「全総、助けてくれ!」
七月一日の昼休み。開始早々に放送で職員室に呼び出されていた須藤が、戻ってくるなりそんなことを宣った。
顔には焦燥が浮かんでおり、困っているのが一目で分かる。
「いや、いきなり、助けてくれ! って言われてもな。事情が分からんことには返事も出来ねえよ」
こいつ、絶対に廊下を走って来ただろ。……その思いを言葉には出さず、俺はごく当たり前の返事をするにとどめた。ツッコんだところで、余計面倒になるだけだと判断したからだ。
「お、おう。実はな――」
そうして須藤が話したのは、CPが振り込まれていない絡繰りだった。
須藤目線なので、偏りがあることは認める。それを出来るだけ客観視するとこうなる。
先週金曜日の放課後、部活終わりに須藤は特別棟へ呼び出された。相手はCクラスの小宮と近藤。どちらも須藤と同じくバスケットボール部の一員だ。
とはいえ、決して仲が良いわけではなく、どちらかと言えばいがみ合う方だ。
そんな二人がなぜ須藤を呼び出し、なぜ須藤が応じたのか? その理由は、須藤が夏の大会のレギュラー候補に選ばれたことに起因する。
短気でバカでと欠点ばかりが目立つ須藤だが、それでも、バスケに懸ける情熱は本物だ。言ってみれば、バスケ部の顧問によりその努力が評価されたのである。
須藤の側に立てば『おめでたい』で済む話だが、立場が変わればそうはいかない。それが顕著なのが小宮と近藤だったわけである。同じ一年で、しかも須藤はDクラスだ。Cクラスの二人が嫉妬を覚えるのも無理はないだろう。
須藤としても、その気持ちが分からないではない。だからこそ、呼び出しに応じた。
そこまでは良い。――問題なのは、その後だ。
特別棟へ行ってみると、何故かそこには二人の他に金田の姿もあったらしい。……金田もまたCクラスの生徒だ。
二人はまず、自分たちが嫉妬していることを認めたようだ。一方で、バスケに関しては須藤の腕前を認めている、とも。その上で、気が短いことを自覚しており、保険の意味で冷静に物事を捉えられる金田を同行させた、と言ってきたらしい。
前以て須藤に言っておかないのはどうかとも思うが、言い分としては何らおかしくもない。須藤に伝えた後で思い至った可能性だってあるからだ。
須藤もその場では言い分について深く返さず、呼び出した理由を訊いた。
そして返ってきた言葉は、案の定、レギュラーを辞退しろ、とのことだった。しかも、二人は須藤の学力についても触れたらしい。
夏休み前には、当然だが期末テストがある。ただでさえDクラスで学力不振な須藤がこれ以上部活に熱を入れた場合、大会参加より先に退学になりかねない。だから、今回は諦めて勉強に専念しろ。……須藤は、そんな感じのことを二人から言われたようだ。
須藤の学力を知る身としては、反対より先に同意がくる。俺でなくとも頷くだろう。
しかして、須藤にとっては余計なお世話。挙句の果てに、然も心配そうに言っているくせに、その表情は嗤っているのだ。嘘八百区であることは明白だ。それが須藤の結論であり――結果、キレた。キレ散らかした。
そして、二度と舐めた口が叩けないようにボコボコにしてやったらしい。止めようとした金田をも巻き添えにして。
これ、カバーのしようがねえわ。……それが、話を聞き終えた俺の本音である。
いや、だってどうしろと!? 須藤の奴、しおらしくしてんのは停学とCPの低下が嫌なだけで、自分の行いを全っ然悪いと思ってねえんだもん! ボコったことをどうして自慢げに言うのか、俺にはサッパリ分かんねえよ!
「須藤……おとなしく停学を受け入れろ。そんで、その時間を勉強に当てれば良い」
だから、須藤に肩ポンして俺がそう言ったとしても、決して悪くはねえ筈だ!
「おい!? そりゃねえだろ、全総!」
だが、須藤にとっては望む返答でなかったらしい。俺の両肩に手を置いてガクガクと揺さぶってくる。
その手を掴んで揺さぶるのを止めさせ、その上で言ってやる。
「悪いな。同情はするが――今のお前を助けてやろうとは思えねえわ。他を当たってくれ」
紛うことなき、俺の本音だった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
須藤への助力を断ってから数日が経過した。ホームルームで説明されたため、事情はクラスの全員が知るところとなっている。
しかして、事態解決のために動いているのはたったの数人。――クラス人口の比率としては、明らかに少ない。それが現実で、須藤の心証の悪さだ。
肝心の須藤は見るからに憤懣やるかたない様子であり、明らかにその理由には気付いていない。
「ホント、アンタってお人好しだね」
「……そうかあ?」
教室の一角。一緒に机を囲んでいる桔梗の言葉に、俺は首を傾げた。
喧嘩別れに終わった以上仕方のないことではあるが、あれから須藤は俺に話しかけてこない。俺の方から話しかけることもない。そして、そのことをちっとも苦に思ってはいない。……いったい、それのどこがお人好しだというのか?
「私も、全総君はお人好しだと思うな。そうでなかったら、そんな心配そうな目を向けることはないと思う」
そんな俺の思いを余所に、優しい眼をしてそう言ったのは佐倉だった。
「……そうか」
どうも、こういう眼差しには弱い。……まあ、それは清隆も同じだろうが。
経験上、俺たちに向けられる眼は、圧倒的に『実験材料』に対するそれが多かった。眼だけじゃない。態度もまた『個人』に向けるものではなかった。施設の奴らにとっては、俺たちなど『人間』という『道具』でしかなかった。
人生の大半をそんな環境で過ごし、育てば、まともな人間性など獲得出来るわけがない。事実、そうだ。――それでも、ほんの僅か、まともな部分が残っている。そう思っているし、信じたい。
そうなっているのは、施設で顔を合わせた相手の中にも、例外的にまともな奴がいたからだろう。いや、真実『まとも』なのかは分からないが、少なくとも、『一個人』として扱ってくれるだけで十分過ぎる救いとなったのは間違いない。
「こいつは昔からそうだった。……施設の奴らからは次々とカリキュラムが与えられ、ノルマを熟せない奴から潰れていく。朝は隣にいた奴が、夜には精神崩壊している。教官に無理矢理引きずられて連れていかれる奴の、悲鳴と鳴き声が木霊する。そんなのが日常の光景で、施設の外を知らぬが故に、当然の光景だった。
そんな中で、こいつは足掻いていた。何度も何度も、必死に周りに声をかけていた。それに感化された奴も少なからずいた。言葉にすれば、人間性の確立、ってやつだ。オレもまたその一人なんだろう。――ある日を境に施設の中でこいつを見かけることもなくなり、その後の教育もあって大部分が摩耗してしまったけどな。
てっきり、死んだか、他の奴らと同じように精神崩壊したかと思っていたんだが……。今更だが、お前に何があったんだ?」
記憶を刺激されたのか、いつになく清隆が饒舌になっている。……が、おいおい。ここで喋るには不味い内容じゃねえか? ここは教室の中で、すぐ傍には――桔梗は良いにしても――佐倉だっているんだぞ?
その考えを、俺はすぐに投げ捨てた。しかと面識を持った時点で、どうせ既に巻き込んでいるのだ。何せ、施設の奴らには実情を知る術が無い以上、程度を測ることも出来ないのだから。
向こうがどう思うかが重要であって、こちらがどう思うかなど関係ない。――それが向こうのスタンスなのだ。
まあ、『裏』も『裏』で一枚岩じゃない以上、施設の奴らがそう簡単にちょっかいをかけてくることも不可能、というのも、紛うことなき『現実』だが。
クソみたいな過去。知られたくない過去。忘れたい過去。――しかして、忘れられない過去であり、知られたくない部分は、触り程度とはいえ既に清隆が語ってしまった。
ならば、殊更黙秘する必要はないのかもしれない。教室内に人がいるのは確かだが、その一方で、俺たちの話に対し熱心に耳を傾けている者も少ない筈だ。
だからまあ、信じるも信じないも、あとは話を聞いた当人に任せることにする。
「改めて訊かれるとな……。まず初めに言っとくと、どんな組織だって一枚岩じゃいられない、ってことだ。
俺と清隆の育った施設は、一言で言えばイカレている。何せ『天才の量産』を掲げ、その実現を目指し、手法を確立させるための施設だからな。これだけでも分かるだろうが、表立ってやれることじゃない。同時に、一個人でやれることでもないため、少なからず国や資産家の類も関わっているだろうさ。
また、その目的からして、実験の対象となるのは子供でなくてはならない。それも、出来るだけ真っ新な状態が良い。そんなのは限られるため、関係者の子供や身寄りのない子供が選ばれるのは必然だったんだろう。……それが俺であり、清隆だったわけだ。
ここで最初に戻るわけだが、組織設立の目的がどうあれ、それだけで運営は成り立たない。数多の目的が交錯しているのが実情だ。
そんな中で俺は、まるで真逆の評価を下された。『最高』にして『落第』ってな。
ある奴は言った。俺の才能は素晴らしい。それこそ、
ある奴は言った。俺の才能がありすぎる。施設の稼働目的に相反している、ってな。
どちらにも一理あるが、討論が白熱して、やることなすこと過激になってくんだ。片やカリキュラムの難度を上げて潰そうとし、片や物理的に消そうとしてくるんだからな。こっちとしちゃあ堪ったもんじゃない。
だが同時、そんな状況だったからこそ、常以上に施設の隙が多く、大きかったのも事実だ。結果、第三者の手引きもあり、俺は施設の脱走に成功した。その後は、そいつから幾ばくかの支援を受けて生活し、将来を考えれば後ろ盾が多くて困ることもないため、その伝手作りを目的にしてこの学校に入学したわけだ」
実際にはもっと色々な紆余曲折があったわけだが、そこまでは語る必要もないだろう。
「……なるほどな」
俺の言葉に三者がそれぞれの表情を浮かべる中、ポツリと清隆が呟いた。
「こっちも納得。そんな施設なら、そりゃあ師匠が知っていたっておかしくないし、資金提供者も相応にいるでしょうよ」
次いで桔梗が。……まあ、彼女ならそうだろう。
武の神髄を目指す、ってのは聞こえが良いだけで、その本質はあの施設と何ら変わりはない。『かもしれない』が渦巻いているだけで、確たる手法があるわけではないのだ。それでも、歴史やら何やらでそう謳われている存在がいるからこそ、完全否定も難しい。言ってしまえば『見果てぬ夢』だ。
「ごめんなさい。私はよく分かんないや……」
申し訳なさそうに佐倉が。……そりゃあそうだ。根っから純粋な一般人がそう簡単に理解出来たなら、そっちの方が怖ろしい。
まあ、フィクションではありがちな設定であることも確かだが、だからこそ、それを基準にして同調する奴は、態度が軽いものとなるだろう。作り話、という意識が根底にあるためだ。
だが、佐倉は違う。そういった感想がよぎった可能性自体は否めないが、その上で『現実』のものとして受け止め、考え、分からない、という結論を出した。
ならばまあ、話した甲斐もあるのだろう。少なくとも、真剣に捉えてくれた、という事実そのものがありがたい。
「そんで? 話が脱線しちゃったけど、お人好しの刃は須藤君を助ける気があるのかな?」
「……答えは変わんねえよ。今のアイツを、助けてやろうとは思わねえ。……思いたくない」
揶揄い気な桔梗の言葉に、そっぽを向いてそう返す。紛れもない本心なのだが――何故か、無性に腹が立ってしょうがない。
「やれやれ。仕方ない。ここはお姉さんが手伝ってあげるとしよう」
「いや、お姉さん、って。俺の方が年上――」
「黙れ。シャラップ。余計な口を叩くな。……少なくとも、事『人間関係』では私の方が圧倒的に経験は上よ」
桔梗がこれ見よがしな口を開いたので、思わず反論しようとしたら、三段論法で睨まれた。……怖えよ。声も低くなってんじゃねえか。――いやまあ、確かに人間関係を引き合いに出されると、言ってることは尤もなので否定は出来んのだが。
そして桔梗は席を立ち、須藤の元へと向かった。
「櫛田?」
「やあ、須藤君。私個人としては進んで助ける気も無かったんだけど、少し事情が変わってね。ヒントをあげるよ」
「ヒント? ってか、俺の無実証明を手伝ってくれるんじゃねえのかよ?」
「そこを履き違えてるから、救いがない、って言ってんの。平田君のような一部を除いて皆が手伝おうとしないのも、それが理由。……アンタのどこが『無実』だってのよ? 確かにCクラスにハメられたのかもしれない。けどね? 挑発されてだろうが何だろうが、一方的に暴力を振るった時点で、アンタは加害者になってんの。この程度、人に言われる前に自分で気付け、って話よ。
アンタの意識が変わらない限り、今回は手伝ってどうにか対処出来ても、また同じようなことを繰り返す。クラスの大半はそう思ってるし、アンタの振る舞いがそれを後押ししてんのよ。アンタの態度には反省が見えないからね。……だったら、手伝うだけムダじゃないの。
さて、ヒントはここまで。私の言葉をどう受け止めるかはアンタの自由。ただまあ、良薬は口に苦し。呑み込んで糧にしてくれるとありがたいところね。――実際、ヒントを与えてる時点で、こっちは大分甘く接してんだからさ」
須藤へと言うだけ言って、桔梗は席へと戻ってきた。
「まあ、御覧の通り。これで変わらないようだったら、須藤のことは諦めな」
「……ったく。ありがとな、桔梗。お前の方が、よっぽどお人好しだよ」
憎まれ口を叩く桔梗に、俺は礼を言った。
いつの間にか、腹立ちは治まっていた。