っている。
今や、桔梗も佐倉には素で接している。また、桔梗を通じオレや刃とも交流があるので、男子陣の嫉妬は弥増すばかりだ。――巻き込まれた、と言い表すのが正当だろうが。
また、櫛田ショックは良い意味でクラスに影響を与えていた。特に女子に。
あの一件以来、桔梗のクラス人気は女子を中心に爆上がりした。一言で言えば『カッコいい』とのこと。周囲大半には相も変わらず人の良い仮面を被っているが、ある程度親しくなった相手には素で接している。
社交辞令、という言葉が世にあるように、人は相手や状況次第で言葉や態度を変える。桔梗はその実践者なのだ。
それをあからさまにする奴は、ともすれば嫌われてしまいかねないが、入学してから日も浅かったことや本性との落差が激しかったことが上手い具合に働き、桔梗の努力を目立たせる結果となったのだ。何せ、付け焼刃では必ずと言っていいほどボロが出る。
オレにとっては、高が一週間、だが――女子にとっては、されど一週間、らしい。それだけの時間、クラスを共にして生活していれば、付け焼刃かどうかくらいは分かるそうだ。……俄かには信じ難いことだが。
そして女子判定で、桔梗のそれは『付け焼刃ではない』という結論が下されたのだ。
「山内の一件で当初の予定は狂ったけど、まあこれはこれであり」
とは桔梗の言である。
そして、そんな桔梗が予習復習を欠かさず、授業は真面目に受け、遅刻や無断欠席をせず、廊下を走らないことで、女子たちも次第に影響されていったのだ。
まあ、良い影響が起こったのは女子たちだけであり、山内が容赦なく扱き下ろされたことで、男子たちのショックは見るからに大きかったのだが。その逃避もあるのだろうが、男子たちの授業態度がより悪化していった面があるのは否めない。
つらつらと考えている内にホームルームのチャイムが鳴り、程なくして担任――茶柱佐枝が教室に姿を現した。その手にはポスターの筒を持っており、表情もいつもより険しい。
「せんせー、何か不機嫌じゃないですかー?」
見て分かることを敢えて訊く、という勇者の如き発言をしたのは池。櫛田ショック以来、その言動は多少マシになっているが、如何せん『多少』でしかないのも事実である。まあ、長い目で見れば良い変化なのだろうが。
「ああ、不機嫌だとも。まあ、明らかに見て分かることでもシッカリと質問をするようになった分、成長している、と認めはしよう。――その理由に察しが付いてなさそうなところが残念ではあるがな。
さて、これより朝のホームルームを始める」
池の質問に対し冷たい口調で答えた茶柱は、そのままホームルームの開始を宣言し、持って来たポスターを広げ、黒板に貼り付けた。
それには、AクラスからDクラスの名前と、その横に四つの枠が記載されており、枠の中には異なる数字が記入されていた。Aクラスから順に数字が大きく、Dクラスの数字は310。これを百倍すると三万千になり、今日振り込まれたポイントと一致する。
「流石のお前たちでも、これを見れば分かるだろう? 入学初日に言った筈だ。この学校は実力で生徒を測る、と。……遅刻に無断欠席、授業中の居眠りに私語、許可なき携帯操作、廊下の走行も含め、一月に随分とやらかしたもんだ。
この学校では、クラスの成績がポイントに反映される。結果、お前たちは約七万ポイントを吐き出した。それだけのことだ。むしろ、ゼロにならなかったことの方が、逆に驚きだよ。途中から幾分か女子がマシになったのが大きな理由かな? その反面、男子は最後まで酷いのが多かった印象だが。
見て見ぬ振り。それも立派な処世術の一つだ。それは否定しない。――しかしな? 『上』に立つ者は、国が求めている人材は、この学校に期待される人材は、必ずしもそれが許されるわけではない。嫌われようが反感を抱かれようが、時には断固とした態度を取ることが求められる。
特に今回の場合は、義務教育の九年間で明確に『やってはいけません』と教わって来たことばかりだ。それを明確に犯している相手に注意も何もしないのでは、な。自発的に気付くのが一番ではあるが、促すことで良い方向に変わることだってあるんだ。それを怠っている以上、如何に本人がルールを守っていても、マイナス評価は免れんよ。
まあ、これとて『絶対に正しい』と言えるわけでないのは確かだが、『より良き』を目指す上で試行錯誤は避けられん。
故に、現状ではこれがこの学校のルールだ。気に食わんというのなら、ルールに則った上で実力を以て働きかけろ。この学校は実力者の言葉を無下にはせん。
だからこそ、それが出来ないのでは、どこまでいっても『負け犬の遠吠え』に過ぎん」
教室内に茶柱の言葉が響き渡る。こうも堂々と言われたのでは、生徒たちもそう易々と文句を言えないだろう。何せ、一面的には正しいのだから。
分かりやすい事例として櫛田ショックが挙げられる。結果的にではあるが、あれを機としてクラスの女子たちは徐々に己が振る舞いを省みるようになった。それまでは、私語や携帯操作をする女子たちも男子に負けず劣らずで多かったのだ。もし、あのまま女子たちが行動を省みなければ、与えられるポイントがゼロになっていた可能性は否めない。
自分たちのクラスのことだからこそ、本来与えられる筈だったポイントより七割も引き下げられているからこそ、この事実は否定出来ず、可能性も否定出来ない。
茶柱に言われ、初めてそのことに気付いた生徒も多いのだろう。
特に、女子の何割かはあからさまにホッとした表情を浮かべている。たとえ因果関係に気付いておらずとも、結果として自分は正しい方向に舵を切ることが出来た。自分の行動がクラスの一助となり、与えられるポイントが残った。……その事実に、安堵しているのだ。
それ以外は様々だ。目立っているのは苦い表情を浮かべているか、怒っているかだ。
堀北など、今にもペンをへし折ってしまいそうなほどである。……尤もな事実。言われるまで、そのことに気付けなかった自分に腹を立てているのだろう。――まあ、仮に気付いたところで、効果的な行動が取れたかは怪しいところであるが。
そんな中、女子人気の高い男子生徒、平田洋介が手を挙げた。
「先生、質問があります」
「何だ、平田」
「先生のお言葉と結果から察するに、クラスの配属も意図的なものと思われますが、間違いはないでしょうか?」
平田から上がったのは、至極当然の質問。むしろ、ここまで御膳立てをされれば、気付かない方がおかしいレベルだ。
「ああ、間違いない。入学時点の学校評価で『優等生』とされた者たちから、Aクラスに配属されている。自然、Dクラスであるお前たちは、『劣等生』や『不良品』といった評価だ。――まあ、全員というわけではないがな。
だってそうだろう? 優秀な奴が全員Aクラスに配属されてしまったら、待っているのは出来レースだ。それでは他のクラス――特にDクラスに救いが無さすぎるし、クラス対抗による切磋琢磨も望めない。それで卒業する生徒に如何ほどの期待が持てるかは怪しいところだ。清濁を併せ呑んだ確かな人材が輩出しないことには、周りも多大な投資をしている意味がない。
そのため、どのクラスにもワンチャン望めるように、意図的に配属先を決められた生徒もいる。平田、お前とかな。
お前が訊きたいだろうことの答えを先に言ってしまおうか。……この学校が大々的に謳う進路希望云々を受けられるのは、Aクラスで卒業した生徒のみだ。
そして、毎月のクラス評価を数字に変換した
CPの変動は、毎月の評価以外にも機会がある。例えば部活動。大会に出場し優秀な成績を収めた場合、その選手が所属するクラスにはCPが与えられることとなっている。
また、CPがクラス評価なら、個人のポイントは
ニヤリと嗤って言葉を締めた茶柱は、黒板に別の紙を貼り出した。紙にはクラスメイト全員の名前が並び、その横には、またしても数字が記載されていた。
「これは先日やった小テストの結果だ。……まったく。揃いも揃って粒ぞろいだな。正直泣きたくなってくる。一体全体、お前らは小中学で何を学んできたんだ?」
茶柱ではないが、この結果にはオレも驚きである。
ラストの三問を除けば、入試よりも遥かに簡単な問題ばかりだった。順当に行けば85点は取れて然り。不得意教科があるにせよ、全く取れない筈もない。70~75点が目安だろうか。――などという、オレが抱いていた予想は、物の見事に覆された。
最下位は須藤の14点。次点が池の24点。そこからは団子並びに低得点が続いていく。
一方、オレや刃を始め百点を取った生徒もおり、95点の桔梗、90点の高円寺、幸村、堀北、王美雨という中国からの留学生女生徒が続いている。平田や松下は85点だ。
クラス内格差が激しくて、さしものオレも開いた口が塞がらない。平均とは何だったのか。……これでは、確かに『一般』を求めるのは無理筋だ。
オレは、改めて刃に感謝の念を捧げた。
「良かったな。これが本番だったなら、数人は入学早々退学になっていたところだ。……この学校では、中間テストと期末テストで一科目でも赤点を取った場合、退学になる決まりだ。ちなみに、赤点は平均点÷2で算出される。
勉強が全てとは言わんが、学生の本分が勉強であることに間違いはないからな。最低基準も満たせぬ奴に投資を続ける意味はない、ということだ」
これまた茶柱の言っていることは厳しくも道理だ。学費、生活費、その全てをオレたちは免除されている。ならば、代わりに負担している者がいるのは明白である。
そいつがそんな真似をしているのは、この学校の卒業生に期待しているからであり、文字通りの投資だ。である以上、期待出来ぬとあれば、投資を打ち切るのは当然だろう。
その恩恵を受けているオレたちには、文句を言う資格などない。嫌ならば結果を示せば良いだけなのだから。
「この学校のシステムは社会の縮図だ。それを踏まえた上で、時に協力し、時に化かし、Aクラスを目指してくれ。
お前たちにとって退学を賭けた最初の試練――中間テストまでは、あと三週間ある。
じっくりと熟考し、実力者に相応しい振る舞いを以て挑めば、お前たちでも赤点を回避出来るだろう。少なくとも、私はそう確信している。どうか、この期待を裏切らないでくれよ」
またもやニヤリとした笑みを浮かべた茶柱は、そんな言葉を残して教室を去っていく。
堀北から疑惑の眼差しを向けられつつ、オレはそれを見送るのだった。