「ゴメンね、桔梗ちゃん。私バカだから、同じようなこと何度も教えてもらっちゃって……」
寮の自室。私と向かい合って座り、ペンを動かしながらそう言ったのは、クラスメイトの佐倉愛里である。
ノートに書き取っている最中であるからして俯いているのは仕方のないことだが、それでも表情を窺うことは出来る。そしてその表情は、確かに歪んでいた。申し訳なさが漂っている。
まあ、彼女がそう言うのも分からなくはない。その言葉通り、四月から通算して、どれだけ勉強を見てきたか分かったものではないのだから。
本来であれば、一人当たりにここまで深入りする気はなかったのだが――まあ、仕方のないことだ。少なくとも、私は割り切った上で付き合っている。
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山内の一件で、期せずして私に庇われた形になったからだろう。彼女は、その日の内に私に礼を言いに来た。その時点で、私の彼女に対する好感度は少し上がった。
世の中、『当たり前』と受け取って、礼を言わない奴が本当に多いのだ。ある程度の親睦があるなら、まだしも理解は出来るのだが。
それを思えば、彼女の行動には好感を抱けるというものだ。声が小さかろうが、そんなのは些細なことである。
話はそこでお終いにし、以後はクラスメイトとしての付き合いで済ますのも有りだったのだが、当時の私は、何故か彼女が気になったのだ。そこで終わりにするのを、是とは出来なかった。――まあ、その理由も今では分かっているのだが。
私が彼女に抱いたのは、ある種の共感だったのだ。自覚して盛大な仮面を着けている、という一点で、私と彼女は共通していたのである。そのことに対する考え方などは互いに違っていたが、そんなのは当然と言えば当然だ。
ともあれ、彼女の方も私に対して思うところがあったようで、それを機に、以後も度々話しかけてくるようになったのだ。私の方も理由は分からぬながらも拒み切れず、ズルズルと付き合っていた。彼女が節度を弁えていたこともあり、ストレスがそれほど溜まらなかったのも、長続きした理由だろう。
そうして付き合っていれば、互いの距離も縮まっていく。それと同時に、彼女を取り巻く事情にも薄々ながら察しは付いた。
グラビアアイドル『雫』という仮面。それに対する消化不良とストーカー問題。……愛里はそれに苦しんでいた。
そのことに私が気付いたのは、付き合いを始めてからそう遠いことではなかった。
そして、私はそんな彼女を見捨てることが出来なかった。不思議と言えば不思議だが、納得と言えば納得である。
そもそもにして今の私があるのも、師匠に救ってもらったからだ。苦しんでいた時、声をかけてもらったからだ。救いを求める私の声なき声を、聞き届けてもらったからだ。
自他共に認めるドライさと、過去の経験。私の中でそれらがぶつかり合った結果、経験の方が勝利したわけである。そして、そうと決まったら私に迷いはなかった。
「佐倉さん。待っているだけで、耐えているだけで、救いが齎されるとは思わないで。手を差し伸べてくれる人はいるかもしれないけれど、最終的に自分を救えるのは自分だけ。そして、意思なき者にはそれも叶わない。
佐倉さん、私は今この場で、貴方に手を差し伸べる。それを取るか取らないか、取ったとして、救いに繋げられるかどうかも貴方次第。――さあ、貴方はどうする?」
私は愛里に選択を突き付けた。そして、私自身にも。
愛里が手を取ったなら、今まで以上に親身になろう。――だが、取らなかったらこれっきりだ。
そう、心に決めて問いかけた。
そして、迷いの末に愛里は私の手を取った。である以上、私が彼女の環境改善に尽力するのは当然だった。愛里自身にも頑張ってもらうが、それもまた当然のことだ。
私が真っ先に着手したのは、清隆と刃を始めした道場仲間を巻き込むことである。ストーカー問題は面倒だが、この『陸の孤島』なればこそ対処法はある。そも、される側を追い詰めるのには持って来いだが――する側にも逃げ場がないからだ。
愛里自身の行動範囲も限られている中で、この密閉空間内にいることを自白するような間抜けな犯人だ。どうしたってボロは出るし、引き出すことも容易い。そのために必要なのが、清隆であり刃だったわけだ。
手順として、最初は私を含む四人で度々行動を共にする。それに合わせ、順次愛里の姿勢を変えていく。伊達メガネを外させ、俯きがちな姿勢も止めさせ……そうすることで、私たちの影響で愛里が変わっていく光景を周りに見せつけた。それは愛里=雫であることを暴露するに等しいが、一朝一夕で確信出来るはずもない。――既に確信を抱いている相手以外は。
愛里に邪な想いを抱き、その想いを伝えるにも歪んだ手法を取るような相手だ。当然、愛里=雫であると一般には知られていないが故の優越感もあったのだろう。――それが、無くなる。そう思った相手がどのような手段に出るかなど、想像するに容易い。
そうして、ある程度ストーカーを挑発した段階で、敢えて愛里を単独行動させた。ストーカーと思しき相手の前へ、姿を晒させたのである。その間、私たち三人は所定の位置で待機する。あとは、餌に引き寄せられた犯人を待ち構える、という寸法だ。
無論、愛里を単独行動させるに当たり、可能な限りの安全策は打ってある。そのための道場仲間だ。愛里自身の交友関係が狭いことが、功を奏した形である。学校という、密室空間内の更に密室で話を通しておけば、ストーカーには知る術が無い。
肝心のストーカーだって、気を配っているのは愛里周りだけだという確信があった。普通に考えて、気を配るにも限度があるからだ。組織的犯行でもない限り、ストーキングなどという大々的に口に出せない行為に対して味方する者はいない、という一般論もある。ストーカーから愛里に送られた手紙やら何やらを見ても、個人行動の可能性ばかりが高まっていく。
ただ、その上で『最悪』を考慮しての、数にして質の暴力。道場仲間は位階が『弟子級』であるとはいえ、その戦闘力と身体能力は『一般』を遥かに凌駕している。一部戦闘力を期待出来ない相手もいるけれど、見張るだけなら十分だ。
結果、餌につられた犯人は、見事に返り討ちにあった次第である。
日本政府の直轄校。それも、生徒たちに『陸の孤島』での生活を強制させてまでの状況で起こった不祥事だ。運営としても放置は出来ない。
それでいて、私たちは犯人を突き出す前に、犯人の住居を徹底的に洗っている。そうすると、出るわ出るわの証拠の山である。
普通に考えれば問題行為だが、生徒の安全を保証すべき空間内にストーキングをするような人物を招き入れていた側が、声を大にして否定出来る筈もない。そもそもにして、施設の従業員に対しても十全なチェックを施していれば、こんなことは起こらなかったのだから。
無理難題ではあるのだが、大人とは、そして責任者とは、そのような下からの突き上げを食らう位置に存在するのだ。
起こったことを否定は出来ず、広められるのもまた困る。結果として、運営側は私たちに対して多大な譲歩をすることになった。一番の利益を得たのは実際にストーキングをされた愛里だが、『問題』の関係者として道場仲間も利益を享受することが出来たわけだ。
また、愛里自身、ストーカー問題が解決したことで、心にある程度のゆとりが戻ったらしい。本人曰く『吹っ切れた』とのこと。以後、外見だけは普段から『雫』モードを維持している。
畢竟、池や山内を中心とした男子陣は衝撃を受けたわけだが、どうすることも出来ずにいるのが実情だ。
過日、私が山内を弾劾した一件をクラス内では『櫛田ショック』と呼んでいるようだが、そこに、言うなれば『佐倉ショック』が加わった形である。
地味な外見を止めたとはいえ、愛里自身の交友関係は変わらず狭いのだ。山内周りの男子に対する女子たちの視線は厳しく、針山と言うべき状況を乗り越えて声をかけても、素気無く『ごめんなさい』されるのがオチなのだ。それでいて、清隆や刃を始めとする一部の男子は、特に声をかけても避けられない。
結果、山内とつるんでいた男子たちは、特に大きなダメージを受けている。自業自得と言えば自業自得なのだが、男子たちの人間関係に罅が入りそうな今日この頃だ。……私の知ったこっちゃないけど。
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現在は愛里なりにこの学校のシステムを受け入れ、能力不足を解消するべく、出来ることからコツコツやっているわけだ。その姿勢の、一体どこを責めろというのか。
繰り返し教わることに対し、愛里自身は申し訳なさげにしているが、私の方は特に不満を抱くようなことなどない。むしろ、一度教えただけで完全に理解出来るような奴がいたら、そっちの方こそムカついて仕方がない。私自身、今に至るには相応の努力を費やしているのだから。それこそ、同じことを何度繰り返したかなんて分かりはしない。
「そも、分からないから繰り返し学んで、自分なりに理解して刻み付けるんでしょうが。何事もそれは同じで、事柄によって個人差があって然り。
暗記物、計算式、関係性、聞き取り、読み取り……一言に『勉強』って言ったって、求められるものは様々にあるんだから、教わったことをメモして、それで即出来るようになったら、それこそこっちの立つ瀬がないわ。
アンタも、バカだ何だと自分を卑下する必要なんてないわよ。そんなのは、結局のところ言い訳に過ぎないんだから。
私は別にアンタを急かしちゃいないんだから、申し訳なく思う必要もない。努力が足りなければ退学するだけであって、アンタはそれを是としていない。だから、こうして教わりながらも勉強している。
アンタが謝る必要があるとすれば、結果を出せなかった場合だけ。つまり、アンタは謝るポイントがズレてるのよ。OK?」
「お、おーけー」
私の言葉に対し、愛里は戸惑いながらも言葉を返す。
まあ、良い変化と言えるだろう。親しき中にも礼儀あり、とは言うし、私自身も同意だが、それも時と場合によりけりだ。そして愛里の場合、もう少し開き直った方が良い。
私が愛里に対してそう思う理由は単純で、彼女がグラビアアイドルなんぞをやっていたからだ。それがスカウトされた結果か自分で申し込んだ結果かまでは分からないが、普通に考えて、入学当初の愛里と『雫』は結び付かない。だが、実際には=である。
つまり、愛里にはそれだけの行動力が、肝心な時に一歩を踏み出すだけの勇気があるのだ。
それは、単純な能力とは比較に出来ないものだ。場合によっては、能力以上の結果を生みだすこともある。そりゃあ、発動には方向性の合致などもあるだろうが、肝心な時に頼れるか分からない奴――須藤など、その典型だろう。運動能力は一般的に見て十分に高水準だが、如何せん短気に過ぎる。――よりはよほどマシである。
「良し。まあ、そんな簡単に性格変えられるようなら苦労はないんだけどね。
私の見立てだと、現在のアンタの強みは大きく三つ。
一つは、グラビアアイドルをやれるほどの第一印象的な魅力。平たく言えば外見の良さ。――もっとも、見る者は本人を知らぬが故に、紙面を通してであるが故に通用していた部分があるのは否めない。
一つは、いざという時の爆発力。今でも思うけど、入学当初のアンタと『雫』は=で結ばれないもの。それを=で通したという事実そのものが、アンタの爆発力の高さを示している。
一つは、謙虚なとこ。まあ、自信の無さの表れであるんでしょうけど、横柄に接せられるよりは余程いい。
ただ、爆発力の高さと謙虚さが、ある意味で相剋と相生を起こしているのが問題。耐えて、耐えて、耐え抜いて、いざという時の爆発力を高めているのが今のアンタ。それを悪いとは言わないけど、耐えるのを止めれば、爆発力が下がる代わりに、その分のエネルギーを普段から他の部分へ回せる筈なのよ。
どちらも一長一短あるのに違いはないけど、自分の意思で切り替えられるようになるのが最高ね。アンタの場合、性格的な部分があるから難しいだろうけど、確固たる技術であるのも間違いないもの。スポーツの試合とかでもよくあるでしょ? 序~中盤は抑えて終盤で逆転する、っていうのはさ。
失敗すれば目も当てられないけど、成功すれば効果は大きい。……これを会得出来れば、アンタの強力な『武器』になるのは間違いない。頭の片隅にでも入れといて。知ってるのと知らないのとじゃ、大きく違ってくるからさ」
良い機会だから、言うだけ言っておく。高望みはしないけど、言葉通り、知るのと知らないのとじゃ大きな違いがあるのだ。今この場で知らせておいたことで、いつかリターンとなって返ってくれば御の字だ。
「分かった。……けど、他の皆は大丈夫かな?」
「………………さあ?」
愛里の言葉に、私は肩を竦めて答える。
そりゃあ、放課後の勉強会には参加しているし、必要経費として、乞われたら教えてもいるが――正直、愛里ほどには気を向けていないのが本音だ。私にとってクラスメイトの大半は、いてもいなくても構わないのである。究極、退学されても構わない。あくまでも、クラスメイトという『群体』でしかないのだから。
「お世話になっていてアレだけど、桔梗ちゃんってそういうとこドライだよね」
「そりゃあね。私の手の広さには限りがあるし、背負えるモノも同じだもの。手を差し伸べはするけど、精々それまでよ。手を掴んだなら、後は自分で立ち上がって進んでもらわないと。――私にとっては、アンタが例外なのよ。
ただ、今はこうして引っ張ってるけど、いずれはそれもしなくなると思う。片手が塞がったままじゃ、私の望むモノに手が届かないから。……それだけは覚えておいて」
「……うん、分かってる。いつまでもおんぶに抱っこじゃ、私自身が恥ずかしいから」
シリアスを演じてしまったが、紛うことなき本音である。いつまでも愛里の面倒を見てはいられないのだ。
愛里もまた、真っ直ぐに私を見返して頷いた。――ああ、この眼だ。ふとした拍子に眼差しに宿る意思の強さが、私を惹き付ける。
「……そ。なら、ちゃっちゃと問題の続きに取り掛かりなさいな」
「うん」
そうして、この日も深夜まで、愛里は私の部屋で勉強をしていくのだった。