無人島での特別試験が終わってから、早や三日。オレたち高度育成高等学校生を乗せた豪華客船は、ゆったりと海を漂っている。何事も起きることはなく、平穏な時間そのものだ。
試験結果に対する説明会に託けた注意喚起も空しく、大半の生徒たちの気は緩み始めている。これは『サバイバル合宿』が『アウトドア合宿』に変わったこともあるだろうし、『楽』に流されることを好む、人の本質の問題もあるだろう。
試験はこれで終わったのだ。そう判断して楽観ムードに移り変わりつつある。
「アイツ等の試みも徒労に終わった。――そう判断するのは早計か」
船内の遊戯場で、オレは独り言ちた。
確かに大半の生徒は緩み始めているが、そうでない生徒もいるからだ。――例えば、目の前にいる
「そりゃ早計でしょ。ってか、せっかくやる気になったんだから、気を引き下げる様なこと言わないでほしいんですけど~」
ぶつくさ言いつつ、その眼はシッカリと盤上に向いている。
流石は豪華客船、と言うべきか。囲碁にしろ将棋にしろチェスにしろ、数は少ないが本格的なそれが用意されていた。無人島のペンションとは大違いだ。
現在はチェスをやっているわけだが、ある程度までは搦め手にも対応してくる。チェス自体は本人曰く『初心者』とのことだが、言うだけあって純粋な能力は高水準なのだろう。
オレが松下の相手をしているのは、単純に誘われたからだ。船内ということもあり、武術修行は最低限で済まされている。それ以外には特にやることもなければ、やりたいこともないため、割と時間を持て余している。である以上、誘いを断る理由もない。
「って言うかさ~、こうして女子が誘ってるんだし、もう少し嬉しそうな表情をしてもバチは当たらないと思うんだけどな~。
がっついてほしいわけじゃないんだけど、そうも無表情だと、女子として負けた気になるっていうか、悔しいっていうか……」
「そういうものか……。気を悪くさせたなら済まない。嬉しく思ってないわけじゃないんだが、この学校に入るまでは大分抑圧された環境下で過ごしてきたものでな。無表情が染みついているんだ」
松下の言葉に、オレは素直に謝った。嬉しいと思っているのは本当だが、表し方がよく分からない。
感情を捨て去ったわけではないが、それを表す術など『余分』でしかない。そんなモノに気を割いていては、あの施設でのカリキュラムを乗り越えることなど出来なかった。
結果、よっぽどのことでもない限り、オレの感情が表に出ることはなくなってしまった。……まあ、その『よっぽどのこと』が、血縁上の父に関する事柄であるのが、我ながら複雑なところではあるのだが。
ともあれ、そんなオレの態度は、端から見れば『スレて斜に構えたガキ』ではなかろうか? 不意に、そんな疑問が思い浮かび――そのことに安堵した。それはつまり、そんなことを考える『余裕』があることを意味しているからだ。
「あ~。洩れ聞く話からすると、何か特殊な施設で育ったんだっけ? 事実は小説よりも奇なり、とも言うから、そんな施設があっても不思議ではないし、綾小路君の能力の高さにも納得がいくんだけどね。
まあそれにしては、同じ施設で育ったっていう全総君と比べると、コミュニケーション能力の差が激しすぎるとは思うけど……」
「アイツは俺よりも早く施設を出たし、そもそもにして『才能』の差が大きいからな。アイツの『センス』は誰もが認めるほどだったが、一方のオレはその点で見れば凡人だ。――まあ、『吸収力』と『応用力』については絶賛されたがな。
オレが『ゼロからスタートして、一を聞いて万遍なく覚えるタイプ』だとすれば、アイツはそもそものスタート地点が異なっている。『ゼロだと思いきや、実は十や五十や百だった』というタイプだ。……必然、支払う代償も異なってくるさ」
正直な感想だ。アイツの本領は底が知れない。『火事場の馬鹿力』か、或いは『ゾーン』か。追い詰められたかと思いきや、更なる力を発揮して乗り越える。正に生まれついての『ギフテッド』だ。――だからこそ、『ホワイトルーム』にはそぐわなかったわけだが。
さて。
言葉を交わす間にも、そして考え事をしている間にも、盤面は進んでいる。
「うっし、勝った!」
結果は松下の勝ちだ。まあ、勝てるかどうかのラインで付き合っているのだから、どちらに転んでもおかしくはない。勝つ気で望んでいるわけでもないので、特段、負けても思うことはない。むしろ、松下が勝利することに喜びすら覚える。何故なら、勝敗には様々な要因が絡むからだ。
たかがチェス。――されどチェス。能力を鍛えられるなら、その教材が遊戯かどうかなど関係の無いことだ。
周りが強くなることで、オレが動かなくて済むのなら、それに越したことはない。
「ああ、そうだな」
「くぅ~っ、全然悔しそうじゃないし。実のところ、どれだけ余裕があるのさ?」
「……さて。本気でやれば容易く負ける気はしないが、どれだけ余裕があるか? と訊かれるとな……。チェスは限られた駒を用い限られた盤面で戦うゲームだ。初期配置も決まっている。筋道は打ち手の数だけ無数にあるが、真実『無数』じゃない。限度がある。――なら、やはりそう簡単には負けないだろうさ」
それ以外に言い様がない。
「なんかムカつく。特にそのすまし顔が! もう一本勝負よ! さっきよりは本気できてよね!」
「まあ、構わないが……」
そして、オレは再び松下とチェスを打つ。
ふむ。何となく岬越寺先生や谷本先生の気持ちが分かったような気がする。ギリギリを攻めることで相手を苦しめつつ、それを乗り越えられた時のスッとする感じは、筆舌に尽くしがたい。
松下はオレ以上にコミュニケーション能力がある。伸びしろもまだ十分にあるだろう。オレは全力を出したくない。松下はAクラスで卒業したい。……オレが鍛え上げる相手として、利害も一致する。
まあそれを言ったら、Dクラスには堀北や平田を始め他にも候補はいるのだが、オレも男だ。どうせ近くにいるのだったら、見目麗しい女子が相手の方が良い。
「なあ松下。お前、オレと付き合わないか?」
「……ふぇっ!?」
オレの提案に、松下は変な声を上げて駒を打ち倒した。……何かおかしなことでも言っただろうか?
ともあれ、オレは松下に事情を説明する。
「……ああ、そういうこと。ったく、言い方が紛らわしいんだから……! つまりアレね? 『彼氏彼女』と言うよりは『ビジネスパートナー』ってことね?」
「どちらかと言うとそうなるだろうな。『彼氏彼女』な関係にも興味が無いではないし、松下が相手なら望むところではあるが、オレはこんなだからな。そっちも苦労すると思うし、何より時期尚早だろう」
「一応、こっちのことを考えてくれてはいるわけね……。オーケー、その提案を呑みましょう。今この瞬間から、私と清隆君はビジネスパートナーよ。ああ、ちょっと特別な関係になったんだからで、お互いに名前で呼び合いましょう?」
「了解した。以後よろしく頼む、千秋」
「うっ!? 割と破壊力高いかも……」
千秋が何事かを呻いていたが、こうしてオレたちは新しい関係を結ぶことになった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「いやあ、絶景ですねえ、響さん」
「そうですねえ、刃さん」
「然り。然り」
「いや、何なのそのノリは……」
デッキに備え付けられたプール。水着をレンタルした俺たちはそこを訪れたわけだが、同じく水着姿で現れた女性陣を見るなりのやり取りであった。
メンバーは、男子が鐘鳴と松雄、俺と白浜、緋勇、全総。女子が一之瀬、軽井沢に坂柳、櫛田に佐倉に堀北である。見事にクラスが入り混じっている。なお、偶然に居合わせたわけではなく、示し合わせてやって来た。
ちなみに、バカを言ったのが鐘鳴に緋勇に全総、ツッコミを入れたのが白浜だ。いやまあ、三人の言葉に同意はするが、それでも、口に出すのはどうかと思う。
「フッ、もっと褒め称えなさい!」
ノリが良いと言うべきか。短い髪をファサリと払い、櫛田が堂々と言った。……お前、そんなキャラだったか?
「ほら愛里、アンタもやるのよ。自分の長所で強気に出ないでどうすんのよ」
「ええっ!? 恥ずかしいんだけどなぁ……。――いや、コレも桔梗ちゃんの愛の鞭。成長の糧」
そして、櫛田に丸め込まれた佐倉もポーズを取った。流石はグラビアアイドルの『雫』と言うべきか。レンタルの味気ない水着にも拘わらず、威力が高い。小柄な身長に見合わぬ胸部装甲が、その威力を跳ね上げる。……いやまあ、俺も男だからな。
「それじゃ私も!」
「ちょっと恥ずかしいけどね」
「はぁ……。付き合うしかなさそうです」
「え? いや、ちょ、あーもう」
軽井沢がノリノリで、一之瀬と坂柳が諦め気味に、堀北がヤケになりつつそれに続いた。
途端に上がる拍手喝采。そりゃまあ、場所が場所だからな。観客は俺たちに限ったことじゃない。方向性は違えど、それぞれが美少女であることに違いはないからな。男子が熱狂するのも無理はない。
「ふむ。女子に負けてはいられないな。続け、野郎ども!」
「応さ!」
「付き合おう」
そう言って、鐘鳴、全総、緋勇もポーズを取った。
それを呆れた視線で見ていた俺たちだったが、周りはそれを許してはくれないらしい。視線の圧力が、俺たちにも『続け!』と促してくる。
「はぁ……」
「やるしかないか」
「何でこうなった」
そして、松雄、白浜、俺も続いた。
途端、今度は黄色い歓声が上がる。
ともあれ、いつまでもポーズを取ってなどいられない。
そもそも、プールに浸からなければ、水着に着替えた意味が無い。
そんなわけで、それぞれがプールに浸かった。女性陣の何名かは浮き輪を使用しているのだが、誰とは言わないが妙に様になっているように感じる。
「いやあ、それにしても意外だったな。堀北さんがこういうノリに付き合うのって」
「確かに、以前まではそうだったわね。でも、否応なく自分の実力不足を認識させられたのだもの。少しくらいは変わろうと努力するわよ。でないと、鐘鳴君に申し訳がないわ」
「どういうことです?」
「あー、俺の初恋相手兼失恋相手が鈴音ちゃんだったってこと。先日、ひょんなことから互いに知っちゃってね」
「納得。幼少期の出来事とはいえ、『釣り合わない』とか言って振った相手が、自分を遥かに超える実力者になってたらね」
会話が洩れ聞こえるが、何故だろう、櫛田が堀北をチクチクと責めているように感じるのは。――いや、気のせいじゃないな。櫛田の表情が物語っている。
「あー、櫛田は堀北のことが嫌いなのか?」
「うん、大っ嫌い――だったね。好きになるかはこれから次第、かな?」
試しに訊いてみれば、臆面もなく笑顔で頷き、かと思えば首を傾げた。
「あらそう? なら、一歩前進、と言ったところかしらね。これからはもう少し仲良くしてもらいたいわ」
櫛田の言葉に対し、堀北は軽く受け流した。
「いえ、櫛田さんだけじゃない。同じことは貴方たち全員に対して言える。貴方たちは私には無い『強さ』を持っている。私はそれを学びたい。だから、今日は誘いに乗ったのよ」
なるほど、と思う。俺はそれほど堀北を知っているわけではないが、それでも、以前とは違うように感じる。
「自分で言うのもなんだけど、私は今まで『杓子定規』な世界で生きてきたわ。変わろうと思って、そう簡単に変われるものではないのよ。故の結論。変わりたいなら、劇薬に接するしかない」
「フフ、私たちは『劇薬』ですか……」
「まあ、言い得て妙かもしれないね」
「いや、その扱いには物を申したいんだけど」
堀北の言葉にそれぞれが反応を返す。
正直、個人的には堀北に同意する部分がある。
「話を変えるけど、このまま学校に帰るまでノンビリ出来ると思う?」
松雄の質問に返るのは『無理』の一点。松雄自身、思ってはいなかったのだろう。だよね、と軽く笑っている。
「となると、『特別試験』が待ち受けていると思うけど、どんなタイプだと思う?」
なるほど、真に訊ねたかったのはこちらか。
「全クラスである種の公平性を保ちつつ、船内で出来る試験……ですか。代表を選出しての宝探し、とかどうです?」
「否定はしきれないけど、全員に出番が無いと『公平』とは言えないんじゃないかな? いや、代表の選出に関わっている、と言えなくはないけどね。
それよりだったら、僕は『謎解き』の類を推すよ。ヒントを船内の各所にでも仕込めば、それぞれに出番があるからね」
「私は各クラスの交流を図る試験だと思うわ。無人島での試験は学校側としても想定外の流れでしょうし、本来のままだったらもっとギスギスしていたと思うのよ。そんな状況下で、今度は一転して他クラスとの社交性を測る。……ありそうな気がしないかしら?」
坂柳、白浜、堀北、それぞれの意見にはどれも頷ける部分がある。
「全部を混ぜ合わせている可能性もあるか。……宝を探すには謎を解かねばならない。謎を解くには全クラスで協力する必要がある。お行儀よく全員でお宝を手にすれば等しく大量のPPが与えられ、抜け駆けを働けばCPが与えられる。しかして、抜け駆けがバレればCPがマイナスされる。――こういう試験も有りだとは思わないか?」
「確かに。全クラスから生徒を選出して複数のグループを作れば、その可能性も十分にあるね」
俺の意見に櫛田が同意しつつ補足を入れる。
こうして、俺たちは本来の目的をそっちのけで、待ち受けるだろう試験について話し合うのだった。
ストックが尽きたので次回更新は遅れます。