何だ、こいつは?
それが素直な感想だった。率直に言って計り知れない。脳内でエラーががなり立てる。あの施設のカリキュラムでも、これほどの奴はいなかった。
刃に連れてこられた、敷地内の武道場。
そこに立つ一人の男を目にした瞬間にこの有様だ。この男の異様性を目の当たりにしては、その足元に櫛田が転がっていることも気にならない。――いや待て。今、おかしな光景が映らなかったか?
一度目を閉じ、深呼吸。そして再度目を開く。……うん。どうやら見間違いではなかったらしい。運動着姿の櫛田が、息も絶え絶えに転がっている。滴る汗は色っぽく、呼吸する度に上下する胸は、正直言って眼福だ。
「全総か。そっちは……ああ、あのくだらん施設のお仲間か。たしか、綾小路清隆とかいう名前だったか。何だ、そいつもこの道場に通うのか?」
「名前はそれで合ってるっす。通うかどうかまではまだ何とも。――ところで、櫛田のその有り様はいったい?」
「あん? ちょっとばかし弟子に稽古を付けてやっただけだ」
「弟子!? 櫛田がっすか!? ……全然そんな雰囲気感じなかった」
「当たり前だ。こいつは曲がりなりにも俺の弟子なんだ。そう簡単にバレるようなヘマ、俺が許すわけねえだろうが」
刃と男の間で会話が繰り広げられる。その光景を眺めている内に、漸く気分が落ち着いてきた。
「全総と、そこの櫛田のクラスメイトで、綾小路清隆です」
「谷本夏。ここの副責任者で、主に中国拳法を教える。――フン。くだらん施設ではあるが、一応の効果は有る、と言うことか。
おい桔梗、いつまでぶっ倒れてやがる。サッサと起き上がらねえか」
簡単な自己紹介を交わした後、谷本という男が櫛田を踏みつけようとした。
「はい! 起きます起きます!」
瞬間、ぶっ倒れていたとは思えないほど軽やかな動きで、櫛田が立ち上がった。正直、見惚れてしまった。
「あれ? 誰かと思えば綾小路君と全総君? 二人もこの道場に通うの? 正直、凄くきついから止めておくことをお勧めするよ?」
「生憎、全総は既に契約済みだ。綾小路は知らんがな。――と言うより、順番が逆だ。この道場自体が、鐘鳴響、白浜翔、緋勇龍也、全総刃の腕を必要以上に鈍らせないために用意されたんだよ。人員が俺と岬越寺先生に決まったのはその後だ。つまり、お前の方がオマケってことだ、桔梗」
櫛田の言葉に対し、答えたのは谷本だった。
「ってことは、その四人共が誰かの弟子ってことですか? いえ、白浜君については師匠から伺ってますけど……」
「残念ながら不正解だ。達人の誰かしらに目を掛けられていることは確かだが、弟子というわけじゃない。……が、武才を惜しまれている、という一点だけで、この運びとなったのは事実だ」
「マジですか……」
「ああ。……で、どうする綾小路。お前もここに通うか? 通うなら、月額で五千ポイント頂戴するが」
谷本に問い掛けられる。とはいえ、即座に答えが出る筈もない。判断するには情報が足りなすぎる。
「取り敢えず、判断が付かないので見学させてもらっても構いませんか?」
「別に構わん」
ダメ元で訊いてみれば、すんなりと了承の返事がきた。
「凄いな……」
目の前の光景に、思わず零れる。
刃と櫛田。性差がある筈なのに、そんなのはお構いなしとばかりにぶつかり合っている。かつてプロの軍人とも戦ったことがあるが、この二人の動きはそれを軽く凌駕しているように思える。
谷本の弟子である以上、櫛田のそれは中国拳法だろう。どことなく、知識に該当するものがある。しかも、修めているのは一つの流派だけでは無いようで、異なる流派の動きが散見される。
一方の刃は俺と同じだ。いろんな動きが混ざり合っている。
そしてどちらかと言えば、圧しているのは櫛田の方だ。最初の内は刃の動きに戸惑っていたようだが、時間が経つにつれて慣れたのか、徐々に戸惑いが無くなってきている。
逆に、刃はその事実に焦っているようだ。仕切り直しのためか、一足飛びに距離を取ろうとした――ところで、見事に櫛田の一撃を食らった。
「そこまで! この勝負、桔梗の勝ちだ」
谷本の判定が下り、互いに一礼して勝負が終わった。
「フン。まあ、当然と言えば当然の結果だ。こと戦いにおいて、師がいるかどうかは非常に大きい意味を持つ。片や正式な師を持つ桔梗、片や師を持たぬ全総。結果は最初から見えていた。
だが、負けたとはいえ、全総は武才のみで桔梗と渡り合った。この事実は、軽く見ていいことじゃない」
その言葉の正しさを示すように、勝者である櫛田の表情は暗い。
「俺が何を言いたいかは分かるな、桔梗? 付け加えると、先に挙げた四人の中で、僅差ではあれ全総の武力は一番劣っている。この事実をよく刻んでおけ。――それで綾小路、見学してみてどうだった?」
谷本の言葉は、オレに衝撃を与えるのには十分だった。
今のオレでは、良くて刃と五分だろう。それも、刃について色々と知っているからだ。
櫛田相手だとどうだろうか? 今しがた見たばかりの情報があるため、ある程度は対応出来そうだが、それでも三分に届けば良い方か。……全く以て見誤っていた。
挙句の果てには、それと同等の力量を持つ人物が、同学年に三人もいるときた。
「通う場合、毎日じゃなくても構いませんか?」
「ああ。あくまでも『武術教室の教え子』という態でしかないからな。そして、武の力量に影響するのは、何も武術に限った話ではない。チェスや将棋などのボードゲームだって、思考能力を鍛えるには打ってつけだ。環境を上手く使えば、観察能力だって鍛えられるだろう。考えようによっては、どれもこれもが武に通じているんだ。
学び始めの基礎も分からん素人か、次の位階に到達でもしない限り、毎日見てやる必要もない。……まあ、師の方針にもよりけりだろうがな」
説明を聞き吟味する。
今までのオレには、ある種の諦観があった。いくら個人の実力が高くても、組織という数の力と権力には敵わない。……そんな諦観が。
それが間違っているとは思えない。だが、正しいとも思えなくなった。少なくとも、谷本ほどの実力があれば軽く返り討ちにしそうである。
そこまでは行かずとも、逃げ切れるだけの実力を付けられるとすれば、通うだけの価値はある。
「……分かりました。契約させていただきます」
「なら、契約書の記入と会費の支払いをしてもらう。事務所までついてこい」
言い捨て、とっとと歩き出した谷本の後を追う。
書類に目を通してサインを入れ、会費の支払いを済ませる。
「これで入会完了だ」
棚からファイルを取り出し、それに契約書を綴じた谷本は、次いで未開封の運動着を渡してきた。ごく普通の運動着だが、最初の一着は入会特典らしい。
「先も言ったが、あくまでもここは『武術教室』でしかない。当然、それ相応にしか教えないし、面倒を見ない。――建前はな。目を瞠る生徒がいれば、親身になったり優遇したりするのは世の常だ。俺には既に桔梗という弟子がいる以上、お前を弟子に取ることはないが、鍛える分には吝かじゃない。
今より高みに至りたいというのであれば、才を、努力を、意思を示せ。それ次第では、俺だけでなく岬越寺先生も面倒を見てくれるだろう」
谷本なりの激励なのだろうか? こちらを見ることもなく、そんなことを言ってきた。
「言質は取りましたよ?」
「抜かせ。ハッキリと言っておくが、俺たちの基準は厳しい。生半可じゃあ、見る価値もない。それを心に刻んどけ」
武道場に戻ると、刃と櫛田が隣り合って座っていた。何と言うか、空気的にも物理的にも、距離が近い。
「おう、戻って来たか。んで、契約は終わったか?」
「ああ」
「んじゃ、清隆も端末出して。連絡先交換するから」
「ああ。……ん? その口調……」
「こっちが素。教室のは余所向け。どうせ一緒にここで鍛えるんだから、仮面着けてる意味もないしね。……師匠相手にそんなことしてる余裕は無いってこと。である以上、遅かれ早かれバレるに決まってるじゃん」
櫛田はざっくばらんにそう言ってのけた。教室とは全然態度が違う。しかしまあ、言ってることは尤もだ。
「入会契約が終わった以上、私のことは名前で呼んでいいから。その代わり、私も名前で呼ばせてもらう。道場の方針とか、言い訳はどうとでも出来るしね。――ただ、周りに対しては変わらず仮面を着けるから、その点にツッコミをいれないこと。OK?」
「OKだ。よろしく頼む、桔梗」
「こちらこそよろしく、清隆。――んじゃ、早速一本やろうか。サッサと着替えてきな」
「……本当に遠慮が無いな。ちょっと待ってろ」
言い置いて更衣室へ向かう。無論のこと、男女別になっている。……ちょっと残念、とかは思っていない。
着替え終えたら道場に戻り、軽く柔軟を行う。
そして――
「それまで! 桔梗の勝ちだ」
予想と違わず、オレが負けた。しかし、見るとやるとじゃあ大違いだ。遠近に隙が無い。もしかしたらあるのかもしれないが、オレには分からなかった。
「まあ、善戦はした方だろうな。……武では確かに才能が大事だが、修練に費やした努力が才能を凌駕することなど珍しくも何ともない。実際、俺の最大のライバルは、武の才能が全くない。その事実を、魂がすり減るほどの努力で覆している。
それに比べりゃあ、お前はマシな方だ。あいつ以上の才能はあるし、ある程度の下地も出来ている。努力次第で今の桔梗には追い付けるだろう」
それが谷本による総評だった。初回評価としてはまずまずと言えるだろう。遠回しに、桔梗には追い付けない、とも言われているが、それを否定する要素はない。オレに師がいないのは事実であるし、効率の面では明らかに劣っている。
「桔梗は表向き善人ぶった態度を取っているが、その実は極度の承認欲求を持ち、傲慢で、利己的で、周囲の人間を見下している。……実に俺の弟子に相応しい。裏を返せば反骨精神の塊だ。周りからチヤホヤされるためには、見下している相手にも優しく接する。これは社会生活を送る上で重要な素養だ。また、見下されることを嫌うが故に、己の弱点を認める強さを持ち、克服するための努力を欠かさない。その対象が、師である俺であってもだ。今はまだ実力差が大きいが、虎視眈々と俺に勝つことを狙ってやがる。
師を超えることこそが、師に対する最大の感謝だ。少なくとも俺はそう思っているし、だからこそ、俺は桔梗を気に入っている。――が、そうは思っていても、如何ともしがたい問題があった。それがライバルだ。
武においては、信念もそうだが、ライバルの存在も重要だ。桔梗の場合、信念は問題ないが、ライバルがいなかった。当初は翔に期待していたが、才能と環境の差で明らかに後れを取っている。だが、ここにきてお前らという存在が現れた。
お前たちには、桔梗のライバルとして、桔梗が高みに昇るための糧になってもらうことを期待している。――まあ、裏を返せばそっちにも言えることだがな。そっちもまた、桔梗を糧とすればいい」
谷本は物凄いことをぶっちゃけた。桔梗は怒りの眼差しを師である谷本に向けている。
そんなでも、関係としては良好なのだろう。明け透けな態度を取るということは、それだけ気を許している、ということでもある。
それに、桔梗の本性はさておき、言っていることは説得力に満ちている。武に対して、そして桔梗という弟子に対して、谷本はどこまでも真摯なのだろう。
「チッ。……まあ、いっか。どうせ、性格に関しても遅かれ早かれだっただろうし。――ところで、この学校のシステムについてどう思う? そっちも気付いてるだろうけど、あっちこっちに監視カメラがあって、怪しいことこの上ないんだけど……」
舌打ちした桔梗は、どうにか怒りを吞み込んだらしい。そして気を取り直すや否や、学校の制度について質問を投げてきた。このことから、茶柱の言うことを鵜呑みにはしていないことが分かる。
だが、残念だ。一歩遅かった。その問いに対して、オレたちは意見を述べることが出来ない。
「悪いな。その質問に対しては答えられない」
「ふぅん? 刃だけでなく、あんたもその答えなんだ。なるほどなるほど。……ありがとう。参考になったよ」
最悪の場合、契約したことを仄めかしても良い、との許可はいただいていたが、そうなる前に引き下がってくれてありがたい。……まあ、十分過ぎるほどの情報を持っていかれたのも事実だが。オレの返答から、第三者が関わっていることは容易に想像が付くのだ。そして入学直後という事実を考慮すれば、『第三者』に見当を付けることなど難しくもない。
問題があるとすれば、仮面を着けててその行動が取れるかだが……。まあ、どうとでも言い訳を付けることが可能なのも確かだ。
「善は急げ。それじゃあ、お先に失礼するね。師匠も、ありがとうございました」
「ああ」
そう言って、桔梗は更衣室に向かった。おそらく、着替えてから学校に向かうのだろう。
入学初日の説明の際、茶柱は『質問があるなら職員室に来い』と言っていた。それは、学校側からの遠回しな挑戦だ。
説明をちゃんと聞いていれば、或いは入学資料をキチンと読み込んでいれば、おかしなことに気付く。そしてそれは、至る所に仕掛けられた監視カメラ、という形で視覚にも訴えている。
このおかしさを、疑問のままで捨て置くか否か。また、ただ答えを求めるのではなく、自分なりに答えを導き、その上で合っているかを確認するか。……学校側は、そういう形で生徒の実力を測っているのだ。
そして、見事実力を認められれば、ご褒美兼口止め料、という形で、入学したばかりにしては大量のポイントを得ることが出来る――正確には、強制的に与えられる仕組みだ。これに違反すれば、退学処置を取られることとなる。
オレが桔梗の質問に意見を返せなかったのは、既にポイントを頂いた後だったからだ。
「じゃあね、二人とも。また明日」
「ああ」
「おう。また明日~」
会かれの挨拶を交わし、俺たちは桔梗が去っていくのを見送った。
ある意味で出会いに恵まれた結果の桔梗さんです。