入学して二日目、放課後の第一体育館で私は悩んでいた。
なぜ体育館に来ているかというと、『部活動説明会』に興味のあるクラスメイトに誘われたからだ。私自身、中学三年時は生徒会長を務めていた身でもあるので、全く興味が無いわけでもない。まあ、会長業務を全う出来ていたかというと、何とも判断に迷うところではあるのだが……。
翔君と出会い、危ういところで救われ、道を犯さずに済んだ私ではあったが、だからこそ、『救われたに相応しい人物であろう』とした。それ自体は、何らおかしなことではないと思っている。
そうは言っても、父親がいない母子家庭。オマケに子供は二人もいる。その時点で、一般的な家庭に比べればハンデを背負っているのは否定出来ない。家族は大好きだし、その境遇を不幸だと思ったことはなかったけど、事実は事実として認めなければならない。
そして今から思えば、翔君と出会った時点で、私は限界に近かったのだろう。
元々、中学を卒業したら働きに出ようと思っていた。高校に行くのも沢山のお金がかかる。この学力社会、高校を出ていないという事実はそれだけで不利になる。けれど、仕事に就ける可能性はゼロではない。最初は低賃金のバイトでも、家族を助けることは出来るだろう、と考えたのだ。
でも、お母さんに反対された。まあ、無理もないと思う。そんな折、学校の先生から『特待生制度』を教えられた。母子家庭という『不利』に対して、先生も思うところがあったのだろう。
結果、言葉だけは以前から知っていたが詳細までは知らなかったそれに、私は希望を見出した。必死に勉強して、学力に関しては『学校でも一番』と言われるまでになった。運動は苦手だったけど、平均はキープ出来るように頑張った。
努力は実り、生徒会長に任命された。それは、紛れもない一つの『成果』だ。確かな手応えを感じた私は、勉強、運動、会長業務、その全てに手を抜かなかった。手を抜いて評価が下がれば、これまでの努力が水の泡と化す。それを恐れたのだ。
そうして迎えた夏、お母さんは無理が祟って倒れてしまった。入院というアクシデントが起こってしまったのだ。
折しも、妹の誕生日が近かった。お母さんはきっと、誕生日プレゼントを買うために限界を見誤ってしまったのだろう。
妹もまた家庭環境を理解していたからか、年齢に比して自己を抑制していた。我儘を言うこともなく、友達との遊びや買い物にもついて行かず。そんな妹が、不意に零した『欲しいもの』。妹の大好きな芸能人が身に着けていたヘアクリップ。……親として、それを買ってあげよう、と思うのは、何らおかしなことではないだろう。
不幸だったのは、お母さんが妹に対し、『期待』を仄めかしてしまっていたこと。……それさえ無ければ、まだマシだったのかもしれない。
その一件を機に、今まで必死に抑え込んでいた妹の感情が噴出してしまったのだ。病室のベッドで泣きながら謝るお母さん、それに対し、ありったけの罵声を浴びせていた妹。泣きながら、楽しみにしていたヘアクリップのことを叫ぶ妹。家に帰った後は、何であんなことを言ってしまったんだ、何で私はヘアクリップを欲しがったんだ、と自責の念で塞ぎ込む妹。
お母さんと妹、そのどちらに対しても、私は責める言葉を持たなかった。責めることが出来なかった。
出来ることは、この状況を何とかしなきゃ、と思考を巡らせることばかり。そして何が空回ったのか、私は窃盗を決意していた。『今』ばかりに目が行って、『先』のことなど全然考えてなどいなかった。いられなかった。
そして、すんでのところで翔君に出会い、止められ、救ってもらったのだ。
絵のモデル、という正当な理由を背に手に入れたお金で、私は早速妹へのプレゼントを買った。一万円以上もする品だ。さしもの妹も疑問には思ったようだが、契約書類を見せて説明すればすぐに納得した。
それにより妹もある程度気を持ち直し、今度は二人でお母さんに会いに行った。当然、お母さんも妹の着けているヘアクリップに疑問を覚えたが、これまた契約書類を見せて説明し、納得してもらった。
本当、客観的な証拠、というのは大切である。あの瞬間、私はそれを肌身で理解した。契約書類が無ければ、二人もすんなりとは納得しなかった筈だろうから。
ともあれ、自覚は無きにしろ、私は元からしてそんな一杯一杯の状態だったのだ。そこに更に熱を入れれば、自壊するのが自明の理だ。若いからか入院とまでは行かなかったものの、私もまた身体を壊してしまったのである。
とはいえ、あくまでも疲労の蓄積。ゆっくりと休んで栄養を摂取すれば、何の問題も無い。――だが、『問題が無い』のは身体に関してだけだった。私は生徒会長だ。休んでいる間にも仕事は溜まる。オマケに、評価が下がれば特待生制度の取得も危うくなる。
以上の理由から、復調するや否や、私は休んでいた間の遅れを取り戻すべく頑張った。そして再び身体を壊した。
中学三年の後半は、その繰り返しだった。まさしく負の悪循環である。悪い意味で、私は『手抜き』が出来ないタチなのだろう。結局、それが治まったのは、退院したお母さんに叱られてからだった。その後は、任せられる仕事は周りに任せることにした。
まあ、その結果、成績という形で高評価はされたものの、同時に、出席日数という失点が付いてしまった。事情を知っている先生からも『自己管理が出来ていない』と苦言を頂戴してしまった次第である。
そんな私が大好きな家族と別れてまでこの学校に入ったのは、偏に学費が無料だからだ。紹介してくれた先生の説明でも、パンフレットでも、特待生制度のような面倒な条件はなかった。畢竟、入学さえしてしまえば、好成績を維持する必要が無いのである。
進路に関する謳い文句? そんなものどうだっていい。有力大学に進んだところで、ついていけなければ退学するのが関の山だ。就職に関しても同じことが言える。あくまでも、最後にものをいうのは本人の地力なのである。身の丈に合ったところか、ちょっと背伸びするくらいが丁度良い。
進路はともかく、社会的評価を気にしなければならない身の上だ。成績を下げ過ぎるわけにはいかないだろうが、周りから見て『誤差』と納得出来る範囲であれば問題あるまい。そもそも、手抜きが苦手なタチ故に、必要以上に下がる心配も無さそうではあるが……。
そして社会的評価というのであれば、『生徒会長』という身分は、一般的な学生にとって校内の立場としては最高峰な代物だろう。加え、ここは政府直轄の名門校だ。尚更狙わぬ道理はない。――と、入学するまではそう考えていた。
その考えが揺らいだのは、予期せぬ形で翔君との再会を果たしたからである。家庭事情がどうあれ、周りの評価がどうあれ、私も一人の女子高生。恋に恋するお年頃だ。意中の相手を目の前にしては、優先順位が前後しても仕方あるまい。
まして、今日のお昼休みに昼食を御一緒したことで、翔君についても色々と知ることが出来た。……が、前途多難さも否応なく知ることとなったのだ。
初恋か、家族か。両立を目指すか、目指さないか。……そう簡単に答えの出せる問題ではない。
救いがあるとすれば、翔君自身が恋人づくりに前向きなことだが――如何せん、同時にブレーキも掛かっている。
既に見知った間柄であるだけにまだマシだが、関係を深めるのが難儀なことは目に見えている。かと言って、諦めることも出来そうにない。自分自身、翔君を恋人に出来たとしても、それで良し、と思える筈もない。
いやはや、我ながら難儀な性格である。翔君のことを言えたものではない。
「帆波ちゃん?」
「ん? どうかした?」
いけない、いけない。思考に耽るあまり、どうやらクラスメイトに心配をかけてしまったようだ。空っとぼけて訊き返す。
実際、私としては生徒会の説明にしか興味は無いのだ。それとなくではあるが、誘われた時にそのことを伝えておいたお陰で、それほど不信感を抱かれずに済んだようだ。気を付けよう、と思い直し、周りの声に耳を傾ける。
どの部活も聞こえの良いことか、当たり障りのないことしか言わない。聴衆も一年ばかりであるためか、そのことを疑問にも思わない。
真に戦力となる部員が欲しいのであれば、もっと突っ込んだ説明をしてほしいものである。これでは、興味など惹かれる筈もない。
内心で辟易としていれば、漸く生徒会の順番がやって来た。
その説明を聞き――
「……良いね」
私は歓喜の言葉を洩らしてしまった。
その内容は、当然と言えば当然のこと。しかし、他の部活とは違い、その佇まいが、その空気が、率直な言葉が、否応なく惹き付けた。
あれが、現生徒会会長、堀北学。名門校の『顔』としては、なんら遜色の無い人物だ。
「終わったね~」
「これからどうする?」
一緒に来たクラスメイトの声が耳に入る。或いは入部を申し込みに行き、或いは入部しないようだ。まあ、そこら辺は個人の自由だから好きにすればいい。
私は――生徒会に入ることを決めた。
翔君との距離を縮めるに当たっては時間的な意味で不利に働きそうだが、そもそもにしてクラスメイトだ。機会は幾らでもある。
第一、私は運動能力に自信がない。平均が良いところだ。翔君がやっている武術に興味がないではないが、興味本位で追い付けるものでもあるまい。ならば、自信のある分野でアプローチするのが最善であろう。
だが、問題もある。説明を聞く限り、生徒会は入ろうと思って入れるものではない。当然、審査も厳しい筈だ。それを――乗り越えられるか否か。
生徒会長の言葉振りから考えるに、『参考資料』として、学校側から新入生のデータがある程度流れている筈だ。所詮は『客観的な評価』に過ぎないが、だからこそ厄介とも言える。
普通に考えて、学力優秀、運動もそこそこ、生徒会長を務めた経験もあり、と謳ったところで、自己管理が出来ていない、という一文があれば、採用しようとは思わない筈だ。……まあ、他ならぬ私のことだが。
それを覆すには、相応の手段が必要となる。時間を掛けて地道にアピールするのも一つの手だが、スロースタートは不利になりがちだ。ならば、速攻でアピールするしかないだろう。丁度お誂え向きに、その材料もある。……そう、新入生ならではの材料が。
本音を言えば、もう少し確度を上げたかったのが正直なところだ。だが、その点については諦めるしかない。
そもそも、翔君を筆頭に、自分以上にデキる人物が同級生に多いのがいただけない。特に、今日のお昼を御一緒した人たちだ。
中でも、入学初日にして翔君の友人となった三人――Aクラスの鐘鳴響君、Cクラスの緋勇龍也君、Dクラスの全総刃君――は要注意だろう。数いる同級生の中から、互いが互いに友人として見出したのだ。しかも、別クラスなのに、だ。十中八九、そこには相応の理由があると見て間違いない。
同様に、そんな人たちが見出した相手――Cクラスの軽井沢恵さんと坂柳有栖さん、Dクラスの綾小路清隆君――も侮れない。視点を変えれば、そこに私も含まれる。
もちろん、まだ見ぬ実力者だっている筈だ。何故なら、この学校は『高度育成高等学校』。入学を認められた時点で、何かしらの『実力』を有することは保証されているのだから。
そんな状況で『凡人』が評価を得るためには、機を逃してはいけないのである。
「私、早速生徒会に申し込んでくるね!」
クラスメイトに一言断ってから、第一体育館を後にする。
この学校の特色、Sシステムに対する質問――という名の答え合わせ。
これが、新入生が実力をアピールするための場だ。データには載っていない実力を測るために、学校側が用意した場だ。色々と説明不足な点は、そのためと考えれば筋が通る。
現時点での選択肢は二つ。真っ直ぐ生徒会室に行くか、職員室に行くかだ。
前者を選べば、直接生徒会長にアピール出来るだろう。生徒会への入会、という目的のためだけなら最有力だ。
後者を選べば、回り道をする反面、教師からの後押しを受けることが出来るだろう。
どちらにしても、一長一短の可能性は否めない。何しろ、情報が足りなすぎるのだから。その上で、選択するしかないのだ。
悩みながらも歩を進めていたその道中、生徒用玄関から一人の女生徒が入って来たのを目にする。クラスメイトではない。初めて見る顔だ。故に、同学年か先輩かも判断が付かない。
僅かな逡巡の後、話しかけることにした。
「何か忘れ物でもされましたか? ――あ、私、一年Bクラスの一之瀬帆波といいます。はじめまして」
「私も一年生だから、そんな丁寧に接しなくても良いよ。Dクラスの櫛田桔梗です。はじめまして。――忘れ物と言えば忘れ物なのかな? 早い内、先生に確認しておきたいことがあって……」
「それは――Sシステムについて、だったり?」
「わざわざその単語を出してくるあたり、そっちも同じかな?」
私と櫛田さんは、互いに笑みを浮かべて見つめ合った。
「私は生徒会室に行くつもり。生徒会に入りたくて。アピールになればな……と」
「そっか。言われてみれば、そういうルートも有りか……。ねえ、連絡先を交換しない?」
「もちろん良いよ。クラスは違うけど、今後とも良き付き合いを出来たらいいね! あと、私のことは名前で良いよ。一之瀬、って言いにくいでしょ」
「そうでもないけど、帆波の方が言いやすいのは確かかな。お返しってわけじゃないけど、私のことも名前で良いよ」
互いに端末を取り出し、連絡先を交換する。ついでに呼び名も。
たとえ出会ったばかりでも、相手が男子ならともかく、女子であれば名前で呼ばれても不快感は少ない。断言しないのは、相手の性格にもよりけりだからだ。
「ねえ、帆波ちゃん。私は一旦教室に荷物を置きに行くけど、良ければご一緒しない?」
桔梗ちゃんからのその誘いを、断る理由はなかった。