頭が痛い。――いや、体調不良とかではなく。まあ、風邪の初期症状があったことは認めるけど。今のこの痛みは、そういう『病状』の類ではなく、今まで培ってきた『常識』とかが、ガラガラと音を立てて崩れているが故のものだ。
言うなれば、物理的な痛みではなく、精神的な痛みだ。
正直、この高校に入学してから、何となくそんな気配はあったのだ。ただ、必死に見ないふりをしていただけで。気付かないふりをしていただけで。自分に言い聞かせていただけで。――だってそうでしょう? 今しがたの光景は、正気で受け止められるものじゃない。
学生だって、足の速い人はいる。言われるまでもなく、そんなことは理解している。――だけど。眼にも映らない速さなんて、一体どういうことなのよ!?
しかも、それが四人もいるときた。或いは、もっといるかもしれない。少なくとも、そう思わせるやり取りがチラホラとあったのは間違いない。
そこで――私の意識は途絶えた。
一瞬だったのか、それとも、それなりの時間が経過したのか。それは分からない。分からないが、意識の空白があるのは確かだ。
いや、この期に及んで自分を誤魔化すのは止めよう。私は、その時間を使って精神の安定を図っていたのだ。……『
その結果の、この頭痛である。或いは、これが『適応』というものか。確かに、頭痛さえ無視してしまえば、それ以外はどうということもない。現状を、当たり前に受け止めることが出来ている。
まず、ここは学校が管理する無人島だ。夏休みを迎えて早々、私たち一年生は学校側の用意した『二週間の豪華旅行』という触れ込みに従って、これまた学校側の用意した『豪華客船』に乗り込み、最初の一週間を過ごすペンションがあるという無人島にやって来たのだ。
そこまでを認識し、私は『今日』を振り返ることにした。
痛みが落ち着くまでの、時間潰しとして。
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私たちの乗り込んだ船は、確かに『豪華客船』の名に偽りはなかった。外観は言うまでもなく、施設も非常に充実。一流の名を欲しいままにする有名レストラン、演劇を楽しめるシアター、高級スパ、他にも色々。総じて言えば、一般的な高校生には縁遠い。もしも個人でこんな船に乗り込もうと思ったら、安くても数十万は必要だろう。
まあ私自身は、何ら施設を堪能することなく、ほぼほぼ船の医務室で寝て過ごしたわけだが。少しばかり悲しくもあるが、そのおかげで風邪が治ったのだから是とするしかない。……まさか、漢方にここまでの薬効があったとは。正直に言って驚きである。
医務室のベッドを占領していた私は、船医さんによって起こされた。訪れた時とは人が違っていたため僅かに混乱したが、すぐさま冷静さを取り戻した。そりゃあシフトなどもあるだろうし、考えてみればおかしなことではないのだ。
そして船医さんの話によると、船医さんは常駐の船医さんというわけではなく、私たちが乗り込むのに合わせ、特別に乗り込んだらしい。島にも同行するとのことである。……なお、私が見ていないだけで、常駐の船医さんもいるそうだ。
間もなく島に着くということで生徒に準備をするようにアナウンスが入り、それによって私は起こされたようだ。アナウンスの内容を控えていてくれた船医さんには感謝しかない。寝る前に比べて身体は遥かにスッキリしていた。
船医さんに礼を言って医務室を後にした私は、渡されたメモの内容に従って準備を済ませた。
教師の誘導に従って船を降り、件の無人島へと上陸。そして、騙し討ちのように特別試験の開始を告げられたのだ。――まあ、ある意味で想像通りだったけど。
無人島での豪華リゾート、というのは学校側の用意した真っ赤な嘘。部分部分で共通点が無いわけではないが、サバイバル生活、と表した方が、どちらかと言えば正しいだろう。細々と説明されたルールから考える限りでは。
一つ、八月七日までの一週間、私たちはこの無人島でクラス単位の集団生活を送ることになる。
一つ、試験中の乗船は正当な理由なく認められていない。
一つ、この島での生活は、眠る場所から食事の用意まで、その全てを私たちで考える必要がある。
一つ、スタート時点で、クラス毎に所定の物資を支給する。内訳はテントが二つ、懐中電灯が二つ、マッチを一箱、簡易トイレが一つ、トイレの付属としてワンタッチテントにビニールとシート。このビニールとシート、日焼け止めは制限なく、歯ブラシは各自に一つずつ。また、女子に限り生理用品は無制限。……この内、現状では歯磨き粉の扱いがどうなっているか分からないのが痛い。よくホテルや旅館で用意されているような小さな物だと、間違いなく一週間は保たないだろう。かと言って、一般的な物だと間違いなくクラスでの共用となる。女子同士、男子同士ならばまだ我慢出来るかもしれないが、一度の配布数が一つだけの場合、どうなるかなど考えたくもない。
一つ、特別試験のテーマは『自由』。大前提として、各クラスに試験専用のポイントが300支給される。このポイントで、足りない備品やら飲食物を購入するわけだ。中には遊戯用品もあるらしい。
一つ、特別試験の終了時に各クラスに残っている試験ポイントをCPに加算し、夏休み明けに反映する。
一つ、試験用のマニュアルは各クラスに一つずつ配布される。再発行も可能だが、当然ながら試験ポイントが必要となる。
一つ、試験には幾つかのペナルティが設定されている。
試験をリタイアする際には、一人につきマイナス30ポイント。これは自己申告も可能だが、学校側の判断による強制も有り得る。支払える試験ポイントが存在しなくとも、リタイアは可能。
環境を汚染する行為を発見した場合、マイナス20ポイント。……逆に考えれば、発見されなければ問題ない、とも言える。
毎日、午前と午後の八時に点呼を行う。不在の場合、一人につきマイナス5ポイント。
他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損などが認められた場合、生徒の所属するクラスは即失格とし、対象のPPを全没収。
一つ、試験中は指定の腕時計を装着する。この腕時計は生徒の健康管理の一環であるため、各種機能が備え付けられている。時刻確認だけでなく、非常事態を伝えるためのボタンもある。当然、許可なく外せばペナルティが与えられる。
一つ、担任は試験の終了まで、担当クラスの試験参加者と行動を共にすることになる。生徒たちがベースとなるポイントを決めたらそこに拠点を構え、点呼もそこで行うことになる。なお、一度ベースキャンプを決めた場合、正当な理由なく位置変更は出来ない。
一つ、島の各所には『スポット』とされる箇所が幾つか設けられている。それらには占有権が存在し、占有後八時間は占有したクラスしか使用出来ない。占有されていない限り、何ヶ所でも同時占有が可能であり、繰り返し同じクラスが占有しても構わない。ただし、他クラスが占有しているスポットを許可なく使用した場合、マイナス50ポイントのペナルティを受ける。スポットを占有するには専用のカードキーが必要であり、これは試験において『リーダー』となった人物しか使うことが出来ず、正当な理由なくリーダーの変更は出来ない。また、リーダーは今日の点呼の時間までに必ず決めなくてはならない。時間が経てばスポットの占有権は自動的に解除される。スポットを一度占有するごとに1ポイントのボーナスが与えられ、試験終了時に清算・加算される。
一つ、試験最終日、点呼のタイミングで他クラスのリーダーを当てる権利が与えられる。的中させることが出来た場合、一クラスにつき50ポイントを得る。逆に、外した場合はマイナス50ポイントのペナルティを受ける。リーダーを当てられた場合は更に悪く、マイナス50ポイントのペナルティに加え、ボーナスポイントまで失ってしまう。
この時点で随分とゴチャゴチャしている。口頭だけだと覚えきれない者が大半だろう。
更に、『自由』を謳っている試験だというのに、一部の生徒は時間を拘束されるのだから堪ったものではない。
真嶋先生に呼ばれて前に出たのは二人の男性。……そう、私もお世話になった船医さんだった。
岬越寺秋雨、谷本夏、と紹介された二人は武術家らしい。また、それぞれ種類は違えど医療の心得もある。そして普段は敷地内で武道場を構えており、ここにいる生徒の中にも何人か門下生がいる。正式な弟子も。
ある意味で、『武術』とは『伝統技能』である。界隈では、弟子入り自体が名誉、などと騒がれる場合もある。一子相伝、なんて言葉もあるくらいだし、それを完全否定することは難しい。
そしてこの二人は、界隈において特級も特級の評価を受けているそうで、その影響力は政府や資産家といった上級層へも及ぶ。……広くは『達人級《マスタークラス》』と呼ばれ、彼らのような上澄みを『特A級の達人級』と呼称するらしい。
そも、学校の敷地内に道場を構えたのも今年からだそうだ。
その理由は、特A級の達人級が目を向けている新入生が多いから、ときた。
三年間も目の行き届かぬ『陸の孤島』で安穏とした日々を送らせることを、件の武術家たちは是としなかったらしい。
本人の意思が重要なので無理強いも出来ないが、最低限、現状の維持はしておいてほしい。……その一点で達人級たちの意思は重なり、結果、敷地内に道場が用意された。達人級にはそれを押し通すだけの、日本政府が断り切れないだけの、影響力や財力――総じて言えば『実力』があるのだ。
俄かには信じ難い話であるのだが、筋は通っている。
そして私たちは特別試験をやるわけだが、その一方で現在が『夏休み』であることを忘れてはならない。二人の達人級にしてみれば、『学校』などという煩わしいものに通わなくて済む分、面倒を見るには打ってつけの機会なのだ。
そう。ただでさえ普段から配慮しているというのに、学校側の都合でそれが覆されるのだ。当然、素直に是と認められるわけがない。
双方の協議の結果、二人の達人級も試験に同行。医者として生徒たちの面倒を見る一方で、武術家として門下生の面倒も見る。……そういうことに決まったらしい。
私たち生徒はその煽りを食らったわけだが、この特別試験と同様、どうこう言える立場にはない。むしろ、こうして事情を説明している辺り、学校側も筋を通しているのだ。ならば、受け入れるしかないだろう。
不満があるなら実力で通せ。つまりはそういうことだ。
ともあれ、これにて学校側からの事前説明は終わり、あとは所定の時間を迎えたら試験開始と相成ったわけだ。
当然、各クラス毎にまとまり、互いに距離を取り、試験の方針について話し合う。それがお決まりの流れというものであり、事実、私たちもそうなった。
建設的な意見ばかりが出たわけではなかったが、ある程度の方針は決まったように思う。綾小路君、全総君、櫛田さんの三人が、ある意味で『ご意見番』的な扱いを受けたことも要因だろう。
この三人は『道場』の門下生であるため、試験への完全参加は難しい。特に、櫛田さんは谷本さんの弟子であるらしく、綾小路君と全総君以上に時間を拘束されることになる。以上の理由から、彼らは一歩引いたスタンスを取ることを明言した。……まあ、言っていることは間違いではない。
しかして、その事実を踏まえた上で彼らに頼らざるを得ないのが、私たちDクラスの実情である。結果、クラスでも人気のある平田君が意見を取り纏め、三人に相談し、その返答を基にブラッシュアップしていった。
そうして、リーダーはともかく、ある程度の方針は定まった――筈だったのだ。
それが崩れたのは、試験の開始時刻を迎えた早々だった。
「真嶋先生! 早くカードキーをください! リーダーは俺でいいんで!」
「おい、鐘鳴! 一体何を!?」
Aクラスの方から、そんな声が聞こえたのだ。それも、その場の全員に聞こえるほどの大声で。
必然、誰もが視線を向けるだろう。私もその例に漏れなかった。人付き合いの無さが災いして、私にはそれが誰かまでは分からなかった――が、あくまでも、それは私に限った話。クラスの中には、当然ながら知っている人もいた。
リーダー宣言をしたのが鐘鳴響君。Aクラス切っての女の子好きであり、屈指の実力者、らしい。また、件の『道場』の門下生でもある。
驚きを露わにしたのが葛城康平君。普段、リーダーポジションに立っている人物、らしい。
その様子から察するに、これは鐘鳴君の独断行動。果たして、こんな真似をする意味は?
「響? 何を――しまった!?」
「チッ。オレが行く。刃と桔梗は周りへの説明を頼む」
「ま、しゃあねえか。頼んだぜ、清隆」
私が疑問に思うように、他の人も疑問を覚えて道理。
そして、我がクラスで一早く答えを導き出したのは、案の定の三人だった。いや、他のクラスでも、Aクラス――鐘鳴君に引き摺られるように動きを見せている。
「星之宮先生! Bクラスのリーダーは僕でお願いします!」
「坂上先生! Cクラスのリーダーは俺で!」
「茶柱先生! Dクラスのリーダーはオレがやる!」
各クラス、白昼堂々のリーダー宣言。
Bクラスは白浜翔君。
Cクラスは緋勇龍也君。
そして、我がDクラスは綾小路君。……彼に至っては、普段の無表情からは信じられないほど、意気を露わにしている。
この特別試験が例年のものかまでは分からないが、そしていくら『自由』を謳っているとはいえ、これが『異常』な光景であることは分かる。
さりとて、これはまだ序章に過ぎず。
「んじゃ、お先に!」
一足早くカードキーを受け取った鐘鳴君を皮切りに、各クラスのリーダーが猛スピードで離れていく。――そのスピードもまた『異常』だった。文字通り、私の目には映らなかった。辛うじて、遠目に後姿が確認出来た程度。
その『現実』を私は簡単に受け止めることが出来ず、頭痛を招き、おそらくは防衛本能が働いて今に至っているのだ。
漸く鈴音のターンです。
のっけからSAN値を喪失してますが、まあ仕方ないですね。逸般人リアリティショックを躱し続けるのにも、限度があったということです。